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2008年8月29日 (金)

知恵の七柱1

Photo東洋文庫からT・E・ロレンス著『知恵の七柱』1が出版されました。全5巻のうちの最初の1冊です。以前にも3巻本がでていましたが、今回は原典に近い本からの翻訳です。T・E・ロレンスといってすぐ気がつく人は、中東情勢に詳しい人か、昔の映画好きの人でしょう。昭和37年の映画『アラビアのロレンス』のストーリーの種本です。映画はほぼこの本に忠実に再現されていました。 この映画を、ロードショーで始めて見たときの感動はいまでも忘れられません。私はそんなに映画好きではありませんし、数多く見ている訳ではありませんが、この映画はその後の再上映でも見ました。さらに、ビデオが出たときはすぐ買いましたが、大画面で見ないとその迫力が伝わらないので、プロジェクターを持っている友人宅で映画鑑賞会までしました。つい2・3年前にはDVDも出たので、それも購入しました。モーリス・ジャールのサウンドトラックはもちろん持っていて、たまに聞いています。映画を見て最初に買った本は岩波新書の中野好夫著の『アラビアのロレンス』でした。その後、日本語で書かれた評伝など数冊を買って読んでみました。

 

 

Photo 何故、この映画にはまってしまったのか、いまだによくわかりません。確かに、私は歴史好きではありますが、中東近現代史は私の研究の範疇には入っていません。主人公のロレンスという人物がその著作や、評伝を読んでも、よく理解できないのです。映画を見ても、何か自分で消化されないところが残るのです。確かにロレンスは歴史の大きな波に翻弄されて、いつの間にか英雄視されてしまったのですが、そういった、歴史に受動的な人生だったかというとどうもそうではないような気がするのです。いまだに、英国ではその評価が分かれているようですが、当事者の英国人のロレンスに対する評価は実は非常に無責任なところもあるので、あまり注目はしませんが、アラブ人にとっては、その功績が決してアラブのためではなかったという事を見抜いています。

Photo_2 ロレンスがダマスカス陥落後、アラブを離れ、英国に何故もどったかは、わかりませんが、単なる軍人としての任務が終了したと割り切ったからでしょう。その後のロレンスの行動を私は注目したいのですが、第一次世界大戦後のパリ和平会議、チャーチル主催のカイロ会議に英国側の顧問として出席しています。つまり、ロレンス自身、英国人として、自国の利益のために行動したのです。結局、西洋人の共通する、おせっかいさ、傲慢さが根底に見え隠れしてならないのです。イギリスの3枚舌が、現在の中東情勢を混迷させている根本的な原因であることに英国人は責任感も、さらに認識もしていないのです。それに対して、ロレンスはどう思ったのかはわかりません。そこが、理解しがたいし、知りたいところなのかなあと思います。その後の奇行もまた、理解できません。ドーセットの2面が壁の小さな一軒家に住んで、自慢のブラフ・スーペリアを乗りまわしていた平穏な日々が一番の幸福の時期だったのでしょう。しかし、それも長く続かなかったのです。

Lawrenceofarabia_dorsetcottage

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コメント

[アラビアのロレンス」初めて見たのは、高校生の頃でしたか。
映画の黄金時代の最後の大作で、大作としては最高の傑作でしょう。
オマーシェリフが、熱で揺れる地平線の彼方から、最初は豆粒ぐらいの大きさから現れて、徐々に馬に乗って近づいてくる場面。
近づいていきなり現地人のガイドを射殺して、「人の水を盗むものは報いを受ける」という科白。(チョット違うかな)
アカバ攻略の大スペクタクル。 いろいろな名場面が思い出されます。
現実のロレンスは、軍人によくいる謀略ずきな連中の一人でしょう。

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