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2009年4月22日 (水)

大法寺十一面観音・普賢菩薩像

Photo 大法寺十一面観音立像・普賢菩薩立像について、今までの解説ではどのような表現をしていたのか、ここで少しまとめてみたいとおもいます。

まず、『長野県文化財図録 美術工芸編』昭和30年2月刊 この解説は倉田文作氏によって書かれています。

木造十一面観音及び脇侍普賢菩薩立像(観音堂安置)

形状 一、十一面観音

 立像。頭頂に諸化仏、天冠台彫出、彫眼。左手屈臂して宝瓶を執り、右手垂下、五指を伸し施無畏の印をあらわす。(以下略)

二、普賢菩薩

 立像、高髻、天冠台彫出、彫眼。(以下略)

解説 更級郡観音寺の十一面観音像についで、藤原中期の作風を伝えるもの、十一面、普賢の二像とも製作の年代は同じであろう。[以下、彫法がおだやかであること、一木造の技法等一般的な解説に終始する。(編者注)]

『長野県史 美術建築資料編(一)美術工芸』平成4年3月刊 解説は松島健氏。

7 木造十一面観音及脇侍普賢菩薩立像(観音堂安置)

(前略)造像当初から別材を用いた部分を後補するほかは、本体木部は健全といえるが、髻は天衣・条帛・裳の縁を刻出するのみであり、かなり簡略化された造形になる。しかし、天冠台の列弁・臂釧などの装身具の彫りは入念で、面相部も鑿痕を残さず平滑に仕上げている。髪の黒塗、唇の朱彩のほか彩色および下地塗の痕跡はなく、形をきめるいわゆるアタリの鑿痕の中にも顔料は認められず、本来素地仕上げの像として造られたものであろう。 上瞼のふくらみと下瞼の刻線のみで表わされた両眼のつくりは異色であり、本像のきわだった特色の一つといえるが、平安時代一〇世紀ごろの一木彫成像にままみることができる。造像当初には瞳や眼の輪郭を墨描し、白眼に白色顔料を賦彩したのであろうが、金銅仏の鋳成後の鑿彫を施す前の眼の形にも似ており、あるいはそこに仏像にふさわしい俯瞰と慈悲相を見出したがゆえに、開眼の鑿を加えないままに仕上げたもののようにも思われる。(以下略)

[編者注:造像当初に瞳や眼の輪郭を墨描したならば、その痕跡は残っているはずである。墨は一度描くとそう簡単には消えないものである。開眼供養をしていないと認めているということは、眼を完成させていないということになるが。]

『定本信州の仏像』平成20年8月刊 解説は小倉絵里子氏。

Photo_2 46 十一面観音菩薩立像・普賢菩薩立像

(前略)等身の十一面観音像と、その脇侍とされ、普賢菩薩と称される約三尺の菩薩立像は、ともにカツラの一木造り、素地仕上げの像である。もともと一具のものではないだろうが、構造、作風ともによく似ていることから、同時期に制作されたものとみて間違いないだろう。十一面観音は、天冠台の列弁や臂釧などを入念に仕上げているにも関わらず、頭上面に隠れた髻は荒彫りするだけにとどまり、背面も衣の縁を表すのみの、かなり簡略化した表現をみせる。また両眼を上瞼のふくらみと下瞼の刻線のみであらわしているが、これは十世紀の作例にまま見られる特徴で、本像の最も注目すべき特色といえよう。(後略)

[編者注:松島健氏も小倉絵里子氏もこのような眼の表現は10世紀の作例にままみられるというならば、これは単なる時代的な傾向だったのか。最も注目すべき特徴というのならば、眼を完成させていないということが注目すべきなのか、明確に指摘されていない。]

三者の解説を読んでみると、いかにも苦しい解説をしていることが、行間からにじみでています。倉田氏はあきらかに、この問題から逃げていますし、松島・小倉両氏は眼を完成させていないということを明確に示せないために、あいまいな表現しかできないでいるのがわかります。

この問題はむしろ、どのように解釈するかは、まだ先の話にしておいて、現状の形をもっと客観的に表現をしたほうがいいような気がします。無理矢理解釈しようにも、まだその材料がそろっていません。ただ、しっかりとした、現状の記述はしておくべきでしょう。

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