仏像

2017年10月17日 (火)

小浜散策

 朝一番で東京を出てきたのに、東小浜駅に着いたのはお昼近くでした。さっそく福井県立若狭歴史博物館へ。『知られざるみほとけ~中世若狭の仏像~』展を見学。平安末期~室町時代の仏像を展示していました。

Photo
たしかに、今まであまり知られていない仏像が多く出品されていましたが、特別展の仏像よりも常設展で展示されている、複製の仏像に注目しました。そのひとつが、長慶院聖観音坐像です。

Photo_2
上から、膝部分を見ると、明らかに”半跏趺坐”です。さらに、常禅寺不動明王坐像のレプリカもありました。

Photo_3
どう見ても”半跏趺坐”です。常禅寺像は、『基礎資料集成』では、”結跏趺坐”と書いています。明らかに間違いです。

東小浜駅で、電動アシスト自転車を借り、羽賀寺に向かいました。

Photo_4
ひさしぶりに、十一面観音立像を見たくなったからです。いつ見ても、不思議な像です。

最近の電動自転車は実に快適です。羽賀寺から先の予定は決めていなかったのですが、この調子ならば、昔をおもいだして、妙楽寺へ行くことにしました。

Photo_5
妙楽寺は、大学院のゼミ旅行でのレポートの題にした聖観音立像があります。

Photo_6
この聖観音立像は、11世紀頃の作と判定しましたが、渦文が、今回数えただけでも18個ありました。この過剰なまでに装飾をした渦文を調べましたが、結局よくわからずレポートも中途半端な論文になってしまいました。先生には、詰めが足りないと指摘されました。

Photo_7Photo_8

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、井上正氏が『日本美術工芸』550号 昭和59年7月1日でとりあげられました。井上氏は、渦文が現存だけでも19個、失われた天衣垂下部をいれれば20数個あると書いています。そしてこの表現は、”古密教彫像表現の一画をなす霊威性の特異な表現”と書いていますが、むしろ、この渦文という表現方法が、何を参考にして彫られたのかが疑問でした。確かに、渦文は、平安前期彫刻であることのひとつの表象ととらえられますが、いったい何時、誰がこの表現をはじめたのかが知りたかったのですが、残念ながら、それには答えてくれませんでした。頭の中はまだもやもやが晴れません。

 そして、近くの圓照寺で。ここは、胎蔵界大日如来坐像と庭園がみどころです。

Photo_9
電動自転車は快調で、次は、山の向こうにある若狭彦神社へ、トンネルを突き進みます。

Photo_10
すぐ近くには、萬徳寺、ここは、阿弥陀如来坐像と庭園があります。

Photo_11
ここまで来ると、さすがに自転車をこぐ筋肉と歩く筋肉の違いで、足に筋肉痛がはしり、今日の寺巡りはおしまい。

翌日、小浜西組の重要伝統的建造物群保存地区と、特別公開の寺院を巡りました。

Photo_12
たしかに、小浜西組の町並みは、よく保存されていました。しかし、何か特徴がありません。小浜という町は、城下町なのですが、むしろ若狭街道と、北前船の寄港地として発展した町のようです。しかし、大きな屋敷があるわけでもなく、特徴のない町並みに感じられました。

その小浜西組の外れにある高成寺から。

Photo_13
本尊の千手観音立像は、平安前期の像として、注目をあびましたが、9世紀かな?というところですか。

正法寺は、銅造如意輪観音半跏像があります。想像以上に大きな仏像でした。

Photo_14
栖雲寺は、永万元年(1165)銘のある阿弥陀如来坐像を拝観しました。この像も想像するより小さな像でした。写真撮影OKなので、撮らせていただきました。

Photo_16

Photo_15
といったところで、小浜の仏像探訪は、これでお開きとしました。

2017年5月 7日 (日)

関西仏像旅

 ゴールデンウィーク前半に2泊3日の旅をしてきました。
4月30日
 兵庫県立博物館「ひょうごの美ほとけ」展へ。

Photo_2

兵庫県の白鳳から江戸時代の仏像をならべた展覧会でした。その中で“半跏趺坐”像を確認することができました。

  • 日野辺区 聖観音坐像

Photo

  • 神積寺 阿弥陀如来坐像
  • Photo_3

  • 参考 遍照院 銅造如来坐像

Photo_4
神積寺像と遍明院像は右の足裏が左手に隠れて見えないので、“半跏趺坐”と断定するには躊躇するが、足の組み方の造形は、”結跏趺坐”の造形意図で造られていないと判断できる。
このような、形状の坐像は、仏師の造形意図をくみ取ることによって、”結跏趺坐”ではなく、”半跏趺坐”像と判定するのが、今の所最良の判断材料であろうと思います。

大阪市立美術館「木×仏像」展へ。

Photo_5
この展覧会も飛鳥から江戸時代までの全時代の木彫仏を展示していました。
その中で、3体の”半跏趺坐”像を確認しました。

東大寺弥勒如来坐像

Photo_6
この仏像は、以前から言及してきましたが、膝部分の奥行きのなさが、そうさせているのでしょうか?

