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2015年9月

2015年9月24日 (木)

備中高梁、岡山の旅

 3日目は、広島を朝早く立って、岡山へ、伯備線に乗り換え、備中高梁へ。
伯備線は、高梁川沿いに谷間の中をくぐり抜けながら、走って行きます。これが日本の原風景のような感覚を覚えました。

備中高梁駅に降り、タクシーで、「お城まで」と告げると、ふいご峠駐車場まで連れてってくれます。自家用車は、その手前の城見橋公園駐車場までで、そこからシャトルバスで、ふいご峠駐車場まで運んでくれます。

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ふいご峠からお城まで、700m、徒歩20分 と書いています。歩き始めると、山道で登りの連続です。これは、今回訪れて正解だったと納得しました。これ以上体力がなくなれば、とてもたどり着くことは出来なかったでしょう。

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やっとのことで、大手門跡までたどり着きました。ここからは、二ノ丸を通って、天守閣に至ります。

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天守閣の前の本丸南御門、五の平櫓、六の平櫓、土塀などは復元建物です。
天守閣の後ろのある二重櫓は現存建物です。

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標高430mの天守閣からは、備中高梁市が一望に見渡せ、いかに高い所に天守閣を作ったのかを知らされることになりました。

帰りは、山道を降りる近道もありましたが、車で来た道を歩いて降りました。
山から下りた所には、土塀で囲まれた、武家屋敷が2件ありました。いづれも江戸時代の建物です。
駅に向かって歩いていくと、高梁市郷土資料館という洋風建物がありました。

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中をのぞくと、一般の民俗資料館とは違って、ありとあらゆる生活道具が展示されていました。これだけの道具類を集めた郷土資料館はいままで見たことがありません。
建物は、明治37年建築の元尋常小学校で、窓硝子は、当初のものも残っていました。
玄関のランマには、結霜ガラスも嵌まっていました。

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岡山市へもどり、まずは、後楽園へ。

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これで、日本三大庭園をやっと制覇しました。

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そして、岡山城へ。

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最近、お城めぐりが多くなってきましたが、時間があるときは、必ず城の周囲のお堀を一週することにしています。すると、お城の搦手がわかりますし、天守閣のロケーションも変化して新しい発見があります。

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石垣の積み方から時代の流れを感じることも出来ます。

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これで、現存天守閣12棟のうち、10棟に登城することができました。あとは、四国の高知城と宇和島城だけです。近いうちになんとか制覇したいと思う今日この頃です。

2015年9月23日 (水)

島根・広島の旅

 2日目は、朝7時に宿をでてひたすら走り、2時間ほどで津和野に到着。

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民俗資料館、郷土館など大正時代の建物の外観から見ると、窓硝子は、殆どが透明とスリガラスで、板ガラスに関しては、見る物がありませんでした。
ふらっと入った、昭和4年の津和野カトリック教会の色ガラスには、当初と思われる泡入りのガラスがありました。

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津和野の町からはなれた山間に、旧堀氏庭園がありました。

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山裾に幾つかの建物を配置し、明治33年の「楽山荘」という2階建の客殿の前には池泉回遊式の庭園がありました。しかし、残念ながら、古い板硝子は見当たりませんでした。
紅葉の季節にはきっとすばらしいロケーションになるのでしょう。

山道をひたすら走り、益田市内のグラントワ内にある島根県立石見美術館へ。
『祈りの仏像』展を見学。

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仏像は50体ほど出陳されていましたが、やはり、今回の目玉は新発見という奈良時代の木造観音菩薩立像でしょう。最近、奈良時代の木彫像がよく見受けられるようになりましたが、ちょっと違和感があります。
さらに、大寺薬師と古保利薬師堂の四天王立像が4体ずつそろっての展示は、なかなかのものでした。
唐時代から木喰の江戸時代まで、彫刻を網羅した展覧会でしたが、石見らしさという印象がどうも感じられないのです。地方的な独自の特色というのは、幻想なのでしょうか。

益田からは、191号線という山道をひたすら走り、北広島町(旧千代田町)の古保利薬師堂へ。ここは、45年前、友人と山陰山陽のドライブ旅行の折、拝観した仏像でした。
聞くと、この収蔵庫は、当時からあった建物で、この同じ場所で再会したのですが、全然記憶にありませんでした。

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四天王立像4体は、つい先ほど石見美術館で見てきましたが、それ以外全てがありました。

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中央の薬師如来坐像は、結跏趺坐をしています。この時代で、結跏趺坐というのは、逆に珍しいというべきでしょうか。

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この収蔵庫のまわりには、講堂と称する集会所、ちいさなお堂が2棟ありました。
そのうちの阿弥陀堂をのぞいてみると、如来坐像がありました。どうも頭部が古そうです。

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広島市内にはいる予定の時間に余裕ができたので、急遽、広島城へ。

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上は、復元した二ノ丸の櫓。

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その後、レンタカーを返却。2日間の走行距離は500kmになりました。

2015年9月22日 (火)

広島・山口の旅

 9月19日~21日まで旅に出てきました。まず、第一日目の旅程から

広島からレンタカーで呉へ、呉市入船山記念館(旧呉鎮守府司令官官舎)
→岩国、錦帯橋・・・岩国城見学は断念
→上関町、四階楼・・・明治時代の擬洋風建築と色ガラス
→防府、毛利博物館・・・入館時間に間に合わず、無理矢理交渉して入館
→防府で宿泊

