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2008年6月

2008年6月28日 (土)

氷川丸

小川三知作のステンドグラスを見ていると何となくその特徴がすこしづつわかり始めてきました。まだ、すぐには判定できないにしても、それとなくわかってきましたが、まだまだ、見る数が足らないということですかな。

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今回小川作品を見にいったのは、氷川丸です。横浜の山下公園に係留されているあの昔の豪華客船です。船オタクのことは、「おセン(船)ちゃん」とでも言うのかな。船を見学するのはいいですね。むかし氷川丸はユースホステルだったのを知っていましたか?私が高校生のときクラスメート2人と、この氷川丸に一泊したことがあります。もっとも、泊まったのは三等客室のカイコ棚だった記憶があります。はじめての横浜で、夜、中華街に散策に行きました。何も知らない高校生が中華街で、一生懸命ラーメンを探し歩きましたが、どこにも、ラーメンを食べさせるリーズナブルな店はありませんでした。うぶな高校生だったな。

Photo_2 さて、まず見つけたのは、一等食堂にあったステンドグラスです。しかし、これは小川三知の作品ではないようです。図柄が明らかにちがいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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一等特別室は2部屋ありましたが、そのひとつは、花の図柄で、もうひとつは鳥のオウムの図柄です。オパールセントガラスの色使いを見ると、小川三知の特徴があらわれています。やはり小川三知は、絵心があるので、実にうまい構成と、色使いをします。

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 実は、先日、武相荘の帰りに、横浜市開港記念会館へ行っていたのです。宇野澤龍雄のステンドグラスを見にいったのです。厳密にいうと、今現在のステンドグラスは宇野澤の作品ではなく、復元なのですが、これは、つい先日修理のために一時取り外したそうです。そして、建物の地下でその修理の状況を見せる予定なのだそうです。どうも8月頃のようです。是非ともそのとき、もう一度見にいかなけげばと思っています。したがって、宇野沢のステンドグラスとの比較はそのときまで、おあづけとしてください。

2008年6月27日 (金)

武相荘

Photo 梅雨の合間の日曜日、鶴川の武相荘へ行ってきました。行こうと思いながら、なかなか実現せず、やっと、行くことができました。小田急線鶴川駅からバスで10分ほどのことろですが、もうまわりは、住宅がびっしりと建ってしまって、白洲が住んでいた頃の、田園風景はもうありません。わずかに、小高い丘の上に建っているため、白洲の土地だけが、木々が繁っている状態です。ここは、白洲が戦前の昭和18年に、ここに転居してから、昭和60年死去するまで、40数年間住んでいた家です。その間戦後、吉田内閣の中枢で仕事をし、50才を前にして、公職をやめ、野に下った後、ここで、悠々自適な生活をしていたのです。

以前からですが、白洲正子のブームから、白洲次郎が脚光をあびるようになってきました。そして、白洲がダンディな生涯をとげた人物ともてはやされるようになり、ますます、おじさん族のあこがれの人になったようです。

Photo_2 しかし所詮は、カントリージェントルマンといっても、ポルシェを乗り回している田舎人間では、金持ちの道楽と受け取られても仕方ないでしょうが、それを、臆面もなく、してしまうところが、白洲夫妻のすごいところのような気がします。正子さんの美的感覚のすごさに、ちゃんと対応できる感受性を持っていた人か、正子さんのやることすべてを受け入れる広い包容力のある人間だったのでしょう。でも、白洲次郎という人はせっかちで、無愛想な人だったようです。

武相荘の萱葺の母屋は、住んでいたときとほとんど変えていないようですが、正子さんの蒐集した、陶器などを展示してあり、美術館のようになっているのですが、むしろ、実際に住んでいたときの状態にしてくれた方がよかったように思います。現に、正子さんの書斎はそのままに保存してあり、掘りごたつ式の机になっていて、ここで、さまざまな本の執筆をしていた様子が想像できるのです。

 

 

