« 長谷寺式十一面観音立像 | トップページ | 誠之堂、清風亭 »

2008年12月10日 (水)

泉沢石窟

高山奇人さん、木毎三尺さん、今日泉沢石窟に行かれたそうで、いかがでしたでしょうか。充分に見られたでしょうか。小生が見たのは、もう20数年前にもなります。その後、崩れはどんな具合になったのか心配しておりました。

Photo これがその時撮った薬師堂窟の写真です。ちょうど修理のための足場がかかっていて、近くまで寄ることができました。それでも、各尊像は顔はほとんどわからない状態で、わずかに判明するのは、岩面に線刻された光背でした。

堂内は真っ暗で、懐中電灯でやっと像の部分が判明するだけで、全体像がわかりませんでした。

写真は如来像の間にある観音菩薩立像とされる仏像です。

 

 

 

 

 

 

Photo_2 昭和43年の修理工事報告書によると、それに美術院の復元想像図がありますが、これもあくまでも想像の域をでないものです。

でもこんな具合だったのかはわかりましたでしょうか。

 

阿弥陀堂窟はもう全然、形もわからない状態になっていました。

 

 

 

Photo_3 観音堂窟はいかがでしたでしょうか。頭部から下は崩れてわからなくなっていますが、明らかに清水寺式千手観音坐像です。

 

 

 

 

 

 

Photo_5 その左右上部に仏像がいくつかあるのがみえます。しかも彩色がよく遺っているのがあります。

これは賢劫の千仏だといっているのですが、何を根拠にそう言っているのかわかりません。この点はもっと調べる必要があるように思います。

 

 

 

 

Photo_4この石窟についての史料はなく、その様式からおそらくは平安時代であろうということしかわかっていません。しかし、場所が東北の福島県ということと、清水寺式千手観音ということを考えると、坂上田村麻呂との関係は少なからずあったと想像することはできます。そういった伝承なり推測と、周辺の平安時代の状況がどこまで判明するかが、その造像背景の論証のためのこれからの課題となるのでしょう。

« 長谷寺式十一面観音立像 | トップページ | 誠之堂、清風亭 »

仏像」カテゴリの記事

コメント

仙台市立博物館の「平泉 みちのくの浄土」展のあと、仙台駅に戻り、三階にできた牛タン通りで(牛タン定食ータンが結構硬め、店によるかもしれませんが)を食し、二両の普通電車で1時間半揺られて小高駅に着きました。
まず最初に、吉名という所にある岩屋堂の横穴墓磨崖仏を見ようと思い、タクシーの運ちゃんにその旨告げたところ、場所が分からないという返事、親切にいろいろ問い合わせてくれましたが、要領を得ません。市の教育委員会の文化財係りに連絡してみましたが、
町の団地の民家の横を入ったあたりで、目だった標識はないので
その辺の人に聞いてくれという頼りない話。
近所に行くと、あたりの人が皆運転手さんの知り合いで、あそこだ
ここだと教えてくれましたが、一向に辿り着きません。
それらしい、民家の裏をかまわず山に向かって登っていくと、忽然と藪の中に掲示板があり、上下二段式の縦横1メートル半ほどの
横穴が十二三表れました。真ん中の縦3メートル横5メートルほど
の穴に三尊像が彫ってありました。
穴は石というより砂で大変柔らかく、像は頭は崩れ、ダイタイの輪郭しかありません。向かって左の菩薩立像の下半身に、衣文線や飾りめいたものが残っているにすぎません。ただ、像は皆肉厚で、なかなか迫力がありまます。
ここから、泉沢は1キロもありません。
まず、観音堂を見ました。
随分大きな像ですが、上の部分の手の形と、背後の如来像が左右各4体ぐらいしか分かりません。清水寺式の頭上の両手はハッキリわかりましたが、如来像の彩色は確認できませんでした。
薬師堂は、前が鞘堂というか、覆い堂が付いていて雨風から保護されています。管理者は居ないよでしたが、人が入ると照明が付くようになっています。像のすぐ前で、よく見えます。状態は良いとはいえませんが、この堂が一番マシです。如来像や菩薩像、それぞれ量感があり、迫力があって見ごたえがあります。製作時代は、
如来像の膝前の裳裾の出具合からして、平安末というところでしょうか。近所の阿弥陀堂のものは、まったくなんだかわかりません。
薬師堂に、たまたま町の文化財の係りの人がいて話をしましたが、皆さんに泉沢の石窟を宣伝して欲しいとのことでした。
観音堂の千手観音は巨像で、これを中心に周囲に同じ時代の石窟が点在する。これは非常に興味深いことです。
しかも清水寺式の巨像ですから、どう解釈していくのか考えさせられます。
交通の不便はところですが、行ってみた甲斐は充分にありました。

同じ市内の、鹿島区の塩崎という場所にも石窟があるようですが、
チョット遠いのでいけませんでした。こちらも状態が大変悪いようです。

訂正があります。
吉名の横穴墓磨崖仏から、泉沢の観音堂まで正確に言うと
直線にして1,5キロほどあります。車ですとすぐに着いてしまいましたが、地図で確認しましたらそのくらいあるようです。いつもいい加減で申し訳ございません。
なお、泉沢の、観音堂、薬師堂阿弥陀堂は国の史跡で、それなりの注目と保護がありますが、吉名の方は市(合併前は町)の史跡で、荒れるに任せている感じです。横穴墓も6、7Cの貴重な史跡なんですがね。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 長谷寺式十一面観音立像 | トップページ | 誠之堂、清風亭 »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