旧鎮守府司令官官舎は、明治38年建築の洋館と和館の木造建物です。

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玄関の扉には、桜と錨の模様入りケシガラスが嵌まっており、ランマ、袖にステンドグラスがありました。明治38年竣工という時期を考えると、模様入りケシガラスは創建当初のものではないとおもいますが、それにしても、当時、これだけの1枚ものの板ガラスが手に入ったのかは、疑問が残ります。

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この建物は平成3年から7年にかけて解体修理を行っています。ステンドグラスはあまり修理が施されていないようですが、窓硝子は、和館とも透明とスリガラスのみで、透明ガラスはロールの跡があるところをみると、後にほとんどが入れ替えたもののようです。

つぎは、岩国の錦帯橋

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さすがの架橋技術です。

瀬戸内海を左にみながら、海岸沿いを走り、室津半島の先端にある上関町の四階楼へ。
明治12年に建てられた、木造4階建ての擬洋風建築です。

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その4階18帖ほどの部屋に両開き窓13箇所に青・黄・赤・緑の色ガラスを使っています。

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天井中央には、鳳凰の鏝絵があります。

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西面の3箇所の窓からは、畳に色ガラスを映し出しています。

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4階に上がると、見学者は思わず感嘆の声をあげていました。建築主の小方謙九郎の思惑にうまくはまってしまったようです。

建物は平成10年~12年にかけて保存修理工事が施されており、色ガラスも一部入れ替えていますが、現代のアンティークガラスを使用しているようで、当初のものとの見分けがむずかしいほどでした。

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上の写真では、透明ガラス両方とも泡が入っていますが、右が当初で、左は現代のアンティークガラスではないかとおもいます。
色ガラスも、現代製作のものには、意識的に泡をいれているようで、うすく規則的な線の入った模様があるのが特徴ですが、なかなか判別がむずかしいのが現状です。

車を走らせて、毛利博物館に着いたのは、入館時間の4時30分を数分過ぎた時でした。
受付の人に、閉館は5時なので、それまで入館できるように交渉して、あわてて見てきました。
目的は、毛利博物館の展示品ではなく、毛利邸の内部を見ることでしたので、ひたすら、窓硝子を見てまわりましたが、古いガラスは見つかりませんでした。

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これで、1日目は終了。次の日の旅程は、この次。

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2015年9月17日 (木)

掛川・静岡の旅

まず、朝一番で、掛川駅に着き、最初は、城の北側にある「竹の丸」へ。
竹の丸とは、掛川城の郭のひとつで、そこに明治36年、掛川の問屋「松屋」の当主、松本義一郎が本宅として建てたものが残っています。
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そして、大正9年に離れを2階に改築し、その2階の貴賓室という板の間の窓のランマに2枚のステンドグラスが嵌まっていました。
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窓は、掛川城の天守閣が見渡せる位置にありました。
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そのすぐとなりに、大日本報徳社があります。大日本報徳社とは、二宮尊徳の唱えた報徳思想の普及をめざして開設された結社です。敷地内には、5棟の戦前の建物が建っています。
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そのうちの正面の大講堂は明治36年竣工の木造建造物ですが、その内部のランマに手吹き円筒法によるものと思われる硝子が嵌まっていました。今回なんとかそのゆがみがわかる写真が撮れました。
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また、すぐとなりに最近開館した、掛川市ステンドグラス美術館を見てきました。この美術館は、掛川在住の医者のコレクターが寄贈したもので、19世紀イギリスで製作されたパネルのコレクションです。ミュニック式とでもいう系統のステンドグラスで、教会の窓用に製作されたもので、繊細な絵付けが見所なのですが、どちらかというと、絵画(宗教画)としてのジャンルで、色ガラスをつなげる近代のステンドグラスとは違う印象です。
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ここまできて、掛川城天守閣に登らない手はありません。掛川城は、木造で再建された数少ない天守閣です。最近城の復元工事も、木造でという傾向になってきましたが、その嚆矢です。
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すぐに、JRで静岡にもどり、元美術館館長のN本氏と落ち合い、予約してもらった静岡市役所議事堂の内部に潜入しました。
議事堂の傍聴席側の窓に5箇所、その両脇に丸窓が2箇所ずつ、それぞれステンドグラスが嵌まっていました。
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この丸窓は、左右とも同じ図柄でした。

5箇所の大窓の上部を内部の向かって右からお見せいたします。

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エンブレムの中の黒丸と、市章は、実際には鏡を切って入れていますので、裏の塗料が部分的に剥がれています。また、右1番のエンブレムの中の十字は、どうも2枚の硝子の外側に描いているようです。これは、鳩山会館の五重塔の組み物部分の技法と共通しています。
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このステンドグラスの製作は、小川三知の甥の木村信三という人だそうです。この人物がいまのところよくわかっていません。小川三知没後の、小川スツジオがどうなっていたのかがはっきりとわかっていないためです。

その後、静岡県立美術館『富士山ー信仰と藝術ー』展へ、久しぶりに円楽寺の役行者片足垂下像を拝見。美術館のキャプションでは、”役行者半跏像及び前鬼後鬼像”となっています。解説でも「左足を踏み下げる半跏の形態をとる。”と言っています。
こんなこといちいち指摘しなければならないのが情けない。
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今回は、N本氏に静岡で、もう1箇所ステンドグラスの嵌まっている建物の調査を頼んでいたのですが、残念ながらその建物は平成17年取り壊されたとの事でした。ひょっとしたらパネルだけでも残してくれたらという一縷の望みをもった一日だけの内容の濃い旅でした。

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