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2008年7月

2008年7月31日 (木)

小石原焼

先日、UMEさんのメーリングリストi毘首羯磨に茶房の芳子さんの若かりし頃の写真が載せられていたのを、大変なつかしく思いました。壇那様を去年亡くされて、いつものように明るく元気にくらしているのだろうか。と、それで、「太田成喜」 で検索してみると、小石原焼 マルダイ窯 のサイトに行き当たりました。芳子さんの昔とかわらない笑顔の写真がありました。

リンク集を明けてみると、茶房武蔵野文庫 とともに、和処 晴と褻 という店が紹介されていました。和食のお店で、食器はすべて、マルダイ窯の小石原焼を使っていると、書かれていました。

ちょうど、名古屋のO君が、29日に来京するので、帰る前に、いつものように、ちょっとイッパイやるかという連絡が入っていたので、これは、ちょうどいいタイミングで、おまけに東京駅にも近くて、多少飲み過ぎてもすぐに、新幹線に押し込めるなと思ったりして、さっそく、予約をいれておきました。

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店はビルの地下にあり、入口は茶室のにじり口をイメージしたくぐり戸で、中に入るとカウンターもそなえて、和風のモダンといったなかなか凝ったインテリアでした。ビジネス街の飲み屋ですから、いはば、サラリーウーマン向けの店かな、という感じでした。食事は、コメントを差し控えますが、そんなにリーズナブルな店ではなさそうです。確かに、すべて小石原焼を使っていましたが、店の雰囲気と合うかというと、個人差はあるものの、私はどうかな?という感じでした。やはり、小石原焼はいわゆる民芸陶器といわれているもので、いはば、庶民が日常使う食器なので、あまり、グレードをあげると、まわりと合わなくなる恐れがあると思うのですが、これは、私の個人的な印象です。

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Photo_3 小石原ついでに、私の所蔵の作品を二点紹介します。

この大皿は、茶房早稲田文庫の座敷の床の間に置いてあったもの。2尺の刷毛目大皿です。

 

 

 

 

 

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太田成喜作の白釉皿。バブル絶頂期、成喜さんが東京の三越で初めて個展をしたときのもの。銀座のママが欲しがっていたのを、間一髪、先に手に入れた作品。その当時、成喜さんは、陶板など小石原らしくない意欲的な作品を造られていました。これは、そのうちのおとなしいほうの作品です。

2008年7月29日 (火)

禅定寺・観菩提寺・櫟野寺

先日の旅行で訪れたお寺のお話がまだでしたので、ひとつひとつお話します。

Photo 禅定寺

今度で3回目でした。しかし、今回仏像は収蔵庫にはいっていました。四天王は、大津市歴史博物館ですでに見ていましたので、本尊と日光・月光菩薩、文殊菩薩、大威徳明王を拝することができました。本尊の十一面観音は、さすがにすばらしい仏像です。これを10世紀末とすると、その前後がどうも気になります。目に焼き付けてきました。そして、収蔵庫ができる前の本堂を見て来ました。30数年前に本尊を拝したところなのですが、こんなせまい厨子に入っていたのかとおもえるほどせまい空間でした。むかしの記憶はそこではよみがえりませんでした。

 

Photo_2観菩提寺

本尊は33年に一回しか開帳しない秘仏ですので、拝することは期待していませんでしたが、他の仏像なら参拝できるのでは、という一縷の望みで訪れましたが、誰もお寺の人に会えずそれもかないませんでした。本尊秘仏の十一面観音は非常にインパクトがある仏像です。いつかお会いしてみたいものです。

 

 

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櫟野寺

本尊の十一面観音の巨大な仏像は、春と秋に特別拝観があります。今回はそれ以外の仏像の拝観です。本堂奧の収蔵庫に巨大な厨子があり、そのまわりに10数体の仏像がありました。その中で、注目は3体ある吉祥天のうちの一体です。ノミあとを不規則に残した、いわゆるナタ彫の仏像です。そして、目が彫ってありません。ほかにも聖観音菩薩立像がノミあとをのこしたナタ彫像ですが、この仏像の目は上まぶたを彫り込んでありますので、目を未完成にしていません。未完成にしているのは、吉祥天だけです。この目なし仏像はもっと数を集めてみないとなんとも言えません。

