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2008年9月

2008年9月28日 (日)

富士屋ホテル

昨日、今日と仕事で箱根に一泊してきました。毎年、今頃行う業界の慰安旅行なのですが、他のメンバーはゴルフ、私はその間、周辺の散策をするのを常としてきました。

Photo 今回は箱根なので、宮ノ下の富士屋ホテルを探険することにしました。というのは、この明治時代に建てられた建物の中にステンドグラスがあるという情報があったからです。しかし、ろくに調べもせずに行ったものですから、なかなか見つかりませんでした。館内は迷路にようになっていて、ぐるぐる歩きまわりましたが、いっこうに見つかりません。ちょうど、結婚式シーズンで、館内は、花嫁、その家族とごったがえしていました。

やっと、ステンドグラスがある部屋を見つけましたが、そこは、「カスケードルーム」といって、宴会場に使っている部屋でした。もちろん、披露宴の会場として使っていたので、見学はかなわず、見ることはできませんでした。

 

Photo_2 そのかわり、チャペルの入口にステンドグラスが嵌っていました。これは、現代の作家によるものと思われます。誰が造ったかはわかりません。ちなみに、カスケードルームのステンドグラスも建物が明治時代の建物なので、相当古いもののようですが、作家は不明です。

 

 

 

 

 

Photo_3Photo_4 館内を歩き回っていると、内部に嵌っているガラスに見たこともない模様のガラスを二種類発見しました、ひとつは女子便所の扉にも嵌っていた、青海波模様のガラス、もうひとつは、照明器具に使われていた、模様のガラスです。

これらの模様の型ガラスはもちろん、現在のメーカーが作っているものではありません。以前でもこんな模様のガラスは見たことがありません。おそらくは、舶来品なのでしょう。破損しやすい扉に今でも嵌っているというのは、実に丁寧な使い方をしている証拠です。また、この富士屋ホテルはそれなりの改修はしているのしょうが、いまだに、サッシを木製にしているのがうれしいですね。以前にも言いましたが、改修すると、メンテナンスの関係からサッシをアルミに変えてしまうのが、普通なのですが、そのところは、意匠を充分に考慮しているようにみえます。

2008年9月25日 (木)

服部コレクション展

Photo 早稲田大学會津八一記念博物館で、9月24日から10月16日まで、『服部コレクション 小金銅仏の世界』展が開かれています。服部和彦氏のコレクションを早稲田大学に平成17年に寄贈されたのを期に開催された展覧会です。

服部氏は奈良国立博物館にも仏教工芸を中心に60余点寄贈されており、去年6月に奈良博で、『古玩逍遥ー服部和彦氏寄贈仏教工芸展ー』が催されたのは、記憶に新しいことだと思います。今回、早稲田大学に寄贈されたのは、東洋古美術660点と群を抜いて多くの古美術品でした。とくに、金銅仏、鏡等金工品を中心とした仏教工芸関係がその中心のようです。

今回は、仏像のみ、102点に及ぶ展覧会です。その内訳は、中国は五胡十六国時代から清、近代におよび、朝鮮では、新羅から李氏朝鮮時代まで、さらにチベット、タイ、インドの仏像までおよんでいます。そのほとんどが高さ10㎝にも満たない小金銅仏です。

服部氏は昭和47年に『和玄洞古玩図録』という自身のコレクションの図録を出版していたのは知っていたのですが、その本は、仏教工芸品が主の図録だったように記憶していたので、こんなに仏像も蒐集していたとは知りませんでした。

一度、ご長男にお会いしたことがありましたが、その時は、まさか、父上が服部和彦氏だとは、知るよしもありませんでした。

今回は、そのご長男が卒業生ということで、寄贈が実現したのだそうです。會津八一博物館の所蔵品には、明器、鏡のコレクションは数多くありましたが、こういった、仏像などの蒐集品はほとんどなかったとおもいます。その意味で、格好の実物教材となるのは、喜ばしいことです。會津八一も、実物を教材とするべく、自腹をきって蒐集したものと、聞いています。学生の見る目をつけるために、同じような形のものを揃えた、と先生から聞いたことがあります。だから、會津先生の蒐集したものは、すべていいものばかりではない、と。