宮古薬師堂 薬師如来坐像

Photo_7
この仏像は、初見です。

四天王寺 阿弥陀三尊像のうち阿弥陀如来坐像

Photo_8

右足裏が左手に隠れているので、正確には断定できませんが、膝の造形からみれば、”半跏趺坐”と認めてもいいとおもいます。

5月1日

奈良に泊まり、まずは、興福寺中金堂の「阿修羅 天平乾漆群像展」へ。これも以前言及していますが、中尊の前に華原磬を置くならば、当然、婆羅門がその馨を打つ動作をした像を配置すべきなのでしょう。

Photo_9

奈良国立博物館には、まだ時間があるので、東金堂へ。ここには、仏頭がありました。まさにこの須弥壇の中から発見されたものです。

奈良国立博物館「快慶」展へ。

Photo_10
さすがです。カタログもすばらしい資料です。その中で、随心院 金剛薩埵坐像を確認することが出来ました。

Photo_11
奈良博の学芸員の山口隆介氏が調査した報告では、この像を“半跏趺坐”と書いているのに、今回のカタログでは、岩井共二氏の執筆です。当然、坐法についてふれていません。

なら仏像館

この館に展示している半跏趺坐像を列挙してみます。

京都 観音寺 菩薩坐像

Photo_12

文化庁 銅造薬師如来坐像

Photo_13
この像は、キャプションによると、新薬師寺本尊の宿模だと書いていますが、そうすると、新薬師寺像も“半跏趺坐”と認めるのでしょうか。

金剛寺 降三世明王坐像

Photo_14
鎌倉時代ですが、もうひとつの脇侍、不動明王坐像とともに、“半跏趺坐”に造っているのは、図像から参照したものと思われます。

その他

  • 見徳寺 薬師如来坐像
  • 当麻寺 宝冠阿弥陀如来坐像
  • 奈良国立博物館 阿弥陀如来坐像
  • 奈良国立博物館 五大明王像のうち不動明王坐像

が“半跏趺坐”像と認定できます。

ひさしぶりに、国会図書館関西館へ行きました。

Photo_15
東京の本館と比べて新しいせいで、いやな思いもせず、大変心地よく使えました。

5月2日

まずは、京都へ。去年開館したばかりの「旧三井家下鴨別邸」へ。ここは、下鴨神社の糺の森に入る手前にあります。

Photo_16
明治13年、木屋町三条にあった別邸を大正14年に移築、更に増築した建物です。

残念ながら、旅行社用に2階を押さえられて、1階しが見せてもらえませんでしたが、手吹き円筒法とおもわれる板ガラスを見つけました。

Photo_17

京都非公開寺院の公開で仁和寺へ。

霊宝館で、阿弥陀三尊像を拝観。
金堂、経蔵を拝観。

Photo_18

そして、ひさしぶりの広隆寺へ。

足が遠のいていたのは、あまりいい評判を聞かないので、躊躇していました。
案の定、講堂は、金網がしてあり、おまけに、扉をほんのちょっと開けて、中の三尊が覗ける程度の開き方をしていました。

Photo_19
ずいぶんと、ふざけた対応です。ちゃんと、人を配置して、何で堂々と拝観させないのでしょうか。新霊宝殿の真っ暗闇は、どうしようもない。

島原へ。角屋もてなしの文化美術館へ。
2階部分は、説明付きで、別料金。もっとよく見せてほしいところですが。

Photo_20

龍谷ミュージアムから、京都国立博物館へ。

京都国立博物館は、「海北友松」展をやっていましたが、平常展の彫刻だけ見たいを思っていましたが、なんと、全て、特別展の料金でないと入場できないということで、パスポートでの入場を断られました。
今回の「海北友松」展の会場が本館ではなく、新館で行われたためでしょうか、それにしても、平常展の見学者を切り捨てる態度は、もとの役所仕事にもどってずいぶんと態度がでかくなったなという印象です。平常展のみの入場ができる、装置はいくらでもできたはずです。

そして、平常展で見たかった仏像は

金剛寺不動明王坐像

Photo_21

高山寺 薬師如来坐像

Photo_22

神護寺 薬師如来坐像

Photo_23

特に、高山寺像、神護寺像は、俯瞰で見ることができ、“半跏趺坐”であることを確認しました。

今回の旅では、多くの“半跏趺坐”を実見することができました。なかなか以前の写真だけでは、その撮影者が、坐法について意図して撮影していないので、実見するしかないのが実情です。
調査者が、ちゃんと、坐法についての知識と判断能力がなければ、これからも、仏像の形状の記述は、まゆにつばをつけることが続くことになります。、

