2017年5月 7日 (日)

関西仏像旅

 ゴールデンウィーク前半に2泊3日の旅をしてきました。
4月30日
 兵庫県立博物館「ひょうごの美ほとけ」展へ。

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兵庫県の白鳳から江戸時代の仏像をならべた展覧会でした。その中で“半跏趺坐”像を確認することができました。

  • 日野辺区 聖観音坐像

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  • 神積寺 阿弥陀如来坐像
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  • 参考 遍照院 銅造如来坐像

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神積寺像と遍明院像は右の足裏が左手に隠れて見えないので、“半跏趺坐”と断定するには躊躇するが、足の組み方の造形は、”結跏趺坐”の造形意図で造られていないと判断できる。
このような、形状の坐像は、仏師の造形意図をくみ取ることによって、”結跏趺坐”ではなく、”半跏趺坐”像と判定するのが、今の所最良の判断材料であろうと思います。

大阪市立美術館「木×仏像」展へ。

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この展覧会も飛鳥から江戸時代までの全時代の木彫仏を展示していました。
その中で、3体の”半跏趺坐”像を確認しました。

東大寺弥勒如来坐像

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この仏像は、以前から言及してきましたが、膝部分の奥行きのなさが、そうさせているのでしょうか?

宮古薬師堂 薬師如来坐像

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この仏像は、初見です。

四天王寺 阿弥陀三尊像のうち阿弥陀如来坐像

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右足裏が左手に隠れているので、正確には断定できませんが、膝の造形からみれば、”半跏趺坐”と認めてもいいとおもいます。

5月1日

奈良に泊まり、まずは、興福寺中金堂の「阿修羅 天平乾漆群像展」へ。これも以前言及していますが、中尊の前に華原磬を置くならば、当然、婆羅門がその馨を打つ動作をした像を配置すべきなのでしょう。

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奈良国立博物館には、まだ時間があるので、東金堂へ。ここには、仏頭がありました。まさにこの須弥壇の中から発見されたものです。

奈良国立博物館「快慶」展へ。

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さすがです。カタログもすばらしい資料です。その中で、随心院 金剛薩埵坐像を確認することが出来ました。

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奈良博の学芸員の山口隆介氏が調査した報告では、この像を“半跏趺坐”と書いているのに、今回のカタログでは、岩井共二氏の執筆です。当然、坐法についてふれていません。

なら仏像館

この館に展示している半跏趺坐像を列挙してみます。

京都 観音寺 菩薩坐像

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文化庁 銅造薬師如来坐像

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この像は、キャプションによると、新薬師寺本尊の宿模だと書いていますが、そうすると、新薬師寺像も“半跏趺坐”と認めるのでしょうか。

金剛寺 降三世明王坐像

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鎌倉時代ですが、もうひとつの脇侍、不動明王坐像とともに、“半跏趺坐”に造っているのは、図像から参照したものと思われます。

その他

  • 見徳寺 薬師如来坐像
  • 当麻寺 宝冠阿弥陀如来坐像
  • 奈良国立博物館 阿弥陀如来坐像
  • 奈良国立博物館 五大明王像のうち不動明王坐像

が“半跏趺坐”像と認定できます。

ひさしぶりに、国会図書館関西館へ行きました。

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東京の本館と比べて新しいせいで、いやな思いもせず、大変心地よく使えました。

5月2日

まずは、京都へ。去年開館したばかりの「旧三井家下鴨別邸」へ。ここは、下鴨神社の糺の森に入る手前にあります。

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明治13年、木屋町三条にあった別邸を大正14年に移築、更に増築した建物です。

残念ながら、旅行社用に2階を押さえられて、1階しが見せてもらえませんでしたが、手吹き円筒法とおもわれる板ガラスを見つけました。

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京都非公開寺院の公開で仁和寺へ。

霊宝館で、阿弥陀三尊像を拝観。
金堂、経蔵を拝観。

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そして、ひさしぶりの広隆寺へ。

足が遠のいていたのは、あまりいい評判を聞かないので、躊躇していました。
案の定、講堂は、金網がしてあり、おまけに、扉をほんのちょっと開けて、中の三尊が覗ける程度の開き方をしていました。

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ずいぶんと、ふざけた対応です。ちゃんと、人を配置して、何で堂々と拝観させないのでしょうか。新霊宝殿の真っ暗闇は、どうしようもない。

島原へ。角屋もてなしの文化美術館へ。
2階部分は、説明付きで、別料金。もっとよく見せてほしいところですが。

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龍谷ミュージアムから、京都国立博物館へ。

京都国立博物館は、「海北友松」展をやっていましたが、平常展の彫刻だけ見たいを思っていましたが、なんと、全て、特別展の料金でないと入場できないということで、パスポートでの入場を断られました。
今回の「海北友松」展の会場が本館ではなく、新館で行われたためでしょうか、それにしても、平常展の見学者を切り捨てる態度は、もとの役所仕事にもどってずいぶんと態度がでかくなったなという印象です。平常展のみの入場ができる、装置はいくらでもできたはずです。

そして、平常展で見たかった仏像は

金剛寺不動明王坐像

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高山寺 薬師如来坐像

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神護寺 薬師如来坐像

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特に、高山寺像、神護寺像は、俯瞰で見ることができ、“半跏趺坐”であることを確認しました。

