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2010年10月

2010年10月31日 (日)

台風へ向かっての旅

 よりによって、台風に向かっての旅でした。おかげでサンザンな目に会ってきました。

まずは、30日朝、東京駅から、熱海行普通電車のグリーン車に乗り、10:30AM熱海着。

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もうこの時点で強風と雨で、傘がまともにさせない状態でした。駅から7~8分のところにある旧日向別邸へ。

旧日向別邸は、現在熱海市の所有で、予約で見学ができます。そのためこんな天気でもしかたなくというところです。

ブルーノ・タウトが日本で設計した唯一の建物です。といっても、地下の部分の内装のみですが。

 

 

 

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やはり熱海市の所有になった、起雲閣は、以前旅館をやっていたときに何度か泊まっていたのですが、ステンドグラスのことは記憶にありませんでした。もう一度見たくて再度の訪問です。建物は大正8年内田信也によって建てられた和館と、根津嘉一郞が昭和4年と8年に建てた洋館とも和館とも言えない建物があります。ステンドグラスはいたるところにあり、後でまとめて掲載することにします。

 

 

 

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これはローマ風呂のステンドグラスです。

 

 

 

 

 

 

 熱海駅にもどると、13:47発東京行が10分程度の遅れで出発するというので、乗り込むと、湯河原をすぎ、真鶴駅に到着すると、車内アナウンスで、前の電車が先の駅で止まっているため、その電車が動くまでここで待機するとのこと。そうこうしているうちに約2時間が経過。

やっと次の根府川駅まで行きますとのアナウンス。そこでまた、小1時間ほど停車。

次の早川駅で30分停車。やっと小田原駅に着いたのが、6:00PM。普通は30分で行けるところが、4時間もかかってしまいました。

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すぐにタクシーを飛ばして、箱根湯本桜庵へ。6:30PM宴会にピタリ到着。

この桜庵は昭和62年竣工の建物で、設計は坂倉建築研究所。スチールサッシを多用しているため、錆が進んでいます。こういった建物はメンテナンスが重要になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

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31日は、小田急と東海道線で、大磯へ、大磯町郷土資料館で開催している『受け継がれる祈りのかたちー六所神社神像特別公開ー』を見学。この郷土資料館のある城山公園は、三井家の別荘のあったところで、『如庵』はこの資料館の前にあったそうです。

 

 

大磯駅にもどり、東海道線で藤沢駅へ、そこから江の電で長谷へ。

長谷寺宝物館『長谷寺縁起絵巻』を見学。歩いて、鎌倉国宝館へ。

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 鎌倉国宝館『薬師如来と十二神将』展は、あまり期待していなかったのですが、これがなんと十二神将のテンコもりでした。館内はほとんどが仏像の展示で占められていました。こんなことは、初めて見る光景です。なんと4ヶ寺の十二神将がほぼ12軀そろっているのですから壮観です。そのほかにも4ヶ寺の十二神将が数軀づつありました。今回の展覧会は、旧辻薬師堂の仏像の修理が終わり、鎌倉国宝館で保管することになった記念ということになっていますが、以前、辻薬師堂で見たときよりも、ずいぶんと印象が違って見えました。もっとも、薬師堂の中は暗くてよく見えなかったこともありますが、修理があまりにもキレイすぎて見えるのが理由かもしれません。

鶴岡八幡宮は、もう七五三の着物を着た親子づれがいました。ずいぶんと気がはやいな。

 

2010年10月19日 (火)

那古寺木造千手観音立像

 住友財団の文化財維持・修復事業助成のサイトを覗いていると、これまでの助成対象として、2006年度文化財維持・修復事業助成対象のリストに、

木造千手観音立像修復事業 平安時代(館山市有形文化財) (宗)那古寺(なごじ) 千葉県館山市 助成金2,250(千円) として、写真が載っていました。

写真をクリックすると、大きな写真とともに、その仏像の解説が書かれていました。

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写真を見ると、かなり破損はしていますが、あきらかに清水寺式千手観音立像です。

