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2009年11月

2009年11月29日 (日)

湖北紅葉狩り旅行

 鶏足寺の真っ赤に染まった紅葉の参道の写真を見て、日帰りで湖北に行ってきました。

Photo己高閣周辺の紅葉。

 

 

 

 

 

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鶏足寺参道の紅葉。今年は例年より色づきがよくないとのこと。また、最盛期が10日ほど早かったようで、真っ赤に染まった、参道を歩くことはできませんでした。

 

 

 

 

Photo_3石道寺。

 

 

 

 

 

Photo_4 久し振りの渡岸寺。新しく収蔵庫ができて、その中に十一面観音立像と大日如来坐像が安置されていました。十一面観音像は周囲をぐるっと回って見ることができました。何だか、最近はやりの展示方法のようで、信仰対象の仏像というイメージではありません。

 

 

 

Photo_5西野薬師観音堂。ここは充満寺の敷地にある堂ですが、直接関係はないとのことです。

 

 

 

 

 

Photo_7西野薬師観音堂の管理人から、近くの正妙寺に連絡をとっていただいて行くと、神社の敷地に小さなお堂があり、そこまでわざわざ登って待っていただきました。よくわからない千手千足観音像が祀ってありました。

 

 

 

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赤後寺も日吉神社の境内にある堂にあります。いわゆる神仏習合の典型的な形が建物という形でよく残っています。仏像の写真を撮らしていただきました。

 

 

 

Photo_10 黒田観音寺は、伝千手観音像(准胝観音)があるお寺です。

この後、賎ヶ岳に登りたかったのですが、もう時間ぎれで、しかたなく木ノ本駅へ。

 

 

 

 

Photo_11レンタサイクルを返して、時間があったので、浄信寺へ。

 

 

 

 

 

Photo_12北国街道を散策すると、近代の古い建物が残っていました。窓に嵌っているガラスも戦前のもう廃盤になった型ガラスを見かけました。

レンタサイクルというのは、いいアイデアでしたが、これが、サドルが堅くてお尻がいたくなるし、おまけに北風に向かって走らなくてはならなくなり、普段使わない筋肉を使ったものだから、筋肉痛にはなるし、せめて、電動アシスト自転車か、レンタ原付自転車がないものかな。

2009年11月26日 (木)

創立80周年記念祭典

幼稚園から大学まである学校の創立80周年記念の集いというイベントに招待されて行ってきました。もうその学校はご存知だと思いますが、幼稚園児から大学生までおよそ2万人の総合学園です。

会場の横浜アリーナはほぼ満席の状態でした。ほとんどの小学生から高校生は来ていたようです。

Photo プログラムはハンドベルの演奏からはじまり、オーケストラ、そして、この学校では目玉のチアダンス。

 

 

 

 

 

 

Photo_2 そして、オーケストラと合唱が続きます。会場のせいでしょうかちょっと音響に難がありますが、ベートーベンの第九のさわりを演奏し、その合唱の人数では迫力満点でした。

 

 

 

 

 

 

Photo_4 大学の最先端技術の紹介、小学生から高校生の記念オリジナル曲の合唱があって、最後に学長のあいさつで、無事このイベントはお開きとなりました。

 

 

 

 

 

 

Photo_5 昔の自分に振り返ってみると、今の小学生から中学生がこのイベントに参加する意識はずいぶんと違うなあ! というのが第1印象です。みな楽しそうに参加しているのです。昔の私には考えられなかったことです。

大学生の参加しているイベントもいかにも学生らしい初々しさがありますが、何かあまりにも整然としすぎるのが、かえって心配してしまいます。

昔の私は、もっと斜に構えていました。こういう組織的なことに拒否反応が少なからずありました。時代背景もあるのでしょうが、私の幼少の頃はもっと見えない背後にあるおそろしい圧力に押しつぶされていくような危機感があったような気がします。それに比べて、今の日本は不況という閉塞感から逃れられないのに、それが全く感じられなく実に明るく振る舞っています。