2017年3月20日 (月)

安土・神戸・姫路の旅

 3月18日19日と旅にでました。
まずは、米原から東海道線で、安土駅へ、今回は初めてレンタサイクルで安土城考古博物館へ。「大湖南展ー栗太・野洲郡の風土と遺宝ー」の見学です。このシリーズは、滋賀県の仏像の紹介としては何回も開催してほしい展覧会です。

Photo
その中で、注目したのは、真光寺聖観音菩薩坐像です。この仏像は銘文があって、1036年には完成していた仏像です。今回、膝部分を俯瞰して見てみると、半跏趺坐です。

Photo_2
この仏像は、『基礎資料集成』にも掲載されている仏像です。それには結跏趺坐と書いてあります。

自転車の機動性を生かして、安土駅の近くにある「旧伊庭邸住宅」へ。

Photo_3
大正2年(1913)ヴォーリズ設計の住宅です。内部には、結霜ガラス、色型硝子が嵌まっていました。

Photo_4

東海道線にゆられて、神戸六甲道駅で下車。歩いて、“武庫の郷”の甲南漬資料館へ。

ここは昭和5年(1930)年竣工で、創業者の高嶋平介の自宅を資料館としています。
壁に2箇所ステンドグラスがありました。このステンドグラスはオパールセントグラスを使わない手法で作られています。

Photo_5
JR住吉駅からバスで、白鶴美術館へ。ここは、初めての訪問です。収蔵品のすばらしさに感動です。関西のコレクターのすごさを実感させられました。

Photo_6

泊まりは、姫路市内で、翌日、山陽電車で、山陽網干駅で下車。歩いて、ダイセルへ。ダイセルは、明治42年日本セルロイド人造絹糸として創業。明治43年にイギリスから技師長を呼び、その居宅として建てられた洋館が2棟、工場内に残っています。

Photo_7
こじんまりとした洋館ですが、ガラスも古そうです。

さて、今回のメインは、そこから歩いて10数分の住宅街の中にある「山本家住宅」の見学です。山本家は、メリヤスの製造で財をなし、網干町長、網干銀行頭取を務めた家です。

建物は、明治初期に建てられた主屋と、大正7年(1918)の洋館、和館があります。

まずは、玄関から。

Photo_8
望楼付きの黒壁の洋館ですが、和様折衷の意匠を採り入れています。

書斎とサンルームの間の窓にステンドグラスがありました。

Photo_9
このデザインは、他のステンドグラスと違うデザインコンセプトを持っています。その横の出窓のステンドグラスは、すばらしいデザインです。

Photo_10
このデザインは、きっとその作家は明らかになるだろうと思いますが、かなりの上級レベルです。

廊下と洗面室の壁取りつけられたFIX窓は、

Photo_11
これも、どこかで見たデザインに似ています。

廊下の天井に同じ図柄の六角形のステンドグラスのトップライトがあります。

01

02
これも、丸い半円形のかたまりのガラスを使っているところは、どこかで見たような気がします。

そのほか、窓ガラスには、結霜ガラスを多用していました。

Photo_12
残念ながら、模様入りケシガラスは、ここでも見当たりませんでした。関西で、模様入りケシガラスの例がこれほど少ないのは、どうしてでしょうか。大阪の硝子問屋、篠原善三郎商店では、「硝子板意匠摺見本」というカタログをだしているのが、判明しているのに、何故普及しなかったのでしょうか。いまだに、その疑問が解決できません。

数十年ぶりに、改修なった姫路城の内部を見学しようと、お城に行ってみると、天守閣は1時間待ちだそうで、そうそうに引き上げました。

Photo_13
もう1回すべてを見尽くしたいと思ったのですが、しかたなく、バスで太子町へ。

Photo_14
「斑鳩寺の文化財ー庫裏の仏さまたちー」展へ。庫裏の解体修理に伴って子院の仏像の展示を行っていました、殆どが近世の小像なのですが、その中で、一面六臂の不動明王立像を発見しました。実に珍しい仏像ですが、残念ながら、カタログはなく、資料としての写真が手に入りませんでした。

今回の旅では、やはり、網干の山本家住宅が、一番の成果でしたが、こういった住宅がこれから、長い間維持できるのか、不安がのこりました。

2016年11月13日 (日)

九州、滋賀、京都の旅(その1)