解説によると、本体は頭部から胸部中央あたりまでが当初部分とおもわれ、それ以外、各時代の修理が加えられている。としています。

さらに経年による朽損や、脇手の脱落・割損、持物の欠失等傷みがひどかった。としています。

どういう修理をしたのかの記述はありませんが、おそらく脇手の補修が主だったのではとおもいます。

 

 

 

 

 

 

Photo_2というのは、館山市は昭和55年度から61年度にかけて、仏像の悉皆調査をしており、『館山市の仏像』として、報告書が出版されています。

それによると、頭上にあげた右手、はなれた左手および錫杖らしきもの、合掌手の手首先、右脇の天衣がありません。

この仏像は昭和38年12月17日に市指定文化財に指定されています。館山市のサイトには、調査報告の写真とほぼ同じ形で載っています。

住友財団の写真では、合掌手は補作したように見えます。そのとき、頭上手や天衣も付けたとおもわれます。

この仏像は長らく厨子の中に入っていたようで、おそらく厨子の中に脱落した脇手や天衣があったので、それを使って脇手をつけたのでしょうか。

それにしても、なんて中途半端な補修のしかたをしているのでしょう。頭上の脇手をなぜつながなかったのでしょうか。脇手はもともと後補のものなので、ありあわせのもので付けたのでしょうか。

頭上手は後補だとはいえ、清水寺式に改変しようとした改修時期があったのは事実ですし、当初から頭上手がつけられていた可能性があったかどうかの考慮もすべきではなかったのでしょうか。

この仏像は那古寺の本尊ですので、観音堂(本堂)の厨子にあるはずです。今どうなっているのか知りたいところです。

那古寺はその他に、重要文化財の銅造の千手観音立像がありますが、これは脇仏として安置されているようです。

2010年10月17日 (日)

『写真展 小川晴暘と奈良飛鳥園のあゆみ』

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 奈良県立万葉文化館で行われている展覧会です。10月26日まで開催されていますが、残念ながら見に行くことができません。場所が飛鳥だけに、ちょっと日帰りでというわけにはいかないのです。

そんな訳で、カタログでもと思って、送っていただきました。すると届いた本は、普通よりひとまわり大きいB4版の本で、写真の印刷もさすが飛鳥園の監修とうならせる体裁でした。

内容は、飛鳥園の創設者の小川晴暘の有名な黒バックの写真から、雲岡のスケッチが掲載されていました。もともと画家を志していた晴暘は、調査ノートというべき詳細なスケッチを残しています。

そして、二代目の光三氏、そして、飛鳥園出身で、のちに京都国立博物館で写真を担当していた、金井杜道氏のおもに興福寺阿修羅像をはじめとした八部衆像、十大弟子像の写真。

いまも飛鳥園で写真を撮っている若松保広氏は、おもに、大和地方の風景写真を掲載しています。

こうして見ると、飛鳥園もまだまだ健在だなということが実感できます。

カタログの表紙を飾っていた東大寺月光菩薩像の顔の写真が見慣れていたためでしょうか、先日東京国立博物館で購入したフィギュアの顔と目の表情が違うのが気になります。

また、金井杜道氏の阿修羅像を見ていると、どうも気になることがありました。

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以前、修理前の阿修羅像の写真を掲載しましたが、新納忠之介が修補したのは、右第一手の合掌手の二の腕から先の部分と、左第三手の上にあげた手の臂から先の部分のはずです。

 

 

 

 

 

 

 

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修理後の写真をよく見ると、右第一手の二の腕のところに、継ぎ目がみえており、ここから修補したというのがわかります。

左第三手は写真からは継ぎ目がよくわかりませんが、この腕は補作したはずなのに、なぜか指は破損したように、針金がでています。

なぜこんなことを新納はしたのでしょう。腕を新しく創作したのに、わざわざ破損したように見せているのです。

こんな修理でアリなのですか。新納に聞いてみたいところです。

2010年10月11日 (月)