今回の旅では、多くの“半跏趺坐”を実見することができました。なかなか以前の写真だけでは、その撮影者が、坐法について意図して撮影していないので、実見するしかないのが実情です。
調査者が、ちゃんと、坐法についての知識と判断能力がなければ、これからも、仏像の形状の記述は、まゆにつばをつけることが続くことになります。、

2017年4月 9日 (日)

鎌倉近代建築の旅

 昨日(4月8日)に鎌倉に行ってきました。あいにく一日中雨の中、歩き回りました。

まずは、浄妙寺の境内の奥にある、石窯ガーデンテラスへ。ここは、浄妙寺の谷戸の奥の山の中腹にある、洋館をレストランにした大正11年(1922)の旧犬塚邸です。

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内部は、改装されていますが、外観はよく残されているようでした。ここには、2ヵ所のステンドグラスがあります。

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このステンドグラスのデザインは、名古屋の撞木館にあるステンドグラスとよく似ています。もう一つは、階段室にあるパネルです。

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この建物の設計は、ドイツ人だそうですが、ステンドグラスは日本製でしょう。

すぐ近くの華頂宮邸が春の公開日なので、また見にいきました。

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ここのステンドグラスは、シンプルなデザインのものばかりで、あまり特徴がありません。

もうひとつこの土日に公開している、大佛次郎茶亭へ。

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大正8年(1919)の建物ですが、ガラス戸は改装されていて、ガラスは見るべきものがありませんでした。

つぎに最近新築した川喜多映画記念館の建物の奥に、旧川喜多邸別邸があります。この建物は、江戸後期の民家を練馬で和辻哲郎が居宅として使っていたのを、鎌倉に移築したものだそうです。土間があって、江戸の農家の雰囲気が残っていました。

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鎌倉駅のすぐ近くに、古我邸がありました。駅からこんな近くの広大な敷地に洋館が建っていました。現在はフランス料理のレストランとして、使われています。大正5年(1916)荘清次郎の別邸として建てられた洋館です。結婚式開催中で、中にはいれませんでした。

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長谷の方を歩いて行くと、 吉屋信子記念館があります。この建物は戦後の昭和37年(1962)に建てられていますが、設計が吉田五十八で、シンプルな作りになっていました。

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そして、このすぐ近くに 鎌倉文学館があります。旧前田利為邸です。昭和11年(1936)竣工の建物です。

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内部からのステンドグラスの撮影ができませんが、2ヵ所の丸窓を除いて、シンプルなデザインのステンドグラスをランマに使用しています。その2ヵ所の丸窓も、なぜか、あまりオパールセントグラスを使っていません。流し模様のある、透明な硝子を使っています。この時代になると、ステンドグラスのデザインの流行も少しづつ変化してきたのでしょうか。

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もうひとつ、旧諸戸邸がこの近くにありました。今は、長谷こども会館として使われていますが、内部は非公開です。あの、桑名の森林王諸戸清六が大正10年(1921)に買った建物です。創建は明治41年(1908)だそうです。

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建築ばかりでは、何か物足りないので、長谷寺へ、リニューアルした旧長谷寺宝物館に入館。現在では、觀音ミュージアムと言うそうです。観音三十三応現神像がガラスケースからよく見えるようになりました。仏像の着衣にちょっと示唆をあたえるような仏像です。

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今回のメインは、石窯ガーデンテラスのステンドグラスでした。その他の戦前の住宅は、窓ガラスにに見るべきものがありませんでした。それにしても、雨なのに、シーズンなので、人はどこもいっぱいでした。

2017年3月20日 (月)

安土・神戸・姫路の旅

 3月18日19日と旅にでました。
まずは、米原から東海道線で、安土駅へ、今回は初めてレンタサイクルで安土城考古博物館へ。「大湖南展ー栗太・野洲郡の風土と遺宝ー」の見学です。このシリーズは、滋賀県の仏像の紹介としては何回も開催してほしい展覧会です。

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その中で、注目したのは、真光寺聖観音菩薩坐像です。この仏像は銘文があって、1036年には完成していた仏像です。今回、膝部分を俯瞰して見てみると、半跏趺坐です。

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この仏像は、『基礎資料集成』にも掲載されている仏像です。それには結跏趺坐と書いてあります。

自転車の機動性を生かして、安土駅の近くにある「旧伊庭邸住宅」へ。

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大正2年(1913)ヴォーリズ設計の住宅です。内部には、結霜ガラス、色型硝子が嵌まっていました。

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東海道線にゆられて、神戸六甲道駅で下車。歩いて、“武庫の郷”の甲南漬資料館へ。

ここは昭和5年(1930)年竣工で、創業者の高嶋平介の自宅を資料館としています。
壁に2箇所ステンドグラスがありました。このステンドグラスはオパールセントグラスを使わない手法で作られています。

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JR住吉駅からバスで、白鶴美術館へ。ここは、初めての訪問です。収蔵品のすばらしさに感動です。関西のコレクターのすごさを実感させられました。

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泊まりは、姫路市内で、翌日、山陽電車で、山陽網干駅で下車。歩いて、ダイセルへ。ダイセルは、明治42年日本セルロイド人造絹糸として創業。明治43年にイギリスから技師長を呼び、その居宅として建てられた洋館が2棟、工場内に残っています。