ひさしぶりに、3泊4日の長い旅行にいってきました。
例によって、板ガラスと仏像探訪の旅です。
11月3日
羽田より久しぶりの飛行機で、鹿児島へ。飛行機はどうもなじめません。まずセキュリティで必ず引っかかります。そのたびに、ベルトから財布まで外に出し、何回もゲートを通らなければならないからです。さらに、機内では、常にアメをなめないと耳の気圧を抜くことができません。おまけに、新幹線とくらべて、座席は狭いし、ガマンの2時間でした。
鹿児島は、鹿児島歴史資料センター黎明館で開催されている「八幡神の遺宝」展を見学。
目玉はやはり、大分・奈多宮の八幡三神像です。以前にみたことはありましたが、伝神宮皇后像の、“無眼” をもう一度確かめることができました。ほぼ同時期の,伝比賣大神像、僧形八幡神像の眼の彫り方と比べてみても、あきらかに、眼を彫っているとは思えませんでした。まして、眼をつむっているとするには、あまりにも無理があります。

Photo_24

そして、歩いて、鹿児島第一の百貨店山城屋の7階にあるレストランへ向かいました。ところが、その日は鹿児島市内は“おはら祭り”で、主要道路を封鎖して、各町内の踊り手が行進するという大イベントの最中でしたので、レストランは、中に入るのに、大行列で、レストラン入口は人でごった返していました。
このレストランの入口に最近、松本ステンドグラスが製作したステンドグラスが嵌まっている、というのをNETで見て、行ったのでした。鳳凰の模様のなかなかいいデザインのステンドグラスが入口の両脇のFIXに嵌められていましたが、写真もとることができず、すぐさま退散。この山城屋のオーナーの岩元家には、小川三知の作品がはまっているのですが、非公開。この食堂のステンドグラスも小川三知風にデザインしてつくられたようです。
鹿児島中央駅から、新幹線で久留米へ、さらに鹿児島本線で、原田へ、そこからタクシーで、九州歴史資料館へ。

Photo_25

「八女の名宝」展を見学。仏像は、谷川寺の仏像が展示されていました。9世紀の薬師如来立像が注目です。
住宅造成地の中を三国ヶ丘駅まで歩き、西鉄で、博多へ。

11月4日
博多より、電車で、新飯塚まで、およそ50分、そこからバスで10分ほどで、“旧伊藤伝右衛門邸”へ。

Photo_26

玄関に入って右には。書斎、左に応接間があります。両方とも、窓のランマに同じ図柄のステンドグラスがはまっていました。中央に四角の透明ガラスに面取りし、各隅には、四角垂のガラスをはめています。色ガラスは蛍光のはいった黄緑色をしています。イギリス製といわれていますが、確かにオパールセントグラスを使っていません。

Photo_27

Photo_28

博多にもどって、地下鉄で、箱崎九大前で下車、九州大学箱崎キャンパスへ。このキャンパスはほぼ移転がおわっており、古い建物のみ残して、あとの建物は取り壊している最中でした。その残す建物のうち、旧工学部本館の建物を見に行きました。玄関ポーチの天井にステンドグラスが嵌まっていました。ただ、ほこりをかぶったままで、クリーニングをしていないので、きれいにみえませんでしたが、

Photo_29
玄関のランマのステンドグラスは、なかなかのものでした。

Photo_30

Photo_31

地下鉄で、馬出九大病院前で下車すると、すぐに、九大病院にはいります。一般の患者は、病院のほうに向かっていきますが、九大医学研究院基礎研究A棟は、反対の方角にあります。この建物は実際に研究室として使われている建物です。研究生が出入りしていました。その建物の玄関に入ると、2階まで吹き抜けになったホールがあります。そのホールの2階の壁にステンドグラスの嵌まった開口部があります。

Photo_32

Photo_33
また、多少デザインが違いますが、1階入口の両脇の窓にもステンドグラスがありました。

Photo_34
しかし、このステンドグラスの嵌まっている部屋は使われていないようで、部屋の照明をしていないので、色がよくでていません。折角のステンドグラスなのに、そのよさを見せないのは、もったいない。ここのステンドグラスは内部ということもあって保存がよく、また、すばらしいデザインをしています。

Photo_35

博多にもどって、特急ソニック号で、別府へ。駅から歩いて10分ほどのところに、別府市公会堂があります。ここの階段の踊り場にステンドグラスがありました。夜空に雲というデザインです。

Photo_36

Photo_37

電車で大分に着き、今日はここで、泊まり。

その2に続く

九州・滋賀・京都の旅(その2)

