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2008年5月25日 (日)

目のない仏像

Photo  芸術新潮の1991年1月号【美術史の革命】出現!謎の仏像 という雑誌を読んで、衝撃が走りました。目を彫っていない仏像がある。しかも未完成像ではなく、あきらかに完成像なのに。

こんなことは、彫刻史を研究している者ならば、考えられないことでした。仏像は開眼供養という儀式を経て、仏像となるものという固定観念があって、目を彫っていなければ、その仏像は未完成とするべきで、まだ、仏心が注入されていないただの木彫品である。というのが、従来の見解でした。従って、そういう仏像はなんらかの条件で、つまり未完成という伝承が途切れて、崇拝されることに至った。と暗黙のうちに了解していたような気がします。

井上正氏は、それまでの論文で、「霊木化現」という概念をもちだして、従来、平安前期といわれていた仏像を、行基伝説とからめて、時代を古くしようとしていました。しかし、この論は、確実な史料があるわけではなく、伝承をより重視したことによって、論じられており、今ひとつ説得力に欠けるところがありました。

ところが、この目のない仏像の出現です。井上正氏が、化現がまさに始まろうといている姿を現しているものだ、といっていることに実に説得力を与えているようにおもえます。さらに、化現のはじまったばかりの目の表現をしている仏像もあるというのです。

井上正氏が、『日本美術工芸』の連載で、「霊木化現」を唱えだしたころは、単なる仮説としてのおもしろさだったのが、現実味を帯びてくるようでした。

そんなこんなで、目のない仏像が気になって、ずっとそういう仏像を気にかけて見ていたところ、先日の京都、大将軍八神社で、数体の神像を見ることになりました。

私が現場で見たところ、3体ほど、ありましたが、そのどれも、ノミ跡がある神像で、見ようによっては、未完成像と見ることもできます。あとで、『大将軍神像と社史』という本に調査報告があり、写真が載っていましたので、見てみると、武装神で6体、衣冠束帯像で2体、あるようです。この神像について、田中恵氏が論文に書いていますが、目を彫っていないことについての論考がありません、調査概要も表形式になっていますが、目についての項目がありません。

目を彫っていない仏像は、まだまだ例がでてくるとおもいます。というよりも、調査では、そのことにあまり注目していないのかな、と思います。しかし、大将軍八神社の神像のように、眼球を丸く彫りだしていながら、目のまわりの線を彫っていないのは、あきらかに目について彫りを完成させていないと見るべきでしょう。それが一体どういう思想によってそうしたのか、それを、未完成像としたとしても、未完成像が何故、信仰の対象となるのかの、説明をつけなければならないでしょう。

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