« 2017年5月 | トップページ | 2017年11月 »

2017年10月

2017年10月17日 (火)

小浜散策

 朝一番で東京を出てきたのに、東小浜駅に着いたのはお昼近くでした。さっそく福井県立若狭歴史博物館へ。『知られざるみほとけ~中世若狭の仏像~』展を見学。平安末期~室町時代の仏像を展示していました。

Photo
たしかに、今まであまり知られていない仏像が多く出品されていましたが、特別展の仏像よりも常設展で展示されている、複製の仏像に注目しました。そのひとつが、長慶院聖観音坐像です。

Photo_2
上から、膝部分を見ると、明らかに”半跏趺坐”です。さらに、常禅寺不動明王坐像のレプリカもありました。

Photo_3
どう見ても”半跏趺坐”です。常禅寺像は、『基礎資料集成』では、”結跏趺坐”と書いています。明らかに間違いです。

東小浜駅で、電動アシスト自転車を借り、羽賀寺に向かいました。

Photo_4
ひさしぶりに、十一面観音立像を見たくなったからです。いつ見ても、不思議な像です。

最近の電動自転車は実に快適です。羽賀寺から先の予定は決めていなかったのですが、この調子ならば、昔をおもいだして、妙楽寺へ行くことにしました。

Photo_5
妙楽寺は、大学院のゼミ旅行でのレポートの題にした聖観音立像があります。

Photo_6
この聖観音立像は、11世紀頃の作と判定しましたが、渦文が、今回数えただけでも18個ありました。この過剰なまでに装飾をした渦文を調べましたが、結局よくわからずレポートも中途半端な論文になってしまいました。先生には、詰めが足りないと指摘されました。

Photo_7Photo_8

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、井上正氏が『日本美術工芸』550号 昭和59年7月1日でとりあげられました。井上氏は、渦文が現存だけでも19個、失われた天衣垂下部をいれれば20数個あると書いています。そしてこの表現は、”古密教彫像表現の一画をなす霊威性の特異な表現”と書いていますが、むしろ、この渦文という表現方法が、何を参考にして彫られたのかが疑問でした。確かに、渦文は、平安前期彫刻であることのひとつの表象ととらえられますが、いったい何時、誰がこの表現をはじめたのかが知りたかったのですが、残念ながら、それには答えてくれませんでした。頭の中はまだもやもやが晴れません。

 そして、近くの圓照寺で。ここは、胎蔵界大日如来坐像と庭園がみどころです。

Photo_9
電動自転車は快調で、次は、山の向こうにある若狭彦神社へ、トンネルを突き進みます。

Photo_10
すぐ近くには、萬徳寺、ここは、阿弥陀如来坐像と庭園があります。

Photo_11
ここまで来ると、さすがに自転車をこぐ筋肉と歩く筋肉の違いで、足に筋肉痛がはしり、今日の寺巡りはおしまい。

翌日、小浜西組の重要伝統的建造物群保存地区と、特別公開の寺院を巡りました。

Photo_12
たしかに、小浜西組の町並みは、よく保存されていました。しかし、何か特徴がありません。小浜という町は、城下町なのですが、むしろ若狭街道と、北前船の寄港地として発展した町のようです。しかし、大きな屋敷があるわけでもなく、特徴のない町並みに感じられました。

その小浜西組の外れにある高成寺から。

Photo_13
本尊の千手観音立像は、平安前期の像として、注目をあびましたが、9世紀かな?というところですか。

正法寺は、銅造如意輪観音半跏像があります。想像以上に大きな仏像でした。

Photo_14
栖雲寺は、永万元年(1165)銘のある阿弥陀如来坐像を拝観しました。この像も想像するより小さな像でした。写真撮影OKなので、撮らせていただきました。

Photo_16

Photo_15
といったところで、小浜の仏像探訪は、これでお開きとしました。

2017年10月 9日 (月)

旧一萬田尚登邸

 一萬田尚登(いちまたひさと)は、戦後すぐの1946年から1954年にかけて日銀の総裁を務め、1954年から1958年まで大蔵大臣をつとめた、戦後金融界に君臨した人物です。

その一萬田氏の自宅は、港区青山にあって、おそらく昭和初期に建てられたもののようです。その建物が1965年から1975年頃道路拡張の対象となり、東海銀行が買い取り、保養施設として、箱根強羅の現在地に移築しました。

その後、幾人かの所有を経て、2011年、現在の所有者になり、改修し、美術館として公開して現在に至っているとのことです。

現在の所有者の箱根マイセンアンティーク美術館は、2000年に仙石原に開館し、強羅に移ってきました。その時、美術館として、改修をしたと思われます。

Photo_8
玄関に入ると、玄関の横に丸窓があります。抽象柄ですが、モダンなデザインです。

Photo
玄関ホールには、2ヵ所の窓にステンドグラスがありました。鉛線を巧みにつかったデザインです。

Photo_2Photo_9 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サンルームには、4枚のステンドグラスがありますが、真ん中には鳥の絵付けをした絵があり、オパールセントグラスを使わないで、普通の色ガラスを周囲に配置しています。これは、おそらくヨーロッパあたりで作られたもののようです。

Photo_12Photo_13 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この建物の窓ガラスは、その他にも、斜め格子状のステンドグラスや、窓ガラスの周囲にのみ色ガラスを使った窓がありますが、展示室のため、内部から写真は撮れませんでした。