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こじんまりとした洋館ですが、ガラスも古そうです。

さて、今回のメインは、そこから歩いて10数分の住宅街の中にある「山本家住宅」の見学です。山本家は、メリヤスの製造で財をなし、網干町長、網干銀行頭取を務めた家です。

建物は、明治初期に建てられた主屋と、大正7年(1918)の洋館、和館があります。

まずは、玄関から。

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望楼付きの黒壁の洋館ですが、和様折衷の意匠を採り入れています。

書斎とサンルームの間の窓にステンドグラスがありました。

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このデザインは、他のステンドグラスと違うデザインコンセプトを持っています。その横の出窓のステンドグラスは、すばらしいデザインです。

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このデザインは、きっとその作家は明らかになるだろうと思いますが、かなりの上級レベルです。

廊下と洗面室の壁取りつけられたFIX窓は、

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これも、どこかで見たデザインに似ています。

廊下の天井に同じ図柄の六角形のステンドグラスのトップライトがあります。

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これも、丸い半円形のかたまりのガラスを使っているところは、どこかで見たような気がします。

そのほか、窓ガラスには、結霜ガラスを多用していました。

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残念ながら、模様入りケシガラスは、ここでも見当たりませんでした。関西で、模様入りケシガラスの例がこれほど少ないのは、どうしてでしょうか。大阪の硝子問屋、篠原善三郎商店では、「硝子板意匠摺見本」というカタログをだしているのが、判明しているのに、何故普及しなかったのでしょうか。いまだに、その疑問が解決できません。

数十年ぶりに、改修なった姫路城の内部を見学しようと、お城に行ってみると、天守閣は1時間待ちだそうで、そうそうに引き上げました。

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もう1回すべてを見尽くしたいと思ったのですが、しかたなく、バスで太子町へ。

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「斑鳩寺の文化財ー庫裏の仏さまたちー」展へ。庫裏の解体修理に伴って子院の仏像の展示を行っていました、殆どが近世の小像なのですが、その中で、一面六臂の不動明王立像を発見しました。実に珍しい仏像ですが、残念ながら、カタログはなく、資料としての写真が手に入りませんでした。

今回の旅では、やはり、網干の山本家住宅が、一番の成果でしたが、こういった住宅がこれから、長い間維持できるのか、不安がのこりました。

2017年2月19日 (日)

豊橋、浜松の旅

 日帰りで、旅をしてきました。
まずは、新幹線で豊橋駅に下車。路面電車にのって、市役所前で降りると、目の前に豊橋市公会堂がありました。

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昭和6年、中村與資平の設計です。左右の塔の最上階の窓の各2方に、ステンドグラスが嵌まっていました。

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場所は、左右とも階段室です。

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その階段室から、正面の吹き抜け側の窓にも、両方に同じデザインでステンドグラスがあります。

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そこから、公園の中に入ると、すぐに、豊橋市美術博物館があります。

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「普門寺と国境のほとけ」展を見学。仏像が普門寺を中心として、10数体出品されていました。いずれも平安から鎌倉時代の仏像です。
この展覧会は、普門寺の旧境内の発掘調査の調査報告書が去年完成したことにより、開催されたようです。
報告書では、いくつかの新事実が報告されており、それにもとづいて展示されているようです。

同じ公園内にある城跡、吉田城へ。復元された、鉄櫓が、豊川の川岸に建っていました。
この城は、北に豊川というおおきな川があり、それを利用した縄張りになっています。
対岸からみると、城の立地がよくわかります。

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電車にのって、浜松へ。駅から歩いて、10分ほどで、木下恵介記念館がありました。

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旧浜松銀行協会の建物です。昭和5年竣工で、設計は中村與資平です。この建物には、中村與資平資料室が一室にありました。

その玄関のランマです。

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この建物内には、珍しい型硝子を2点発見しました。

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日本では、作っていない柄です。

歩いて、浜松城へ、天守閣と天守門が復元されています。

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吉田城もそうですが、石垣が両方とも、野面積みです。角の打ち込み矧ぎの石垣も、野面積みに近い積み方です。よく、これだけの石垣が残ったと思います。

もうひとつ、これで、静岡市庁舎と合わせて3棟の、中村與資平設計の建物を見たことになります。しかも、この3棟すべてに、ステンドグラスの窓を採用しています。図柄は、旧浜松銀行協会のステンドグラスが、ちょっと、アールデコ調で変わってはいますが、豊橋市公会堂、静岡市役所は、オーソドックスな図柄になっています。

中村與資平は、ステンドグラスの図柄に、どの程度関与したのかはわかりませんが、全体の意匠のなかで、それなりの、感覚を具現化したのでしょうか。

2017年2月 7日 (火)

『佛教藝術』休刊

 『佛教藝術』が1月30日刊行の第350号で休刊になりました。創刊が昭和23年(1948)8月ですから、私ごとですが、私の生きてきた間、ずっと刊行されてきた研究誌でした。

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私がはじめて、『佛教藝術』を購読したのは、71号からでした。大学の2年の時だったと思います。この雑誌を定期的に買おうとおもった、ということは、この道に進もうと覚悟したからだったかもしれません。
結果的には、叶いませんでしたが、その後、1冊も切らさず手に入れてきました。

