『踏下像』考
最近、仏像の名称として、「○○踏下像」あるいは「○○踏下げ像」という使い方をする論文ないし作品解説が目にとまるようになってきた。何となくそれが、何を意味しているのかは、想像がつくが、どうもその定義について、論文の執筆者は何の説明もしないうちに、どんどんその言葉が使われてしまっているように思える。このままでは、唯曖昧なままで、この言葉が普及してしまうことになりかねない。そこで、この「踏下像(フミサゲゾウ)」について、いささかの考察をしてみようと思う。
まず、私のいままで入力したデータから「踏下」というキーワードで、論文あるいは、作品解説の題名として使われているデータを抽出してみた。戦前の本としては、延暦寺御遠忌事務局『山家遺桂』 1921年5月12日発行に、作品解説として、「大黒天半跏踏下坐像 滋賀県愛知郡秦川村大字松尾寺金剛輪寺塔頭・明壽院蔵」というのがある。戦前の仏像に関する論文の中に、仏像の像容を表現する言葉として「踏み下げる」という使い方をしているのがあった記憶がある。戦後でも、久野健著の『日本の彫刻』のなかで、いわゆる半跏像を説明するのに、「踏み下げる」という表現をしている。最近の本について列挙すると以下のようになる。
・『社寺とその美術』東京都瑞穂町文化財調査報告 3 1974年3月31日
金山正好「32 木造文殊師利菩薩半跏踏下像 寿昌寺蔵」 39P
金山正好「37 木造地蔵菩薩半跏踏下像 長福寺蔵」40P
・『流山の仏像』 1983年11月1日
「101 清瀧院 地蔵菩薩踏下け像」 31P
「102 西栄寺 地蔵菩薩踏下げ像」 32P
「103 浄信寺 地蔵菩薩踏下げ像」 32P
「104 福性寺 地蔵菩薩踏下げ像」 32P
「105 春山寺 地蔵菩薩踏下げ像」 32P
「193・194 本妙寺 門神踏下げ像」 55P
・『横浜の文化財ー横浜市文化財綜合調査概報(11)ー』 1993年3月31日
浅見龍介「真照寺 6,木造地蔵菩薩踏み下げ像」 111P
・『佛教藝術』212 1994年1月30日
麻木脩平「長講堂阿弥陀三尊像考ー両脇侍菩薩像の片足踏み下げ形式を中心としてー」89P~111P
・『内山永久寺の歴史と美術』研究篇 1994年4月11日
副島弘道「不動明王踏下像 兵庫・井植家」115P
・『相模湖の仏像』 1994年9月
薄井和男「25 木造地蔵菩薩踏み下げ像 正覚寺」 29P
・『大井の仏像』 1996年3月
薄井和男「33 木造地蔵菩薩踏み下げ像 大通寺」36P
・『青梅市仏像調査概報 Ⅱ』 1997年3月31日
「報恩寺 30-8,地蔵菩薩踏下像」 55P
「梅岩寺 45-12,地蔵菩薩踏下像」 71P
「梅岩寺 45-18,僧形踏下像(閻魔堂所在)」 72P
・『週間朝日百科 日本の国宝』16 1997年6月8日
松田誠一郎「菩薩踏下像 宝菩提院」 6-172~173P
・『美術史』143 1997年10月31日
松田誠一郎「第五十回全国大会研究発表要旨 山背遷都と霊験薬師仏ー京都・宝菩提院菩薩踏下像の彫塑史的な位置づけに関連してー」 107P
・『祈りと美の伝承 醍醐寺展 秀吉・醍醐の花見400年』 1998年5月12日
副島弘道「11 如意輪観音踏み下げ像」 167P~168P
・『東京国立博物館図版目録 日本彫刻篇』 1999年3月31日
山本勉・浅見龍介「45 菩薩踏下像」 133P
山本勉・浅見龍介「150 地蔵菩薩踏下像」 147P
山本勉・浅見龍介「185 日光菩薩踏下像」 151P
山本勉・浅見龍介「211 地蔵菩薩踏下像」 154P
山本勉・浅見龍介「212 地蔵菩薩踏下像」 154P