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2008年7月27日 (日)

隅田川花火

Photo昨日は隅田川花火大会です。自宅のマンションからは、あまりに近すぎて、屋根から半分しか見えません。私は西向なので、外廊下からしか見られません。南向の住戸の人は、ベランダから丸見えなのでしょう。音と時間がずれて開く花火の光は、いつみてもいいもんです。

私の幼少の頃は、実家が木造の2階だったので、屋根にゴザを敷いて見ていました。実家は今住んでいるマンションよりも、距離はあったのですが、昔は高い建物がほとんでなかったので、ずっと近く見えました。

 

Photo_2 今の花火はいろいろなバリエーションがあるのですね。スターマインとよばれる丸くおおきな花火ばかりがと思っていましたが、最近は不定形な形になるものがありました。花火の技術も日進月歩なのでしょう。

今日は、空が曇って、風が少しあったので、花火が流れているようでした。

2008年7月23日 (水)

山岳寺院

去年から今年にかけて、3つの山岳寺院を訪れました。去年、金勝寺、今年にはいって、峰定寺、金胎寺です。これらの寺院は、簡単に参拝できない、山の中にあります。

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【金勝寺】

金勝寺と金胎寺は車がやっと通れる林道を通らなければならない、本当の山の中にあります。まわりには、人家がひとつもありません。おそらく、人里まで歩くとまる1日はかかるでしょう。峰定寺にしても、いまは、舗装道路が通っていますが、人里からは離れています。

 

 

 

 

 

Photo_2 【峰定寺】

これらの寺院はいわゆる、名山でもなく、何か奇勝な地域でもない普通の山のように見えます。つまり、これらの寺院を創立した僧は、この地を撰定するのに、何かきっかけがあったようにもおもえないのです。たとえば、空海が高野山に開創したのは、当地の神との関係があって撰定しています。普通は、日本古来の神が宿る所との軋轢なり、関係があって寺地を撰定するという由来があるものですが、どうもそうではなく、開創した僧がその地を単に撰定したようにおもえるのです。

 

Photo_3 【金胎寺】

これは、開創した僧が純粋に修業の場としての山を選んでいるように思えます。現に、金胎寺、峰定寺には行場があり、けわしい山の中をめぐるルートが設定されています。

こう考えてみると、日本の宗教は、ただひたすらに、肉体を酷使して、その信仰心をたかめる傾向があるようにおもえます。過酷な修業こそが、人間の幸福への道なのでしょうか。山の中では、宗教の普及活動はできません。それでも、長い間、山岳寺院が維持されてきたのは、それをささえる民衆の山岳修業者に対する理解があったからなのでしょう。

日本人は、民衆レベルでは、まだまだ捨てたものではないなとおもいます。

2008年7月21日 (月)

夏本番

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いよいよ梅雨が明け、夏本番になりました。昨日まで、 恐れ入谷の鬼子母神 では、恒例の朝顔市が開かれていました。朝顔市は、朝早くから開いています。つまり、朝顔の花の咲いている時間に、ものを見ないと、選べないのです。そんなこんなで、朝から市は人が多くでているのです。

入谷から出る朝顔の車哉  子規

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そして、土曜日の昼頃、うなぎ屋の尾花の前を通ると、なんと100人くらいならんでいました。そういえば、24日は丑の日だったな。

幽霊の正体見たり枯れ尾花

みなさん、暑いのにご苦労さんです。昨日今日と、一歩も自宅をでませんでした。最近買え換えたエアコンは実に快適なので、外に出る気もおきません。

こんなことをしているから、体重が減らないのだ。あさっては、メタボの検診の日なのに、これでは、また医者に脅迫されちゃうな。こんなストレスが一番悪いのはわかっているのですが。

2008年7月18日 (金)

