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2011年5月29日 (日)

小塚原首切地蔵

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 地下鉄日比谷線では三ノ輪から地上にでます。すると南千住駅の手前左下に、石造の地蔵菩薩像が見えてきます。

日比谷線と、常磐線の線路の間にあるこの石仏は、電車でここを通過するたびに、なんとなくながめていました。

ところが、アレ!あの大きな石仏がない!

それで、どうなったのか、先日見にいってきました。石仏は、バラバラにされ、台座の周囲に置かれていました。台座のみ残った石仏の前に、新しく看板がありました。

東日本大震災で、左腕が落下したそうです。そのために、一時バラして、修復ための募金を募るという内容でした。

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台座の周囲に仮置された石仏の断片を見てみると、膝部分が数個、それぞれの腕部分、そして上半身と別れていたようです。しかも、単に、石材を乗せただけのようで、何の接着も、枘もありません。これでは、地震で落下するのは必然です。関東大震災でよく倒壊しなかったとおもいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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台座の後には、願主 浄心 と、大坂西横堀住 石工 中村屋半六 とあります。

看板には、中村平八 とありますが、どう見ても 半六 です。

 

 

 

 

 

 

 

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その横には、寄進者の名が彫られています。

荒川区の案内書では、寛保元年(1741)に、小塚原刑場の一角に建立されたそうです。明治28年日本鉄道土浦線の敷設にあたって、現在地に移されたようです。

小塚原の刑場は、この常磐線で分断され、回向院と石仏のある延命寺になってしまったようです。延命寺は、昭和57年に回向院から分離した比較的あたらしい寺院です。最近墓地を改装して、大々的に売り出した矢先の出来事でした。

それにしても、何故、大坂の石工に作らせたのでしょう。寄進者は木場の住人です。想像をたくましくすれば、材木商が全国的規模でもっている情報網で、大坂の石工を呼び寄せたのでしょうか。

中村屋半六 という石工の他の作例も探すと、大坂あたりにあるかもしれません。

とおもって、疑問点を所蔵資料で探そうとしたら、未だに、自宅の本棚の修復ができていません。探すようにもできないのです。

それで、こんな中途半端な話になってしまいました。

早く、本棚を直そう。しかし、まだ余震があるとどうもやる気がおこりません。

困ったもんだ。

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