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2016年10月

2016年10月19日 (水)

福井県・高岡・富山の旅(3日目)

富山は、まず、ライトレールという、市電のような電車で、「競輪場前」駅下車。

ちょっと、開館時間にははやいので、近くの富山港展望台へ。

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ここからは、富山港の全貌と、東岩瀬の町並みの様子がよくわかりました。

東岩瀬の町並みの中にある北前船廻船問屋「森家」はこの町並みでの一番大きな住宅のようでした。

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中の小さな庭の縁側に嵌まっているガラス戸のガラスは、手吹き円筒法による、泡の入ったガラスが多く嵌まっていました。建物は明治11年に建てられているので、おそらく創建当初のガラスかもしれません。

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富山駅にもどって、バスで富山市民俗民芸村へ。ここには、江戸期から明治の頃の民家を移築して、展示施設として利用している施設群です。

その中のひとつ、富山市陶芸館は、明治27年に市内で建てられた豪農の館で、昭和55年に移築し、全国各地の民藝陶器と呼ばれている焼き物が展示してありました。

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と、廊下の引き戸を見ると、模様入りのケシガラスが嵌まっていました。

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これは、どうもガラスに貼った紙を切り抜いて、サンドブラストをかけたガラスのようです。パターンは殆ど一緒のようですが、ケシが非常に薄い加工をしています。

もうひとつ、4連の引き戸に模様入りケシガラスがありました。

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この模様は、高橋是清邸、大阪・泉布観にある模様と同じです。型紙は違うようですが。

ここからバスには時間がありすぎなので、路面電車のある駅まで歩き、富山城にある富山市郷土博物館へ。この博物館の建物は、一見天守閣風の建物ですが、この建物の場所は門のあった石垣の上に建てられたもので、よくみると、実におかしな建物になっています。

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よくこんな、時代考証を無視した建物を造ったのでしょう。

富山市は、ガラス工芸に力を入れ、ガラス工芸をテーマに市ぐるみで普及に取り組んでいるようです。そのひとつの目玉が、去年開館した富山市ガラス美術館です。

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設計は、あの隈研吾です。図書館と美術館の機能を一緒にした建物です。

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6階建ての建物の中は、木の板とガラス、鏡をふんだんに使い、吹き抜けの空間が6階まであり、エスカレーターでつながっています。建物の中がまるで、ひとつの空間のようで、図書館部分は開放的な空間になっていて、本を読むにはちょっと落ち着かないかな、と思います。そのために、美術館の展示スペースが、階をわたってあり、エレベーターで行き来しなければならないのは、使い勝手が図書館の方を重点的に意識した設計なのかなと思います。
展示品のガラス工芸は、現代物なので、原色をつかった、華やかな色彩の作品だらけなので、これは、建物にマッチしているようにも見えます。

富山といえば、薬の町でもあります。薬種商の館 金岡邸へ行ってきました。

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建物の母屋は明治初期、新屋部分が大正の頃だそうです。金岡家は薬商だけでなく、銀行を設立したり、今ではコンピューター企業の設立にも関与した富山県の経済界に業績を残した家です。

建物の中に入ると、母屋と新屋の繋ぎの廊下の窓に全面結霜ガラスが嵌まっていました。よく見ると、その他の窓にも、結霜ガラスが多用されていました。

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ということで、今回は4件もの北前船の館を見て回りましたが、廻船問屋という情報を早く採り入れることが出来る職業柄、かなり先進的な文化を持っている印象を受けました。明治時代の時代の早い変化に素早く対応できる情報力が廻船問屋にはあったということでしょう。

今回は、仏像では、まだ半跏趺坐の仏像が見出されること、半跏趺坐の認識をもった人が一人でもいたことが、収穫だったのかな。

また、ステンドグラス、色板ガラス、模様入りケシガラス、手吹き円筒法のガラス を見ることができて、目的は達成出来たということでしょうが、もうひとつ解決できない問題をかかえてしまったような気がします。

ガラスも仏像もまだ道半ばです。

2016年10月18日 (火)

福井県・高岡・富山の旅(2日目)

15日

朝、福井から、電車で金沢をスルーして、高岡へ。氷見線に乗り換え、伏木駅で下車。
徒歩10分で、小高い丘の上に、望楼を備えた伏木北前船資料館はありました。

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この旧秋元家住宅は、明治20年の大火後に建てた建物で、小矢部川河口を見渡せる高台に位置しています。
中庭に面した廊下に、引き分け戸があり、そこに青と赤の色ガラスが嵌まっていました。