世の中が昔とくらべてよくなった証拠なのでしょうか。

2009年11月25日 (水)

興福寺十大弟子像

 このところ、調べが中途半端で、ブログにどう書こうか悩んでいるうちに、ずいぶんと時間が経ってしまって、読者の皆様にはご心配をおかけいたしております。そんなわけで、別に筆者に何かアクシデントがあったわけではありません。単に怠惰が出ただけです。すいません。
さて、以前のブログ「ガンダーラ仏真贋論争」の最後に十大弟子像の写真を掲載したのに、注目していただけたでしょうか。この仏像は旧興福寺十大弟子像の1躯といわれている仏像です。現興福寺には十大弟子像は6躯しかありません。寺外にでた4躯のうちの1躯といわれています。
興福寺は享保2年の火災によって、西金堂が焼失し、そのとき中尊釈迦の首と、八部衆八体と十大弟子像十体が救い出されています(『享保弐丁酉日次記』)。つまり、その当時は十大弟子像は10体存在していたのです。
それ以降、寺外にでた4躯は、一体、どこにいったのでしょうか。これが、以外と追跡できるのです。
Photo まず、個人藏の1体です。この仏像は昭和5年刊の『古美術研究資料』日本之部 に写真が掲載されていました。その後、所在が不明になり、平成12年、大倉集古館で行われた個人藏の仏像を集めた『拈華微笑』という展覧会に出品され、注目をあびました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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そのカタログには、胎内に大正11年の修理記があり、その全文が載っていました。それによると、木骨と隻手・片足のみ残存していたのを、東大寺三月堂の残片もあつめて作り上げた像のようです。この修復にあたって、武藤山治氏が資金をだし、菅原大三郎が修理にあたったと書かれています。
Photo_3 1躯は大倉集古館に優婆離像としてありました。この像は『大倉集古館列品要略』大正9年刊によると、明治の末葉に竹内久一によって修理されたようです。さらに前出の修理記によると、この像は頭部のみが古いものだったようです。この像は関東大震災で焼失してしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Photo_4 1躯は現在東京芸術大学所蔵の木骨のみで、裾の一部が残存している像です。この像は大正2年に購入したもののようです。
そして、最後の1躯は旧田万コレクションで現在大阪市立美術館所蔵だということですが、この写真が見あたりません。大阪市立美術館発行の『田万コレクション』昭和56年刊 の目録には「250 乾漆 僧形像頭部 1 23.7 奈良時代」がどうもそのようですが、残念ながらその番号の写真がありません。
興福寺のホームページに「古写真ギャラリー」というコーナーがあります。その中に腰部の破損した八部衆の沙羯羅像と、木骨だけの十大弟子像とおもわれる2躯の合計3躯が写っている写真があります。この中の真ん中の1躯は胴部と手、足が残っており、個人藏の像のようですが、両肩の残っている左の像は衣が片方の肩にしかかかっていないので、大倉集古館像ではないかもしれません。
どうも、個人藏像と大倉集古館像はその修理の時に、様々な残片を寄せ集めて作ったようです。それが一体どの部分なのかは、現在残っている個人藏像を調査してみる他はありません。しかし、東大寺三月堂像の残片までも使ったとすると、これは、修理といえるのでしょうか。また復原なのでしょうか。どこまでが本物なのでしょうか。まさしく、ガンダーラ仏の真贋と共通する問題のように見えるのですが。
この問題はちょっと消化不良です。もうすこし時間をかけて調べてみようとおもいます。

2009年11月15日 (日)

早稲田界隈

Photo

14日の土曜日は2年に1回開いているサークルのOB・OG会でした。といっても、現役の学生との交流もあり、もう30年以上続いている会です。

そんな日ですから、午後には昔の仲間が大学に集まってきます。そんなで、キャンパスの周辺で学生時代と変わらない建物を探してみることにしました。

まず目に入ったのは最初にコンパをした金城庵。建物はまったく当初のままでした。

 

 

 

Photo_2 金のないのによく飲みに行った志乃ぶ。会の3次会で閉店まぎわにかけこんで、イッパイやってきました。

 