カタログ中の岡本文一氏の文章によると、父親の服部和彦氏は尊敬していた石田茂作氏から、「つまらないものを買うな」といわれていたのが、それだけは守れなくて、目の前に古美術品があると、とにかく手にいれてしまったそうです。

しかし、今回の小金銅仏をみてみると、結果的に、會津八一の蒐集に似てしまったような気がしました。これだけの幅広い時代の仏像が一同に見られるのですから、仏像の見る目がつくことは間違いありません。その意味では、早稲田大学の美術史学科は実にすばらしい教材の寄贈を受けたとおもいます。こんな、身近に実物があって研究できる環境は、他にはありません。実にうらやましいかぎりです。

あとは、こんないい環境ならば、きっとすばらしい研究成果が出てくることを大いに期待します。もう、言い訳は効きませんので、あとは、すばらしい発想力が勝負です。

追、展覧会には虫眼鏡を持参されることを、推奨します。なにせ、非常に小さいものですので。

2008年9月24日 (水)

横浜開港記念会館ステンドグラス

Photo

昨日、横浜開港記念会館で講演会と見学会に地元の風俗研究家 南亭琴音弥氏と参加してきました。この建物にあるステンドグラスが今修復中で、その修復の説明と実際修復現場の見学が目的でした。

最初の講演のステンドグラス研究家田辺千代氏の話は、支離滅裂で、氏の著書を読んでいない人は何を言っているのか理解できたかな、といったたぐいでした。

実際にこのステンドグラスを修復している平山健雄氏の話は、今現在までどのような作業をしてきたかをスライドをまじえて、詳細に話してくれました。このステンドグラスはおよそ2026ピ-スあること、よごれの原因は、ススとタバコのヤニが主だということです。

Photo_3 さて、修復はどのようにしているのかでは、まず、はずした板にトレーシングペーパーをのせ、トレースして、鉛線をすべて外して、型紙の上にのせます。

 

 

 

 

 

 

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そして、1枚1枚、超音波洗浄機(メガネ屋の店前にあるやつの大きい機械)で、よごれをとっていきます。今現在の作業がそれです。

中央の鳳凰のステンドグラスは、左右とは違ったやり方で、ガラスを外しています。つまり、鉛線を前後に切り離して、ガラスを外しているので、片面の鉛線がそのまま残る形にしてあります。

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この鳳凰のステンドグラスは右半分が洗浄済、左半分が洗浄前だそうです。色の鮮やかさが全然ちがいます。洗浄が終われば、新しい鉛線でつなぐ作業がはじまります。

 

 

 

Photo_9 このステンドグラスは、9㎜の丸い真鍮棒が縦に補強として付けられていました。しかし、平山氏によると、とてもこんな棒では、高さ3mもあるステンドグラスを支えられないといいます。そして、今回の補修では、もっと違ったやりかたで補強すると言っていました。

果たして、それがどのような方法なのかは、聞きそびれてしまいました。ちょっと気になるのは、このステンドグラスを中心にして、ガラスをサンドイッチにするというような発言がありました。ひょっとして、ステンドグラスの両面に透明ガラスではさむという方法をとるとしたら、それは、ちょっとまてよ。と言いたくなります。透明ガラスを通してステンドグラスをみると、その透明ガラスが反射して、非常に見づらくなるのです。ステンドグラス本来の色の鮮やかさが鑑賞できなくなる恐れがあるのです。私の杞憂に終わってほしいのですが、まさか、そんな方法はとらないでしょうね。それも、今年中には判明するはずです。

毎週、月・水・金の日は、作業を公開していますので、どういう方法をとっているのかが逐一わかるはずです。誰かその報告でもしていただけないでしょうか。

2008年9月21日 (日)

