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2012年12月

2012年12月31日 (月)

今年を振り返って(平成24年)

例年のごとく、今年1年間旅行して、撮った写真をお見せいたします。

1.2 東京国立博物館新年の金竜の舞から

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2.5 仙台の善応寺へ、板硝子の調査のついでに、仙台市内にある土井晩翠邸にいきました。

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建物は戦後の昭和24年に建てられた建物ですが、ロールの跡がよく残っているガラスが嵌まっていました。

2.18 立花大正民家園(旧小山家)は、墨田区の旧中川の近くにあります。大正6年の建物です。

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いわゆるヒモヌキの加工ガラスです。一部に古いガラスがありました。

2.22 林芙美子記念館は、新宿区の落合にあります。昭和16年~26年まで住んでいた住宅です。

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この額入りの鏡は、珍しくゆがんでいます。普通板に銀引しただけの鏡です。磨いて平らにしていません。

2.24 佐倉の旧堀田邸の中に跡見花蹊の描いた襖がありました。

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2.26 千葉市ゆかりの家・いなげー愛新覚羅溥傑仮寓ーは、溥傑が結婚してすぐに住んだいはば新居でした。昭和12年から半年いたそうです。普通の民家ですが、一部屋だけ洋間にしてあります。

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結霜硝子の中を透明にしています。珍しい加工方法です。

4.10 墨田公園は、水戸の下屋敷だったところです。その後、水戸徳川昭武は、ここ小梅邸を本邸に、松戸戸定邸を別邸としていましたが、小梅邸は関東大震災で焼失しました。洋館が建っていました。

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4.14 館山城(館山市立博物館)は、おもに八犬伝関係の展示しています。

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4.28 郡山城の中に、ちょっと古い建物が気になりました。旧奈良図書館だそうです。木製建具にパテで硝子が嵌まっています。明治41年竣工。

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9.12 東京スカイツリーの夜景。

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9.15 滋賀県長浜の駅の近くに、慶雲館という和館があります。明治20年に明治天皇の行幸の折の行在所として建てられました。庭がきれいです。

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9.16 伊賀市に旧小田小学校があります。明治14年竣工の建物です。硝子はすべて取り替えられていますが、赤と青は手吹き硝子ですが、透明は多少模様のある硝子で、古さを見せていますが、ちょっと・・・

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10.20 天鏡閣は、猪苗代湖畔にある洋館です。有栖川威仁親王が明治41年に建てました。いくらか古い硝子を使っていました。

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10.27 軽井沢に残る老舗のホテルです。万平ホテルには、食堂に二枚の大きなステンドグラスと、階段室に亀のデザインのステンドグラス、売店に小さなステンドグラスがありました。

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11.3 有栖館は平安女学院大学の所有の建物です。以前は京都裁判所の所長宿舎だったそうです。

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11.23 金沢の大友楼は、今度は是非とも食事をしながら、色ガラスの入っている建具を見てみたいとおもいますが。

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12.7 旧朝倉家住宅は、代官山から歩いて数分の所にあります。朝倉虎次郎が大正8年に建てた建物です。現在の所有者は、文化庁、管理者は渋谷区となっています。

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結霜ガラスが嵌まっていますが、いままで結霜ガラスの嵌まっている建物を見ていると、どうも水回りに窓に使っているのが多くみられます。スリガラスだと、結露すると、透けて見えてしまうので、それを嫌ったのでしょうか。

12.22 榛名神社の本殿。この神社の立地が奇岩のある場所だということがわります。

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一年を振り返って見ると、3月に板ガラスについて、話をしなければならなかったので、その準備として、近代の板硝子の嵌まっている建物を見ることから始まって、それが今まで続いてしまいました。

決して、仏像を見る旅をしなかったわけではありません。むしろ、地方の博物館で開かれている展覧会にかこつけて、その近辺の近代建築を見てあるいたことを取り上げたのが大きいのでしょう。

こういった近代建築は、住宅など相続税で物納したために、公共団体が保存せざるを得なかった、ということがあるようです。これらの建物は、これからいかに保存するかにかかっています。変に、建物を有効利用しないことをいのります。

7月から『半跏趺坐』再考を書き始めて、まだ結論に達していません。資料を集めていくうちに、どんどん問題が広がっていったためです。また、坐像の俯瞰写真などなかなか手にはいりません。かといって、現地で調査もままなりません。

彫刻史を研究する人にとっては、これほど根本的な問題なのに、問題意識を持っている研究者がほんの少数なのを大変憂いています。

こんな意識で調査して大丈夫? 先入観という色メガネで見ていませんか?

