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2009年8月 2日 (日)

鶏足寺兜跋毘沙門天立像から

鶏足寺兜跋毘沙門天立像の“無眼”についてこのブロクに書いてから、もう少し、この仏像について調べてみようとしたら、近藤謙「滋賀県・鶏足寺己高閣および福井県・小浜市加尾区、高浜町和田薬師堂の兜跋毘沙門天作例」『佛教大学アジア宗教文化情報研究所研究紀要』第三号(平成19年3月刊)という論文を目にしました。

これは、近藤謙氏が主要な研究課題としている兜跋毘沙門天像についての調査の過程として、3例の兜跋毘沙門天像についての調査報告という形式をとった論文です。

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まず、鶏足寺像についての現状には、「眼球の膨らみは彫り出されるが眼は表されていない。」と、いわゆる“無眼”であることを記述しています。

そして、加尾区像についても、「眼球の膨らみは表されるが、眼は彫り出されていない。」としています。

和田薬師堂は寺で四天王像とよばれる4体の天部像がありますが、そのうちの2体は兜跋毘沙門天像で、他の2体は通常の天部像となってます。また、そのうちの天部像1体は、眼を通常通りに彫り出していて、他の3体は、瞼を彫らないで、彩色で目を描いています。

近藤氏は加尾区像の考察のところで、「現在は素地を表しているが、わずかに白土が認められる点は、かつてはこの像が彩色されていた可能性を窺わせる。この事実は重要な可能性を示唆するものである。すなわち現在眼は彫られていないが、かつては描き込まれていた可能性が考慮されるためである。」

また、加尾区と和田薬師堂の共通点として、「本体の眼球がおぼろになっていること、地天女の顔面が彫り表されないことは仏師の技量に起因する省略であるとは考えられず、なんらかの明確な根拠にもとづく特殊な表現であると考えられる。推定したようにこの上から彩色に目などを描いていたとしても、なぜ彫り出すことなくわざわざそのような手段をもちいたのかという点は今後の課題である。」

近藤氏は“無眼”の像は、彩色によって眼を描いていた可能性を、和田薬師堂像から推測をしてみたものの、それだけでは、説明がつかないことを承知しているようです。

この論文は、天部像についての考察ですが、“無眼”の像は、天部像ばかりではなく、如来、菩薩像や、神像にまでその例が確認され、天部だからという理由ではないのです。

たしかに、彩色像は、当然、眼の部分も彩色を施すはずですし、その際は眼も描くのが普通でしょう。しかし、瞼をわざわざ彫らないで彩色で眼を描く何か理由があったのでしょうか。同時代同地域の像が眼を通常通り彫っているのに、その像だけが彫らない理由が見つからないのです。

また、以前写真を載せた、二上射水神社の神像は、眼球部分まで鑿跡を残した鉈彫像で、彩色をしていない素木像であるのは明白です。

つまり、“無眼”の像に彩色で眼を描くと、実に不自然な像容になってしまう像もあるのです。これをどのように解釈したらいいのかが、今後の課題となることなのです。もっと違う造像思想があったと見た方がいいかもしれません。

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