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武相荘の穴場をひとつ御紹介します。長屋門のすぐ横にある便所の建物です。個室が3つありますが、そのすべての窓にステンドグラスがはまっています。しかも、みなデザインが違います。是非ひとつひとつ入ってみてください。お茶処で、しっかりと水分をとってがんばって3つ征服してください。

2008年6月24日 (火)

江戸時代の彫刻

Photo 『日本の美術』506号 江戸時代の彫刻 がでました。江戸時代の彫刻といったら、今までは誰も見向きもしませんでした。美術史でいう仏像はは鎌倉で終わったというのが、一般的な常識だったようです。しかし、近年、鎌倉以降の仏像についての論考が数多くでるようになりました。今までは、いはば食わず嫌いで、ちゃんとした研究をしてこなかったのだろうとおもいます。実際、江戸時代の彫刻史は、昭和16年刊の『日本美術大系』第二巻 彫刻で、小林剛が執筆しているのが、唯一大系的に書かれたものでしょう。戦後では、『文化財講座 日本の美術』で田辺三郎助が書いたものくらいでしょう。

これらの論考でも、いはば七条仏師を中心とした中央仏師が主に書かれていて、その他には、宝山湛海、円空、木喰、范道生ぐらいが取り上げられている位でした。しかし、最近の研究では、各地で、その地方の仏師集団の存在が確認されてきました。福岡では、佐田仏師、大阪では、宮内法橋、本願寺では、渡辺康雲、清水隆慶、京仏師、鎌倉仏師、栃木県では、高田一門、などなどです。これは、各地で仏像の悉皆調査がおこなわれた成果のたまものなのです。しかも例えば、康雲銘の仏像は、本願寺の意向により、全国にちらばって発見されており、江戸時代は一地方で、完結できなくなっているほど、文化交流が進んでいるのです。ですから、全国規模での調査結果を踏まえた論考が必要になってきました。それぞれの仏師集団の系統も、全国規模での研究が必要となるでしょう。そのためには、各地の悉皆調査を、もれのないようにしなければいけません。まだまだ、未調査地域が残っているので、調査が必要です。いまだ未調査の各自治体は、彫刻専門家による悉皆調査を実行されることを期待します。

2008年6月21日 (土)

運慶

水野敬三郎氏によると、平成19年はまさに、運慶の当り年だったそうです。

Photo まず、『佛教芸術』291号(平成19年3月刊)で、横内裕人「『類聚世要抄』に見える鎌倉期興福寺再建ー運慶・陳和卿の新史料ー」で、興福寺旧西金堂本尊釈迦如来像頭部を運慶作とする記録が紹介され、そして、光明院の大威徳明王坐像が、平成19年4月に金沢文庫の特別展「金沢文庫の仏像」で公開されました。最後は、例の競売にかけられた、旧樺崎寺大日如来坐像です。3体の運慶作品がそろったことにより、運慶の事蹟研究がますます、発展することになるのだろうと思います。そういう意味で、今年は運慶の論考が多数でてくるものとおもわれ、そのひとつが、この『金沢文庫研究』320号です。彫刻史研究会のシンポジウムが掲載されていて、第一線の彫刻史研究者がそろったところでのシンポジウムなので、内容は非常に高度であるが、運慶の人物像がまだ確定するまではいかないようで、不明な部分が多く、まだまだ運慶研究は第一歩といった印象でした。また、7月には美術史学会東支部例会でも、運慶の特集を組んでいるようです。

 

 

Photo_2 3体のうち、興福寺旧西金堂の仏頭は興福寺宝物館で見られるし、真如院蔵大日如来は、今、東博で、また公開しています。大威徳明王だけが、今見られないですが、3体の比較をしてみるのもいいだろうと思います。しかし、見た印象は3体とも随分と違う感じに見えるので、運慶という人物をさらにわかりにくくしているのだろうと思います。ちょっと見た目だけの判断は危険な気もします。

 

 

 

 

 

 

