« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月

2009年2月28日 (土)

新宿、六本木、虎ノ門

Photo ちょっと所用で、新宿にいきました。新宿三丁目方面を歩いていくと、そういえば、伊勢丹にステンドグラスがあるな、というのを思い出しました。たしか、7階にあるという記憶があったので、7階にいくとそこは、レスラン街でした。屋上にのぼる階段にいくと、その踊り場にステンドグラスはありました。トンボと花のデザインです。ガラスは型ガラスをつかっています、型模様はざっと見たところ、3~4種類使っているようで、さらに、色のはいった型ガラスをところどころ使っています。全体的に色を抑えた使い方をしています。デパートにしては、随分地味な模様にしたな、という印象です。

 

 

 

Photo_2 近づいてみると、あまり手入れがなされていないようで、一部には湾曲してしまっています。また、養生用に透明ガラスを内部に嵌めています。普通は外部に透明ガラスをいれるのですが、外部に出ることができないので、このようになったのでしょう。

ちょっとデパートにしては、心遣いが足りないかなとおもってしまいます。もっとも、屋上は庭になっていて、あまり客もこの階段を使わないようなので、目立たないところにあるせいなのでしょうか。

そこから、六本木の泉屋博古館分館へ、この場所は、住友不動産が開発した泉ガーデンの中にあり、それで、ここに分館を作ったのかと納得しました。そこから、大倉集古館はすぐなので、ついでに寄ってみました。普賢菩薩像や宋の木彫像を見て、ホテルオークラのすぐそばにある、『菊池寛美紀念 智美術館』へ。ここは焼物の展示で有名ですが、その敷地に旧千葉亀之助邸という西洋館があります。

Photo_3 ここは、毎週土曜日に予約をとって、内部の観覧が説明付でできるようになっていますが併設のレストランとセット料金になっているので、そこまでしてもとおもい、とりあえずは外観を見てからとおもって行ってみました。窓にはすべてステンドグラスがはまっていますが、大体は新しいもので、透明ガラスを鉛線でつないでいるだけでした。ただ鉛線の断面は “エ”ではなくて、“±”になっていました。

 

 

 

 

Photo_4 玄関欄間など数個所は古そうですが、それも、補修がはいっているようです。外観をザーとみようとしたら、そこははいってはいけませんと、叱られてしまいました。もっとも、美術館にもはいらず、勝手に建物をみていたのですから、それもしょうがないか。

 

明日で、このブログもちょうど一年になります。いままで、これをいれて144編書きました。“日録”と題をつけたからには、毎日とはいかないまでも、せめて1日おきに書こうと心に決めていましたが、なかなか思うどおりには、いきませんでした。日々にネタさがしに苦労する毎日です。いつも通勤にはメタボ対策のために1時間かけて歩いていますが、その道すがら、テーマを考えるのですが、その時はいいテーマと思っても、帰りには忘れてしまうか、調査が足らなくて、お蔵入りというのがおおくなりました。というのも、なかなかそれなりに根拠をもってと思うと、調べに時間が必要となってしまうからです。

それでも、よく一年間がんばってこれたな、と感慨しきりです。その代わり、データベースのほうがおろそかになってしまって、これまたご期待に答えられず申し訳ないことしきりです。アクセスもじわじわと増えていきました。定期的な読者も増えてきたようにおもいます。その目のみえない読者のためにも、さまざまな話題を提供していきたいとおもいますので、錯簡訂正、批判叱責、叱咤激励をよろしくお願いいたします。

2009年2月25日 (水)

焼りんご

Photo 先日、茶房武蔵野文庫に借りた物を返しがてら、寄ってみると、入口に“焼りんごはじめました”の張り紙が目にとまりました。

丁度お昼どきだったので、まずは、カレーを食し、なつかしい味を満喫したあと、久しぶりに焼リンゴを注文しました。直近で食したのは早稲田文庫のときだったのかは、記憶にありませんが、もう10数年は経っているとおもいます。

昔とかわらずの味でした。日下さんによると、焼リンゴ用の紅玉のリンゴは、今なかなか手にはいらないのだそうです。この焼リンゴももう季節が終わりに近づいてきました。今のうちにということもありました。