 

 

 

 

 

Photo_3 大隈講堂の前にある建物。私が学生の頃はたしか旅行代理店の店だったような気がしますが、記憶違いかもしれません。

 

 

 

 

 

 

Photo_4 サークルのたまり場だった第一学生会館。奥の建物が會津八一記念東洋美術陳列室。毎週この陳列室の掃除が新入生の仕事でした。中の事務室には安藤先生がいました。もうこの建物はありません。

 

 

 

 

 

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会の会場の現大隈会館の会場に掲げられていた會津八一の歌

 母校のかとに立ちて 八一

  たちいてて とやまかはらの しはくさに

      かたりしともは ありや あらすや

今回のOB・OG会はまさにこの歌のようでした。

2009年11月 8日 (日)

ガンダーラ仏真贋論争(経過編)

 先日手に入れた、主に毎日新聞記事のスクラップから、ガンダーラ仏真贋論争の経過をたどっていこうとおもいます。

  • 62. 5. 2 奈良博で4月29日~5月31日まで開催中の『菩薩』展に出品されている「石造弥勒菩薩立像」が贋作であると、古代オリエント博物館研究部長の田辺勝美から奈良博に内容証明郵便で質問状が送られていた。
  • 62. 6. 3 所有者の亀廣記念医学会の亀廣市右ヱ門が記者会見。「奈良博の松浦正昭普及部長の仲介によって、ニューヨークの美術商、ウイリアム・H・ウォルフから37万5千ドルで契約、前払いとして、12万5千ドルを送金した。奈良博が輸入者となって、100年以上経た古美術品として無税で、大阪空港に到着した。日本に到着後精算とした残りの25万ドルはまだ送金していない。」
  • 62. 6,18 奈良博の西川杏太郎館長は「ガンダーラ仏研究協議会」を7月3日にメンバー13人で開催することを発表。
  • 62. 6.20 美術商から、残金遅延料を払えと要求。
  • 62. 6.26 亀廣氏、奈良博を批判。
  • 62. 6.30 石仏を亀廣記念病院から、奈良博へ搬送。
  • 62. 6.30 毎日新聞が「真贋論争」の解説記事を掲載。
  • 62. 7. 2 毎日新聞が田辺氏の自説を掲載。

