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2008年4月23日 (水)

朱雀門の現在

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Photo_3 それでは、実際に朱雀門を建設するにあたって、何が問題となったのでしょう。復元は彫刻や、工芸、絵画と違って、復元案を作っても、建築は、力学的、法律的な問題をクリアしなければならないのです。

左上は復元案として模型を作成したときの図面、右上は実際に建てられた建物の立面図です。まず、建物の高さが高くなりました。そして、軒の出が少なくなりました。これは、構造的な問題で、復元案では、軒の出を支えられないために、桔木を挿入したために、軒の勾配が急になったのです。軒の出も上層16尺、下層17尺を15尺にちぢめました。また、下層の桁側の壁と正面両側にそれぞれの柱間は、耐震壁として鉄骨で枠を組み、中に格子状の、補強をいれて、塗壁で隠しています。上層部の内部は、筋交いをいれボルト固定して、変形を防止しています。従って、上層には上れません。言葉ではよくわからないとおもいますので、奈文研のHPにある、朱雀門のパンフレットの建築中の写真を参照してください。

意匠的な変更としては、上層の高欄の割付が変わりました。この件については、『報告書』には記載されていませんが、模型を見たときの見た目がおかしいといった視覚的な問題で変更したとおもわれます。

『報告書』には、付章として、「平城宮朱雀門調査研究会記録」という議事録が記載されています。そのなかで、復元ということの、理念的な問題が討議されています。つまり、創建当初の復元案どおりに今、建てると、地震で倒壊する危険があります。また、構造的な欠陥から、軒が下がるのは目に見えているのです。そのために、鉄骨の補強を入れ、軒の出を縮めることに、委員の中では何か疑問を感じていたようです。

たとえば、委員のひとり金多潔氏は“軒を短くするかどうかという議論のときに、伴大納言絵詞の応天門の絵がでてきたが、あの絵では軒下につっかえ棒が描かれている。だけど朱雀門にはつっかえ棒はつけたくないという共通認識から17尺を15尺にまで後退させたという経過がある。”と言っています。

また内田祥哉氏は“昔通り忠実に一旦造ってみてだめなところを例えばつっかえ棒をするなりして多少外観は悪くなっても二次的に補強するものとにわかれると思う。”

稲垣栄三氏は“現在の復原というのは要するに想像だ。問題はそれが300年後の歴史の批判にさらされたとき鉄骨の上にはりぼてをしたということで批判されると思う。”と言っています。

結局のところ、復原の理念について話し合われたのは、わかるのですが、復元(復原)の明確な基準、定義まではいっていないようです。

内田祥哉氏が最後に言っていることは、“ヨーロッパのように外壁保存という考え方に思いきれば話はすっきりするが、どうも復原の場合はそこまで行くには心の整理ができていない面がある。”とひとごとになってしまいました。

どうも、この議論を読んでみると、技術屋さんの議論だなと感じます。

復原、復元の言葉の定義を以前お話しましたが、当の奈文研が、ちゃんと使い分けていないのでは、“復元(復原)とは”といった理念の確立などは、まだ遠い先の話なのかな。

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