たしかに、今のリンゴは酸味があるものがありません。果物一般にいえることですが、昔と味が各段に変化しています。現代人の好みで、たべものはどんどん変化しています。“変化”といったのは、たべものの味に関するかぎり“進化”とはいえないのではないかとおもうからです。

どちらがいいかは、判断のゆれるところです。要は、一時いわれた多様化が進み選択肢がふえればいいのですが、最近は逆行しているようでなりません。

茶房にかかっている能の絵をみながら、徳本先生の話にひとしきりしたら、もういちど先生にいただいた茶房の絵のことが思い出され、帰宅してからとりだしてみました。

Photo_2Photo_3 普通の家の風呂場を椿湯とは徳本先生らしいしゃれです。

 

 

 

 

 

Photo_4 茶房で、今に気になっていることがあります。調べがついたら、ここに掲載しようとおもいますが、もうしばらく時間をください。なかなかおもしろい発見がありました。

2009年2月21日 (土)

『仏像名品新発見』

Photo しばらく、新刊本屋に行かなかったら、仏像の本がいくつか出ていました。

そのひとつがこの『仏像名品新発見』という本でした。故久野健氏が雑誌『古美術緑青』と『骨董緑青』に連載した50編をまとめたものです。

その所蔵者をあきらかにしていないところをみると、すべて個人蔵だろうとおもいます。此の手の仏像は、まず一般人の目にふれることはないので、こういったかたちにしろ、写真が掲載されているのは、実に貴重なものとなります。

以前、大倉集古館で『拈華微笑』という個人蔵の仏教美術品の展覧会をしたことがありましたが、個人蔵の仏像をみることができるのは、戦前の「推古会図録」とこの2冊ぐらいでしょうか。

個人蔵だけあって、大型の仏像はあまりありませんが、飛鳥時代の金銅仏はまだしも、平安時代の金銅仏がいくつか掲載されています。

仏像の種類も多岐にわたっており、おそらく久野健氏の見立てた仏像の中でよりすぐって掲載したのでしょうから、名品がそろっています。なかなか見応えがありますが、惜しむらくは、その由来が不明なことです。

こういった個人蔵の仏像は、いわゆる市場に一度のった作品ですので、その由来がわからなくなってしまいます。

仏像はもともと崇拝対称として作られたもので、書画骨董の分野にいれるべきものではないと思うのですが、骨董屋の店先に並んでしまうというのは、自由経済とはいえ、売買の対象となることにはちょっと違和感があります。

文化財としての仏像という観点からも、個人蔵は、その所蔵者の名をあきらかにしないまでも、すくなくとも、写真等、基礎的データは公開すべきでしょう。仏像が今、どの場所にあるのか(所蔵者が誰かというのが問題ではない)という戸籍として明確にすべきなのでしょう。

以前、ある奈良の有名寺院が購入した仏像を修理に出したところ、その内部に銘文があり、埼玉の無住の寺の仏像だったことがわかりました。つまり、盗品が堂々と売買されているのです。仏像のしっかりとした戸籍があれば、こんな売買は成立しなかったでしょう。

仏像の所在を公開すると、仏像泥棒がふえ、しかも盗品の仏像は売買されなくて、むしろ死蔵されてしまう、という説があります。しかし、この世の中、絶対に自分以外の人間に知られず所蔵することのほうが、いかにむずかしいかは明らかでしょう。人間の独占欲は、他人が評価してこそ、かなえられるものだからです。

2009年2月18日 (水)

築地界隈

得意先との縁がもうすぐ切れるので、築地通いももう終わりかな、とおもって、例によってちょっと早めに出かけ、築地散策としゃれこみました。これでも、得意先までの道のりは仕事に集中していますので、いつも通っている道に気になるところがあっても、今まではなかなか寄り道ができませんでした。

Photo 築地といえば、まずは本願寺です。はじめて中に入りました。伊東忠太設計の建物です。さまざまなところに装飾がほどこされています。しかも、伊東忠太が世界を見聞してきたものを凝縮している印象をもちました。

 

 

 

 

 

Photo_2 入口の三箇所の欄間にステンドグラスがはまっていました。仏教建築らしく蓮をモチーフにしています。

 

