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2017年10月17日 (火)

小浜散策

 朝一番で東京を出てきたのに、東小浜駅に着いたのはお昼近くでした。さっそく福井県立若狭歴史博物館へ。『知られざるみほとけ~中世若狭の仏像~』展を見学。平安末期~室町時代の仏像を展示していました。

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たしかに、今まであまり知られていない仏像が多く出品されていましたが、特別展の仏像よりも常設展で展示されている、複製の仏像に注目しました。そのひとつが、長慶院聖観音坐像です。

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上から、膝部分を見ると、明らかに”半跏趺坐”です。さらに、常禅寺不動明王坐像のレプリカもありました。

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どう見ても”半跏趺坐”です。常禅寺像は、『基礎資料集成』では、”結跏趺坐”と書いています。明らかに間違いです。

東小浜駅で、電動アシスト自転車を借り、羽賀寺に向かいました。

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ひさしぶりに、十一面観音立像を見たくなったからです。いつ見ても、不思議な像です。

最近の電動自転車は実に快適です。羽賀寺から先の予定は決めていなかったのですが、この調子ならば、昔をおもいだして、妙楽寺へ行くことにしました。

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妙楽寺は、大学院のゼミ旅行でのレポートの題にした聖観音立像があります。

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この聖観音立像は、11世紀頃の作と判定しましたが、渦文が、今回数えただけでも18個ありました。この過剰なまでに装飾をした渦文を調べましたが、結局よくわからずレポートも中途半端な論文になってしまいました。先生には、詰めが足りないと指摘されました。

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その後、井上正氏が『日本美術工芸』550号 昭和59年7月1日でとりあげられました。井上氏は、渦文が現存だけでも19個、失われた天衣垂下部をいれれば20数個あると書いています。そしてこの表現は、”古密教彫像表現の一画をなす霊威性の特異な表現”と書いていますが、むしろ、この渦文という表現方法が、何を参考にして彫られたのかが疑問でした。確かに、渦文は、平安前期彫刻であることのひとつの表象ととらえられますが、いったい何時、誰がこの表現をはじめたのかが知りたかったのですが、残念ながら、それには答えてくれませんでした。頭の中はまだもやもやが晴れません。

 そして、近くの圓照寺で。ここは、胎蔵界大日如来坐像と庭園がみどころです。

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電動自転車は快調で、次は、山の向こうにある若狭彦神社へ、トンネルを突き進みます。

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すぐ近くには、萬徳寺、ここは、阿弥陀如来坐像と庭園があります。

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ここまで来ると、さすがに自転車をこぐ筋肉と歩く筋肉の違いで、足に筋肉痛がはしり、今日の寺巡りはおしまい。

翌日、小浜西組の重要伝統的建造物群保存地区と、特別公開の寺院を巡りました。

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たしかに、小浜西組の町並みは、よく保存されていました。しかし、何か特徴がありません。小浜という町は、城下町なのですが、むしろ若狭街道と、北前船の寄港地として発展した町のようです。しかし、大きな屋敷があるわけでもなく、特徴のない町並みに感じられました。

その小浜西組の外れにある高成寺から。

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本尊の千手観音立像は、平安前期の像として、注目をあびましたが、9世紀かな?というところですか。

正法寺は、銅造如意輪観音半跏像があります。想像以上に大きな仏像でした。

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栖雲寺は、永万元年(1165)銘のある阿弥陀如来坐像を拝観しました。この像も想像するより小さな像でした。写真撮影OKなので、撮らせていただきました。

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といったところで、小浜の仏像探訪は、これでお開きとしました。

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