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2009年4月18日 (土)

目のない仏像二例

Photo 先日、東京芸術大学文化財保存修復彫刻研究室の受託研究成果報告内覧会に出ていた、長禅寺の十一面観音立像2体を、現地の取手市に行って見てきました。ちょうど、4月18日が年一回の御開帳の日にあたり、三世堂の中で拝観してきました。三世堂は、いわゆるさざえ堂形式になっていて、1階から3階まで交差せずに参拝できるようになっている堂です。

 

 

 

 

 

Photo_7Photo_8 本尊の十一面観音立像は鎌倉時代の漆箔の像で、その前に右肩を欠失し、左手も肘から欠失して、かなり破損の進んだ平安時代の十一面観音立像があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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その前立の十一面観音立像を芸大の内覧会では、顔を近づけてみることができましたが、どうみても、目が彫ってありませんでした。芸大の修理報告がパネルで展示してありましたが、品質構造の項目では、「彫眼」になっています。しかし、写真で下から見上げて撮ると、眼球のふくらみの下部に線刻があるように写りますが、実際、現物では彫ってありませんでした。

 

 

 

 

Photo_10 Photo_9 さて、先日長野旅行で、一カ所まだ、書いていない仏像がありました。大法寺の十一面観音立像です。この仏像も目を彫っていない仏像なのです。それを確かめに実物を見に行ったというわけです。大法寺には同時代の作品とおもわれる普賢菩薩立像も作風が共通しており、やはり目がない仏像でした。本尊の十一面観音立像は下から見上げることしかできませんでしたが、やはり見上げると眼球のふくらみの下に線が見えてしまいますが、普賢菩薩像のように、おなじ目線でみると、眼球のふくらみの下には彫った形跡がありませんでした。

大法寺の十一面観音像は、さらに、口をわずかにあけているのです。口の中に歯を彫っていますか?と住職に聞いたら、それはないとのことでした。住職の説明では、この本尊は目を閉じていらっしゃいます。と言っていました。しかし、最後に私ははこの仏様は、目を彫っていないのでは? というと、たしかにそうかもしれません。と言うのです。

人の思い込みというのは、実におそろしいものだと思います。眼球のふくらみだけで、目を彫っていなくても、それが、目を閉じている表現だとおもえば、そう見えるのです。それは、客観的に見て、果たして目を閉じている表現なのでしょうか。ちゃんと説明できるのでしょうか。

もっといえば、長禅寺の十一面観音像の修理報告ではこれを彫眼と記述しています。もし後世に、目を彫ってしまったら、これこそ彫眼として通用してしまいます。当初に目が彫っていなかったという証拠さえもなくなってしまいます。

修理では、これが一番恐ろしいことなのです。写真を撮ってあるからそんなことはないといえるでしょうか。写真ほど、撮る角度によって、瞼の線が見えたりみえなかったりするのです。理解できることも、できないことも、詳細かつ正確にありのままに記述することが、調査報告の基本であるはすです。

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