奈良の夜景

Photo 今回の奈良の夜は、ライトアッププロムナード・なら2008を楽しむことができました。そのために、事前に一脚を買って、夜間写真撮影にそなえました。まずは東大寺のそばで、夕飯を食べ、薄暗くなったところで、東大寺の中門前に行きました。ところが、7時にライトが点灯しましたが、まだ空が明るくて、大仏殿が浮かび上がりません。ようやく、7時半頃になって、やっと辺りが暗くなってライトアップの効果がでてきました。

そして次は、奈文研です。この建物は内部の明かりをすべて点灯していますので、外からのライトとあいまって、はっきりと映し出していました。

Photo ここから、浮見堂へ歩く道は、真っ暗です。懐中電灯をたよりに歩きます。浮見堂は建物の軒の下にライトをつけているだけなので、非常に暗くて、パンフレットにあるような水面から浮き上がって見えません。つぎの円窓亭と同様にライティングがいまいちでした。

それから、また真っ暗な道を懐中電灯をつけて、春日大社一の鳥居まで、この鳥居は道路の交差点にあるので、車のライトで、いまいち雰囲気がでませんでした。

 

Photo_2 奈良博は、まわりが何もなく、まわりの明かりもないので、建物がきれいに浮かび上がっていました。おしむらくは、松の木で、全体が見えないことです。奈文研の建物も同様で、おしいですな。

 

 

 

 

Photo_3Photo_4 最後は、興福寺五重塔です。この近辺はカップルだらけ。奈良のデートスポットのようです。猿沢池も、同じでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Photo_5Photo_6 このイベントはパンフレットにあるとおり、10月31日まで、毎日点灯しています。奈良市内のほかに、薬師寺と平城宮朱雀門もライトアップしているのですが、ちょっと遠いので、またの機会にしようと思っています。

くれぐれも、懐中電灯と、三脚か一脚を持っておでかけください。

2008年7月16日 (水)

快慶

今回の旅行の前後に、快慶作の仏像にいくつかお目にかかりました。まず、旅行前に東京国立博物館で見た、東大寺の地蔵菩薩立像です。まあ典型的な快慶盛期の仏像でしょう。

PhotoPhoto_2  

旅行でまず快慶を見たのは、京都国立博物館の平常陳列にあった、松尾寺の阿弥陀如来坐像でした。制作年は不明ですが、おそらく無位時代のものでしょう。

そして、奈良では、東大寺南大門の仁王です。これはただすごいとしかいいようもなく、快慶らしさをさがしようもありません。奈良国立博物館では、東大寺西大門額の四天王立像ですが、これは、よくわかりません。

 

 

 

 

 

Photo_3Photo_4 大津市歴史博物館の『石山寺と湖南の仏像』展では、目玉というべき、石山寺の大日如来坐像を見ることができました。快慶初期の作品としては典型的なものでしょう。同じ、展覧会に円福院の釈迦如来坐像がありました。カタログによると、“アン”の銘はあるものの後筆で、快慶ではないとしていますが、作風はあきらかに快慶風です。簡単に、時代が下がるとはいえないような気がしました。正寿院の不動明王坐像もありました。

この展覧会は、100件近くの仏像が展示されており、塑像・塼仏から、乾漆像、また、飛鳥時代の金銅仏から中国・朝鮮の仏像まで、日本でも奈良時代の蔵王権現像の心木から、鎌倉江戸時代まで、像容では、裸形阿弥陀、善光寺式、神像、懸仏などありとあらゆる仏像のオンパレードでした。おもに滋賀県内及びその周辺から集めた仏像なのに、これだけバリエーションに富んでいるのは、いかに仏像が残っているかということなのでしょう。とくに、いわゆる平安中期の仏像がこんなにも見られたのは収穫でした。もっと、時代の性格なり作風を調べるサンプルが増えると、平安中期という時代がなんとなくわかってくるのかな、とおもいます。

