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2008年9月15日 (月)

奈良高野山旅行

一泊旅行をしてきました。旅程は以下の通りです。

  • 奈良博→長岳寺→内山永久寺跡→石上神宮
  • →天理教本部→天理参考館→アカダマ
  • 夜はライトアッププロムナード廻り
  • 翌日レンタカーをJR奈良駅で借り、高野山へ
  • およそ2時間で到着→霊宝館→壇上伽藍
  • →奧の院→栄山寺→宇智川磨崖碑
  • →唐古復元建物→奈良駅

Photo まず奈良博の「西国三十三所」展です。テーマとしては茫洋としたものになってしまいました。それそれの寺にはそれぞれの宝物があり、どう関連づけるかが問われるのですが、どうも総花的になってしまいます。

例えば、今回の展覧会で清水寺式千手観音を私が一番見たかったものですが、それは、「西国三十三所」とは関係があるのでしょうか。まあ、龍峰寺が博物館で見られたのは成果でしたが。また、不空羂索観音が集められたのはよかったですが。

 

 

 

Photo_2 長岳寺は今、ちょっと気になる仏像でしたので、久しぶりに訪れました。三輪ソーメンをお寺でいただきました。

石棺仏も見てきました。

ここからバスで、天理へ、途中に内山永久寺跡へ寄り道しました。看板と池があるだけで、あとは果樹が植えてある畑になって、寺院伽藍の想像ができないほどになってしまっています。すこしでも、その痕跡が見つかると思ったのですが、時代の変化はすさまじかったのでしょう。

 

 

 

Photo_3 天理教の本部へ、今回はじめて礼拝堂の中にはいりました。中央に「かんろだい」があり、四方から礼拝できるように礼拝堂が配置されています。ちょうど祭官がお供えものを下げているところでした。その後かんろだいに向かって4拍手1礼をしました。天理教の祭官の服装も初めてみました。ちょっと普段では見られない光景に接することができました。宗教儀式についての経験はなかなかむずかしいことなので、貴重な経験です。

それにしても、本部の建物の大きさに圧倒されますが、周囲をぐるっと取り囲むおやさと会館の建物には何かすごさを感じます。これが、実際に四方ぐるっと建物が完成したときの様子を想像すると、恐怖感さえおぼえます。

 

 

Photo_4

夜は、またライトアッププロムナードです、次の日が中秋の名月で、イベントをしたようです。一日タイミングをのがしました。

 

 

 

 

 

 

 

Photo_5

道路がよくなったおかげで、奈良から2時間ほどで高野山に到着しました。霊宝館はさすがに、名品ぞろいでした。運慶の八大童子、快慶の四天王、西塔の大日如来など、勢揃いです。

はじめて、奧の院にいきました、お彼岸前なのに、すごい人出でした。しかも若いカップルが目立ちました。関西では奧の院は観光スポットなのでしょうか。それでも、ちゃんと手をあわせる若い人を見ると、日本は無宗教の国民だというのは、ウソだとわかります。

 

 

 

 

Photo_6栄山寺は2回目ですが、八角円堂と梵鐘はやはりすばらしいものです。絵画も残っていることじたいすごいことなのでしょう。

やっと探しまわって、宇智川磨崖碑を見つけました、渓谷のようになっている川に降りてみましたが、結局どこに彫ってあるのか確認できませんでした。もういちど調べてから挑戦です。

五條市の新町通りを歩きたかったのですが、今回は時間がなくおあづけです。

 

 

 

Photo_7

帰り道に突然この建物が目にとまりました。唐古・鍵遺跡に復元された建物です。池の中にコンクリートの台をつくり、その上に復元されています。しかし、楼閣の書かれた土器の破片だけで、こんな建物を造ってしまうとは、ただあきれるばかりです。

本日の走行距離は176kmでした。

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コメント

  相変わらず精力的に廻られていらっしゃいますね。うらやましい限りです。(@Д@;栄山寺も良いお天気にめぐまれたようで、何よりでございます。高野山の壇上伽藍も奥の院も、ゆっくり見たいものです。仕事がらみですと、なかなか思い道理には行きませんので。これから季節も良くなるので、自分のペースで道成寺や粉河寺など、ゆっくり歩いてみたいところはたくさんあります。夢は枯野を巡っています。

最後の塔のような建物の写真、おかしいですね。
庇から出ている渦巻きを見て、先日亡くなった赤塚不二夫氏の天才バカボンを思い出してしまいましたよ。

そう、土器の破片だけでは、建物が重層か3層かもわかりません。まして、楼閣なのかもわかりません。下部に横木をつけていますが、まさか釘で止まっているのではないでしょうね。おまけにりっぱな床板が敷かれています。弥生時代はこんな、建築技術があったのでしょうか。前にも書きましたが、これを復元建物と言ってしまったことが、考古学者のまちがいなのです。これは立派な現代の創作建物なのです。
きっと、バカボンのファンだった学者が図面を書いたのでしょう。

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