350号の末尾には、 『佛教藝術』休刊のお知らせ が掲載されていますが、休刊の理由として、

  • 専門的内容の研究誌を取り巻く状況が厳しい
  • 研究誌としての高い質と誌面編成を維持しつつ継続することが困難

を揚げていますが、要は、仏教美術の研究者が減少していることに尽きると思います。
研究者の数が少なければ、それだけ論文の数も少なくなるのは自明の理でしょう。

では、美術史の分野の中で、なぜ仏教美術の研究者が少なくなったのでしょうか。もともと、仏教美術という分野は、他の分野と違って、難解であるという先入観があるようです。前提となる仏教(宗教)の教義を理解することに躊躇するのでしょうか。

今、書店の美術関係の書棚を見ると、仏像の入門本が、常に数十冊並んでいます。この数年、静かな仏像ブームだそうです。いわゆる団塊の世代を中心とした中高年が、その知的好奇心を満たすのに、絶好のテーマだからなのでしょう。

それなのに、若い世代は、美術というと、西洋絵画か、日本美術では、近世・近代絵画に興味が向いているようです。

仏教美術という、せまい分野を研究テーマにするメリットは、今は、もうなくなってしまったのでしょうか。

たとえば、1980年~2000年ころ、日本各地の自治体では、文化財の悉皆調査を実施していました。その調査を実施するため、若い研究者が、実際に作品にふれることができる実体験の場が提供されていました。しかし、バブルがはじけると、真っ先に予算を削る分野となりました。そのために、仏像の調査ができる研究者が、一人もいない都道府県がまだ存在している結果となりました。

仏像研究者の数をふやすことが急務なのに、それができない状況になってしまいました。
『佛教藝術』の休刊は、その現状に対抗できなかったためでしょう。

現状では、この衰退現象はなにもしなければ、ますます加速することは目に見えています。では、この現状を打開するには、どうしたらいいのでしょうか。

少なくとも、今の現役の仏教美術研究者にその危機感が感じられません。研究者は、自身の論文執筆のためや、もろもろの雑仕事で、いそがしくて、学会のことなど、考える暇もないのでしょう。

学会は、単なる、研究発表の場を提供するだけの機関ではないはずです。研究者の研究できる環境づくりに、力を注がなければならない機関なのです。

どこの業界でも業界団体はあります。その団体の構成員は、それぞれが、仕事上のライバルであると同時に、業界全体の発展のために、さまざまな手を打って団体を運営しているのです。

それが、美術史の学会でも充分機能しているのなら、こんなことにはならなかったのではありませんか。外から見ると、学会というものが、このように見えてしまいます。

「春秋堂文庫」を2年ぶりに、更新しました。
350号休刊に会わせて『佛教藝術』図版論文総目録を上掲しました。

項目数は、図版4442件、論文2259件 になります。
号数順、編著者別、分野別にそれぞれ、分けて掲載しました。
このデータベースが、仏教美術研究者の研究の手助けになり、また、新たに仏教美術を研究する人の支援になることを期待いたします。

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2017年1月29日 (日)

京都・道明寺・南山城の旅

 しばらくのご無沙汰です。
今年はじめての更新です。今回は平日での2泊3日の旅行でした。
まずは旅程から

第1日目

  • 京都駅 →白川・京都大学人文科学研究所東アジア情報学研究センター →
  • 京都大学工学部建築学教室本館 →同志社大学礼拝堂 →
  • 陽燈館 →新町通 →京都芸術センター(旧明倫小学校) →
  • 京都産業大学むすびわざ館 →龍谷ミュージアム →
  • 京都国立博物館 →奈良 →奈良国立博物館

第2日目

  • JR奈良より大和路快速で、王寺へ柏原で近鉄に乗り換え、古市で下車
  • 誉田八幡宮 →東高野街道を歩いて →応神天皇陵 →
  • 道明寺八幡宮 →道明寺 →奈良 →菊水楼 うな菊で夕食

第3日目

  • 近鉄奈良駅前で柿の葉寿司を購入し、レンタカーで、円成寺へ →
  • 笠置寺 → 禅定寺 →海住山寺 →浄瑠璃寺 →京都

何故、平日の旅行かというと、道明寺での食事会が設定されていたためでした。
その前日を自身のスケジュールにあて、後日は、その食事会のメンバーとともに
久しぶりの複数での旅でした。

まずは、第1日目

今回の目的は、京大人文研の建物の中を見ることでした。幸いにも、中の図書館は使えるとのことでしたので、建物内に入ることができました。

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建物は昭和6年、東畑謙三の設計で、スパニッシュ様式の建物です。設計にあたって、濱田耕作の案が採り入れられたようです。中庭のある建物です。ステンドグラスは1階のロビーと階段室にありました。

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上部の丸い部分を左からひとつづつ拡大していきます。

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つぎに、京大のキャンパス内にある、京都大学工学部建築学教室本館(現総合研究15号館)へ。

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この建物は、現在使われていないようで、入口は施錠されていました。大正11年竣工で、武田五一の設計です。京都では初めてのRC造だそうです。建物の突き当たりの階段室の窓に3箇所ステンドグラスがあります。中にはいれないので、外部からの写真です。

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 同志社大学のキャンパスは、古い煉瓦造の建物が数多くありますが、その中のひとつ礼拝堂にいきましたが、ちょうど公開日なのですが、開館が午後で、時間が合わず、中からみることはかないませんでした。