Photo_5 もうひとつ、快慶作で、新大仏寺の盧舎那仏坐像を見てきました。これは、修理後に京都国立博物館でしばらく展示していたのですが、今はお寺にもどってきています。収蔵庫の1階には、石造の台座が置かれ、2階に盧舎那仏が安置されていました。快慶作は頭部のみですが、金箔が貼られて、彩色がほどこされてしまったために、修理前のような快慶らしさがなくなってしまったような気がします。ちょっと快慶と想像がつかなくなりました。このお寺の住職には、どうぞ写真を撮ってください。といっていただきました。ありがたいことです。

さらに、もうひとつ、いつも自宅の便所で見ているのは、去年の「奈良大和路」のポスターの仏像である、安倍文殊院の文殊菩薩像です。これは、毎日見ていても、快慶らしさが薄いのです。いつもウーンとうなっています。

2008年7月13日 (日)

奈良伊賀甲賀旅行

一泊2日で、例によって関西方面へ行ってきました。今回の日程は以下のとおりです。

  • 7月12日 8時30分京都着→渉成園→京都国立博物館→
  • 京阪→近鉄 高の原下車 タクシーで奈良大学博物館→
  • 西大寺→奈良国立博物館→吉城園→依水園→
  • アカダマ→古本屋→本日の宿→
  • ライトアッププロムナードで夜7時より 東大寺→奈文研→
  • 浮見堂→円窓亭→春日大社一の鳥居→奈良博→
  • 興福寺五重塔→猿沢の池→宿

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  • 7月13日 9時京都駅着 レンタカーを借りる
  • 大津歴史博物館→禅定寺→金胎寺→笠置寺はパス→
  • 観菩提寺→新大仏寺→櫟野寺→新名神から名神で→京都駅
  • 今回の走行距離 212km でした。

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暑かったです。シャツがビッショリ濡れてなかなか乾きませんでした。今回は予想どおりといった行程をこなしてきました。奈良博の『法隆寺展』は予想どおりでしたが、大津歴史博物館の『石山寺と湖南の仏像』はなかなかの展覧会でした。これだけの未見の仏像がそろうのは、もうないでしょう。平安中期の仏像がこんなにもあったとは、という驚きです。お勧めの展覧会です。

ひとつひとつについては、資料の整理をしてから、追々とカキコします。

2008年7月11日 (金)

対決とは?

Photo 毎月のこととて、病院通いの後、例によって、東京国立博物館へ「対決 巨匠たちの日本美術」を見てきました。まずは、入場者の入り具合は、まだ4日目にしては、人がでていました。けれど、混んでいるのは、最初の運慶快慶のところだけ、進んでいくに従って、閑散として、円空木喰のところは、ガラガラでした。まあ、名前は有名どころをそろえ、作品も各作者の最高傑作がそろっているのに、何か消化不良の感が免れませんでした。カタログに辻惟雄氏がこの展覧会開催の経緯を述べていますが、そもそもは、『國華』創刊120周年の記念行事として、巨匠にペアを組ませた展覧会を企画したのが、はじまりだそうです。従って、対決とは何かというコンセプトではなく、単に、同時代の同分野の作家を並べたにすぎないのです。辻惟雄氏は、「対決とはいっても、食うか食われるかの関係ではない。むしろ、両者の個性があいまって、より大きな調和の世界をかたちづくるのが「美の対決」のありようといえる。」と説明していますが、正直、何を言っているのか理解できません。作品自体はそれぞれが個性をもったすばらしい作品ばかりなのに、比較というのならば、宗達と光琳の「風神雷神図屏風」を見たかったのですが、出品は会期の後半ですので、見られませんでした。

Photo_2Photo_3 実は、今回の東博で、期待していたのは、むしろ「六波羅蜜寺の仏像」の特集陳列のほうでした。これは、本館の彫刻室で行われているもので、六波羅蜜寺の仏像が13体、出品されています。これだけまとまって仏像がそろうのは、現地へ行かなければみられません。特に、私が見たかったのは、薬師如来坐像です。10世紀の仏像として、いはば、定朝様へ行く手前の仏像として、元興寺阿弥陀如来坐像とともに重要な作品です。この仏像をしっかりと目に焼き付けてきました。