大極殿工事現場公開

Photo 平城宮で建築中の「第一次大極殿正殿復原整備特別公開」に行ってきました。朱雀門の復元について、このブログでいろいろと書いてきたので、大極殿についてもコメントしなければならない責任を感じて、急遽行ってきました。今回が建築中の公開が最後になります。あとは、もう完成した建物を見ることになります。

まずもっての第一印象は、とにかくデカイの一言です。建物の高さが約27m、間口44mといっても想像がつかないと思います。

まあ完成したときにびっくりするのがいいでしょう。

 

 

Photo_2 内部もほぼ完成していて、天井の模様なども描かれていました。工事の進捗状況としては、2階の高欄と、壁の左官工事がいくらか残っていて、小口の金物がまだというぐらいでした。

それにしても、よくこんな建物を創作したものです。建築を見る場合、設計家がどんな意図で図面を引いたかを、考えるものですが、同じように、文化庁および、奈文研はどういう創造をしたのか考えさせるいい例です。

 

 

 

Photo_3 例えば、大棟の真ん中にある宝珠、これは実にすごい意匠です。よく考えたものです。すごい創造です。

この建物は、現代の技術の粋を集めた、最先端の建物です。見た目の形こそ、古い様式を見せていますが、こんな最新技術を結集した建物はありません。日本の土壌にマッチした実にすばらしいハイテク建造物です。

 

 

 

 

Photo_4 今回は朱雀門では使われなかった、免震装置がふんだんに使われています。基壇の上にコンクリートの台を作り、その間に3種類の免震装置を設置しています。天然ゴム系積層ゴムは復元機構、壁型粘性体ダンパーは減衰機構、リニアスライダーはすべり機構とそれぞれ役割をもった装置を設置しています。さらに、朱雀門と同様に二重層には筋違を入れて補強しています。

この免震装置はもう基壇の中に入ってしまっているので、見ることはできませんが、基壇の上の免震装置の上に乗っている、コンクリート地盤が下の写真でよくわかります。

 

 

Photo_5

つまり、地震がおきたとき、基壇の上のコンクリートの地面が動くようになっているので、そのためのスリットを造っています。

このように、最新の技術力を駆使して造られた建物なのです。外観こそ古代の意匠に似せていますが、現代建築の最先端を行く建築物だと思います。

昔、古代の人はこんなすばらしい建物を造ったのだとロマンを感じるなあ、なんて思いは全然感じられませんでした。

 

 

 

それにしても、「せんとくん」は絵でもキモかったでしたが、ぬいぐるみになるともっとキモイ。Photo_6

2008年9月20日 (土)

龍峰寺千手観音

Photo今回の奈良博の展覧会に出品された龍峰寺の千手観音立像です。いわゆる「清水寺式千手観音」の一例ですが、この仏像はいろいろ問題のある仏像です。

まずカタログの解説から見ていくと、構造は頭体を榧の一材で彫刻され、背面から大きく内刳がされている。と説明しています。

しかし、膝部の衣文は平安時代も早い頃の様式を示しているのに、目には玉眼をいれており、顔部は平安時代以降の様式を見せています。玉眼は後で、面部を割矧ぐということも考えられますが、膝の衣文との時代的整合性がとれていません。

もちろん脇手は後補なのですが、どうも、腰下とその上とは時代が違うようにみえるのです。

しかし、鈴木氏の解説では、なんらかの古像の模刻という製作事情が考えられるとして、製作は鎌倉時代初期としています。

模刻という解説にちょっと引っかかる気がします。つまり鈴木氏は、膝下の衣文がどうしても古く見えてしまったために、模刻ということを引っ張り出したように見えるのです。

いくら模刻といっても、彫刻の方法はその時代性が現れるものです。何か胴体と足をとってつけたような気がするのです。

しかし、構造は頭体一材の一木造だというのです。よくわかりません。

それよりも、頭上の脇手がいつ付けられたのかが、わかるといいのですが、それはちょっとむずかしいのかもしれません。

清水寺式千手観音は北は中尊寺から南は九州まで、広範囲にわたって分布しています。しかし、善光寺式阿弥陀のように、持ち運べるほど小さいものではなく、善光寺信仰の普及によって全国に分布したというように、清水寺式千手観音がどういうことで、全国にその分布が見られるのかは、まだまだ解明しなければならないことが多すぎます。清水信仰によって普及したというのは、ありうることであっても、学問的に明確な証明ができなければ意味がありません。