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2008年6月19日 (木)

中島みゆき

 今年3月頃だったろうか、中島みゆきを聴きたくなったので、レコード店にいってCD「Singles 2000]を買ってきた。別に中島みゆきに思い入れがあったわけではないし、今までその歌に感動したこともなかった。このCDの最初の曲は例の「地上の星」。ちまたによく曲が流れていたので、何となくイメージがあった。その次が「ヘッドライト・テールライト」。これもNHKのプロジェクトXのエンディングに流れていたので、なんとなく聴いていて、ああそうかといった感じだった。ところが、最後の曲「ファイト!」これを聴いて愕然とした。

♪私の敵は 私です ♪闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう 

自分の心の中を見透かされているかのような歌詞だ。今まで、それほど音楽には興味がなく、たまたま感動した歌があるとCDを買うくらいだったのだが、この中島みゆきの歌は、聴いていて決して心地よい歌ばかりではない。叫びに似て、腹からうなっているような歌い方は、ちっとも心地よさが伝わってこなかった。
そのうちに、もっと違う曲を聴きたくなり、CDを数枚買ってきて、6連奏のカセットに入れて、聞き流していた。初めは、うなっているような歌が多くて、何かうるささを感じていたのが、段々とそのうるささが消え、いつのまにか引き込まれていって、それが心地よさにかわっていくのが感じられるようになってしまった。
中島みゆきはテレビには滅多にでないので、その人となりが想像つかなかった。ちょうどそのとき、去年のコンサートツアーのDVDがでることを聞いたので、さっそく買って見ることにした。

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このDVDを見て、ステージで歌っている中島みゆきの狂気にちかいすごさに圧倒されてしまった。中島みゆきという人ではなく、歌手としてのすばらしさに感動してしまった。私たちに、非日常のすばらしさを体験させてくれたのだ。背筋をのばして、歌っているときの手の仕草、その表情、どれをとっても日常の普段の生活感がかんじられない程、またそれを想像させない動きなのだ。当然、それは、演技であり、演出のなせる技なのだろうが、それを視聴者にみじんも見せない。そんな中島みゆきの普段の素顔を決して我々に見せてほしくはなかった。曲の合間に白黒の映像で、コンサートの舞台裏を見せているが、そんなのは必要なかった。むしろ、普段の中島みゆきなんか見たくはないのである。ステージに立った、凛とした非日常の中島みゆきが見たいのだ。決して、我々に近づいてきてほしくないのである。ただただ手の届かない遠くにいる歌手でいてほしいのである。

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2008年6月17日 (火)

大仏殿揚羽蝶

Photo_4 南亭琴音祢さんが以前書いていた、あの8本足の揚羽蝶がついていた華瓶についての論文を発見しました。それは『南都佛教』89号(平成19年12月刊)に付論として、杉本和江「元禄開眼会の大華瓶」です。この論文によると、元禄五年の開眼会に際し、藤掛似水と猪飼三枝がそれぞれ立花に用いた華瓶だそうです。胴部には両方とも「藤掛似水門葉」と陽鋳してあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Photo_5  『大佛開眼供養図』には、仏前の東西にこの揚羽つきの大華瓶に松を活けている絵が描かれています。この華瓶に陽鋳されている藤掛似水は当代きっての立花の名手で、一門の合力とはいえ、二口の巨大な華瓶を施入する経済的実力を持っていた人物のようです。

杉本論文は古美術修復家らしく、この大華瓶の技法についての論考が主です。論文によると、この華瓶は今は、中に詰め物があり、内部の様子がわからないので、断定はできないにしても、いくつかに分けて鋳造したものらしいと、推論しています。確かにこの華瓶は総高207㎝にもおよび、相当な重量だと思います。それにしても、こんな大きな華瓶に活けるのは、やはり、花では無理で松のような木になったのでしょうか。

 

 

 

 

 

Photo この杉本論文では、揚羽の足が何故八本かの論考にはいたっていません。未だに不明の状態です。

2008年6月14日 (土)