そのとなりで、もうひとつの特集陳列「二体の大日如来像と運慶様の彫刻」は、比較という意味ではさらに、すばらしい展示でした。しかも、願生寺の薬師如来など、運慶様の仏像をそろえて、比較しやすくしていますし、以前とは違って、照明を明るくして真如苑と光得寺の大日如来坐像が並んで展示してあるのです。両方のケースの間に立って、細部まで、比較検討することができました。たとえば、真如苑の大日如来の条帛の背中のかかる部分は欠落してあるのか、省略してあるのか、明らかにちがいます。そのほか、衣文の処理のしかたなどは、まったく同じといってもいいくらい類似していました。真如苑の膝前の矧ぎは左右違うのもわかりました。真如苑像は彩色も後補のようですし、矧目もゆるんでいるので、これを口実に解体修理すれば、納入札がとりだせるのになあ、と思ったりして。

2008年7月 9日 (水)

仏像の名称

『日本彫刻史基礎資料集成』の仏像の記述の項目はまず、銘記・納入品・形状・法量・品質構造・伝来・保存状態・備考の順に記述してあります。田邊三郎助氏はさきの論文で、それぞれの項目についての記述方法を詳細に論じでいますが、これが、いはば標準的な仏像の記述方法であろうと思います。ここでは、まず仏像の名称について考えてみたいと思います。田邊氏は“どんなものでも、そのものをもっとも簡明な形で記述したものが名称である”と仮定すると、『基礎資料集成』はたとえば、文化財指定名称として記述される“木造薬師如来坐像”ではなく、単に”薬師如来像”と記述するのはよいのだろう。としています。つまり、『基礎資料集成』では、木造の部分は品質の項目で、坐像の部分は形状で記述されるものだから、必要ないという、いはば合理的な解釈によるものと思われ、仏像の名称の最少単位は種類である。と言っています。

さて、私は今、データベースソフトを使って、仏像のデータの入力を行っていますが、基本的には、『基礎資料集成』の項目の建て方に則って設定をしていますが、まず問題となったのは、仏像の名称をどう記述するか、でした。『基礎資料集成』のように最少の種類だけの記述でいいのか、あるいは"指定名称”で記述するのかということでした。

コンピュータの画面上で、表形式で最少の種類だけの記述でデータを並べてみると、実にわかりづらい違和感をおぼえるのです。それは、データベースでは、そのデータを抽出するか、並べ替えの操作がこれから行われることなのです。その時、仏像の種類だけの羅列しか画面に出ないとすると、それからの想像力がでてこないのです。

たとえば、『基礎資料集成』では「阿弥陀如来及両脇侍像」と記述されたものが、『指定名称』方式では、「木造阿弥陀如来立像及両脇侍立像」となります。『基礎資料集成』方式では、阿弥陀のさまざまなバリエーションのどれかを想像することが不可能なのです。これはもしかしたら、善光寺式かもしれないし、来迎形の阿弥陀かもしれない。石造かもしれない。つまり、データベースでは、さらに抽出の作業のための言葉を考えなければならないのです。また、抽出の回数がそれだけ増えることになります。

仏像の名称とは、種類という最小限の単位で表現すればいいというのは、いわゆる電子化する場合には無駄な作業を強いることになり、逆に不合理な場合があるということなのです。『指定名称』方式で、材質+種類+形状という記述方法の方が、その名称を見たとき、想像力が生まれるのです。つまり、「銅造阿弥陀如来立像及両脇侍立像」と書かれていれば、善光寺式かと想像できるのです。また、抽出の回数も減ることになり、抽出方法もわかりやすくなります。

Photo_2 データーベースは、細かく項目を設定するのが、本来の機能を発揮させる方法であるかのように書かれているのが多いですが、文字データの処理の場合は必ずしもそれが合理的とはおもわれないところがあります。紙に書かれていたデータとできるだけ乖離しないやり方のほうが、違和感なく作業ができるというのが、私の基本的な考えです。

