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2010年9月20日 (月)

復元と模造と創造

Photo 三菱一号館は、昭和43年に取り壊しの上、一部移築という方針が決定され、解体されました。平成15年、所有者の三菱地所は、正式に三菱一号館の復元を決定しました。これは、丸ビルの竣工した後で、丸の内街区の全体的な整備の一環として考えられたもののようです。以下『三菱一号館 誕生と復元の記録』(『新建築』85-3 臨時増刊)2010.1.25)によって述べてみます。

さて、その計画は、竣工当時の図面や解体時の実測図、保存部材など多くの史料が残っていることから、竣工当時の忠実な復元をめざしました。

たしかに、現在の建築関係法令を遵守しながらの復元ですので、地下に免震装置を付けたり、防火区画の設置など、竣工当時にはない構造を付加してはいますが、構造体の煉瓦積は当初の施工方法に則った方法をとっているようです。

 

 

 

Photo_2

たとえば、230万個の煉瓦は、当初の化粧面に近づけるため、中国で生産されたり、当初使われた石は、その原石が調達できないため、色が近いものを使い、さらにその仕上げのために、石工の多くいる中国に運んで加工したりしています。また、ガラスは、竣工当初の明治期では、手吹円筒法による製法しかなかったため、それを復元することはむずかしいので、丸ビルに嵌っていたガラスを解体時に取り外し保存していたのを使用しています。

たしかに、そういった意味では、“復元”しようという思想のもとに、行われた建築工事であることは間違いのないことでしょう。

しかし、これは、「建築」という分野にのみ通用する“復元”です。たとえば、正倉院宝物の復元は、その当時の材料と製作方法にできるだけ近い方法でおこないます。彫刻でも漆、金箔など、その当時の製法も復元した上で行います。

それほど、材料、製作工程に関しては、  “復元”のハードルは非常に高いはずです。また、彫刻で、欠失した個所を復元するには、それなりの根拠と説明が必要です。

そうでなければ、“模造”という概念も危うくなってしまうのです。彫刻を型どりして、プラスチックで本物と同じものを作れば、それは“模造”といえるのでしょうか。

Photo_3 “できるだけ忠実に復元しました”というのが、一番の曲者なのです。すべて当初の材料と技術で作ることは、実際のところ、現代ではむずかしいでしょう。そのとき、この部分は現代の材料あるいは技術で、“創造”しましたと明確に言えなければなりません。

それは、現在の技術力の限界だということを認識した上での発言です。それがないと、将来、修理あるいは復元ということがあった時に、役にたたなくなるのです。

三菱一号館の復元した建物のガラスは、丸ビルに嵌っていたものを転用していますが、そのほとんどはサッシ入れ替え時の昭和9年頃製作された硝子です。

明治期の手吹の硝子と、工場のオートメーションで作られた普通板(いわゆるS板)では、全然見た目も違うものです。普通板が今のフロートガラスよりゆがんでいるので、古そうな感じが出ていいだろうというのは、あまりにも乱暴です。

これは、いってみれば、阿修羅像を復元したけれど、奈良時代の台座が見つからないので、ちょうど江戸時代の台座がひとつ余っていたので、付けてみました。というのと同じです。そこのところは、もうすこしデリカシーがあってもいいのでは。

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