Photo_6

Photo_7
今は、間取りをいかして展示室として改修されているので、どの程度変更されているのかは、詳細にはわかりませんが、ステンドグラスは、当初のようにも思われます。ということは、戦前の作品かもしれません。

2017年10月 7日 (土)

旧沼津御用邸の板ガラス

 大変ご無沙汰です。やっと書くネタがみつかりました。その間、幾度となく出かけてはいたのですが、ネタになりそうな話題がみつかりませんでした。

先週、毎年恒例の業界の社長が集まる旅行で箱根に一泊してきました。私は、例によって、ゴルフはキャンセルして、ちょっと足をのばして、沼津に行ってまいりました。

目的は、旧沼津御用邸の建物に嵌っている板ガラスを見ることでした。その板ガラスについて事前の情報がないままの訪問でしたが、新しい発見がありました。

まずは、沼津御用邸の簡単な紹介から。御用邸は、現在、西付属棟と東付属棟が残っています。中央に位置する本邸は、明治26年大正天皇の療養施設として建てられましたが、昭和20年7月の空襲で焼失してしまいました。
西付属棟は、明治23年頃、旧川村純義伯爵の別邸を借り上げ、明治39年に、皇居賢所附属建物を移築して、昭和天皇の御用邸としました。その後、御車寄、御浴殿などを増築し、大正11年に玉突所等を増設し、ほぼ現在の状態になりました。

Photo

東附属棟は、明治36年、昭和天皇の御学問所として、赤坂離宮の東宮大夫官舎を移築して、現在にいたっています。

Photo_2

昭和44年11月、宮内庁から大蔵省に移管され、昭和45年には、大蔵省から沼津市に無償貸与、平成5年に、沼津市に払い下げられました。沼津市は、西付属棟を平成5~7年にかけて大規模修復し、東附属棟も平成8~10年にかけて大規模改修し、公開をしています。

まず、西付属棟から拝観です。玄関から窓ガラスを見ると、手吹き円筒法によるゆがんだ板ガラスが目にはいりました。廊下を歩いていくと、ほとんどがこのガラスで、ローラーの跡のある普通板も、フロートガラスもほとんど見つかりませんでした。

Photo_3
しかも、ほとんど、割れたガラスは見いだせませんでした。

Photo_4
中庭の周りをぐるっとめぐるように建物は建っていますが、建具には、パテ止め、いわゆる山パテと、四方溝にガラスを入れる建具があるようです。

Photo_5
よく見ると、ローラーによる並行のゆがみのあるガラスがありました。おそらくこの建物は、大正11年頃の改修時に入れた普通板と思われます。ちなみに、日本板硝子は大正9年からコルバーン式の連続製法で、生産していました。

Photo_6

東附属棟は、内部に入れませんでしたが、外観を見ると、パテ止めの建具が数多くありました。

Photo_7

Photo_8
 さて、最初の疑問。これだけのガラスがはいっているのに、ガラスの割れが見つからなかったこと、しかも、ガラスの補修は当然、しているはずなのに、まったく新しいガラスが嵌っていないこと。

近代建築のガラスを今まで見て回ってきましたが、ガラスのヒビ割れもないのは、見たことがありません。たしかに、平成5年から10年にかけて改修工事をしたばかりということもありますが、それ以前の補修の痕跡が見つからないのです。

現地のボランティアに聞いてみると、このガラスはドイツ製です。という答えしかでてきません。そこで、平成の時の改修工事報告書を見てみることにしました。
『沼津御用邸記念公園西付属棟改修工事記録報告書』 1996年10月 監修 工藤圭章 沼津市発行 によると、開園後に取り替えられた建具は、元にもどし、修復可能なものは、洗い工事とした。ガラス戸は、ガラスの納まりが溝落としと、パテ押えの2種類あるが、そのガラスは、”手造りガラスのドイツ製、ステンドグラスに使用するレストLタイプのガラス”が最終的に提案された。 とあります。

このレストLタイプのガラスとは、いったい何なのでしょうか。ヒントはドイツ製のステンドグラスメーカーの製品だということです。ドイツのステンドグラス板メーカーといえば、lamberts(ランバーツ)社です。そのサイトを見てみると、RestorationーGlasses(Mouth-blown window glass) という項目があります。つまり、復元ガラス(手吹き円筒法による窓ガラス)ということになります。

しかし、ランバーツ社は、このガラスをレストLタイプと言っていません。報告書の執筆者が、改修工事をしたガラス工事業者の言葉を調べもしないで書いたのでしょうか。とくに、改修工事報告書では、主要資材概算表に“ガラス窓 215.0㎡”と書いてあるだけです。どこのメーカーの材料をどの部分に使ったかを詳細に書かなければ、後世にまた、改修工事があったときに、どの部分をいつ補修したのかがわからなくなります。もっと、工事報告書の精度をあげていかなければなりません。

それにしても、従来は、改修工事で、ガラスの入れ替えは、実にぞんざいに扱われてきました。周りがゆがんだガラスなのに、現代の最先端技術の結晶であるフラットなフロートガラスを入れ替えたら違和感があるのは当たり前です。それに気が付いて、この建物にドイツ製のガラスを採用したのは、これからの改修工事の手本となるものだとおもいます。

惜しむらくは、どこが当初のガラスで、どこを入れ替えたのかがわからないことです。これは、正確な報告書をつくる技術者がいないことが原因です。

« 2017年5月 | トップページ | 2017年11月 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