さて、仏像の名称は一般的には、その所有者(お寺が多い)の使っている名称で記述されます。たとえば、孝恩寺阿弥陀如来坐像(伝弥勒菩薩坐像)と記述します。これは、その形状から、明らかに阿弥陀如来なのですが、寺伝で弥勒菩薩といっているので、このように記述するのです。“伝”という実にいい言葉によってうまい表現ができます。

 

 

 

Photo ところが、『指定名称』で「木造多臂観世音菩薩立像」というのがあります。これは、高槻市の廣智寺にある仏像で、はじめは六臂の十一面観音立像だったのが、解体修理によって、八臂の観世音菩薩立像であることが判明したために、このような名称になったと書いてあります。しかし、八臂観音菩薩像というのは、ちょっとおかしな表現で、むしろその形状からは不空羂索観音像であろうとおもいます。お寺では、そのように名称を変更しているようですが、大阪府指定では、「多臂観世音菩薩立像」なんて、今まで聞いたことのない名称になってしまいました。確かにこの場合、“伝”が使えないのです。いはばカッコで逃げられなくなってしまったのです。どうしたらいいのでしょう。

2008年7月 6日 (日)

仏像の記述

最近、読んだ雑誌の論文に、山本勉「仏像の調査ー目黒・海福寺の阿弥陀如来立像を例にして」『清泉文苑』23号 平成18年3月刊 があります。ある仏像を調査したときのいはば、ドキュメンタリーとして、その経過が書かれています。調査に至った経緯、実際にお寺で、どのような調査方法で、どういう調査をしたか、その後、その調査ノートをどのように整理しているか、といったことを、ひとつひとつ細かく記述してあります。

相当むかしの学生時代に、同じように調査をした経験が思い出されました。あの頃は、何もわからず、いきなりノートを取らされたり、ゆっくり観察するひまもなく、ただ写真を撮ることに精一杯だったような記憶があります。調査の段取りがこのような経験談の形でも、事前にわかっていたなら、もっと充実した調査ができていたかもしれません。その意味では、調査を行うマニュアルがあってもいいのかな、とおもいます。すべてが、マニュアル通りでは、実際の調査に役にはたたないのは、わかりきっていますが、少なくとも、調査時に冷静な判断ができる体勢ができているのとないのでは、その、充実度が違います。

Photo 仏像の調査は、『日本彫刻史基礎資料集成』の記述方法が、今や、標準になっています。これについては、田邊三郎助「仏像の記述」『講座日本美術史』1 平成17年4月刊 に詳細にわたって書かれているので、それに譲りますが、いわゆる各地で行われている調査報告書には、大体これに添った記述が行われているようです。

しかし、その大体がじつはクセモノなのです。というのは、くしくも同じ『講座日本美術史』1に塚原晃「美術史研究者のデジタル・ソリューション」という論文があります。これは、美術作品のデータベース構築についての問題点を洗い出した論文です。これは絵画についてですが、彫刻作品についても、同様の問題をかかえています。わたしの経験からいえば、調査の時に、何を記述するのか、記述用語の標準化をどうしたらできるのかが、これからの課題なのです。

というのも、調査報告書の電子化、いわゆるデータベース化するには、記述方法の標準化が必要なのです。ひとつの形態を表現するのに、複数とおりある記述方法では、電子化に支障がでるのです。

これからは、電子化を念頭にいれた調査方法、調査技術を確立しないと、あとで、禍根を残すことになります。

今、ステンドグラスのことで、頭がいっぱいなのです。まだ、見たいステンドガラスがいっぱいあります。といって、来週行く、関西旅行のスケジュールも奈良博と大津博以外まだ決まっていないし、このブログもカウンターがどんどん加速していくし・・・・・・・・

ああ!!ブログの重圧でパニックになりそう!!

