« 下町七夕まつり | トップページ | 大仏開眼日 »

2009年7月12日 (日)

開眼供養

Photo_3 “無眼”の仏像のことを書いてから、どうも気になることがありました。それは、眼のない仏像は開眼供養をしたのだろうか、ということでした。つまり、開眼供養をして仏心を仏像に注入しなければ、仏像はただの木片にしかすぎない、というなんとない先入観があるからでした。

それは、はたして本当なのだろうか、というのが疑問でした。それで、まず東大寺大仏の開眼供養について調べることとしました。

それを調べようとすると、いろいろ史料をさがさなければなりません。そんなこんなで、これがブログの更新が遅れた言い訳です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Photo 東大寺大仏は天平勝宝4年(752)4月9日、貞観3年(861)3月14日、文治元年(1185)8月28日、元禄5年(1692)3月8日~4月8日 の4回の開眼供養をしています。

そのうち最初の開眼供養は文献ではあまり、くわしく載っていませんが、文治元年の開眼供養は『東大寺續要録』などにくわしく書かれています。

それには、後白河法皇が大仏殿の麻柱を登り、自ら筆をとって開眼したことが書かれています。また、その後、前もって登っていた3人の近臣が、開眼の後、仏面の前に貼ってあった板をはがすことをしています。文治の開眼供養の時は大仏殿はまだ仮屋だったようで、どうも足場を組んで、大仏の顔の前まで登れるようにしたようです。

この時、法皇が点晴をするのは、単なる儀式のようで、その後、隠していた覆いをとることによって、完成された眼をみせるという演出のようです。

ちなみに、正倉院には「天平宝物筆」と「天平宝物墨」があり、筆には「文治元年八月廿八日 開眼法要法皇用之 天平筆」と書かれています。筆の長さは65.2㎝ あります。天平勝宝と文治の開眼供養に使われた筆のようです。実際の開眼供養では、12本の綱をこの筆につけ参集した人にその綱をつかませたと書いてありますが、これは、本当かな? 実際には、そんな筆を持てるわけがありません。

この開眼供養はいわゆる儀式として確立したものではなかったようです。谷信一「佛像造顯作法考」『美術研究』54・55・56 によると、堂に安置されてから開眼供養をするとはかぎらなかったようですが、東大寺の文治の開眼供養の場合は実際に開光点眼の儀式をしたようです。

天下の東大寺が奈良時代に行った開眼供養はたしかに、仏教儀式としてはその後普及していったであろうと、想像できますが、それでは、仏像が完成したときは、すべてそのようなことをしたのだろうかというのは、さらに儀式として確立したものかどうかということを含めてもう少し史料がほしいところです。また、開眼供養にはより精神的要素があるので、仏像の内容的成身の成立を意味し、それによって仏像としてのあらゆる意味での完成とみなすことができる。(谷信一論文)としています。それからいくと、開眼供養とは単なる儀式で、実際に点晴をしなくてもいいということになります。その辺の判断は現時点ではむずかしいところです。

ひとつの考えとしては、“無眼”の仏像であっても、開眼供養の儀式をしていれば、仏体として完成されたものとしてもいいということにもなります。

Photo_2

ところで、天平勝宝4年の大仏の開眼供養は何で4月9日に行ったのでしょうか?これは、大学時代、吉村怜先生の授業でいわれたことでした。先生曰く、こういう疑問をもってしらべることが学問の一歩なのだ、という話でした。

その当時、こんな些細なことが学問なのかよー、とつっぱっていましたが、まあ、それもひとつかな、と今は思ったりして。

正解はわかりますか?

« 下町七夕まつり | トップページ | 大仏開眼日 »

仏像」カテゴリの記事

コメント

無眼の仏像について、最近チョット気になる事がありました。

図書館に行って、「国華」のバックナンバーをめくっておりましたところ、
1338号に、(木造鬼神像ー北野天満宮)という伊東史朗氏の論文が載っておりました。すでにご覧かもしれません。
京都の北野天満宮にある13体の鬼神像が写真で紹介されていまして、ほとんどの像は、顔を含めて彩色が落剥していますが、一体
(写真1)は彩色が眼に残っております。彩眼とでもいうのでしょうか。13体すべていわゆる眼は彫ってありません。
実物を見た訳ではありませんので、小さな写真からだけではなんとも判断できかねますが、墨を入れただけでなく、色を塗り重ねて
眼を表現しているようです。
当初からのモノか良くはわかりません。

如来像、菩薩像はともかく、天部像や、神像には現況では無眼でも、色を描き入れたケースもあるのかもしれません。
研究してください。

  4月9日の件ですが、8日は花祭りなので畏れ多いから翌日に挙行した。また、聖武天皇のお誕生日?などと考えてみましたが、調べてはおりません。四九だから、仏教で言う生老病死の四苦を祓うこととか、あとは……。恵方とか、暦、陰陽道なんかも考えられますが、仏教が道教や占いなど用いないでしょ。  こういう風に考えていくことが、学問なんでしょうか。答えが待ち遠しい。
 答えがあるからいいんでしょうけど、答えてくれない疑問であったら、それは大変ですね。自分で答えを出さなければならないわけだから。
それが学問なのですね。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 下町七夕まつり | トップページ | 大仏開眼日 »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