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2011年1月19日 (水)

松聲閣の思い出

 音羽で一仕事して、ここからなら、永青文庫も近いので、散策することにしました。目白通りを横切って坂を降りると、和敬塾の建物が建っています。その左には、長い塀があり何やら不思議な木造の建物があるようです。右奧の和敬塾本館(旧細川家邸)は、前もって申し込みをすれば見られるのですが、いつか機会を見計らってというところです。

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このあたりは、熊本の細川家の広大な敷地の中のほんの一部です。永青文庫は、細川家の倉庫だった建物で、美術館としては、ちょっと貧弱な感は否めませんが、細川家の敷地の中ということで、そんな雰囲気を味あうのもいいかもしれません。

その下の新江戸川公園も、細川家の庭をほぼ生かしてあります。

最近、永青文庫から、新江戸川公園に入る道ができました。以前は、一度坂を降りて、正面からでないと、庭園に入れませんでしたが、今回は、庭園の裏山から池を見下ろしながら公園に入ることができました。

 

 

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池は、薄く氷が張っていました。こんなのを見るのは、東京では何年ぶりでしょうか。それだけ今年は寒いということでしょうか。

一本だけ、梅が咲いていました。そのうしろの2階建の建物が松聲閣です。

 

 

 

この松聲閣は、以前は、貸し部屋で、区で管理していたとおもいます。大学に入りたての5月頃だったでしょうか、サークルの新一年生だけでコンパをここでやりました。

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酒、つまみは持ち込みでやったので、安上がりに済まそうとしたのでしょう。先輩から、2級酒よりも安い、合成酒を寄付してもらい、10数人の男があつまり、飲みなれない酒でドンチャンさわぎをしました、この建物の中で大暴れをして、結局、ほとんどが酔いつぶれ、私も、地面がグルグルまわるのを初めて体験しました。どうやって家に帰ったかの記憶もありませんでした。

それ以来、われわれが出入り禁止になったのは、言うまでもありません。

 

 

 

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この松聲閣は細川家の学問所として使っていた建物のようです。かなり老朽化がすすみ、とうとう集会所としてもつかわれなくなってしまったようです。

この書き付けをみて、何だか少しばかり申し訳ないような気持ちになりました。

若気のいたりとはいえ、貴重な建物を汚したことが、その寿命を縮めたとすれば、取り返しのつかないことをしてしまったと、後悔するばかりです。

 

 

 

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とおもいながら、秋葉原を歩いていると、交差点の街路灯につかまって、パイプの手摺の上に登って、大騒ぎしながら記念写真を撮っている、外国の若い女の子の集団に出会いました。

このところ、こういう公共マナーの悪い外国人を見て、ムカムカとします。

年のせいでしょうか、ひとこと注意したくなるのです。

 

 

 

 

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もう世間体を気にする年でもないので、躊躇することはないのですが、しかし、もうすこしおおらかな気持ちになってもいいのかな、と、もうひとりの自分がささやきます。

私の若い頃も結局、大目にみていただいた大人がいたからこそなのかな、と思ったりして。

それにしても、日本人は、実にマナーのいい国民だとおもいます。秋葉原の歩道には、タバコの吸い殻ひとつ落ちていません。

外国では、ゴミをすてるのは、ゴミをひろう職業の人の仕事をつくるためだ、と言われたことがあります。しかし、その考え方は、おかしいでしょう。

 

 

 

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コメント

新江戸川公園、なつかしいですねぇ。近くは通っていてももう30年以上入ってないなぁ。春秋堂先輩もやんちゃな学生時代があったのですね。
松聲閣って記憶もないので一度行ってみたいです。看板がたい焼きみたいで美味しそうです。

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