11月5日
朝、レンタカーにのり、高速道路で、臼杵へ。臼杵石仏を拝観。ここは、2度目です。以前も修復後でしたので、あまり新鮮な印象がありません。

Photo
ただ、以前見落としていた、満月寺をみてきました。何かこの谷間の地形がとても気になりました。

Photo_2

車は、予定を変更して、以前見たことがある犬飼石仏、管尾石仏をスルーして、さらにその先の緒方宮迫石仏へ行くことにしました。
まずは、宮迫東石仏。

Photo_3

そして、宮迫西石仏。

Photo_4

車は、大分方面へ向かい、高瀬石仏へ。ここも以前来たことがありましたが、石窟といっても、岩がほんの一部しか残っておらず、平地に残っていた大きな岩を彫っただけのようで、当初の地形の想像がつきません。数年前改修をしたようですが、石仏の彩色も昔のようですし、どこを補修したのか、修理工事報告書をみてみないとわかりません。

Photo_5

Photo_6

つぎに、大分市歴史資料館へ、「ほとけの王国ー大分の仏像」展を見学。
この展覧会の出品の中で、大山寺の普賢延命菩薩坐像、

Photo_8

金剛宝戒寺の不動明王坐像

Photo_7
が“半跏趺坐”でした。大山寺像は10世紀ですが、金剛宝戒寺像は平安後期の半跏趺坐像なので、何か理由が考えられる像ではあります。
市内方面へ向かい、岩屋寺石仏へ。ここは、ほとんど崩落して、尊名もよくわかりませんが、十一面観音立像だけは、かろうじて判別できました。

Photo_9

すぐ近くの大分元町石仏へ。ここは覆い屋があり、保存も行き届いていました。その石仏の横の石仏は、かなり剥落してほとんど形を残していませんが、一具のものとしていいのでしょう。

Photo_10

Photo_11

車を返すにはまだ時間があったので、急遽、喜春館へ、ここは、帆足家本家という造り酒屋の建物を、蔵をレストランや、喫茶店にしています。また、本屋には、洋服の展示即売をしており、各部屋に洋服を飾っていました。

Photo_12
窓ガラスには、手吹き円筒法によるガラスが嵌まっていましたが、一通り室内をみて、庭を歩いていると、色ガラスらしきガラスが嵌まっている建具がありました。また、室内にもどって見ると、便所の廊下に青い色ガラスがはまっていました。

Photo_13
こんなところに、色ガラスを使うとは、なかなかしゃれています。これは、新しい発見で収穫でした。
車を返して、電車で小倉へ、さらに新幹線で新大阪へ、今日は茨木で一泊。
11月6日
朝、京都で、荷物を預け、湖西線で、大津京へ。時間があるので、近江神宮へ。

Photo_14
この近くにはよく来ているのに、今回が初めてです。例の崇福寺塔跡発見の舎利容器が見られると思いましたが、宝物館の開館時間には早すぎで断念。大津市歴史博物館「新知恩院と乗念寺」展へ。乗念寺は、10世紀の聖観音立像、新知恩院は、最近注目の釈迦涅槃像が注目でした。
そして、滋賀県立近代美術館「つながる美・引き継ぐ心」展へ。旧琵琶湖文化館に寄託されている仏像が数多く出品されているとおもいましたが、気になったのは、聖衆来迎寺の銅造薬師如来立像、若王寺如来立像、正法寺帝釈天立像、長福寺阿弥陀坐像、伊崎寺不動明王坐像くらいでしょうか。
正法寺帝釈天立像は、条帛に天衣をして、衤蓋襠衣には置口をつけています。この着衣方法だと、衤蓋襠衣は首回りを大きく開けた盤領で、頭からかぶる衣のようにみえます。

Photo_15
伊崎寺は、以前安土城博物館でも出品されていましたが、あらためて“半跏趺坐”と確認しました。長福寺阿弥陀如来坐像は、いわゆるナタ彫り像ですが、“結跏趺坐”になっています。眼も、眼球のふくらみだけの表現のようです。
京阪電鉄で、京都市役所前で下車。北に向かって歩いて行くと、京都ハリストス正教会があります。今回はじめて、京都非公開文化財特別公開に参加した建物です。東京のニコライ堂と同じくロシア正教会の建物で、教会の祭壇がほかのキリスト教会とは、違った祭壇をはじめてみました。イコンはこのように飾るのかとはじめて経験しました。

Photo_16

Photo_17

南下して、イノダコーヒー本店へ。中にはいると、休日の昼時で大混雑。入口横の扉のランマのステンドグラスの写真をとって退散。

Photo_18

寺町通の中に、今回非公開文化財公開寺院である、誓願寺、安養寺があるのですが、スルーして、四条河原町の近くにある“築地”という喫茶店へ。

Photo_19
2階に通されると、カウンターの横の裏の出入口に色ガラスの嵌まったガラス戸がありました。戸の前に椅子がおいてあり、扉も半開きなので、戸をしめて、椅子をどかしてもらえないかと、ウェートレスの学生アルバイトらしきお姉ちゃんに頼むと、動かせません。そこに入らないでください。とマニュアル対応をされ、しかたなく現状の写真でご勘弁ください。

