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2012年8月

2012年8月26日 (日)

『半跏趺坐』再考(作品編)その5

5 清凉寺阿弥陀三尊像のうち両脇侍像

Photo

●光森正士「40、木造阿弥陀三尊像」『阿弥陀仏彫像』1975.4.15
‘脇侍観音菩薩は右足を上に結跏し・・・・’
‘勢至像も右足上結跏とし・・・・’

●「32 木造観音菩薩坐像」『特別展観音菩薩』奈良国立博物館 1977.4.27
‘観音菩薩像は右足を上に結跏し、・・・・’

○田邊三郎助「一三 阿彌陀如來及兩脇侍像」『日本彫刻史基礎資料集成』平安時代 重要作品篇 五 1997.11.10
‘觀音菩薩像
  形状
   ・・・・右足を左股の上にのせて半跏趺坐する。
 勢至菩薩像
  形状
   ・・・・他は觀音菩薩像に準ずる。’

脇侍像の印相について、若林繁「若狭長慶院觀音坐像ー棲霞寺左脇侍像との関連についてー」『美術史研究』13 1976.3.25 によると、棲霞寺阿弥陀三尊の左脇侍像は

「一字佛頂輪王經」巻第四『大正藏』19
‘得大勢至菩薩菩薩。左手搏臍下把半開蓮華。右手當胸側揚掌。・・・皆蓮華坐上半跏趺坐。’P248

を、典拠として掲げています。
確かに実査した時の写真を改めて確認してみると、中尊像は結跏趺坐ですが、両脇侍像は、半跏趺坐です。

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Photo_3

さらに、若林氏は、長慶院観音菩薩像も、

「一字佛頂輪王經」巻第一『大正藏』19
‘畫觀世音菩薩。身白黄色。結跏趺坐。左手胸側執開蓮華。右手揚掌曲躬膽佛。’P230

を典拠としている。としました。

6 長慶院観音菩薩坐像

●「5 木造観音菩薩坐像」『昭和44年度指定文化財修理報告書』美術工芸篇 文化庁 1974.3.
‘形状 右足を外にして結跏趺坐する’ P23

●「木造観音菩薩坐像」『解説版新指定重要文化財』3 彫刻 1981.3.25
‘両足も膝も左右に大きく張って、実に安定した堂々たる像容を示している。しかも胸から腹へかけての肉取りや、結跏する両足のふくらはぎの抑揚ある表現と、その力強い彫り口に平安初期の特色を認めることができる。’P81

●芝田寿朗「33 観音菩薩像」『全集日本の古寺』3 北陸・信濃の古寺 1984.9.19
‘また結跏趺坐する両膝の厚みも十分で安定しており・・・・’

●「27 木造観音菩薩坐像」『福井県史 資料編 4』 1989.7.31
‘結跏をなす膝部は・・・・  ・・・・結跏趺坐をなす両膝の厚みも・・・・’

写真を見ると、この像も明らかに半跏趺坐です。

Photo_4
棲霞寺阿弥陀三尊像の両脇侍像については、津田徹英氏が「醍醐寺如意輪観音像考」『美術史』132 1992.4.15
の中の、三、図像学的考察/(二)清凉寺阿弥陀三尊両脇侍像の印相 という小題で、若林氏とは、違った見解を述べています。
‘この両脇侍の印相は不空訳『金剛頂蓮華部心念誦儀軌』が説く阿弥陀四親近菩薩の内、金剛法・利二菩薩の「羯磨契」にあたるものであろう。すなわち、左脇侍像の印相は金剛法菩薩の羯磨印である「左蓮右開契」にあたり、右脇侍像の印相は金剛利菩薩の「左手想持華右手如把剣」にあたると考えられる。’

として、その他の儀軌の例をあげていますが、どうも、両脇侍像の印相と儀軌の記述が完全に一致してはいないようです。さらに、坐法についての一致については、完全に無視しています。

図像と実際に彫像として作られた仏像との関係について、従来の図像を典拠として彫像は作られている。という先入観は疑ってかからないと説明がつかないような気がします。

参照ブログ

2012年8月19日 (日)