清水寺式千手観音(その2)

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町田市立国際版画美術館で行われている『救いのほとけー観音と地蔵の美術ー』を見に行ってきました。初日だからなのか、入場料1000円がなんと、本日に限ってタダでした。

これはラッキー! わざわざ雨の日に出かけた甲斐がありました。

今回は、めづらしく日本の仏像に関する展覧会でした。仏像とその納入品の印仏・摺仏などを展示していました。

 

 

 

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その中で、カタログの表紙を飾っていた個人蔵の清水寺式千手観音像の画像に注目しました。

この画像は、単独像ではなく、最上部に三十三応身像を配し、その下に風神雷神を配置し、下部には二十八部衆像を描いています。

そして、本面の左右に脇面を配置し、いわゆる三面像となっています。

カタログの解説では、清水寺奧院の千手観音坐像との関係を指摘していますが、清水寺式千手観音像の画像を調べてみると、必ずしもそうとは言い切れないような気がします。

 

 

 

 

 

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というのは、福井県小浜市の万徳寺の画像では、三面であらわしており、また、滋賀県木之本町の浄信寺の画像も三面です。

 

 

【万徳寺千手観音像】

 

 

 

 

 

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ということから考えると、むしろ、参照すべき違った図像があったのではないかと想像した方がいいのかもしれません。

しかし、個人蔵は、頭上面が17面、しかも如来形、万徳寺蔵は頭上面は21面、浄信寺蔵は頭上面が13面、とバラバラです。

となると、参照する図像の系統も違うと見た方がいいのでしょうか。

 

【浄信寺千手観音像】 

 

 

ちなみに、清水寺式千手観音像の画像は、今のところ、13件が確認されています。ただし、三十三所観音図などに描かれている、観音霊場の清水寺の画像と、印仏・摺仏は除きます。

  • 東京国立博物館 東京都台東区 鎌倉(14世紀)
  • 個人蔵 東京都 鎌倉(14世紀)
  • 万徳寺 福井県小浜市 鎌倉
  • 天永寺護国院 愛知県名古屋市 鎌倉(14世紀)
  • 実相寺 愛知県西尾市 南北朝
  • 求法寺 滋賀県大津市 鎌倉
  • 延暦寺山内寺院 滋賀県大津市 鎌倉
  • 油日神社 滋賀県甲賀市 室町
  • 浄信寺 滋賀県伊香郡木之本町 鎌倉後期
  • 智積院 京都市東山区 室町~桃山(16世紀)
  • 観音寺 京都府福知山市 南北朝
  • 金山寺 岡山県岡山市 鎌倉
  • ボストン美術館 米国 平安(12世紀)

彫刻の方はまだ調査中ですが、いまのところ45体の確認をしています。まだまだ発見はされそうです。いずれ、まとまればリストアップしようとおもいます。

参照ブログ

更新履歴

  • 延暦寺山内寺院蔵を追加(H22.11.15)

2010年10月 8日 (金)

特別展『東大寺大仏』

Photo 本日から開催の『東大寺大仏』展に行ってきました。ちょうど、開館時間延長の金曜日なので、夕方5時頃入場しました。

初日なのに、館内はガラガラでした。今回の目玉は、八角燈籠です。例によって、一段高いベランダ状の展望台を設置して、同じ目線になるようにしてあります。

そして、その後ろの壁には大仏殿の正面がおおきく描かれており、現状の様子を壊さないような配置になっています。

また、良弁僧正、僧形八幡像は背面も見られるようになっていました。

もうひとつの目玉の、不空羂索観音像光背は、こうして、よく見えるところに出ると、何か期待はずれの感がします。宝冠のようにもっと荘厳な造りであるという先入観があったからでしょうか。