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と、その反対側に便所と台所のある建物があり、便所の突き当たりの片引き戸のガラスがいやに濃い色をしているのに気づきました。よく見ると、その戸に青色のガラスが嵌まっていました。

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このガラスは管理人も知らなかったようで、ビックリのようでした。

この伏木には、勝興寺というおおきなお寺があります。

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この唐門は、明和6年(1769)年建立で、京都・興正寺にあったものを、明治時代に移築したのだそうです。移築にあたって北前船の船主たちが大金をだしたとか。

伏木駅にもどると、電車の時間がまだ40分ほどあるので、駅舎の中にある観光案内所にはいると、案内人らしき初老の人が話かけてきました。伏木北前船資料館で色ガラスを見てきたというと、板ガラスの話で盛りあがり、よくよく聞いてみると、富山は、サッシメーカーの工場が数多くあり、それに関連した仕事に従事していた人のようでした。

高岡駅にもどって、徒歩で瑞龍寺へ。

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右の大庫裏は屋根の工事中で、足場がかかっていましたが、この景観が本来の寺院の伽藍というものでしょう。

東司にあった、烏枢沙摩明王像が法堂の中にまつってありました。

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上のは、コピー。

バスで金屋町の近くでおり、古い鋳物の町並みを歩いて行くと、高岡市鋳物資料館がありました。中には、鋳物の製作工程、道具などが展示してありました。

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これは、銅造仏像の製作途中の状態。

川をわたると、山町筋という町並みがあります。高岡御車山という祭りの山車が展示してある高岡御車山会館という展示施設がありました。中にはいると、10mはあるガラスケースの中にその山車がありました。どうやって、この10mもある板ガラスを施工したのだろうと、商売っけを出したりして。

町並みの中にある、菅野家住宅、旧室崎家住宅を見学。

バスに乗っていて気になった、高岡大仏を間近に拝観。

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現仏像は、明治40年建造に着手。昭和8年5月3日に開眼をした銅造の阿弥陀如来像です。原形は、東京美術学校出身の中野双山によるものだそうです。像高743cm

電車で高岡から富山に着き、夕食は、白エビ天丼に、白エビの刺身で満足。

福井県・高岡・富山の旅(1日目)

10月14日から16日まで、2泊3日の旅をしてきました。

まずは、敦賀で、車を借り、日本海沿いに北上、越前町にある北前船の館・右近家へ。
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北前船の船主であった10代目右近権左衛門は、明治時代、海運の近代化と同時に海上保険業に進出し、11代目右近権左衛門は、日本海上保険の社長をつとめ、昭和10年、この本宅の後山の中腹に西洋館を造りました。この西洋館の階段室にステンドグラスはありました。
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玄関横の窓も無模様のステンドグラスがありました。
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ここから、内陸へ車を進め、越前市へ。越前市武生公会堂記念館「正覚寺展」を見学。
この展覧会には、善光寺式阿弥陀如来立像が出陳されていました。この越前市という地には、善光寺式阿弥陀の作例が数多くあることがこの展覧会で知りました。
北村市朗「越前における善光寺三尊仏とその信仰(5)」『長野』156 1991.3 にその分布が記載されているとのことです。

北上して、鯖江市へ。鯖江市まなべの館「祭りと祈りの原風景」展へ。
仏像が7体ほど展示されていました。

そして、福井市へ、福井市立郷土歴史博物館「福井の仏像」展へ。
30数体の仏像が1部屋に展示されていました。その中で、注目は、味真野神社の聖観音坐像でした。

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平安後期 12世紀の仏像ですが、半跏趺坐です。カタログの執筆者は、解説で、ちゃんと”半跏趺坐”と書いています。大変勇気のある人か、学界の情勢に疎い研究者なのでしょう。
もうひとつ、大滝神宮堂の虚空蔵菩薩坐像も逆の意味で注目です。

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この仏像は、平安前期 9世紀の仏像であるにもかかわらず、しかも、虚空蔵菩薩像の図像にはない、“結跏趺坐”なのです。

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これは、どう解釈したらいいのでしょうか。珍しい例としてあげておきます。

車は、高速道路にはいり、北上して石川県に入り、片山津ICでおり、北前船の里資料館へ。この建物は明治9年、酒谷長兵衛が建てた住宅です。

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この橋立という地は、北前船関連の住宅が集住した町だそうです。古い町並みが残っていました。