鳩山会館のステンドグラス

Photo 『小川三知の世界』のなかで、都内で見ることができるステンドグラスがありました。それが、この鳩山会館です。「音羽御殿」と呼ばれていた、あの旧鳩山一郎邸です。平成7年修復工事後、公開するようになりました。

 

 

 

 

Photo_2 この建物は大正13年に竣工した、鉄筋コンクリートのたてものです。設計は鎌倉国宝館、上野の黒田記念館(旧東文研)などを手がけた岡田信一郎です。改修工事は竹中工務店が行ったようです。そのときの専門協力業者の名が邸内に展示してありました。

 

 

 

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Photo_3Photo_4 1階の応接室にあるステンドグラスは鳩山家の紋章を描いていますが、左右紋章のデザインが微妙に違っています。田辺千代によると、改修時に、このどちらかのステンドグラスは裏返しに嵌めたらしいこと、さらに、改修時にこのデザインをした三知でも、大村友雄のものでもないサインを焼き付けてしまったことが、指摘されています。エンブレムの部分は色硝子を鉛線でつなぐのではなく、模様は焼き付けています。

Photo_6Photo_7 階段の踊り場の窓にあるステンドグラスがこの建物の中で一番おおきなものでしょう。左下の五重塔のある窓だけが、ステンドグラスを二重に嵌め込んでいます。そして、軒下の組み物の黒い線と、屋根瓦を黒い色で焼き付け、外側は組み物部分を赤の色硝子で嵌め込んでいます。ここだけ非常に手の込んだやり方をしているのは、小川が五重塔の組み物の部分を詳細に表現したいがためのやり方だったのではないのでしょうか。田辺千代は著書に中で、設計者の岡田信一郎が法隆寺の五重塔をモデルに選んだとありますが、ちょっと違和感があります。

2008年6月11日 (水)

小川眼科のステンドグラス

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先日、予告していた、小川三知作品のひとつ、小川眼科のステンドグラスです。玄関の欄間に取り付けられています。『小川三知の世界』によると、「鶏鳴告暁」という題名がついているようです。オパールセントガラスを多くつかっているステンドガラスです。この写真は外部から撮った写真で、実際には裏面となるのでしょうか。内部から見た方がステンドガラスはよく見えるので、内部からみるのが表とするべきなのでしょうか。よくわかりません。内部の入り口の欄間にもステンドガラスがあります。これは「立葵」です。そのほかにも、あるようですが、

Photo_2 診察にはいったわけではないので、中までうろうろすることができませんでした。もっとも、私が小学生のころ、この眼科へよく行かされたのですが、そのときは、それでも、普通の町医者のような普通の木造の建物とは違って、立派な病院という雰囲気でした。そういえば、ここで始めて眼鏡をつくった記憶があります。初めて眼鏡をかけて、家に帰ると、まわりの人よりも、ちょっとえらくなったような雰囲気になったのを思い出します。しかし、それからもう眼鏡を手放せなくなってしまったのは、やはりハンデなのかなとおもいます。田辺千代氏の本によると、この建物は関東大震災後に建てられたものだそうです。登録文化財になっているようです。もう、この仲町通りは、この小川眼科のような古い建物がほとんどなくなってしまいました。それでも、いわゆる老舗はまだ健在です。道明、池之端藪、等。

2008年6月 8日 (日)

天王祭

Photo 今日は、わが地元の素盞雄神社の例大祭で、三年にいっぺんの本祭でしたので、本社神輿がでました。毎年ですが、日曜日の午後4時から9時半まで、コツ通りを数百メートル通行止めにして、神輿の渡御をします。今年はまず本社神輿がコツ通りを渡御したあと、町内も神輿がおよそ10数基勢揃いして、渡御しました。4車線の道路に人があふれんばかりの人出でした。この神社の神輿が他と違うのは、担ぎ棒が二本しかないことです。前後に二列にしか担げないのです。

