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2011年6月 5日 (日)

山武市の仏像

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 東京駅から特急に乗ると、1時間で成東に着きます。市といっても、合併した普通の地方都市です。駅前のシャッター商店街を抜けると、すぐに田園がひろがります。およそ15分で、山武市歴史民俗資料館に到着です。

 

 

 

 

 

 

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仏像はおよそ20体ほど展示されていました。その中では、善光寺式阿弥陀三尊像が2件ありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 そして、西照寺の十一面観音立像が目にとまりました。この仏像は化仏が欠損していますが、十一面観音像とわかります。ところが、服は如来が着用する衲衣なのです。

このことについて、解説では、宋より伝来した仏画や仏像を手本として十三世紀中頃に鎌倉で生み出された像容と云える。 としていますが、どういう根拠でそう云えるのかの説明がありません。

実例がほしいところですが、今の私の現状では調べる術がありません。宋の仏画や、仏像の例があげられるといいのですが、

この山武市歴史民俗資料館の隣には、伊藤左千夫の生家が保存されています。伊藤左千夫というと、『野菊の墓』がすぐ浮かびます。

この小説のあらすじは覚えているので、読んだことがあったのでしょうが、その記憶がありません。もともと、小説はほとんど読まないので、数少ない読んだ小説のひとつかもしれません。

そんな淡い少年の恋ごころは、少年時代の記憶を甦らせます。

と思いながら、帰りの電車をホームで待っていると、何か見覚えのある風景が目にとまりました。

 

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そうだ、夢さんのジオラマにあった、田舎の駅の跨線橋だ。波形スレートの屋根をつけて、そのスレートの合わせ目にはボルトが飛び出ています。

夢さん、これでしょう!

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コメント

ご指名ありがとうございます(笑)。
う~ん、でもよく見るとこの跨線橋はけっこう新しいですよ。
自分のイメージの中にあるものはどんどんなくなっていきます。
せめてレイアウトで再現しておかねば・・・。(最近、サボリ気味)

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