 

 

 

 

 

Photo_5Photo_6 勝鬨橋の袂に「かちどき 橋の資料館」があります。模型で橋桁があがるところをみせてくれます。

勝鬨橋は幼少のころ、父と車でこの橋を渡った直後に橋桁があがったことがありました。すぐに車を止めて、船が通りすぎるのを道路の真ん中から見た記憶があります。その当時は都電の線路があり、車の通行量もそれほどではなかったのかもしれません。

Photo_7 もうひとつ気になっていたのが、聖路加病院です。塔のある部分と礼拝堂はアントニン・レーモンドが設計にかかわっていた建物です。今は増築部分といっしょに外壁を統一しているので、どの部分かがよく見ないとわかりません。建物の背面にまわってみると、礼拝堂があります。窓にはすべてステンドグラスが嵌っています。外部から見ると、ステンドグラスの外側に硝子をいれていないので、建築当初のままのようです。これだけステンドグラスが嵌っていると、きっと内部から見るとすばらしいとおもいます。

 

 

 

Photo_8 築地本願寺と聖路加病院の礼拝堂は宗教建築のステンドグラスです。やはり宗教の教義にのっとったモチーフですので、見方もそのように見なければいけないのかなとおもいます。個人的には宗教色のないステンドグラスのほうが、建築的、絵画的、装飾的な関連を考察でき、さまざまな見方ができるのでおもしろさが倍増すると思うのですが。

2009年2月15日 (日)

ATOK

Justsuite JUST Suite 2009 を購入しました。ワープロは一太郎とWordを使っていますが、IMEだけはずっとATOKです。いままで蓄積した辞書がありますし、辞書を使い分けられるために、それぞれ辞書を使っていますので、なかなか替えられません。

ちなみに、辞書は標準辞書、名詞辞書、漢文辞書、旧漢字辞書、年号辞書、郵便番号辞書、アクセサリ辞書と7つの辞書を使い分けています。

データベースの入力には、名詞辞書を使います。名詞辞書という名付は必ずしも名詞のみではなく、漢字のみ入力できるように、送りかなのつかない品詞のみの辞書としたものです。つまり、独立語、単漢字、固有名詞などに限定しています。

いまでこそ、文語の入力ができるようになりましたが、そのために漢文辞書を作りました。

また、旧漢字のみの辞書を作って、旧漢字をあえて入力したいときに使用するようにしました。

年号辞書は、パソコン通信時代のNfty Serve のJUSTSYSYTEMフォーラムに、投稿したものです。その当時はたしかATOK12で作ったものでしたが、もうDownroadはできないとおもいます。

これは、辞書で年号の変換ができるようにしたものです。

たとえば、”けんちょう2”と入力すると”建長2年(1250)、あるいは1250年(建長2年)など数種類の表現で変換候補がでるというものです。こんなのは、メーカーがオマケに作ってもよさそうなのですが、いまだに作っていないようです。

IMEが替わると辞書の整理をしたくなります。効率よくヒットするには必要なのですが、これをやりだすとますます時間が取られてしまいますので、今回はやらないことにしました。

しかし、こんなに、工夫しているのに、今使っているデータベースのACCESSとはあまり相性がよくありません。IMEのオンオフがうまく機能しないのです。しかたないので、項目にうつるたびにIMEのオンオフをしなければなりません。実にキータッチの回数がふえて非効率です。なんとかならないのでしょうか。

Photo今作業中は、住所の変更作業です。寺社のデータは17000件ほど入っていますが、それを全部チェックするのではなく、とりあえず国宝、重文、都道府県文の所蔵者のみにしています。優先順位をきめてかからないと、効率が悪いので、すこし計画的にやるようにしています。いままでは、まだまだ時間はいくらでもあると思っていましたので、それでもよかったのですが、もうそうもいかない心境です。

 

 

 

 

Photo_2 ちなみに、モニターの上にあるのは、年号対照表です。年号を西暦に換算するのは、これで充分です。むしろ、これを画面にだすよりもずっと便利です。

 

 

 

 

 

 

 

