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2009年1月16日 (金)

石貫穴観音千手観音立像について(調査編)

Photo 石貫穴観音横穴は、玉名駅から、車で15分ほどのところの山の中腹にある。
菊池川の支流の繁根木川のさらに支流の川沿いの道から、山の方を見上げると、民家の上方に壁のない建物があり、その後ろに横穴が見え隠れする。
何軒かの民家の間の路地を通ると、石段があり、そこを上がると礼堂のような建物があり、その奧には石垣でステージをつくっている。

 

 

 

 

Photo_2 そこの山肌に3基の横穴が掘ってあり、そのステージからはずれて、右側の山肌に2基と合計で5基の横穴が石貫穴観音横穴群である。

 

 

 

 

 

 

 

Photo_3 むかって右から数えての3、4,5窟は同じ石垣のレベルにあり、その中心のいわゆる4号窟の入口は、ちょっとしゃがんで入れる高さで、中は充分立っていられる高さになっている。
中に入ると左右に屍床があり、正面は床が一段高くなった屍床となっている。

 

 

 

 

 

Photo_4 正面の上には、庇がでており、その庇の上に5つの丸い円筒が突き出している。また、左右の屍床のうえにも、奧壁の庇より一段下に庇をもうけているが、円筒はない。

 

 

 

 

 

 

Photo_5 松本雅明氏の調査によると、寸法は奧壁は高さ1m26㎝、幅2m20㎝で、そのほぼ中央部分77㎝を矩形に彫りくぼめ、その中に舟形光背をつくりだし、その中央に仏像を浮彫りにしている。

 

 

 

 

 

 

Photo_6Photo_7 彫りの厚みは、光背の外側が2.5㎝、光背は中央がややへこみ、そこに仏身を彫る。仏身の彫りの深さは、頭部がもっとも深く7㎝、頂上手の内側が3㎝、腹部の側面が3.2㎝である。
仏像は二手を胸で合掌し、二手を頭上におき、円形状のものを捧げている。体躯の右側に四手、左側に三手が認められる。体躯からでる手は摩耗がはげしくそれ以上は判明しない。

 

 

 
Photo_8 左側には棒状のようなものがみとめられ、上部に丸いものがついていて、さらにその上に円形状の物が掘り出されている。足先は左右に広げているようにみえ、台座は厚い板状のものとなっている。
下腹部はかなり出て、その下に三角の彫りくぼみがある。光背頂部から板状台座まで1m6㎝である。

 

 

 

 

 

Photo_9 さらにこの仏像の斜め右前(以前は中央)に、石造(凝灰岩)丸彫の千手観音坐像(高さ1m13㎝)が置かれている。
十一面をもつ頭部はきわめて巨大で48.5㎝(頂上仏を加えて)、身部が63.5㎝、台座の厚みは13.5㎝。大臂は三対あって、二手は胸前で合掌し、二手は前にあげ(おそらく蓮華を持し)、二手は膝で入定印を結ぶ。
他の小手は段をなして舟形光背いちめんに陰刻している。膝は薄く、衣文や足を略し、蓮華座も三角形を二段にならべているにすぎない。胡粉をぬったあとがみえる。
以上松本氏の採寸及び調査報告をもとに述べてみた。現状は松本氏調査当時とほぼ変わっていないようである。

まずこの仏像の考察の前に、その問題点を列挙してみよう。
第一の問題、この横穴の造立年代である。その手がかりとなるものは、正面奧の円筒形つきの庇である。
これは、当然造立当時のものであるので、それがはたして、本瓦葺を表現しているのか否かということが問題となる。
本瓦葺だとするならば、仏教渡来以後の造立と考えられるからである。単に草葺屋根に丸太をのせた形式とすれば、もっと時代をあげてもいいということになる。
第二の問題、浮彫の千手観音立像の造立年代はいつか。また追刻なのか、当初の造立かという問題である。
これは、清水寺式の千手観音であるということとあわせて像の様式的検討が必要となる。
第三の問題、第二の問題を発展させると、清水寺式千手観音の伝播状況、この千手観音は清水寺と関係があるのかといった問題にまでひろがる可能性がある。
さらに、この地域にどのようにして清水寺式千手観音がもたらされたのかという問題に発展する。

以上できるだけ客観的にこの石仏の現状に就いて述べてみた。次回は今まで、この仏像について先学はどのように論じてきたかについて述べてみようと思う。

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コメント

随分遠くの不便な処まで行ったと思ったら、これは面白いモノをみてきましたね。
石仏は、解釈や判定に問題があるのが多く、それだけに興味深い
ところです。
写真から見た限りでは、廂の上の丸型は軒先の瓦の表現なのでしょう。他は考えずらいと思います。奥をご殿と見立てたのです。

仏像の浮き彫りが薄いことや、中央に向かってやや窪んでいるということですが、春秋氏のお取りになった写真から見て、石室と同時に掘られたと見ても不自然ではない感じがいたします。
天井にかかるぐらいの、大きな舟形の光背は、当初でなければ別の表現になるのではないでしょうか。
清水寺式の観音の上の掲げた両手の形が、この像は大変自然で、初発性というか、無理がございません。時代が下がると段々とってつけたような上げ方になるようです。

頭の丸い棒は錫杖でしょうか。

全体を最初から仏殿みたいなモノを現しているとすれば、自然な解釈でしょう。

時代とか、これ以上は見ていないのでなんとも言えません。

しかし、簡単には見に行けません。残念ですね。


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