『半跏趺坐』再考(作品編)その4

4 広隆寺講堂虚空蔵菩薩坐像

Photo

この仏像も、どの図像を典拠として製作されたか、についての論考が、数多くあります。

そのひとつが「虚空蔵菩薩求聞持法」をその典拠として考察していますが、そのどれもが図像等に記載されている印相の相違についての問題にしぼられています。

「虛空藏菩薩能滿諸願最勝心陀羅尼求聞持法」『大正藏』第20巻 No.1145
‘身作金色。寶蓮華上半加(イ跏)趺坐。以右壓(イ押)左。容顔殊妙。作熙怡喜悦之相。於寶冠上有五佛像。結加趺坐。菩薩左手執白蓮華。微作紅色。於華臺上有如意寶珠。吠琉璃色黄光撥焰。右手復作與諸願印。五指垂下現掌向外。是與願印相。畫像了巳。’

「圖像抄」虚空藏菩薩 No.47

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○金森遵「廣隆寺講堂脇侍菩薩像について」『考古学雜誌』28-6 1938.6.1(『日本彫刻史の研究』 1949.4.15)
‘此の廣隆寺像は半跏に坐して左右に金剛寶を載せたる蓮華を執る點に於て該法(編者注:求聞持虚空蔵法)の所説と合致する。’

●望月信成編『廣隆寺』 1963.5.6
「12 虚空蔵菩薩坐像(講堂安置)」
‘結跏趺坐する両膝とやや薄い感を受けるが、左右に長く張り出ていて安定感がある’

●『日本彫刻史基礎資料集成』重要作品篇二 1976.10.10
西川杏太郎「六 虛空藏菩薩像 廣隆寺」
形状
‘右足を外にして結跏趺坐する’

『覺禪抄』巻第六十五(求聞持)(大正藏圖像五)

Photo_3
‘右像相叶祕藏記圖。彼文云。肉色。左手持開敷蓮花。上有如意珠玉寶。右手持寶劍。
・・・
實任云。道昌僧都本尊也。北山修行之間安置之云〻’ P77

西川杏太郎氏は、『基礎資料集成』の「備考三、虚空蔵菩薩像とその形相」で、「求聞持法」と『覺禪抄』の二種の図像は、この像の像容と一致しないとしていますが、図像からの典拠を考察するにあたって、印相の比較だけでいいのでしょうか。しかも、広隆寺像の印相に合致する図像の考察にあたって、さまざまな解釈をしてまで、図像の典拠を求めるというのは、少々強引な気がします。

さらに、図像には、「結跏趺坐」「半跏趺坐」について明確に示しています。坐法の比較についても検討されなければ、片手落ちです。

それでは、実際の虚空藏菩薩像はどっちなのでしょうか。下の写真をみれば明らかです。

Photo_4

実際は、ご覧のとおり半跏趺坐です。

参照ブログ

2012年8月 2日 (木)

『半跏趺坐』再考(作品編)その3

3 神護寺五大虚空蔵菩薩坐像

Photo_3
『圖像抄』巻第四 秘宝等(大正藏圖像三)によると、

五大虚空藏菩薩
・・・
是名五大虚空藏求富貴法。其菩薩衣服首冠瓔珞皆依本色。各半跏坐。畫此像已對壇前。無間但誦五字明一千萬遍。卽得富貴成就。 P15

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とあり、虚空蔵菩薩像は、他の図像を見ても“半跏趺坐”に坐すことが多いようです。

●『日本彫刻史基礎資料集成』重要作品篇 二 1976.10.10
毛利久「三 五大虛空藏菩薩像 神護寺」
形状 法界虛空藏菩薩像(白色)
‘・・・右足を外にして結跏趺坐する。
他は法界像に準じる。’ P11

●『神護寺と室生寺』新編名宝日本の美術 第8巻 小学館 1992.2.10
伊東史朗「8・9 五大虚空蔵菩薩坐像」
‘それぞれ大ぶりの頂髻を結び、宝冠を被り、条帛、裳、腰布を着け、右足を前にして結跏趺坐する。’ P46

○『週間朝日百科 国宝の美』17 彫刻7 平安時代の密教彫刻 2009.12.13
津田徹英「神護寺五大虚空蔵菩薩坐像」
‘条帛と裙、腰布をまとい、右脚を上にして半跏趺坐とする’ P26

Photo_5
このフィギュアは、精巧に作られていますね。“半跏趺坐”であることがよくわかる作品になっています。

ちなみに結跏趺坐の例として、東寺講堂の不動明王坐像のフィギュアの写真もどうぞ。

Photo_6

ところが、この不動明王のフィギアは、膝前のところが、不明確な作りをしています。どうも、このフィギア制作時の資料が不足していたのかもしれません。それで、実際の調査報告の写真で見ると“結跏趺坐”であることがわかります。

Photo_7

参照ブログ

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