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今出川通を西に歩いて行くと、古いビルがあります。そこが陽燈館という喫茶とバーの店です。NETでは、10時開店と書いてあったのに、張り紙では午後からの開店とあり、またしても不発。

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今出川通から新町通を下ルと京都芸術センター(旧明倫小学校)があります。ここは、昭和6年建築の廃校になった建物を利用して、芸術活動の支援をしている拠点です。東京の台東区の旧小島小学校も同様の取り組みをしています。

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その校舎の玄関にステンドグラスがありました。じつにシンプルなデザインですが、伝統的な ”氷割れ文様” にも見えます。

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京都産業大学むすびわざ館で開催されている「仏像修理の現場ー美術院国宝修理所・伝統のわざと新しいわざー」展へ。仏像修理のための道具などの展示がありました。

その後、龍谷ミュージアムへ、「追慕抄 九条武子」展へ。九条武子は、大谷光瑞の妹で、九条家に嫁ぎ、関東大震災の時に、救援・慈善活動をした人です。昭和3年、42歳の若さで、亡くなりました。写真をみると、すごい美人です。

その龍谷ミュージアムの2軒ほど隣りに、山本亀太郎商店があります。

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明治23年創業の数珠屋です。その建物のランマには緑の型ガラスが嵌めてあり、ショウウインドウの上部には、数種類のアンティークガラスが鉛線でつなげています。さらにその内側には、スクリーンとして、アンティークガラスがあります。ガラス自体は現代で作られたものですが、これだけ現在作ることができるアンティークガラスを嵌めているのも珍しい建物です。

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京都国立博物館で、久しぶりに泉涌寺の楊貴妃観音を拝観。その後、奈良に行き、奈良国立博物館をざっと、見学。

第2日目

JR奈良から大和路快速で、王寺経由柏原で、道明寺線にのりかえ、さらに南大阪線で古市駅へ、およそ1時間弱で到着。誉田八幡宮へ、

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ちょうど、応神天皇陵の南に位置していますが、正面は北側にあるので、ここからは天皇陵はみられませんでした。東高野街道を通り、陵の北側にある正面にいくと、その陵の大きさがわかります。

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まだ時間があったので、道明寺天満宮をみて、道明寺へ。

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本堂の本尊、十一面観音立像を拝観。試みの観音は、今回は拝観できませんでしたが、来年その機会があるようです。

大玄関から、客殿の中へ。

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実は、道明寺での食事会を設定していただいた同級生は、幼少の頃、この道明寺に住んでいた方で、当時住んでいた離れの建物が残っていました。

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この建物は昭和の初めの建物で、窓ガラスが当時のままかなりの数、残っていました。もちろん、コルバーン法か、フルコール法でつくられたロールの跡が並行についているガラスですが、その初期のガラスらしく、かなりの泡がはいっていました。

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さあ、お精進のはじまりです。右上の蓬麩は酢味噌をつけて食すると絶品でした。その後も何品もでてきました。
道明寺の住職六条照瑞尼も、95歳の高齢でいながら、我々を接待していただきました。私の問いに、すこしも老いた様子もなく、的確にお答えになっているのには、感激しました。

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充分、精進料理を堪能し、奈良へ、宿について、夕食は、予約していた菊水楼 うな菊へ。
最近開館した、関東風のうなぎ専門の食事所で、菊水楼の離れをつかっているようです。残念ながら、建物探訪とはいきませんでしたが、リーズナブルな予算で、菊水楼に行けるのはうれしい限りです。

第3日目

近鉄奈良駅で、平宗の柿の葉寿司を買って、車で出発です。

まずは、柳生の円成寺

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つぎに、笠置寺へ

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この虚空蔵菩薩は、結跏趺坐です。虚空蔵菩薩で、結跏趺坐の図像はあったかな?という疑問がわいています。この線刻石仏はいったいいつつくられたの?

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和束溪の如来石仏はパスして、一路、禅定寺へ、ところが、以外と急峻な山道で、峠を2つ越えて到着。

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海住山寺は、檀像の十一面観音は見られませんでしたが、本尊の十一面観音もまたかなり古そうです。

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久しぶりの浄瑠璃寺です。池の再整備で、庭はかなりきれいになっていました。仏像は、大日如来坐像、薬師如来像、吉祥天立像はみられませんでしたが、大日如来は、開帳のときに是非とも見てみたいとおもいましたが、ひょっとして、「快慶」展にでるかなと思ったりして。

というわけで、2泊3日の旅行は無事終了。すこし疲れが残っています。

2016年11月13日 (日)

九州、滋賀、京都の旅(その1)

ひさしぶりに、3泊4日の長い旅行にいってきました。
例によって、板ガラスと仏像探訪の旅です。
11月3日
羽田より久しぶりの飛行機で、鹿児島へ。飛行機はどうもなじめません。まずセキュリティで必ず引っかかります。そのたびに、ベルトから財布まで外に出し、何回もゲートを通らなければならないからです。さらに、機内では、常にアメをなめないと耳の気圧を抜くことができません。おまけに、新幹線とくらべて、座席は狭いし、ガマンの2時間でした。
鹿児島は、鹿児島歴史資料センター黎明館で開催されている「八幡神の遺宝」展を見学。
目玉はやはり、大分・奈多宮の八幡三神像です。以前にみたことはありましたが、伝神宮皇后像の、“無眼” をもう一度確かめることができました。ほぼ同時期の,伝比賣大神像、僧形八幡神像の眼の彫り方と比べてみても、あきらかに、眼を彫っているとは思えませんでした。まして、眼をつむっているとするには、あまりにも無理があります。

