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2011年10月 5日 (水)

ボランティア

 東日本大震災では、数多くのボランティアが活躍していました。これほどまでに、ボランティアの役割が世に知られるようになったのは、社会の在り方として、いい方向にいっているなと、実感します。

昔、はじめてボランティアなるものを経験したのは、高校1年生の3月でした。その当時、“ボランティア”というと、“奉仕”という言葉が頭に浮かびました。

ボランティアをしている人は、キリスト教の精神に則って活動する、といっても一般人には、布教活動としか映りませんでしたし、また、お金持ちのヒマ人がやる上から目線の道楽としか見えませんでした。それは、“蟻の町のマリア”北原怜子の話が、世間の記憶にあったからだと思います。

友人に誘われて、ボランティア活動に参加するにしても、そういったまわりの偏見と立ち向かわなければならなかったのです。というよりも、理解してもらえないので、誰にも話すことができませんでした。

参加した、ボランティア団体は、“よりよき社会を建設する”という実に、漠然とした目標で、集まった人々でした。高校の時は、いはば入門程度で、それほどの思考力は必要ありませんでしたが、大学に入って、主力が大学生になると、その社会的矛盾と対峙しなければならず、また、学生運動の最盛期で、常に、社会の矛盾とどう向き合うのかを迫られていました。

学生運動の理論的脅迫の嵐に飲まれないためにも、実際に体を動かした“ボランティア”活動のほうに、力をいれて、凌いでいたというのが本当のところでした。

しかし、もう一つの文化サークルと、ボランティア活動の二股は、時間的にも限界にきていました。両方とも、もうただ上の人について行くだけではすまなくなってしまったのです。

責任ある行動をするには、いずれひとつに絞らなくてはならなくなりました。“ボランティア”活動は、私にとって大変魅力的な集団でした。しかし、集団とは、個人が自らの責任で行動するということです。一度行動をおこしたら、最後まで責任を追わなければならないのです。

と、その当時考えていました。実際、この団体では、自らの手で建物を建てていました。この建物が完成すると、その運用から維持管理まで、最後まで責任を追わなければならないと、思いつめていました。

一生“ボランティア”にかかわらなければならないという覚悟を求められたのです。それは、あまりにも、荷がおもすぎました。

Photo

結局、ボランティア活動から遠ざかることになってしまいました。大学の先輩だった、阿木さんに、説得を受けましたが、もう自信がなくなってしまいました。

しかし、自身の言い訳としては、今は、この団体で、新しい行動を起こすアイデアが自分にはないので、いずれ、仲間をつのってこれをやろうという提案ができるまでの充電期間にしよう、と自分に言い聞かせました。

なにか、仲間を裏切っているという気後れと、申し訳けなさが、その後も続きました。いつか復帰しようと思いながら、どんどん時が過ぎていきました。

今、それでは、できる状況か、というと、まだまだ、充電期間がおわりません。

でも、“いつかは”という気持ちだけは持ち続けていたいとおもっています。

追、もうひとつのサークルW大の○美研のOB・OG会は、12月10日の予定だそうです。

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