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2009年3月13日 (金)

秋山光和先生

 大学院の2年目、夏休みにはいった頃でしょうか、同期の秋山光文君から電話があり、平等院に調査があるので、京都にいっしょにいってくれないか、宿代はだすので、その後、彫刻の調査もあるので。という話でした。秋山君はそれ以上くわしいことは言わないので、どういう調査なのか、私は何をしたらいいのかもわからず、また平等院の後、どこへ行くのかさえわからず、「じゃあ行きます。」と二つ返事をしました。前日、彼の家に泊まり、朝早く、彼の車で出かけました。途中、当時東大の助手だった、田口氏をひろって、東名に乗りました。まず行ったところは、湖東の西明寺でした。三重塔の内部の壁画を見せていただきました。夕方、平等院近くの旅館に到着。Photo 翌日から、平等院の境内の観音堂に行きました。調査は観音堂の中で行われていました。中には鳳凰堂の扉があちこちの立てかけてありました。光和先生は、その中で、いろいろと段取りなどをしていました。立てかけた扉に顕微鏡を取り付けて、のぞいているオバサンがいました。ジーパンに大工がしている道具袋をさげ、顕微鏡をのぞきながら、秋山先生になにか、気がついたことを話しかけていました。光文君にあの人は誰?と聞くと、柳沢孝さんだよ、というのです。「柳沢孝」という名は論文でよく見かけましたが、女性だとは知りませんでした。「たかし」ではなく「たか」というんだよ。と光文君に教えていただきました。観音堂の外の、池のほとりに、中年の男性が、池の鯉にエサをやっていました。どうも、この調査の関係者らしかったので、光文君に聞くと、「高田修さんだよ。」と言うのです。高田修先生は、観音堂の中で、調査らしきことをするのでもなく、池の鯉にエサをやっていたという記憶しかありません。柳沢孝オバサンは、休憩時間になると、「加藤さん一服しましょうか」と私を誘って、境内で唯一灰皿のあるベンチに行って、いっしょにタバコをくゆらせていました。光和先生はというと、タバコも酒もやらない人で、昼食の後、宇治金時をたのんで食べていました。先生曰く、「宇治に来たらかならず宇治金時をもうこれが最後だと思って食べるのです。」と言うのです。私は学者とはそんな発想をするのかと、感嘆することしきりでした。
Photo_3  調査の手伝いといっても、これといった仕事があるわけではなく、先生がときおり指示されることをするだけなので、観音堂の中に置いてある、扉絵、鳳凰(本物)、観音堂本尊の十一面観音立像を眺めていました。光文君とX線撮影も経験させてもらいました。携帯用のX線発生装置を、扉の前に設置して、撮影個所の扉の裏に袋に入ったままの印画紙を固定して、電源をいれるのです。光文君は使い方を知っているのか適当に、このくらいの距離なら、30秒くらいか、といってタイマーをかけるのです。こんなんで、撮影できるのかと思いましたが、後で発行された、『平等院大観』には、その写真があるようです。これも、あとで、光文君に聞いた話ですが、X線は金属には反射するのだそうです。つまり、機械のうしろにいたからといって、X線をあびないとは限らないということなのです。安全対策もしないでよくやっていたとおもいます。今では考えられないことです。

 

 

 

 
Photo_2  2~3日して、水野敬三郎先生がやってきました。水野先生は、観音堂の十一面観音立像を調査しにきたのです。自らライテイングをしながら、写真を撮っていきました。つぎの日だったか、今度は西川新次先生がやってきました。観音堂の中においてある鳳凰をしきりに見つめていました。そばによっていっしょに見ていると、メジャーはありますか?と聞くのです。先生にメジャーをわたすと、鳳凰のおしりにあいている穴からメジャーを差し込んだのです。すると、メジャーの先があたり、何か土のようなものが穴から落ちてきました。あれ!といった感じだったでしょうか。これも私は、学者とはこんなこともするのか、とまたまた感心することしきりでした。その日は、日が落ちるまで、平等院にいました。夜暗くなったところで鳳凰堂の内部にライトをいれて、阿弥陀如来坐像を観察しました。西川先生は細部にライトをあてて細かく観察していました。私と光文君はこれは、正面から写真を撮る絶好のチャンスだということで、三脚を持って、鳳凰堂正面の池の前で写真を撮りました。
つぎの日、西川先生を車に乗せて、観心寺へ向かいました。『日本彫刻史基礎資料集成』の仕事で、観心寺の宝物館の仏像の調査のためでした。その日まで私は観心寺の調査のことは全然知りませんでした。
 あとで、考えてみると、光和先生は、息子の光文君に仕事を見せたいと思ったのと同時に、調査機材運びをさせるために呼び寄せたようです。ただ東京から京都まで、ひとりで車を走らせるには心配で、誰か、興味がありそうで、同行しそうな人間をさがして、私に白羽の矢が立ったのではと思います。そうであっても、私にしてみれば、一生に一度あるかないかの経験です。こんな経験をさせてもらった光和先生には感謝することしきりです。しかも、調査とはどういうことをするのか、実際に経験できたことは、大収穫です。平等院だけではなく、観心寺の調査は、水野・西川両先生の彫刻の調査の方法もじかに経験させてもらいました。
 それにしても、何の準備もなくこんな経験をさせるなんて。
 昨日、秋山光和先生の通夜に行ってきました。こんな経験をさせていただいたお礼をいいたくて、その日以来お会いしていないのですが、参列させていただきました。

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