そんなこんなで、一年間 御購読ありがとうございました。

来年もまた御批判、御鞭撻よろしくおねがいいたします。よいお年を。

2012年12月15日 (土)

『半跏趺坐』再考(作品編)その12

「結跏趺坐」か「半跏趺坐」か判定できない仏像(二)

止利様の仏像の場合

48 法隆寺金堂釈迦三尊像
49 法隆寺金堂薬師如来坐像

▲町田甲一 「釋迦三尊像 金堂所在 止利作 中尊 釋迦如來坐像 」『奈良六大寺大観 第2巻 法隆寺2』 1968年4月24日 岩波書店 (「法隆寺金堂 釋迦三尊像について 」 『上代彫刻史の研究』 1977年5月10日 吉川弘文館)

‘一 中尊 釋迦如來坐像
 中尊の釋迦如來像は、檜造りの二重宣字形須彌座上に、法衣の裙を全面に大きく垂下して、結跏趺坐している。' P11

▲水野敬三郎「釈迦三尊と止利仏師」『奈良の寺』3 金堂釈迦三尊 1974年3月8日
‘釈迦三尊像(『日本彫刻史研究』 1996年1月20日 中央公論美術出版 )

  中尊は・・・螺髪をつけ、白毫相をあらわし、左手は第二・第三指を伸ばし、右手は全指を伸ばして掌を前に向け、結跏趺坐する。'

▲西川新次「飛鳥時代の彫刻/2,代表的遺品/Ⅰ,法隆寺金堂釈迦三尊像 」 『文化財講座 日本の美術 5 彫刻(飛鳥・奈良)』 1978年9月15日 第一法規出版 51p~60p

‘Ⅰ 法隆寺金堂釈迦三尊像 品質・構造・形式
 さて中尊像は、両脇侍像をも包摂する大きな蓮弁形の光背を背にし、左手与願、右手施無畏のいわゆる通仏の印を結び、通肩の衣をつけ、二重の宣字座に、大きく裳をひろげて結跏趺坐している。' P52

▲大西修也「三、創建法隆寺の美術 釈迦三尊像」『日本の古寺美術』③ 法隆寺Ⅲ 1987年1月31日 保育社

'仏壇中央の中ノ間に安置されている釈迦三尊像は、大きな挙身光を背に結跏趺坐する如来像を中尊とし、その左右に菩薩形の脇侍をしたがえたいわゆる一光三尊形式の仏である。' P52

▲川瀬由照「第一章/金銅釈迦三尊像と薬師像 」 『法隆寺美術 論争の視点』 1998年8月5日 グラフ社

‘釈迦三尊像
 中尊は右手は施無畏印、左手は与願印を結び、大衣を通肩にまとい、前面に懸裳を広げた宣字形の台座上に結跏趺坐している。' P80
‘薬師像
 薬師像は、右手は施無畏印、左手は与願印を結び、大衣を通肩にまとい、宣字形の台座の前面に懸裳を広げて結跏趺坐する。’ P80

△村田靖子「第Ⅷ章 日本/○金銅釈迦如来坐像 奈良・法隆寺金堂」『仏像の系譜ーガンダーラから日本までー』1995年5月19日 大日本絵画

‘半跏趺坐する右足を見せ・・・’ P256

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50 東京国立博物館仏形坐像(法隆寺献納宝物145号)

▲法隆寺宝物室「3,仏形坐像(法145) 」 『金銅仏 1』法隆寺献納宝物特別調査概報 Ⅴ 1985年3月31日 東京国立博物館

‘形状 右足を上にして結跏趺坐する。右足裏半ばより先を大衣の縁から出すが、大衣に隠れた踵のふくらみも示す。’ P22

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51 東京国立博物館仏形坐像(法隆寺献納宝物146号)

▲法隆寺宝物室「4,仏形坐像(法146) 」 『金銅仏 2』法隆寺献納宝物特別調査概報 Ⅵ 1986年3月20日 東京国立博物館

‘形状 右足を上にして蓮華座上に結跏趺坐する。’ P3

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52 薬師寺(石川県鳳珠郡能登町)如来及び両脇侍像

▲北春千代「石川県/116,如来及び両脇侍像 薬師寺 」 『日本の仏像<中部>』仏像集成 2 1992年1月15日 学生社

‘中尊は、衲衣を通肩にまとい、左手に宝珠をつまみ、右手は膝上に伏せ、脚付方形台上に宣字座を据えた古式の台座の上に結跏趺坐する。’ P94

石川県立歴史博物館にてレプリカを実見。

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53 法隆寺阿弥陀三尊像(橘夫人念持仏)