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そして、歩いて、鹿児島第一の百貨店山城屋の7階にあるレストランへ向かいました。ところが、その日は鹿児島市内は“おはら祭り”で、主要道路を封鎖して、各町内の踊り手が行進するという大イベントの最中でしたので、レストランは、中に入るのに、大行列で、レストラン入口は人でごった返していました。
このレストランの入口に最近、松本ステンドグラスが製作したステンドグラスが嵌まっている、というのをNETで見て、行ったのでした。鳳凰の模様のなかなかいいデザインのステンドグラスが入口の両脇のFIXに嵌められていましたが、写真もとることができず、すぐさま退散。この山城屋のオーナーの岩元家には、小川三知の作品がはまっているのですが、非公開。この食堂のステンドグラスも小川三知風にデザインしてつくられたようです。
鹿児島中央駅から、新幹線で久留米へ、さらに鹿児島本線で、原田へ、そこからタクシーで、九州歴史資料館へ。

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「八女の名宝」展を見学。仏像は、谷川寺の仏像が展示されていました。9世紀の薬師如来立像が注目です。
住宅造成地の中を三国ヶ丘駅まで歩き、西鉄で、博多へ。

11月4日
博多より、電車で、新飯塚まで、およそ50分、そこからバスで10分ほどで、“旧伊藤伝右衛門邸”へ。

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玄関に入って右には。書斎、左に応接間があります。両方とも、窓のランマに同じ図柄のステンドグラスがはまっていました。中央に四角の透明ガラスに面取りし、各隅には、四角垂のガラスをはめています。色ガラスは蛍光のはいった黄緑色をしています。イギリス製といわれていますが、確かにオパールセントグラスを使っていません。

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博多にもどって、地下鉄で、箱崎九大前で下車、九州大学箱崎キャンパスへ。このキャンパスはほぼ移転がおわっており、古い建物のみ残して、あとの建物は取り壊している最中でした。その残す建物のうち、旧工学部本館の建物を見に行きました。玄関ポーチの天井にステンドグラスが嵌まっていました。ただ、ほこりをかぶったままで、クリーニングをしていないので、きれいにみえませんでしたが、

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玄関のランマのステンドグラスは、なかなかのものでした。

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地下鉄で、馬出九大病院前で下車すると、すぐに、九大病院にはいります。一般の患者は、病院のほうに向かっていきますが、九大医学研究院基礎研究A棟は、反対の方角にあります。この建物は実際に研究室として使われている建物です。研究生が出入りしていました。その建物の玄関に入ると、2階まで吹き抜けになったホールがあります。そのホールの2階の壁にステンドグラスの嵌まった開口部があります。

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また、多少デザインが違いますが、1階入口の両脇の窓にもステンドグラスがありました。

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しかし、このステンドグラスの嵌まっている部屋は使われていないようで、部屋の照明をしていないので、色がよくでていません。折角のステンドグラスなのに、そのよさを見せないのは、もったいない。ここのステンドグラスは内部ということもあって保存がよく、また、すばらしいデザインをしています。

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博多にもどって、特急ソニック号で、別府へ。駅から歩いて10分ほどのところに、別府市公会堂があります。ここの階段の踊り場にステンドグラスがありました。夜空に雲というデザインです。

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電車で大分に着き、今日はここで、泊まり。

その2に続く

九州・滋賀・京都の旅(その2)

11月5日
朝、レンタカーにのり、高速道路で、臼杵へ。臼杵石仏を拝観。ここは、2度目です。以前も修復後でしたので、あまり新鮮な印象がありません。

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ただ、以前見落としていた、満月寺をみてきました。何かこの谷間の地形がとても気になりました。

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車は、予定を変更して、以前見たことがある犬飼石仏、管尾石仏をスルーして、さらにその先の緒方宮迫石仏へ行くことにしました。
まずは、宮迫東石仏。

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そして、宮迫西石仏。

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車は、大分方面へ向かい、高瀬石仏へ。ここも以前来たことがありましたが、石窟といっても、岩がほんの一部しか残っておらず、平地に残っていた大きな岩を彫っただけのようで、当初の地形の想像がつきません。数年前改修をしたようですが、石仏の彩色も昔のようですし、どこを補修したのか、修理工事報告書をみてみないとわかりません。

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つぎに、大分市歴史資料館へ、「ほとけの王国ー大分の仏像」展を見学。
この展覧会の出品の中で、大山寺の普賢延命菩薩坐像、

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金剛宝戒寺の不動明王坐像

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が“半跏趺坐”でした。大山寺像は10世紀ですが、金剛宝戒寺像は平安後期の半跏趺坐像なので、何か理由が考えられる像ではあります。
市内方面へ向かい、岩屋寺石仏へ。ここは、ほとんど崩落して、尊名もよくわかりませんが、十一面観音立像だけは、かろうじて判別できました。