Photo_20

まだ時間に余裕があったので、知恩院へ、

Photo_21
三門も今回の公開なので、急な階段をあがり、三門上の釈迦像と十六羅漢像、壁画を拝観。中は照明がなく、壁画もほとんど見えない状態でした。持参した懐中電灯で、壁画を照らすと、江戸末期から明治にかけての落書が多数ありました。ほんとはこうゆうのもしっかりと見せるのが必要なのでしょう。

Photo_22

そして、近くの青蓮院門跡へ。そういえば、ここの前はよく通るのに、初めての拝観でした。

Photo_23

京都駅へもどり、帰路の旅へ。

2016年9月11日 (日)

岡山・奈良・京都旅

9月9日・10日と旅をしてきました。

まずは、岡山へ直行。10時開館をまって、岡山県立博物館「カミとほとけの姿」展に一番で入場と思いきや、先行してプレスの内覧会があったようで、すでにギャラリートークが始まっていました。
この展覧会で注目したのは、真庭市・明徳寺の聖観音坐像です。カタログでは10ー11世紀となっていますが、“半跏趺坐”です。半跏趺坐の発生する時代では最後のほうになる仏像です。

Photo

金山寺の清水寺式千手観音画像も展示してありました。これは眷属が四天王です。

いそいで、新幹線にのり、新大阪へ、難波から、南海泉北高速鉄道で和泉中央駅へ。
タクシーで“いずみの国歴史館”へ、と告げると、大学のところでっか?と聞き返すのです。
地図をみせて着いたところは、桃山学院大学のキャンパスの中にありました。
「和泉市の至寶」展では、奈良時代の木心乾漆造弥勒菩薩坐像がありました。この仏像は“結跏趺坐”です。

奈良には4時ごろに到着。奈良博「忍性」展を見学。おもに、旧額安寺像、鎌倉・極楽寺像を中心に展示してありました。
リニューアルなった、旧本館の「なら仏像館」は、ケースを一新して、大変見やすくなりました。ケースのガラスは高透過ガラスに、低反射フィルムを貼った、最新グレードの設備を使っていました。

その中で、奈良博蔵・阿弥陀如来坐像(9世紀)、文化庁・銅造薬師如来坐像(鎌倉)が“半跏趺坐”。

Photo_2

Photo_3
三重・見徳寺薬師如来坐像(飛鳥)は、中国の南北朝様式を踏襲した造法で、膝の箱状の形状は、形からみれば、明らかに“半跏趺坐”なのですが、中国南北朝様式の仏像との兼ね合いから、断定するにはまだ難しい面があるようです。

そして、これまたリニューアルなった、志津香で、釜飯。値段がちょっと上がったかな?

10日
京都駅で買い込んだ本の入ったリュックをコインロッカーにあずけ、バスで堀川今出川へ。
時間つぶしに、「京都市考古資料館」へ。
すぐ近くの「藤田家住宅」へ、西陣の帯製造業の住宅です。建物は昭和10年。

Photo_4
中に洋間があり、珍しいガラスが嵌まっていましたが、近づくことができず、判定できませんでしたが、隣の家の窓には結霜ガラスがはまっていました。

バスで出町柳へでて、叡山電車で2つめの「茶山」駅下車。駒井家住宅は白川疎水に面したところにありました。建物は昭和2年ヴォーリズの設計です。
Photo_5
階段の踊り場の窓に、黄色の型ガラス(ダイヤ)が嵌まっていました。
Photo_7

哲学の道をとおり、地図をたよりに「吉田山荘」へ、この建物は昭和7年、東伏見宮家別邸として建てられ、今は高級料理旅館として運営されていますが、
Photo_8
この敷地にあった車庫を改造して、カフェ「真古館」をオープンしましたので、食事をしなくても中に入れる、ということで、進入。
Photo_9
本館棟の玄関横の丸窓は、内行花文の銅鏡をモチーフとした図柄、各部屋のランマのステンドグラスは、その外周の模様をモチーフとした図柄になっていました。
Photo_10

吉田山の麓を歩き、京都大学楽友会館へ、大正14年建築の京大の教職員用の施設ですが、中のレストランは一般でも食事できますので、これまた進入。
Photo_11
階段の壁に7箇所の窓を設け、そこに、2、3種類の青系統のオパールセントグラスを嵌めただけですが、ちょっと異様な感じがします。
Photo_12

まっすぐ西に向かい、鴨川を渡ると、京都府立医科大学があります。正面入口のすぐ右に旧図書館の建物があります。玄関のランマにステンドグラスはありました。
Photo_13
よく見ると、色のない透明ガラスの型模様が見たことのない模様をしていました。Photo_14