海岸沿いに西へ、車を走らせると、吉崎御坊の跡にたどり着きます。

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北潟湖と、正面は鹿島の森という天然記念物、左方に吉崎御坊があった御山があります。いまは周囲が埋め立てられて、陸の上の丘になっていますが、当時は、潟に突き出た半島のような場所だったようです。要塞としての立地になっていました。

内陸にむけて走ると、旧三国町に「みくに龍翔館」が山の上に見えてきます。郷土資料館として建てた建物ですが、明治12年から大正3年にかけて建てられた龍翔小学校を再現した建物です。

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窓には、樹脂ガラスに色づけした疑似ステンドグラスが嵌められています。

あとは、福井駅にもどって車を返却するばかりでしたが、時間もあるので、丸岡へ寄り道。城の中には入らなくて、城の周りをぐるっとまわって、福井市に到着。

2016年10月10日 (月)

小笠原伯爵邸

 先月、旧小笠原貞幹邸の見学に行って参りました。新宿区河田町にある洋館です。現在は都の所有ですが、「小笠原伯爵邸」という高級レストランとして営業されています。なので、見学はいつでも出来たのですが、何せ高級レストランで、結婚式もやる施設ですので、なかなか行けませんでした。ところが、たまたま、9月の午後、レストランの営業時間外の1時間ほどの間を無料見学できると知りまして、出かけた次第です。

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建物の竣工は昭和2年、設計は曽根中條設計事務所、スパニッシュ様式のRC2階建てです。
玄関をはいるとホールの天井に鳩のステンドグラスがありました。

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この建物のステンドグラスの制作は小川三知といわれています。パンフレットによると、この鳩のステンドグラスは当時の写真をもとに、イタリアで復元したものだそうです。

現存しているステンドグラスは、客間の窓1箇所だけのようです。

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客間には、3箇所の両開き窓がありますが、そのうち、中央の1箇所のみ残っています。
建物にあった、当初の建築設計図面によると、窓3箇所とも、同じ図柄のステンドグラスが嵌まっていたようです。

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建築当初の設計図面が見られるのは、大変貴重なことです。この図面から読み取れることは、設計者とステンドグラス制作者との関係が理解できることです。
とくに、設計図面に、ステンドグラスの絵柄を書き込んでいるということは、施主、設計者、ステンドグラス制作者との、打ち合わせによって室内空間のデザインが決められていたことが、わかるからです。

この建物は、図面によると、他にもステンドグラスが嵌められていたのがわかります。
今の食堂の窓を見てみると、型ガラスを斜格子状の鉛線でつないでいるだけですが、

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図面では、窓の中心にエンブレムのようなステンドグラスがあったようです。

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また、図面では、廊下の窓にステンドグラスがあったようですが、これは、まだ正式に決定した図柄ではなかったようです。田辺氏は「木立の中のエンジェル」という題のステンドグラスだったとしていますが、実際に嵌められたのかはわかりません。

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また、食堂前の中庭から見て左端にある格子のついた窓に、ステンドグラスがあったようです。

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図面には、ステンドグラスだけではなく、ガラスの種類も銘記しているのがあります。

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客間から喫煙室へ入るドアですが、ドアのガラスは「面取硝子」と書いてあります。
また、斜め格子の図柄を入れた窓には、「鉛硝子」とかいてあります。鉛線で斜め格子状に組み込んだ硝子窓を指しているのでしょう。2階へあがる階段室の窓にも同様に書いてありました。

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この建物の中では、一番大きな窓で、普通は、色硝子を使うのが一般的ですが、この建物は階段の上がプライベートな部屋なので、目立たないようにしたのかもしれません。「グラスエッチング仕上 鉛硝子」と書いてあります。

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現在は、透明のガラスが入っていますが、当初は、不透明なガラスが入っていたのでしょう。「エッチングガラス」が今でいう「タペストリー加工」なのか、単なる「スリガラス」なのかは不明です。

丸く出っ張った、喫煙室の外観には、花模様の装飾タイルが貼ってありました。

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内部は、寝室、和室などプライベートな部屋の間仕切りを外し、レストランの大部屋にしたり、厨房に改造されたりしていますが、主要部分は残しつつ、改修されているようです。もともと取り壊す寸前までいった建物ですから、忠実に復元するということにこだわらなくて、これだけ残っているだけでもいいとすべきでしょうか。

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