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  • 62. 7. 3 奈良博講堂で「ガンダーラ仏研究協議会」を非公開で開催。13:30~17:30に及ぶ。出席者は奈良博から西川杏太郎、河田貞、光森正士、河原由雄、松浦正昭の5人、それ以外から田辺勝美、高田修、樋口隆康、肥塚隆、秋山光文、西村公朝、馬渕久夫の7人、オブザーバーとして、亀廣市右ヱ門。以上計13人
  • 62. 7. 3 18:30より記者会見。座長の樋口隆康氏は「これ(協議会)によって、ガンダーラ仏が本物か、偽物か、断定はできなかった。研究者として、シンポジウムで相手を負かした方が勝ちという結論にはできない。結局、こういう(真贋)問題は、全部が偽物、一部に他の材料をつぎ足すケースなどがあり、どれをとって偽物とするかという問題がある」と説明した。
  • 62. 7. 4 毎日新聞が各出席者の意見を掲載。奈良博館員以外の大勢は「補修部分など疑問が残るが、それだけでは偽物とは言えない」。田辺氏は「全部が偽物」。亀廣氏「残金の支払は保留」。毎日新聞の解説(斎藤清明)は樋口隆康氏の個人的見解として「今のところ、ホンモノでもニセモノでもない」と書いている。奈良博はこれで、「本物」と決着したと判断。以後これにもとづいて反論。
  • 62. 7. 7 亀廣氏が記者会見で、未公表のX線写真を公開。
  • 62. 7.10 奈良博は亀廣氏に抗議。「信義に反し、極めて遺憾。」
  • 62. 7.12 亀廣氏は奈良博に石仏を預かって再調査をしてほしいと要望。
  • 62. 7.14 奈良博の西川館長は記者会見で、亀廣氏に不快感を表明。再調査を拒否。法的手段をとることを考えていると表明。
  • 62. 7.17 石仏を亀廣記念医学会「関西記念病院」へ搬送。亀廣氏、協議会の資料を提出することを条件に引き取る。
  • 62. 7.23 奈良博、石仏の返却業務を完了した、と表明。
  • 62. 7.28 江上波夫古代オリエント博物館館長の記者会見。「9月中旬から調査委員会を設置し6ヶ月をめどに報告する」と宣言。
  • 62. 8.25 亀廣記念医学会は、補修による価値低下分を差し引き、残金を支払った。
  • 62. 9.16 古代オリエント博物館に調査のため石仏を移送。
  • 62.10.23 田辺勝美氏の記者会見。「偽作説の新たな根拠を示す。」
  • 62.11.26 亀廣氏の記者会見。「世界の博物館・大学に出したアンケートの回答で19通の内、6通が偽物。」と発表。
  • 62.12.25 亀廣氏の記者会見。「非破壊検査の結果、首や腕を接着材で接合。」と発表。
  • 63. 3. 7 亀廣氏の記者会見。「パキスタン政府考古局総裁の書簡を公開→本物には見えない。」 奈良博西川館長の反論→断定を避けた極めて穏当な表記。
  • Photo_4 63. 3.14 亀廣記念医学会は、奈良博に対して、「奈良博が十分な調査を怠り、偽物の立像を買わせた」として、国を相手に、5100万円の損害倍賞請求の訴訟を大阪地裁に起こした。
  • 63. 3.14 衆院法務委員会で坂上富男氏(社会党)が取り上げ、参考人として、田辺勝美氏、内田弘保氏(文化庁文化財保護部長)に聴取。
  • 63. 4.15 奈良博西川館長の記者会見。「国会に出された、田辺氏の30項目の贋作説に反論。」
  • 63. 4.22 田辺氏の記者会見。「奈良博の本物説に再反論。」
  • 63. 5.30 大阪地裁で口頭弁論。
  • 63. 6.20 古代オリエント博物館の協議会の調査報告。「100%の贋物。大小14個の石をエポキシ系接着剤で接合。」
  • 63. 8.11 奈良博の西川館長、二度目の反論。「近年の補修個所以外は接着剤は使われていない。奈良博の調べでは接合部は五カ所しかない。」
  • 04. 2.10 大阪地裁判決。海保寛裁判長。「奈良博に違法行為なし。したがって、ガンダーラ仏の真贋は検討するまでもない。」
  • 04. 2.10 大阪高裁に控訴。
  • 08.11.26 最高裁判決。第3小法廷尾崎行信裁判長。「上告棄却。真贋は判断せず。」

    ここまでの感想をあげると、
    ・まず、奈良博が石仏購入の仲介をしたのは、問題であったと指摘されている。権力を利用して策を労しすぎたということだろう。
    ・展覧会に展示する前の調査がおろそかだったことは、奈良博も認めている。それだからといって責任はないといっているのは役人のよくいう言い訳である。
    ・奈良博での研究協議会はそれなりの学者があつまっているが、結局、あまりにもせまいコミュニティの中での議論なので、十分にものが言えていないのは明白である。
    ・様式論は、傍証にはなるが真贋の決定的な判断にはならない。材質での判断も贋作者はいくらでもそれに対応できる技術をもっている。
    ・田辺氏は権力に立ち向かう学者として、マスコミの格好のヒーローにまつりあげられたが、それを田辺氏自身利用したようにも見受けられる。
    ・亀廣氏が訴訟を起こしたのは、それなりに評価できる。しかし、古美術品の贋物をつかまされるのは、購入者の責任であることは、この世界の暗黙のルールである。
    ・真贋の判定には、それなりの情報公開が必要である。つまり、補修の詳細な客観的資料が必要なのである。結論は白と黒だけではないということもある。
    ・翻って、今、古美術品の補修はどのようにしているのだろうか。後世の人がこのように判断に苦しむ補修をしていないだろうか。

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