仏像では、その他に、試みの大仏や、五劫思惟阿弥陀如来、また快慶の阿弥陀如来、地蔵菩薩像が並んで展示されていました。

今回の展覧会は、仏像もそれほど数が多くないけれど、一体一体は、すばらしい作品ばかりで、そういった意味では、大変見応えのあるものでした。

その中で、はたと気がついたことがあります。伝弥勒仏坐像(試みの大仏)を見ると、左足はその裏を上にしていますが、右足が表現されていません。左足の下に隠れているとすると、これは結跏趺坐ではなく半跏趺坐ということになります。どういうことなのでしょうか。

一通り見終わって、売店を覗くと、阿修羅展のときの二匹目のドジョウをねらったのでしょうか、今度は誕生仏と月光菩薩のフィギュアを売っていました。阿修羅のときの品切れを警戒して、一人1個までと制限をつけ、おまけに買う時に、チケットの提示まで求められました。ちょっとやりすぎじゃないの。今回はそれほど売れるとはおもいませんが。

といいながら、月光菩薩像を買ってしまいました。しかし、今回も海洋堂で、作者の名前まで箱に表記して自信満々のようですが、顔の表現がイマイチですな。

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 そんなこんなで、館を出るときは、秋のつるべおとしで、もう真っ暗。東京国立博物館本館のライトアップをふりむきながら、帰路につきました。

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2010年10月 3日 (日)

平木収著『写真のこころ』

Photo 平木収君の評論集が出ました。 膨大な評論から六章に分けられた文章は、平木君の写真に対する仕事、取り組み方をうまく分類しているようです。

「Ⅰ 見つめる楽しみ」は写真を見ることの楽しみ方から、それをどういう風に思考していくかということを、見ることの基本から丁寧に語っています。

「Ⅱ 写真を学ぶために」から、「Ⅲ 展覧会の現場から」は、彼が写真評論の道に進んだ歴史とともに語られており、平木収の思考遍歴を交えながらの評論は、彼ならではというところです。

「Ⅳ 撮る人をめぐって」は写真家の評伝ですが、彼の調査能力と、見る目の確かさを発揮しています。

そして「Ⅴ 写真への旅」では、彼が写真評論の仕事をしている上での、エッセイが綴られています。特に、奥さんの京子さんに、海外旅行の許可を得るための手練手管は、子供っぽく、ただ京子さんの手のひらで踊っているのを、臆面もなく綴っています。いかにも平木らしさがよくあらわれています。

「Ⅵ 対話から」はさまざまな人との対談から、彼の言動をピックアップしていますが、これだけでは、いまひとつわかりにくいことがあります。

そんなで、ざっと読んでみると、いかにも平木君らしいな、とおもう文章に出くわしたり、彼自身の歴史をさりげなく書きつづり、なつかしさとともに、もっと仕事ができたのにという、くやしさがわいてきます。

本の表紙の黒四角は、実際は銀色をしていて、四角にしきられた枠の中に、読者の写真をいれてくださいというメッセージのようにみえます。

しかし、この本は「あとがき」にあるように、「過去の文章をただ網羅するのではなく、これから写真を学ぼうとする人たちを含め、幅広い層の人たちに写真の楽しさと奥深さを知るきっかけを提供できるよう、本人が残した単著の構想メモをベースに全体の構成と掲載内容が検討された。」 と平木君は、写真の楽しさから、写真史の研究へとその構想があったと書いています。

たしかに、平木君を知っている人にとっては、この本を読むと、平木君の情熱がひしひしと伝わってきます。しかし、あの、何ともいわれない風貌を知っているからこそ、それが感じられるのであって、平木君に会っていない人にとって、それが十分に伝わるのだろうか、という疑問がよぎります。

平木君は、写真のもつインパクト、その力はわかりすぎるくらい熟知しているのに、自著に自身の写真が載らないのは、彼の文章のさらなる説得力に力を与えていないように思えるのです。

そんなで、彼の若かりし頃と、充実していた頃の写真を掲載します。手許にはこれしかありませんでしたので、どれだけ平木君の人ととなりを表現しているかは自信がありませんが。

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