Photo_3 これは、地域コード表です。都道府県だけではなく、世界各国のコードもついでに割り振っていますので、代表的な国のみ書いています。

2009年2月12日 (木)

人形町界隈

Photo 毎月1回浜町へ行く用事があります。今日は、その日で、少し時間に余裕を持って出かけました。いつもどおり、地下鉄人形町駅を降りて、まずは、大観音寺へ、毎月の御開帳は17日なので、鉄造の菩薩頭は拝観できませんでしたが、その日でも、建物の中は法要をしているので、遠くからしか拝せません。

 

 

 

 

 

Photo_2 そこから、水天宮方面へ歩いていくと、右側に快生軒という喫茶店があります。創業は大正8年というから、もう90年にもなります。一度入ったことがあります。

 

 

 

 

 

 

Photo_3甘酒横町から、明治座方面へ左に曲がります。甘酒横町に入ってすぐ左の道に目を向けると、外壁を赤く塗った木造の建物があります。ここが、人形町今半です。浅草今半から独立した店です。浅草の今半は昔一度行ったことがありますが、この人形町へは入ったことがありません。

写真を撮って、道を距てた建物の住所表示を見ると、なんと、私の本籍の住所でした。私の祖父の住所が本籍地になっていますので、昔祖父はここに住んでいたようです。今では、知り合いもいませんので、もうそのころの様子は知るよしもありません。この地はもう縁もゆかりもなくなってしまっているのですが、日本橋人形町の名を本籍に残したいので、そのままにしています。

甘酒横町を歩いていくと明治座の大きなビルにたどり着きます。さらに進むと、浜町公園に着きます。その先は隅田川です。

隅田川の川縁に着いて下流の方を見ると、見慣れない橋がありました。近づいてみると、新しく架け替えた新大橋でした。いまでは斜張橋になっていますが、その前は隅田川に架かる橋では一番古い鉄橋でした。

Photo_4Photo_5 もう隅田川に架かる橋の中で古い橋は永代橋と勝鬨橋ぐらいしかないようです。

昔の新大橋は重厚な造りでいかにも鉄橋という感じでした。

隅田川にかかる橋を昔は上流から憶えていたこと思い出します。それぞれに特徴にある橋で、とくに、言問橋から水上バスにのると、子供ごころに橋の名前と形を憶えるのが楽しみだったのに、今では、ちょっと味気なくなりました。

新大橋を渡って、隅田川の下流を行くと芭蕉記念館があります。このあたりも散策すると、いろいろ見るところがありそうです。これはまたの機会にということで。

2009年2月 9日 (月)

東京スタジアム

Photo 東京スタジアムといって、すぐ思いつく人は、相当な野球ファンか、下町生まれの団塊の世代以前の人です。荒川区南千住にあった、もと大毎オリオンズの本拠地の野球場でした。

 

 

 

 

 

Photo_2 荒川区にあった官営工場の千住製絨所の跡地に建てられた野球場でした。まわりには、民家が密集していて、そこに、突如、巨大な建造物が出現しました。下町にできた、大規模なイベント会場ということで、最初は下町で注目されていましたが、その当時野球はセントラルリーグが全盛で、野球といえば巨人だったので、パシフィックリーグの大毎では、いまひとつ盛りあがりにかけていました。そして、大毎のオーナー会社の大映の経営が悪化し、昭和47年荒川区に売却され、その10年の短い寿命が終わりました。

 

 

 

 

 

 

 

Photo_3 いまは、荒川区スポーツセンターとグラウンドになっていて、その面影もありません。明治の官営工場だった千住製絨所の赤煉瓦の塀が100mほど残っています。そこは、野球場の隣のラシャ工場の塀になっていましたが、今、野球場の周辺の広い敷地に超高層マンションの建設が始まっています。3棟ほど建つようです。それが完成すると、さらに野球場の痕跡も残らなくなってしまうでしょう。

 

 

 

 

Photo_4 そういえば、先日友人を自宅に泊めて、朝、出勤の途中に近所を案内していると、路地を見て、めづらしそうにしているのです。下町では、ごく普通の風景なのに、他所からきた人にはなつかしくめづらしく思うのでしょうか。でも、こんな自動車のはいれないような路地で、家の前に植木をおいている風景はこの近所ではごくありふれているのです。住人にはこれが以外といつも見慣れた風景なので気がつかないもののようです。これを“燈台元暗し”というのかな。