カタログでは、この清水寺式千手観音の白描画像が「別尊雑記」に「唐本」として収められていると書いてありますが、別尊雑記を見ても見つかりません。ここからはじめないといけませんな。

2008年9月15日 (月)

奈良高野山旅行

一泊旅行をしてきました。旅程は以下の通りです。

  • 奈良博→長岳寺→内山永久寺跡→石上神宮
  • →天理教本部→天理参考館→アカダマ
  • 夜はライトアッププロムナード廻り
  • 翌日レンタカーをJR奈良駅で借り、高野山へ
  • およそ2時間で到着→霊宝館→壇上伽藍
  • →奧の院→栄山寺→宇智川磨崖碑
  • →唐古復元建物→奈良駅

Photo まず奈良博の「西国三十三所」展です。テーマとしては茫洋としたものになってしまいました。それそれの寺にはそれぞれの宝物があり、どう関連づけるかが問われるのですが、どうも総花的になってしまいます。

例えば、今回の展覧会で清水寺式千手観音を私が一番見たかったものですが、それは、「西国三十三所」とは関係があるのでしょうか。まあ、龍峰寺が博物館で見られたのは成果でしたが。また、不空羂索観音が集められたのはよかったですが。

 

 

 

Photo_2 長岳寺は今、ちょっと気になる仏像でしたので、久しぶりに訪れました。三輪ソーメンをお寺でいただきました。

石棺仏も見てきました。

ここからバスで、天理へ、途中に内山永久寺跡へ寄り道しました。看板と池があるだけで、あとは果樹が植えてある畑になって、寺院伽藍の想像ができないほどになってしまっています。すこしでも、その痕跡が見つかると思ったのですが、時代の変化はすさまじかったのでしょう。

 

 

 

Photo_3 天理教の本部へ、今回はじめて礼拝堂の中にはいりました。中央に「かんろだい」があり、四方から礼拝できるように礼拝堂が配置されています。ちょうど祭官がお供えものを下げているところでした。その後かんろだいに向かって4拍手1礼をしました。天理教の祭官の服装も初めてみました。ちょっと普段では見られない光景に接することができました。宗教儀式についての経験はなかなかむずかしいことなので、貴重な経験です。

それにしても、本部の建物の大きさに圧倒されますが、周囲をぐるっと取り囲むおやさと会館の建物には何かすごさを感じます。これが、実際に四方ぐるっと建物が完成したときの様子を想像すると、恐怖感さえおぼえます。

 

 

Photo_4

夜は、またライトアッププロムナードです、次の日が中秋の名月で、イベントをしたようです。一日タイミングをのがしました。

 

 

 

 

 

 

 

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道路がよくなったおかげで、奈良から2時間ほどで高野山に到着しました。霊宝館はさすがに、名品ぞろいでした。運慶の八大童子、快慶の四天王、西塔の大日如来など、勢揃いです。

はじめて、奧の院にいきました、お彼岸前なのに、すごい人出でした。しかも若いカップルが目立ちました。関西では奧の院は観光スポットなのでしょうか。それでも、ちゃんと手をあわせる若い人を見ると、日本は無宗教の国民だというのは、ウソだとわかります。

 

 

 

 

Photo_6栄山寺は2回目ですが、八角円堂と梵鐘はやはりすばらしいものです。絵画も残っていることじたいすごいことなのでしょう。

やっと探しまわって、宇智川磨崖碑を見つけました、渓谷のようになっている川に降りてみましたが、結局どこに彫ってあるのか確認できませんでした。もういちど調べてから挑戦です。

五條市の新町通りを歩きたかったのですが、今回は時間がなくおあづけです。

 