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すぐ近くの大分元町石仏へ。ここは覆い屋があり、保存も行き届いていました。その石仏の横の石仏は、かなり剥落してほとんど形を残していませんが、一具のものとしていいのでしょう。

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車を返すにはまだ時間があったので、急遽、喜春館へ、ここは、帆足家本家という造り酒屋の建物を、蔵をレストランや、喫茶店にしています。また、本屋には、洋服の展示即売をしており、各部屋に洋服を飾っていました。

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窓ガラスには、手吹き円筒法によるガラスが嵌まっていましたが、一通り室内をみて、庭を歩いていると、色ガラスらしきガラスが嵌まっている建具がありました。また、室内にもどって見ると、便所の廊下に青い色ガラスがはまっていました。

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こんなところに、色ガラスを使うとは、なかなかしゃれています。これは、新しい発見で収穫でした。
車を返して、電車で小倉へ、さらに新幹線で新大阪へ、今日は茨木で一泊。
11月6日
朝、京都で、荷物を預け、湖西線で、大津京へ。時間があるので、近江神宮へ。

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この近くにはよく来ているのに、今回が初めてです。例の崇福寺塔跡発見の舎利容器が見られると思いましたが、宝物館の開館時間には早すぎで断念。大津市歴史博物館「新知恩院と乗念寺」展へ。乗念寺は、10世紀の聖観音立像、新知恩院は、最近注目の釈迦涅槃像が注目でした。
そして、滋賀県立近代美術館「つながる美・引き継ぐ心」展へ。旧琵琶湖文化館に寄託されている仏像が数多く出品されているとおもいましたが、気になったのは、聖衆来迎寺の銅造薬師如来立像、若王寺如来立像、正法寺帝釈天立像、長福寺阿弥陀坐像、伊崎寺不動明王坐像くらいでしょうか。
正法寺帝釈天立像は、条帛に天衣をして、衤蓋襠衣には置口をつけています。この着衣方法だと、衤蓋襠衣は首回りを大きく開けた盤領で、頭からかぶる衣のようにみえます。

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伊崎寺は、以前安土城博物館でも出品されていましたが、あらためて“半跏趺坐”と確認しました。長福寺阿弥陀如来坐像は、いわゆるナタ彫り像ですが、“結跏趺坐”になっています。眼も、眼球のふくらみだけの表現のようです。
京阪電鉄で、京都市役所前で下車。北に向かって歩いて行くと、京都ハリストス正教会があります。今回はじめて、京都非公開文化財特別公開に参加した建物です。東京のニコライ堂と同じくロシア正教会の建物で、教会の祭壇がほかのキリスト教会とは、違った祭壇をはじめてみました。イコンはこのように飾るのかとはじめて経験しました。

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南下して、イノダコーヒー本店へ。中にはいると、休日の昼時で大混雑。入口横の扉のランマのステンドグラスの写真をとって退散。

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寺町通の中に、今回非公開文化財公開寺院である、誓願寺、安養寺があるのですが、スルーして、四条河原町の近くにある“築地”という喫茶店へ。

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2階に通されると、カウンターの横の裏の出入口に色ガラスの嵌まったガラス戸がありました。戸の前に椅子がおいてあり、扉も半開きなので、戸をしめて、椅子をどかしてもらえないかと、ウェートレスの学生アルバイトらしきお姉ちゃんに頼むと、動かせません。そこに入らないでください。とマニュアル対応をされ、しかたなく現状の写真でご勘弁ください。

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まだ時間に余裕があったので、知恩院へ、

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三門も今回の公開なので、急な階段をあがり、三門上の釈迦像と十六羅漢像、壁画を拝観。中は照明がなく、壁画もほとんど見えない状態でした。持参した懐中電灯で、壁画を照らすと、江戸末期から明治にかけての落書が多数ありました。ほんとはこうゆうのもしっかりと見せるのが必要なのでしょう。

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そして、近くの青蓮院門跡へ。そういえば、ここの前はよく通るのに、初めての拝観でした。

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京都駅へもどり、帰路の旅へ。

2016年10月19日 (水)

福井県・高岡・富山の旅(3日目)

富山は、まず、ライトレールという、市電のような電車で、「競輪場前」駅下車。

ちょっと、開館時間にははやいので、近くの富山港展望台へ。

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ここからは、富山港の全貌と、東岩瀬の町並みの様子がよくわかりました。

東岩瀬の町並みの中にある北前船廻船問屋「森家」はこの町並みでの一番大きな住宅のようでした。

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中の小さな庭の縁側に嵌まっているガラス戸のガラスは、手吹き円筒法による、泡の入ったガラスが多く嵌まっていました。建物は明治11年に建てられているので、おそらく創建当初のガラスかもしれません。

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富山駅にもどって、バスで富山市民俗民芸村へ。ここには、江戸期から明治の頃の民家を移築して、展示施設として利用している施設群です。

その中のひとつ、富山市陶芸館は、明治27年に市内で建てられた豪農の館で、昭和55年に移築し、全国各地の民藝陶器と呼ばれている焼き物が展示してありました。

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と、廊下の引き戸を見ると、模様入りのケシガラスが嵌まっていました。

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これは、どうもガラスに貼った紙を切り抜いて、サンドブラストをかけたガラスのようです。パターンは殆ど一緒のようですが、ケシが非常に薄い加工をしています。