まだ、時間に余裕があるので、三条から東西線で「東山」で下車。並河家住宅・並河靖之七宝記念館へ。
Photo_15
七宝の展示と、工房を見せるのがメインでしたが、この住宅に嵌まっているガラスは手吹き円筒法によるガラスでした。建物は明治27年ということでしたので、舶来ものでしょう。案内人はベルギー製だと言っていました。

さすがに疲れてきたので、最後にとっておいた「京博」へ、「特集陳列丹後の仏教美術」展へ。特別展ではないので、新館の一部のスペースでの展示でした。それにしても、ネットで、カタログは売り切れです。とアナウンスしていたので、あきらめていたのですが、売店ではそのアナウンスもしないで、平成20年に京都府立丹後郷土資料館で開催した「丹後丹波の薬師如来信仰」展のカタログをいかにも今回の特集陳列のカタログのように売っているのはいかがなものか、とおもいます。みんなだまされて買ってしまいます。

というわけで、初日は仏像を主に、翌日はガラスを中心にと、バランスよく見てまわりました。しかし、またよくばりすぎてツカレタ!

2016年2月14日 (日)

滋賀、奈良、大阪、神戸の旅

2月11日から13日まで、旅をしてきました。
例によって、ステンドグラスと、仏像探訪の旅です。

まずは、滋賀県立安土城考古博物館で開催している『大湖北展』です。
この展覧会の目当ては、浄信寺の「清水寺式千手観音画像」と、庵寺観音講の「大日如来坐像」です。

浄信寺の仏画は残念ながら、展示替えで見られず、庵寺観音講の仏像を見て来ました。

Photo
以前は上野庵寺蔵と言っていましたが、地域で守ってきた仏像ということで、今の所有者名になったようです。カタログでは、山下立学芸員の解説にちゃんと、半跏趺坐 とかいています。これで、山下氏を「半跏趺坐クラブ」の会員に推挙します。

電車を乗り継ぎ、JR片町線の鴻池新田駅で降り、駅のすぐ近くの広大な敷地に『鴻池新田会所』がありました。江戸時代新田開発の拠点になった屋敷です。

Photo_2
次に訪れた所も、新田開発の拠点になった八尾市の「安中新田会所(旧植田家住宅)」です。

Photo_3
両方とも、建物は江戸時代ですが、近年まで使っていた建物なので、窓ガラスに古いものが嵌まっているのではないかという期待があったのですが、旧植田家住宅で、昭和の初めに増築した風呂場の入り口の引き戸に結霜ガラスが嵌まっているだけでした。

奈良市内にもどって、去年奈良を訪れた時、旧日吉館の場所に立て替えられた建物にテナント工事をしていたのが、気になっていました。

1階はシャッターがまだしまっていましたが、2偕に茶華という喫茶店のような店がOPENしていました。

Photo_4
中に入ると、日本茶をベースとした、喫茶店で、ソバなど軽食も出しているようでした。私は抹茶アイスと、コーヒーを頼みました。日本茶のテイスティングも無料でします。ということなので、頼むと、まだ慣れていない店員が小さな茶碗にお茶をいれてきましたが、これはどこのお茶ですか?と聞いても、京都のお茶です。とトンチ問答のような答えでした。

内部は30席くらいはあったでしょうか、むかしの日吉館の2階の間取りを想像しながらひとときを過ごしました。

日が落ちると、なら瑠璃絵がはじまります。まずは、今回は、一応見学コースが決まっていて、興福寺から始まります。そして、奈良博の前でプロジェクション。東大寺南大門は仁王像のライトアップ。

Photo_5
そして、今回初めて、大仏殿の観想窓を開けて、大仏の顔を拝めたことです。

Photo_6
奈良国際フォーラムへの道から始まるLEDライトが今回の最大の見せ場になります。
国際フォーラムの中へは、500円を徴収されますが、庭全部にLEDライトを敷き込み、川のような、海のような、白と青のライトで埋め尽くされています。

Photo_7
最後は、春日大社の参道の木にミラーボールをつり下げ、そこから光りのシャワーを浴びせるという演出です。

Photo_8
春日大社の門もライトアップされ、燈籠にも火が入っていました。
それにしても、春日大社の参道は、街路灯がなく真っ暗です。私は調査用に懐中電灯を常備していますので、足下を照らせますが、舗装もしていない道をよく皆様は歩けるものだと感心します。