 

 

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帰り道に突然この建物が目にとまりました。唐古・鍵遺跡に復元された建物です。池の中にコンクリートの台をつくり、その上に復元されています。しかし、楼閣の書かれた土器の破片だけで、こんな建物を造ってしまうとは、ただあきれるばかりです。

本日の走行距離は176kmでした。

2008年9月12日 (金)

建築工芸叢誌

Photo 『建築工藝叢誌』という雑誌は明治45年2月に創刊され、大正3年1月までに24冊発行されました。そして第2期として大正3年2月から大正5年9月まで24冊発行されました。B4版よりちょっとのびた、およそ40頁前後の雑誌です。この雑誌は他に『建築工藝圖鑑』という写真集とセットになっていたようです。しかも会員制で頒布されていたようで、市販はされていなかったようです。発行元は「建築工藝協會」という名で、評議員には、伊東忠太、今泉雄作、新納忠之介、岡田信一郎、高村光雲、塚本靖、中川忠順、正木直彦、関野貞などの名が連なっています。内容は題名の通り、その時代の建築、工芸についての評論が主な内容となっていて、写真も豊富に掲載されています。

とくに建築については、有名人の新築住宅の紹介がときどき掲載されており、内部の写真平面図まで載っています。その住宅主の自慢を垣間見るようでした。

その中で、今回注目したのは、丁々生「ステインド硝子」(一)(二)という一文です。第三冊(明治45年5月)と第五冊(明治45年6月)に載っています。この文の挿図にステンドグラスの写真が白黒ですが掲載されています。第三冊には「京都村井吉兵衛邸浴室の窓」。

Photo_2Photo_3 第五冊には、佐々木氏邸の窓、岩崎俊彌氏邸の扉、福島行信氏邸の窓、神戸村野氏邸の窓、大倉喜八郎氏邸の扉、同窓、賀茂丸食堂の天井の写真が載っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

Photo_4 いずれも宇野澤組ステンドグラス製作所の製作です。

 

 

 

 

 

 

Photo_10 筆者によると、図案は佐々木邸が清水組、岩崎邸は辰野建築事務所、神戸村野邸は外国の意匠を摸したもの。福島邸は武田五一氏、賀茂丸は賀茂の競馬を意匠したもので、長崎の奥山という人の意匠だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

Photo_6Photo_7 宇野澤辰雄は明治44年に亡くなっていますので、いはばその追悼文のようになっています。また、第五冊には帰国したばかりの小川三知が「亞米利加に於けるグラスモザイック」という一文を載せています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Photo_8Photo_9 そして、その頁の左下には宇野澤組の広告が作業中の写真つきで載っています。この雑誌ではこの号だけが写真つきです。それ以後毎月の号に広告は載せていますが、上記右のように、単に文字だけの広告になっています。

それにしても、実際の配色はどんなだったのでしょう。白黒の写真だけでも、実に日本的で、華やかさがある図柄です。

2008年9月 9日 (火)

硝子補修工事

P1010542 久しぶりに現場に出ました。このところ、デスクワークと営業が多かったのですが、たまには、現場仕事をしないと、現業の様子がわからないものです。

ビルの硝子が割れるとどうしますか?このビルは8階建で正面各階に4枚連装で厚さ10mmのはめ殺し硝子が入っています。そのうち5階の2枚にヒビが入っていました。1枚の硝子の大きさは幅1500mm高さ2100mmです。硝子1枚の重量はおよそ80kgです。まずゴンドラの設置を前日にしました。そして、今日朝、6:30AMより作業開始です。というのは、1階が店舗のため、その開店前に終わらせなければならないからです。

 

 

P1010547 硝子を止めているシーリング材をまず切除します。外と内から吸盤で硝子を持ち上げて外します。ゴンドラはワイヤ2本で吊っているだけですので、踏ん張ると、建物から遠ざかります。したがって、ゴンドラにのっている人間は硝子を持つのではなく、押さえるだけにします。硝子を一旦外にだして、溝からはずしてから、内部に取り込みます。取付はその反対の作業をします。