もうひとつ、4連の引き戸に模様入りケシガラスがありました。

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この模様は、高橋是清邸、大阪・泉布観にある模様と同じです。型紙は違うようですが。

ここからバスには時間がありすぎなので、路面電車のある駅まで歩き、富山城にある富山市郷土博物館へ。この博物館の建物は、一見天守閣風の建物ですが、この建物の場所は門のあった石垣の上に建てられたもので、よくみると、実におかしな建物になっています。

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よくこんな、時代考証を無視した建物を造ったのでしょう。

富山市は、ガラス工芸に力を入れ、ガラス工芸をテーマに市ぐるみで普及に取り組んでいるようです。そのひとつの目玉が、去年開館した富山市ガラス美術館です。

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設計は、あの隈研吾です。図書館と美術館の機能を一緒にした建物です。

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6階建ての建物の中は、木の板とガラス、鏡をふんだんに使い、吹き抜けの空間が6階まであり、エスカレーターでつながっています。建物の中がまるで、ひとつの空間のようで、図書館部分は開放的な空間になっていて、本を読むにはちょっと落ち着かないかな、と思います。そのために、美術館の展示スペースが、階をわたってあり、エレベーターで行き来しなければならないのは、使い勝手が図書館の方を重点的に意識した設計なのかなと思います。
展示品のガラス工芸は、現代物なので、原色をつかった、華やかな色彩の作品だらけなので、これは、建物にマッチしているようにも見えます。

富山といえば、薬の町でもあります。薬種商の館 金岡邸へ行ってきました。

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建物の母屋は明治初期、新屋部分が大正の頃だそうです。金岡家は薬商だけでなく、銀行を設立したり、今ではコンピューター企業の設立にも関与した富山県の経済界に業績を残した家です。

建物の中に入ると、母屋と新屋の繋ぎの廊下の窓に全面結霜ガラスが嵌まっていました。よく見ると、その他の窓にも、結霜ガラスが多用されていました。

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ということで、今回は4件もの北前船の館を見て回りましたが、廻船問屋という情報を早く採り入れることが出来る職業柄、かなり先進的な文化を持っている印象を受けました。明治時代の時代の早い変化に素早く対応できる情報力が廻船問屋にはあったということでしょう。

今回は、仏像では、まだ半跏趺坐の仏像が見出されること、半跏趺坐の認識をもった人が一人でもいたことが、収穫だったのかな。

また、ステンドグラス、色板ガラス、模様入りケシガラス、手吹き円筒法のガラス を見ることができて、目的は達成出来たということでしょうが、もうひとつ解決できない問題をかかえてしまったような気がします。

ガラスも仏像もまだ道半ばです。

2016年10月18日 (火)

福井県・高岡・富山の旅(2日目)

15日

朝、福井から、電車で金沢をスルーして、高岡へ。氷見線に乗り換え、伏木駅で下車。
徒歩10分で、小高い丘の上に、望楼を備えた伏木北前船資料館はありました。

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この旧秋元家住宅は、明治20年の大火後に建てた建物で、小矢部川河口を見渡せる高台に位置しています。
中庭に面した廊下に、引き分け戸があり、そこに青と赤の色ガラスが嵌まっていました。

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と、その反対側に便所と台所のある建物があり、便所の突き当たりの片引き戸のガラスがいやに濃い色をしているのに気づきました。よく見ると、その戸に青色のガラスが嵌まっていました。

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このガラスは管理人も知らなかったようで、ビックリのようでした。

この伏木には、勝興寺というおおきなお寺があります。

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この唐門は、明和6年(1769)年建立で、京都・興正寺にあったものを、明治時代に移築したのだそうです。移築にあたって北前船の船主たちが大金をだしたとか。

伏木駅にもどると、電車の時間がまだ40分ほどあるので、駅舎の中にある観光案内所にはいると、案内人らしき初老の人が話かけてきました。伏木北前船資料館で色ガラスを見てきたというと、板ガラスの話で盛りあがり、よくよく聞いてみると、富山は、サッシメーカーの工場が数多くあり、それに関連した仕事に従事していた人のようでした。

高岡駅にもどって、徒歩で瑞龍寺へ。

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右の大庫裏は屋根の工事中で、足場がかかっていましたが、この景観が本来の寺院の伽藍というものでしょう。

東司にあった、烏枢沙摩明王像が法堂の中にまつってありました。

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上のは、コピー。

バスで金屋町の近くでおり、古い鋳物の町並みを歩いて行くと、高岡市鋳物資料館がありました。中には、鋳物の製作工程、道具などが展示してありました。

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これは、銅造仏像の製作途中の状態。

川をわたると、山町筋という町並みがあります。高岡御車山という祭りの山車が展示してある高岡御車山会館という展示施設がありました。中にはいると、10mはあるガラスケースの中にその山車がありました。どうやって、この10mもある板ガラスを施工したのだろうと、商売っけを出したりして。

町並みの中にある、菅野家住宅、旧室崎家住宅を見学。

バスに乗っていて気になった、高岡大仏を間近に拝観。

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現仏像は、明治40年建造に着手。昭和8年5月3日に開眼をした銅造の阿弥陀如来像です。原形は、東京美術学校出身の中野双山によるものだそうです。像高743cm

電車で高岡から富山に着き、夕食は、白エビ天丼に、白エビの刺身で満足。

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