2009年2月 7日 (土)

三井寺展

Photo 今日が初日の『三井寺展』を見に東京ミッドタウンのサントリー美術館へ行ってきました。中はそれほど混んでいなくて、ゆったりと見ることができました。彫刻もガラスケースに入ってはいましたが、間近に、しかも背面にまわって見ることができました。

今回、久しぶりに見たかったのが、新羅明神坐像です。30年ほど前の展覧会で見て以来です。最初見たときの衝撃は忘れられませんでした。それほど強烈な印象をもっていたのは、あのタレ目の表現でした。神像とはいえ、人間に近い表現をするのが普通なのに、なんと強烈な個性を表現しているのだろう。という印象を持ち続けていましたが、今回見てみると、その顔は深く彫り込まれ、また、髯、皺の表現は実に繊細で、その彫技のすばらしさに感動しました。昔の記憶に残っていた印象から、目を彫っていないために、彩色で目を描いているのでは、と予想していたのですが、まったく違って、丁寧に彫刻されていました。

しかし、こんな異形ともおもえる表現はいったいどこからきたのでしょう。画像の新羅明神とも似ても似つきません。また、手が異常に細く繊細な表現をしているのも、何か異様さをさらに演出しているようでした。

この展覧会では、その他にも多数、仏像が出品されていました。園城寺は宝物館のような常時展示する施設がないので、このような展覧会の時にしか見られません。

また、園城寺には光浄院と勧学院の客殿があります。国宝の書院造の建物です。いつも園城寺に行くと、塀ごしに覗くのですが、よく見えません。実にいい建物なのですが。

Photo_2 東京ミッドタウンのショッピングモールのガレリアは、いわゆる最新の名所なのでしょうが、このような空間は、池袋のサンシャインアルパが最初だったような記憶があります。建物の中心に吹き抜けの空間があって、そのまわりに店舗を配置するといった構成なのですが、どうもこの中で散策して、ウインドショッピングする気になれません。というよりも、歩いていて疲れるのです。その配置がいかにも整然と、清潔にというと、気がゆるむ空間がないのです。ガラス越しに外をみると、たしかに管理された公園の緑がみえますが、その先には巨大なビルが風景となっているのです。

ただただ、管理された空間を、管理されて見ているだけという息苦しさを感じるのです。これが、モダニズムというものなのでしょうか。

 

 

 

Photo_4 ずいぶんと話がソレてしまいましたが、ソレついでに、ガラスは透明なものという先入観がありますが、実は反射するものなのです。いわゆる熱線反射ガラスでなくても、透明ガラスは、このように周囲の風景を反射させます。ガラスは内部と外部の境をなくす素材として最適だといいますが、厳然として隔てはあるのです。このことを、建築家はよくわかってほしいのですが。

2009年2月 4日 (水)

所在コード

Photo

市町村合併も、もうそろそろ落ち着いてきました。これから、新たに合併する市町村は極端に少なくなるでしょう。それで、寺社の住所録の修正作業をやっと出来るようになりました。データベースの中で、寺院神社等、彫刻作品の所有者のデータベースとして、『寺社テーブル』を作って入力してきましたが、市町村合併で住所を変更しなければならないのです。

いままでは、住所は「所在コード」として、5桁の数字で表してきました。すなわち、最初の2桁は都道府県コードそして、その次の3桁は市町村コードです。このコードは毎年JISで改訂され、新しく市が誕生したとき等は、新たにコードを割り振るのです。これによって、市町村単位での並べ替えができました。

ところが、市町村合併がこれだけ大規模に行われると、新設された市の名を覚えるのに一苦労します。さらに、入力のもとになる文献は当然、合併前の住所で書かれていますので、それを合併後の住所に翻訳しなければならないのです。すると、この新設の市はどの市町村と合併したのかがわからないと翻訳作業ができません。

それで、コード表にもうひとつ新しくコード表をつくることにしました。それは、7桁の数字とし、最初は都道府県コード、つぎの3桁は合併あるいは新設した市町村コード、最後の2桁は合併前の市町村を古い順から、01、02と順番に番号をつけたもの としました。