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そして、この神社独特の担ぎ方で、神輿振りといって、神輿を左右に傾けることをやるのです。ほかの神社の神輿を見慣れている人にはちょっと珍しいのかもしれません。普通に担ぐ時は非常に安定が悪いので、リズム感がうまくとれない感じはします。

さすがに本社御輿は、町内神輿とは違って大きさも違うので、迫力というか、趣が違います。担ぎ方も、最初に担ぐ時の担ぎ方が、その後の担ぎ方と違ったやり方をします。伝統的な決まり事があるのでしょうか。左右に小刻みにゆらしながら担ぐのです。実に優雅なかつぎ方なのです。ちょっと口ではいえないので、三年後の本祭りの時にとくとご覧あれ。

本社神輿は浅子周慶作ですが、今年、小神輿を作ったそうで、先日、神社でそれを見ていると、そばに宮司がいたので、今回の神輿は誰の作でしょうかと、聞いてみると、わざわざ立て札を見せてくれました。今、一番の神輿師に頼んだということでした。それは、栃木県石橋市住の小川政次作だそうです。

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町内の神輿をひとつづつ見て歩いていると、先日紹介した、徒二町会の白木の中神輿と同じ作とおもわれる神輿を発見しました。屋根は違っていましたが、台輪には四方彫り物がしたあるやつです。よくみると、徒二とは微妙に図柄が違うようですが、動物の彫り方は非常に共通していました。おそらくおなじ神輿師の作だとおもいます。町内の10数基の神輿を見ても、台輪に彫刻を施しているのは、この一基しかありませんでした。

この神社の神輿は左右に振ることをやるために、神輿の寿命がみじかいようです。本社御輿も数年前には修理したようで、また、担ぐ前には、装飾の金具などすべて取り外し、鳳凰まで、壊れてもいいように、担ぎ用の鳳凰に取り替えていました。

でも、神輿はよくみると、さまざまなところに彫刻を施してあり、それが何の図柄なのかよく見てみると、とてもおもしろいものだと発見しました。今回は、後の祭りではなく、祭りの後でした。

2008年6月 5日 (木)

上野発掘現場

いつも1時間かけて、メタボ対策で歩いています。毎日のことといっても、よく見ると、その時、その時で周りの様子に変化があるのに気づくと、毎日が新鮮に感じます。

Photo そのひとつ、いつも見慣れた工事現場の仮囲いに張り紙がありました。それには、今発掘中の公示でした。ヘエー! 上野で発掘? いったい何を掘っているんだ? と疑問がわきました。そういえば、20数年前に、上野駅前のマンションで、基礎工事中に、人骨が大量に出て大騒ぎしたことがありましたっけ。そのマンションは、私の会社で工事をする予定になっていたので、よく憶えています。この工事現場のちょうど斜め前です。そのときは、警察が出動して、鑑識をしたらしいですが、結局、明治維新のとき、ここで彰義隊の戦死者を葬ったらしいという結論になったらしいです。考古学の発掘で、人骨がでることは、よくあることですが、それで警察が動くとなると、これは、どの時代までが、刑事事件で、どの時代以前が考古学なのかはっきりさせてくれないと、やってられないかもしれませんね。

 

Photo_2 旧町名を調べてみると、昔の北稲荷町というところで、ここは江戸時代は沼地で、その後埋め立てられ、江戸中心部の寺院がこの地に移り、門前町が開かれていたそうです。囲いから覗いてみると、まだ部分的な発掘しかしていないようですが、柱痕がみえます。まだ、全貌がわかりませんが、ここには、あるデベロッパーが18階のオフィスビルを建てる予定になっているようです。現に工事予定は平成20年2月から平成22年までと書いてあります。大幅な工期の遅れです。おまけに、これは行政発掘でしょうから、発掘費用はそのデベロッパー持ちということになります。こういうのを踏んだり蹴ったりというのでしょうかね。

