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2009年10月18日 (日)

香炉岡弥勒石仏

PhotoPhoto_2  比叡山西塔の釈迦堂の正面左から細い山道をのぼっていくと、正面に金銅の相輪橖が見えてきます。この相輪橖は、明治28年頃の完成だそうで、旧国宝(現重文)に指定されています。中央部には音声菩薩が浮彫されていました。その手前に右に折れる道があって、ちょっと歩くと、左側に石仏の側面が見えてきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Photo_3Photo_4  花崗岩製で、高さはざっと2m位はあるでしょうか。光背まで丸彫で、彫られています。光背は二重円光光背で、梵字が月輪内に彫られています。さらに、光背の背面には大きな月輪と小さな月輪が2個彫られています。下部には四角い奉籠孔があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Photo_5

Photo_6 この石仏の印相はどうも降魔相のようで、光背背面の月輪内の梵字は釈迦三尊の種子のようです。

以下、川勝政太郎「比叡山香炉岡石佛とその様式」『史迹と美術』300 昭和35年1月1日よると、『比叡山堂舎僧坊記』にはもと、ここには弥勒堂があり、その本尊がこの弥勒石仏であろう、としています。

同書によると、昭和34年、横川に参詣の篤信の一老女が釈迦堂の後方に大きい石仏のあるのを語り、調べたところ、熊笹の中に石仏を発見した、ということだそうです。この石仏の発見は以外と新しく、それまで、忘れられた石仏であったようです。

川勝政太郎氏によると、鎌倉初期の造顯と見ています。この石仏に限らないのですが、丸彫の石仏は、奧行があまりありません。そのために非常に安定感がありません。何故なんだろうと思うことがあります。技術的に彫る手間を少なくするためだったのでしょうか。この石仏も光背の一部が破損しても、よく倒れないでいたと思います。

Photo_7Photo_8 川勝氏の論文では、これに関連して、北白川西町の弥陀石仏との共通点をあげています。この石仏は未見ですので、見にいかなくてはと思っていると、そういえば、崇福寺に行く途中にある阿弥陀石仏をおもいだしました。この石仏と北白川石仏は、旧山中越の両方の始点にあたる場所にあり、その中間がこの香炉岡石仏ということになります。

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