山本勉・浅見龍介「213 地蔵菩薩踏下像」 154P
・『都幾川村史資料 6(4)」 2000年3月30日
「馬場裕太郎 木造地蔵菩薩踏み下げ像」 84P
「霊山院(本堂) 木造地蔵菩薩踏み下げ像」 126P
・『裾野の仏像』 2001年3月
「光明寺 45,地蔵菩薩踏下像」 40P
「定輪寺 81,地蔵菩薩踏下像」 58P
「木造 地蔵菩薩踏下像(45)光明寺」 74P~75P
・『寛永寺及び子院所蔵文化財総合調査報告(第三巻)彫刻・工芸品編』 2002年3月29日
「円珠院 2-9,宇賀弁才天踏下像」 47P
「円珠院 2-11,吉祥天踏下像及び梵天・帝釈天立像」 47P
「清水観音堂 6-5,訶梨帝母踏下像」 49P
「現龍院 8-5,不動明王踏下像及び二童子立像」 52P
「護国院 9-3,地蔵菩薩踏下像」 53P
「不忍池弁天堂 10-4,大黒天踏下像」 56P
「不忍池弁天堂 10-7,大黒天踏下像」 56P
「津梁院 13-4,地蔵菩薩踏下像」 58P
「養寿院 18-3,地蔵菩薩踏下像」 61P
・『青梅市仏像調査概報 Ⅲ』 2002年3月31日
「聞修院 49-9,地蔵菩薩踏下像」 71P
「石倉院 53-1,地蔵菩薩踏下像」 74P~75P
・『東京都神津島信仰関連文化財集中調査報告書』 2004年3月31日
瀬山里志「物忌奈命神社 8,木造随身踏み下げ像」 11P
副島弘道「濤響寺 20,木造地蔵菩薩踏み下げ像」 19P~20P
・『神々の美術』京都国立博物館 2004年8月10日
淺湫毅「6 牛頭天王踏下像 山城町・松尾神社」 212P~213P
・『佛教藝術』288 2006年9月30日
「口絵6 殷基里磨崖菩薩半跏踏み下げ像 高麗 慶尚北道金泉」
「口絵7 長岩里磨崖菩薩半跏踏み下げ像 全景 高麗 981年 京畿道利川」
ここで、その「踏下像」の使い方を見てみると、金山氏を除いて、その言葉の定義がみえてくる。つまり、「半跏像」という像容の表現に違和感を覚えたことが「踏下像」という表現を使うことになったとおもわれる。「半跏像」とは、片方の足の甲が他方の太腿の上にのる形をいう「半跏趺坐」像という定義が定着している。その定義通りの像としては、三重・普賢寺の普賢菩薩像がある。つまり、「半跏像」とは、片足が垂下するしないは関係がないのである。いままで、片足が垂下してさえいれば、「半跏像」としてきたが、宝菩提院像のように、片方の足は他方の足の前に置かれ、他方の太腿の上にない状態では、「半跏像」という定義と合致しないとしたのであろう。したがって、中宮寺像と宝菩提院像との像容の表現の違いを示さなければならないと思ったのであろうとおもわれる。
このように「半跏像」を定義通りに解釈することによって、あいまいにされてきた「半跏像」という概念を定義通りの「半跏像」と「踏下像」に峻別しようとしたのであろう。しかし、「半跏像」と片足を垂下する像容は別次元のものなのである。定義通り解釈すれば、前述した普賢寺普賢菩薩像は片足を垂下していない「半跏像」なのである。
さらに、「踏下像」という言葉を使うには重大な問題がある。そもそも「広辞苑」など国語辞典に「踏み下げる」という言葉の項目はない。いはば、美術史のうちの彫刻史という限られた分野でのみ使われていた用語であることがわかる。さらに、「踏む」とは、足で押すという動作をさしており、たとえば、「ペダルを踏む」「邪鬼を踏む」という使い方をする言葉であり、宝菩提院像のようにただ単に片足を垂下して、地についていない状態では決して「踏む」とは言わないのが常識であろう。このように、言葉と実際の形との間で乖離のある言葉は使用すべきではないのである。