それと、もうひとつ発掘はある会社が請け負ってやっているようです。ここまで、民間活力かよー。と思うか、天下り先が発掘調査を請け負っているのかな。と思うかはご想像におまかせいたします。

2008年6月 3日 (火)

文献情報

Photo 『新修茨木市史 第九巻 史料編 美術工芸』平成20年3月刊 がでました。茨木市内の彫刻、絵画、及びキリシタン遺品についての調査報告が主になっています。彫刻の執筆者は大阪大学の藤岡穣氏です。いわゆる北摂地方は、その地理的特性から、かなり古くから文化的に開けた地域であったはずで、彫刻でも、古い仏像が存在していても不思議ではない地域です。それだけ、まだ未調査地域が残っていたということでしょう。今回の茨木市の調査では、寺院79ヶ寺、神社4社に及び、かなりの成果があがったようです。

 

Photo_2 その報告書に中で、注目した仏像は、個人蔵の阿弥陀如来坐像です。一木造で、像高46.6㎝の小像ですが、平安前期の特徴である、飜波式衣文が見られ、古様を見せていますが、執筆者によると、面相が仁和寺阿弥陀如来に通じることから、10世紀前半頃としています。このような小像で、平安前期の様式を備えた仏像が、最近目につくようになりました。何か、面相がおとなしく、今までの平安前期は森厳な雰囲気をしているといった概念とはどうも様子がちがうようにも思えるのですが。平安前期という時代の様式概念をもう一度確認してみないと、このような仏像は、簡単に平安前期だ、奈良時代だと言えないような気がしています。

2008年6月 1日 (日)

歓迎会

Photo  ある大学准教授の就任記念歓迎会を、開催しました。場所はゆかりの『茶房武蔵野文庫』です。総勢で19人集まりました。その中にはOB・OGだけでなく、現役大学生も参加してくれました。大変楽しい会合になりました。これから先のことが、ぼんやりと見えてくる年代になると、今の内にやっておかなければならないことができてきます。いやそういうことのほうが、はっきりと見えてくるのです。それをひとつづつ、こなしていければ、きっと充実した人生を送ることができるでしょうが、世の中そうは問屋が卸しません。まだまだ思いどおりにはいきませんが、そんなストレスもひとつの刺激になって、悩の活性化につながるのでしょう。

Photo_3 Photo_2今回は、さまざまな世代の人が集まりました。普通は、飲み会というと、話の通じる同世代の人と飲むのが楽しいものです。それはそれで楽しいのでしょうが、何回も続くと、もうそれでは、飽きてきます。やはり多少のカルチャーショックがないと、人間前へ進みません。つねに頭を活性化するには、予想のつかない事態に遭遇しないと、おもしろくありません。そういう驚きの気持ちをもつことが、頭を活性化させるひとつの要因になるのでしょう。

むかし、よく、何もわからないで、会合に参加したことがあります。知り合いの人もいなく、話し相手になる人もいない時は、部屋の隅にすわるか、立っていて手持ちぶさたにしています。いまでも、そういう会合に出ることがあるのですが、ただ、会合が終わるのをひたすら待つのです。以前は、そんな無駄な時間を費やすなら、ほかにもっとできたのにと、悔やみましたが、今は、まわりの様子を見ていると以外と楽しいことに気がつきました。人の表情は実に多彩で、同じ人はひとりもいません。それは、物を見るという美術研究の根本的な作業と同じなのだと気づきました。また、ほんのちょっとした言動にも、その人の人となりが感じられるようになりました。

サークルがいつまでも長続きするのは、自分自身のアイデンティティーを確認する意味でもそうなってほしいのですが、そんな理屈よりも何よりも、続けようと思う人がふえればいいことなのです。ただひたすらに、続けましょう。きっといいことがあります。

Photo_4 茶房で出してくれた料理に、カボチャをまるまる1個使った料理が出てきました。日下さんもよく考えてくれてます。大変おいしゅうございました。

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