 

 

 

 

P1010549 硝子が取り付けられたら、次はシーリングです。硝子とサッシの間をシリコンで充填します。それには、まず紙テープでマスキングしてから、ガンで充填して、その後、ヘラでなめらかにします。そして、マスキングをはがして終了です。

 

 

 

 

 

 

P1010551 以上で完成です。建築の補修工事は、新規工事とちがって、非常に手間のかかるものです。また、周囲との安全対策に神経をつかいます。仕事は見た目と違って非常にデリケートな作業が必要です。

これだけの手間をかけて硝子を補修するのですから、それ相当な費用がかかります。もし個人の住宅だったらどうでしょうか?硝子は割れ物です。と言っているのですが、建物を購入するとき、硝子がもし割れたときの費用まで、誰も想像をしないでしょう。最近の超高層マンションで、はめころし窓を大きくとった住居があります。私だったら絶対にその住居は買いません。もし夫婦喧嘩で物を投げたのがはずれて硝子に当たって割れたら、目も飛び出る補修費がかかりますので。

2008年9月 6日 (土)

上野大仏

Photo 『建築工藝叢誌』第2期第11冊(大正4年4月25日刊)に東京美術学校教授・帝室技芸員の肩書をもつ彫刻家の竹内久一著の「上野大佛改造の議」という一文がありました。なかなかおもしろい文章なので、要約をのべてみます。

上野公園は、地方の人も、外国人も首都に来れば必ず見物する名所である。しかも、第一回内国勧業博覧会の開催した所で、その上東京帝室博物館、東京美術学校等、美術といえば直ちに上野を連想する地でもある。

しかるに、“上野公園に入って見ると、先づ第一に人をして、甚だ非美術的なるに顰蹙せしめ、その奇怪なるに驚かしむる巨大なる物體がある。それは何かと云ふに、鐘撞堂の附近に高く聳ゆる大佛、否大怪佛である。此大怪佛は、徃昔越後村松の藩主堀家が建立したものださうで、随分大きなものではあるが、その姿勢も顔貌も拙の又拙なるもので、盧遮那佛の盧遮那佛たる威嚴は毛頭も無く、殊に其首のブザマな事は、何とも譬へやうがない。”

“明治になってからも、上野行幸の時には、御目障りにならぬようにと、此大怪佛を蓋ひ隠したこともある。”

この大怪佛を改造したいと言ったのは、狩野芳崖であった。明治十八九年頃、奈良から帰った芳崖が、橋本雅邦や竹内久一に相談をして、何とか作り直したいと所有者を調べた所、寛永寺でも、博物館でもなかった。そうこうしている内に狩野芳崖が故人になってしまって立ち消えになってしまったと書いている。

竹内久一はさらに、奈良や鎌倉の大仏よりも“一層立ち勝った名佛を作るつもりで”と意欲をみせている。さらに、三四萬圓程の金があればできると、しかも富豪に一時立替してもらってあとで、醵出金で返済すればむずかしことではない。とまで言っている。

Photo_2 この大仏を竹内久一はよっぽど気にいらなかったのでしょう。でも、改造する運動にはならなかったようです。そして、関東大震災で、首が落ち、残骸を寛永寺で一時保管していたのが、昭和15年に戦争で供出されてしまったのでした。この顔だけが、供出を免れて、大震災50周年の昭和47年に今のように再建されたのでした。

戦後、地元の観光連盟が再建に動いたこともあったようですが、立ち消えになってしまったようです。

しかし、この竹内久一の文章を読んでみると、はたして、もとのような“大怪仏”を復元していいものかどうかの検討も必要かもしれません。

2008年9月 4日 (木)