それでは、この問題に対してどういう解決策を講じたらいいのだろうか。
まずそのひとつは、片足を垂下する形を「片足垂下像」と定義する。すると、中宮寺像は厳密に表現すると「菩薩半跏片足垂下像」となる。宝菩提院像は「半跏像」ではないので、単に「菩薩片足垂下像」となる。普賢寺像は「普賢菩薩半跏坐像」となる。しかし普賢寺像はいままで、単なる「坐像」と表現してきた経緯があるので、その変更を簡単に受け入れられるかは、しっかりとした定義がちゃんと実行されるかにかかっている。
もうひとつは、以前のままで、おおまかな分類にし、個々の事例についてすべてその中に包摂してしまうという案である。仏像の像容についての「辞書的な本」である佐和隆研著『仏像図典』では、仏像の像容はおおまかに「立像」「坐像」「臥像」としている。いままでの一般的な表現方法では、「立像」「坐像」「半跏像」「倚像」という言葉を仏像の種類の後に付けてきた。これをそのまま踏襲すればいいという案である。この場合の『坐像』の定義としては「結跏趺坐」「半跏趺坐」「輪王坐」「跪坐」「安坐」も含めて「坐像」とする。『半跏像』の定義は、片足が垂下していれば、片方の足が他方の太腿のうえに乗らなくても「半跏像」とする。『倚像』は両足を垂下する形とする、という定義にしてしまえばいいのである。それ以上の細分化は、形体のすべてにわたって言葉が定義できるまで、別項目で記述すればいいことである。
私としては、後者の案を採用したいと思う。というのは、この問題はデータベースの入力上で、非常に重要な問題が含まれているのである。仏像の像容についての項目に入力するのに、共通した概念をもった表現が必要であり、あまりに細分化すると、その定義がむずかしく、例外措置が多くなるとさらに複雑化するからである。これが、データベースにおける表現の標準化なのであり、すべての入力項目にその標準化をしなければならないのである。これが、標準化の第一歩となるものである。
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コメント
ヘェー、最近はそんな言い方をしてるんですか。
シロートですが、先輩の「半跏像に統一」に賛成です。
いや、シロートだからこそ、研究も万人に違和感なく受け入れられるコトバを使ってほしいと思います。
「踏み下ろす」ならともかく、「踏み下げる」なんて日本語、おかしいですよ。
投稿: 夢さん | 2008年8月 8日 (金) 09時59分
私も同感です。日本語としておかしい語句は、使うべきではないと考えます。半跏像のほうがよほど美的です。素足を、ナマアシと言うがごとく、このような命名は唾棄すべきものです。ちょっと話が飛びますが、最近は子供にやたらと読みにくい名前を付ける親が多いですが、これも困ったものです。名称は覚えやすく、言いやすいのが一番。これ何と読むのですか?という名前は、避けられたら避けるがよろしい。
投稿: 南亭琴音祢 | 2008年8月 8日 (金) 13時32分
名前は自分で付たものでないので、これは、名付親の単なる趣味にすぎず、本人にとってはそれにこだわる必要はありません。単なる記号と思えばいいのです。夫婦別姓を主張する人は、これがわかっていません。自分で付けた雅号なり、ペンネームこそ守るべき名前なのです。戸籍名なんて単なる記号ですから、どうでもいいのです。みなさん、どうぞ別名をしっかりと責任を持って考えてください。でも「南亭読音」ではちょっと責任持てないか。
投稿: 南亭読音 | 2008年8月 9日 (土) 15時56分