54 法輪寺薬師如来坐像

▲岡直己「法輪寺薬師如来坐像考 」 『美術史』 1-4(4)  1951年9月30日 美術史學會

‘結跏趺坐してゐる兩足を蔽ふて前に垂らしてゐる裳は短く、臺座まで懸ってゐない。’ P32~P33

△「修理解説書/74,木造薬師如来坐像 奈良・法輪寺 」 『日本美術院彫刻等修理記録 Ⅱ(解説)』奈良国立文化財研究所史料 第10冊 1976年3月31日 奈良国立文化財研究所
‘(現状) 坐像。螺髪、木眼。右手屈臂上掌左手屈臂、瑠璃壺ヲ持チ、右足ヲ以テ左脛ヲ押フ。’ P152

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片足が衣で隠れて判定できないのもあり、また、膝の形状が抽象化されており、仏師の造形方針からみると、“半跏趺坐”の意識で作られているように見えるが、判定がむずかしい。

止利様の仏像については、中国との作例についての考察もしなければならないので、改めて記述することとします。

とりあえずは、両足裏を見せる表現をしていないので、上記の仏像は明確に結跏趺坐と断定できる作例ではないようです。

2012年12月 9日 (日)

『半跏趺坐』再考(作品編)その11

実査・写真で「半跏趺坐」と判明する仏像(二)

42 伏見寺銅造阿弥陀如来坐像
●北春千代「石川県/99,阿弥陀如来坐像 伏見寺 」 『日本の仏像<中部>』仏像集成 2 1992年1月15日 学生社

‘衲衣を偏袒右肩に着し、胸前で下品中生の説法印を結び、右足を外にして結跏趺坐する。’ P82

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先日、金沢に行った折、上から俯瞰で実見。

43 和具観音堂銅造如来坐像
●毛利伊知郎「図版・解説/53,如来坐像 志摩郡・和具観音堂 」 『三重の美術風土を探るー古代・中世の宗教と造型ー』 1986年10月12日 三重県立美術館

‘像容を見ると、左手を膝上に置き、掌を上にした一種の与願印をとり、左脚を外にして結跏趺坐している。’

●岩佐光晴「作品解説/201,如来坐像 三重・和具観音堂 」 『特別展図録 金銅仏ー中国・朝鮮・日本ー』 1988年3月31日 東京国立博物館

‘正に重厚という感じの如来像で、結跏する膝は極めて厚く、しかも裳先を出さずに切り込んでおり、体奧・面奧もこれに応じた厚みと量感を示している。’ P301

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44 勝常寺薬師如来坐像
○山岸公基「第二章 解説 第三節 勝常寺の仏像 1,基本的データ/Ⅰ,薬師三尊像 」 『湯川村史 第一巻 勝常寺と村の文化財』 1985年3月30日 湯川村

‘形状 薬師如来像 本体 ・・・左足を上にして趺坐する(二)。’P89
‘注二 左脛と腹との間に右足首が表現されておらず、結跏と断じ難い。’P169

●井上正「古密教彫像巡歴 27/福島・勝常寺薬師三尊像(その一) 」 『日本美術工芸』 606  1989年3月1日 日本美術工芸社

‘左足を前にして結跏趺坐し、左足は足先の部分のみ衣でつつむ。’ P40

●若林繁「4,各時代の仏像 1 平安時代 (1)会津/(1)勝常寺薬師如来及び両脇侍立像 」 『福島の仏像ー福島県仏像図説ー』 1997年6月30日 福島県立博物館

‘左足を上にして結跏趺坐するが、左足の先に衣の一部が巻き付いている。’ P73

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福島県立博物館の常設展に、レプリカがあり、膝前の形状から、右足が左手の袖に隠れているが、その膨らみがないところを見ると、半跏趺坐と確認できる。

45 勝尾寺薬師如来坐像
●田中義恭「勝尾寺薬師三尊像 」 『MUSEUM』 247 特集・平安彫刻(2) 1971年10月1日 東京国立博物館

‘次にその表現についてみると、中尊像は大衣を着け、左手に薬壺(現状のものは(後補))をのせて結跏趺坐する普通のかたちの薬師如来像である。’ P31

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46 大善寺薬師如来坐像
○鈴木麻里子「第3章 彫刻/3,木造薬師如来及両脇侍像 大善寺 」 『山梨県史 文化財編』 1999年3月23日 山梨県