2008年7月 3日 (木)

宮内法橋

Photo 宮内法橋とは、江戸時代、大坂で三代にわたって、仏像を製作してきた仏師です。兵庫県立歴史博物館の神戸佳文氏が平成6年からずっと追ってきた仏師です。

この論文「大坂仏師「宮内法橋」ーその作例と銘文ー」は、いはばその集大成というもののようです。この論文では、推定作例を含めて250例近く確認され、修理も含めると慶安3年(1650)から宝暦10年(1760)までのおよそ110年間にわたる活動をその銘文から解明しています。また。宮内法橋に特有な作風も論じています。このように、仏師集団がこれだけの作例と銘文を残しているのは、他に類例がないと思います。その意味で、これだけの資料を集めた業績はすばらしいものだとおもいます。これには、各地方自治体が悉皆調査を実施したことによる成果です。これから、他で悉皆調査がおこなわれれば、さらにその作例は増えることになるでしょう。

宮内法橋は大坂を本拠にしていましたが、その活動範囲は東は大和・紀伊、西ははおもに瀬戸内海沿岸にまでおよんでいます。このように、江戸時代になると、活動範囲はかなり広範囲に及んできますので、一地域の調査だけではなく、これからは、悉皆調査のもれをなくす努力が必要になるのでしょう。神戸氏も最後に書いておられますが、宮内法橋の出自が確定されていないこと、他の仏師に与えた影響など、課題はまだまだあるようです。

2008年7月 1日 (火)

山手西洋館

PhotoPhoto_2 氷川丸を見て、次に港の見える丘公園へ、歩いて行きました。それは、今このあたりは、戦前に建てられたいわゆる西洋館を移築して公開していると聞いたからでした。「山手西洋館マップ」によると、7~8軒の西洋館が無料で公開されていました。そのうちのひとつ、「エリスマン邸」は、大正15年の建築で、平成2年にここに移築されて公開されています。A・レーモンドの初期の設計で、まだ、F・ライトの影響の残っているころの建物です。その後の、いわゆるレーモンドスタイルがほとんど感じられない建物です。すこしは、レーモンドらしさがあるのかなとさがしましたが、展示してある家具にしても、レーモンド様式とはほど遠いものでした。まあ、いわゆる典型的な西洋館としての間取りをもった建物という評価でしょうか。

Photo_3Photo_4 元町公園から石川町方面へ行くと、おなじ高台に「イタリア山庭園」という場所があります。そこには、2棟の西洋館が建っていますが、そのうちのひとつが、「外交官の家」とよばれる建物です。これは、明治政府の外交官内田定槌邸で、もとは、渋谷の南平台にあった建物で、平成9年にここに移築したものです。明治43年、アメリカ人建築家のM・ガーディナーの設計です。塔屋付きで、いわゆるアメリカン・ヴィクトリア様式をもつ建物です。内部は、しっとりとした落ち着きのある空間を演出しています。

Photo_5Photo_6 玄関の内扉と、暖炉の左右にある上げ下げ窓には、ステンドグラスが嵌められています。この建物には、ステンドグラスが食堂の横にもあって、都合3個所ステンドグラスがありました。3個所とも抽象的なデザインで、作者はわかりませんが、明治43年という年を考えると日本では、宇野澤組しか作っていないはずです。輸入品ということも考えられます。

それにしても、戦前のいわゆる西洋館は、エリスマン邸や、内田邸にしても、現代から見てみると、それほど豪華な住宅とは思えません。建坪もそれほど大きくはないし、家族で暮らすにはちょうどよいぐらいの広さといったらいいのでしょうか。内装もそれほど凝った作りをしているわけではありません。この程度の広さの住宅ならば、現在では、いわゆるプレファブメーカーの既製品の建て売り住宅とさほどかわりはありません。

それなのに、この西洋館はどうしてゆったりとした空間をつくっているのでしょうか。それは、ひとつには、天井の高さにあるとおもいます。また、柱や梁・建具・手摺といったところに、実にさりげない装飾を施していることにあります。つまり、今の既製品は表面的には見栄えをよくしていますが、時間の経過を考慮しない設計になっているために、その美しさが維持できないのです。結局のところ、建物の寿命が短くなってしまうのです。現代の建物の浅薄さを実感させられました。

Photo_7 帰りにJR石川町駅に着いて、またまたビックリ、駅舎の窓にこんな大きなステンドグラスがあったとは。きっと、50年後に注目されていることでしょう。建物が残っていればの話ですが。

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