1522200 新潟県上越市【新設】
1522201 新潟県上越市(旧東頸城郡安塚町)
1522202 新潟県上越市(旧東頸城郡浦川原村)
1522203 新潟県上越市(旧東頸城郡大島村)
1522204 新潟県上越市(旧東頸城郡牧村)
1522205 新潟県上越市(旧中頸城郡柿崎町)
1522206 新潟県上越市(旧中頸城郡大潟町)
1522207 新潟県上越市(旧中頸城郡頸城村)
1522208 新潟県上越市(旧中頸城郡吉川町)
1522209 新潟県上越市(旧中頸城郡中郷村)
1522210 新潟県上越市(旧中頸城郡板倉町)
1522211 新潟県上越市(旧中頸城郡清里村)
1522212 新潟県上越市(旧中頸城郡三和村)
1522213 新潟県上越市(旧西頸城郡名立町)

2900100 奈良県
2920100 奈良県奈良市
2920101 奈良県奈良市(旧添上郡月ヶ瀬村)
2920102 奈良県奈良市(旧山辺郡都祁村)
2920110 奈良県奈良市<東大寺>
2920120 奈良県奈良市<興福寺>
2920130 奈良県奈良市<元興寺>
2920140 奈良県奈良市<薬師寺>
2920150 奈良県奈良市<唐招提寺>
2920160 奈良県奈良市<西大寺>
2920161 奈良県奈良市<新薬師寺>
2920162 奈良県奈良市<正倉院>
2920163 奈良県奈良市<秋篠寺>
2920164 奈良県奈良市<白毫寺>
2920165 奈良県奈良市<不退寺>
2920166 奈良県奈良市<法華寺>
2920167 奈良県奈良市<般若寺>
2920168 奈良県奈良市<海龍王寺>
2920169 奈良県奈良市<円成寺>
2920170 奈良県奈良市<大安寺>
2920171 奈良県奈良市<奈良国立博物館>

有名な寺院は末尾2桁の番号を10番台から適宜つけておくと、並べ替えのとき、おおよそのグループ別ができるようになります。

この「所在コード」による並べ替えはあくまでも、市町村単位でグループ別にするにすぎません。それ以上の並べ替えはできないのです。しかし、奈良市の場合のように、寺院のコードをつけておくと、作品でも、文献でも、ある程度グループ別ができるので、あとで、手作業で修正するにしても、やりやすくなります。

コンピューターですべて完ぺきに作業をしようとすると、大変な労力と時間を必要とします。しかし、こんな程度の並べ替えでよしとすれば、多少見にくいのを我慢すれば、それはそれで便利なものなのです。

コンピューターとの付き合い方では、こんなアバウトさが一番ストレスがかからないとおもいます。

(注)写真は新橋駅の地下階段の壁にあるステンドグラス

2009年2月 1日 (日)

伊豆東海岸の車窓

ちょっとした所用で、伊豆下田まで日帰り旅行をしてきました。といっても、片道およそ3時間で、往復およそ6時間電車に乗ってきたようなもでしたが。

昨日とは打って変わって快晴で、車窓はその日差しがまぶしく海がキラキラとかがやいていました。ちょうど、往復とも海側の窓側に座席をとっていたので、ずーっと海を見ながら時間をすごしました。

Photo 久しぶりの伊豆はその島々がこんなにも近くにあるのかと思うほどでした。風はまだ冷たくて春のきざしが見えるまでにはなっていませんが。窓からみる伊豆の風景はもうすぐ春がくるような雰囲気でした。

 

 

 

 

 

Photo_2Photo_3

Photo_4 ちょうど、河津川を渡るとき、その川岸の桜並木をみましたが、開花はまだまだのようでした。地元の人によると、その桜が満開のときは、伊東市の人口よりも多くの観光客が訪れるのだそうです。そんな時期ももうすぐのようです。

ただぼんやりと、車窓をみているよりも、その場で歩き回ったほうが季節が味わえるのでしょうが、今回はそうもいかず、下田の町の散策もできず、不満の残る旅行でした。

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