‘左手は膝上で掌を上にして五指を伸ばして持物(亡失)を捧げ、右手は膝上で掌を伏せ五指を伸ばす。右足を上にし半跏趺坐する。’ P483

●菱沼沙織「作品解説/3 薬師如来及び両脇侍像 山梨・大善寺 」 『関東の仏像』 2012年3月25日 大正大学出版会

‘衲衣の折り返し部を左肩の上部だけにあらわす。他には例の少ない着方をして、右足を外にして結跏趺坐する。’ P125

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47 随心院金剛薩埵坐像
●「解説 彫刻/30,木造金剛薩埵坐像 随心院 京都府京都市東山区山階小野御霊町 」 『昭和40年度指定文化財修理報告書 美術工芸品篇』 1968年2月29日 文化財保護委員会

‘形状 右足を上にして結跏趺坐する。’ P39

●西川杏太郎「118,金剛薩埵菩薩像 随心院」 『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇 第四巻』 2006年2月25日 中央公論美術出版

‘形状 右足を上にして結跏趺坐する。’ P86

●萩原哉「図版解説/55 金剛薩埵坐像 快慶作 京都・随心院蔵 」 『創建1200年 空海誕生の地 善通寺』 2006年3月31日 香川県歴史博物館

‘右手に五鈷杵、左手に五鈷鈴を持って結跏趺坐する姿は、金剛界曼荼羅の図像にしたがうものである。’ P133

○山口隆介「随心院所蔵彫刻に関する調査報告/二 金剛薩埵菩薩像 」 『小野随心院所蔵の文献・図像調査を基盤とする相関的・総合的研究とその展開 Vol.Ⅲー随心院調査報告・国際研究集会報告・笠置寺調査報告』平成19年度科学研究費補助金 基盤研究(B)17320039研究報告書 2008年3月19日 荒木浩

‘右足を外にして半跏趺坐する。’ P288

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佐和隆研『仏像図典』の「金剛薩埵」の項目によると、金剛界理趣会の像容として、以下の史料を揚げています。

「大樂金剛不空眞實三昧耶經般若波羅蜜多理趣釋」卷上 (大正蔵19)
‘金剛薩埵菩薩。背月輪戴五佛冠。右手持金剛杵。左手持鈴。半跏趺坐。’P610下

また、
「金剛頂瑜伽金剛薩埵五秘密修行念誦儀軌」(大正蔵20)
‘則結金剛薩埵跏謂以右脚押左。’P536下

これによれば、金剛薩埵は、“半跏趺坐”と書かれており、快慶はこれにのっとって忠実に再現したと思われます。

しかし、金剛薩埵像の他の作例を調べてみると

結跏趺坐像・・・東寺講堂像(五菩薩像の内)、根来寺像、円教寺像
半跏趺坐像・・・金剛峯寺旧金堂像(焼失)

東寺像、金剛峯寺像のように、ほぼ同時代でも、造形形式に違いがあるのはどういうことなのか、この辺のところは、参照儀軌の典拠を改めて検証する必要がありそうです。

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東寺伝真言院曼荼羅 金剛界理趣会 金剛薩埵

2012年12月 8日 (土)

『半跏趺坐』再考(作品編)その10

明らかに「結跏趺坐」と判明する仏像(三)

35 法隆寺講堂薬師三尊像(990)
○「修理解説書/6,木造薬師如来及両脇侍坐像(講堂安置) 奈良・法隆寺 」 『日本美術院彫刻等修理記録 Ⅳ(解説)』奈良国立文化財研究所史料 第13冊 1978年3月31日 奈良国立文化財研究所

‘(現状)坐像、漆箔、螺髪、木眼、彩色、木製白毫ツキ。右手屈臂、上掌、左手ヲ膝上ニ安シ、瑠璃壺ヲ持チ、結跏趺坐、右足を以テ左(月+坒)ヲ押ス。’ P5

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36 善水寺薬師如来坐像(992)
○井上正「9,藥師如來像 滋賀 善水寺 」 『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇1』 1966年6月1日 中央公論美術出版

‘形状 左足を前にして結跏趺坐する。’ P66

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37 興福寺薬師如来坐像(1013)
○水野敬三郎「11,藥師如來像 奈良 興福寺 」 『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇1』 1966年6月1日 中央公論美術出版

‘形状 右足を外にして結跏趺坐する。’ P77

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38 平等院阿弥陀如来坐像(1053)
○奥健夫「第一章 概要と沿革/一 概要/3 形状・品質構造 」 『平等院国宝木造阿弥陀如来坐像・国宝木造天蓋修理報告書<本文編>』 2008年3月31日 宗教法人平等院

‘【形状】 1 阿弥陀如来像 〔本躰〕 右足を上にして結跏趺坐する。’ P8

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「結跏趺坐」の解説記述がないが、写真等で「結跏趺坐」と判明する仏像


39 永青文庫石造如来形坐像

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40 屋島寺千手観音坐像

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41 双林寺薬師如来坐像

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