村野藤吾展

Photo_2

昨日の新聞の夕刊に『村野藤吾ー建築とインテリアー』展の広告がでていました。松下電工汐留ミュージアムで、8月2日から10月26日まで開催している展覧会です。松下電工汐留ミュージアムというのは、汐留の松下電工ビルの中にある、いはば企業博物館です。松下電工というと、電球など電気機器のメーカーと思われがちですが、住宅関連の売り上げが3割も占めている、住宅関連企業といったほうがいいのかもしれません。そんな具合で、インテリアをテーマとした展覧会はすこしも企業イメージとは違わないのです。建築の展覧会は、他の分野と較べて、実物を展示するわけにはいかないので、写真あるいは図面展示がどうしても多くなりがちです。しかし、インテリアにかぎれば、倚子など、インテリア機器は展示可能ですし、充分展示に耐えられます。それよりも、この展覧会では、村野が建物の内部の意匠をどのように作り出していったかのプロセスが見られたことがよかったと思います。デッサンから、模型をつくり、それを実際の図面に書き起こすまでの経過がうまく展示されていました。

Photo_3 企業博物館で、もう終わった展覧会ですが、『坂倉準三/前川國男/木造モダニズム展』が4月22日から6月3日までの間行われていました。場所は「GALLERY A4」(ギャラリーエークワッド)という所です。これは、東陽町にある竹中工務店の東京支店のビルの一角にあるギャラリーです。坂倉準三の「飯箸邸」と前川國男の自邸「前川邸」の二棟をとりあげて住宅におけるモダニズムとは、と問いかけている展覧会でした。竹中工務店はこのような木造の住宅は、業務としては専門外なはずですが、そこは、企業イメージとしては、やんわりととりあげているところが、企業としてニクイところですな。

 

 

Photo_4 もうひとつ、奈良の日吉館の並びで、最近できた「夢しるべ風しるべ」という飲食店施設のとなりに、奥村組の展示施設があります。これは、単なる企業PR施設ですが、その建物は免震装置がついていて、それが見られるようになっています。屋上にあがれば、東大寺南大門が見える、ロケーションになっていて、なかなかいいながめです。

もっとも、この免震装置は、いま大極殿の工事で使われている装置とは微妙にちがいます。もっとも、大極殿のほうは、竹中工務店が施行しているので、パテントの問題もあるのでしょう。基本的には同じものなので、見る価値はあります。

2008年9月 2日 (火)

板硝子製造法

Photo_2  板硝子の製造はいつから?というのはむずかしい問題ですが、中世ヨーロッパではクラウン法によってある程度の板硝子は作っていました。工業製品として普及したのは、手吹円筒法がベルギーで1830年に発明されてからです。1851年ロンドン万国博覧会のパビリオンとして水晶宮(クリスタスパレス)が作られたのは、この手吹円筒法によるものです。

 

 

 

 

Photo_3Photo_4 日本では、明治42年(1909)に初めて、旭硝子がこの手吹円筒法によって、板硝子が生産されました。その後、旭硝子は大正3年(1914)ラバース式機械吹円筒法を導入し、20世紀に入ると溶融した硝子を垂直ににローラーで引き上げる方式が開発され、大量生産が可能になりました。現在は、溶融した硝子を溶融したスズ金属の上をすべらせ、表面張力によって、板硝子を平滑にするフロート硝子の製造が主になっています。

 

 

 

 

 

Photo_5 最近の社史はページごとに、小見出をつけ、写真を豊富に挿入して、まるで、プレゼンテーションソフトによるスライドを見ているようです。以前の社史といえば、やたらとページ数が多く、グラフとか数値を載せて、会社のいかにもPRという体裁だったのですが、その点では、スマートになっているようです。

しかし、社史というのは曲者で、良いことしか書いていないのです。ちょっと会社で対外的にあるいは、世間から批判をあびたことは、まず書かれていません。逆にいうと、その不祥事のあった、時期にどういう表現をしているかを、読み解くのが、社史を読む醍醐味と言えます。

以前、ある創業者が50年にもわたって社長に君臨していた会社の社史を読んだことがあります。社史にはその社長の経歴がたったの1ページにしか書いていないのです。いはば、その会社の歴史の中で抹殺されていたのです。何があったのかは想像に難くはないとおもいます。

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