翌日は、近鉄で、難波を通過して、伝法駅で下車。歩いて数分のところに、鴻池本店の建物を見に行きました。

Photo_9
入口の欄間にステンドグラスが嵌まっています。内部には、孔雀の柄のステンドグラスがあるのですが、今回は外観だけで、次回に期待するということで。

南海電鉄で、住吉大社へ。祀っている社殿が4社あるのですが、その配置が並列ではなく、おもしろい配置になっていました。

Photo_23

地下鉄で谷町四丁目で降り、お堀沿いに歩いて、大阪府庁舎へ。ここの5階の正庁の間は、毎週水・金曜日限定で公開しています。

Photo_10

Photo_11

Photo_12
色ガラスの選定、使い方がなかなか素晴らしいステンドグラスでした。

すぐ近くの大阪城は、中国人観光客で大混雑なのに、この部屋には、私一人しかいませんでした。

Photo_13
地下鉄で天王寺へ、あべのハルカス美術館『長谷寺の名宝と十一面観音の信仰』展へ。

Photo_14
岡寺の銅造如意輪観音半跏像が出陳されていました。腰から、細長い布が両脇から途中に結び目を作って垂れています。これは、誰かさんが唱えている腰帛 と形状がそっくりです。しかし、以前にも書いているとおり、腰帛という言葉にはちゃんと定義があって、仏像に着するものではありません。

奈良にもどって、奈良国立博物館の『伊豆山神社の歴史を美術』展を見学。伊豆山神社にも行ったことがありますが、これだけ神像がそろったのは、見たことがありません。

最終日は、まずは、新大阪駅まで行き、本だらけで重くなったリュックをコインロッカーにあずけ、梅田から阪急で、芦屋川駅へ、坂道を歩いて登ると、坂の途中にヨドコウ迎賓館があります。旧山邑邸といって、フランクロイド・ライトの設計の数少ない日本での住宅です。

Photo_15
大谷石を多用した、RCの建物です。

Photo_16
2階の応接室です。

Photo_17
4階食堂

Photo_18
4階バルコニー

池袋の自由学園もそうですが、ライトの設計は、天井が低く圧迫感を感じることがあります。ライトは背が低い人だったのでしょうか?

阪急御影駅からすぐのところにある大豪邸の一角に「香雪美術館」があります。

Photo_19
仏像は、石造如来五尊像(北斉)が半跏趺坐。観音・勢至菩薩立像(金)、菩薩立像2軀(金~元)と、中国の木彫像が4体もあります。着衣に大変興味をそそりました。腰巻ストールのようでもあり、裙の折り返しのようでもあり、もっとくわしく観察しないと着衣方法がわかりませんが、残念ながら、カタログの写真も販売していませんでした。誰か調査してくれないかな。

元町までいき、相楽園へ、ここは、今は神戸市管轄の庭園になっています。レンガ造の旧小寺家厩舎は、明治43年竣工なので、窓ガラスにかなりゆがんだ、手吹き円筒法とおもわれる板ガラスがはまっていました。すぐとなりの旧ハッサム邸は、工事中で足場が架かっており、中の様子もわかりませんでしたが、情報によると、内部に模様入りケシガラスがあるようです。残念ながら、これも次回ということで。

Photo_24

近くの兵庫県公館も、周囲に足場架かって工事中でしたが、内部は公開していました。

Photo_20
内部を展示スペースに改修しており、また窓ガラスも殆ど入れ替えているようです。

歩いて、神戸市立博物館「須磨の歴史と文化」展へ。

Photo_21
須磨の寺社における仏教美術だけではなく、近代、別荘地として栄えたころの資料も展示されており、なかなかおもしろい展覧会でした。

帰りの電車には時間があったので、すぐ近くのビルの2階にあるKOBEトンボ玉ミュージアムへ、。1階のロビーの受付の欄間と、入口横の窓にステンドグラスが嵌まっていました。

Photo_22
トンボ玉ミュージアムといっても、個人で経営しているような、販売もしている美術館です。
トンボ玉ばかりではなく、ガラス板、ミリフォリなど、古い物もありましたが、むしろ、現代作家の作品を展示していました。おまけに、制作体験ができるということで、工房がしつらえてありました。手軽にガラス工芸ができるので、人気があるようです。

ということで、今回は大収穫があったわけでもなく、まあまあの旅行だったのかな。しかし、新しい靴があわなくて、歩くのに苦労の連続でした。といってまた、新しい靴を買っても慣らすのに時間がかかっては同じことだし、困ったな。

2015年11月 8日 (日)

九州・関西ー仏像、ステンドグラス旅(京都編)

11月3日(祝)
 まず一番で出かけたのは、大津市歴史博物館です。開館の9時前に着きました。

Photo

『比叡山ーみほとけの山ー』展の見学です。この館の展覧会は、毎回初出陳の仏像と、個体数の多さが注目です。

その中で、

  • 20 不動明王坐像 平安時代(10世紀)    伊崎寺蔵
  • 24 普賢菩薩坐像 平安時代(10世紀後半) 松禅院蔵 
  • 26 不動明王坐像 平安時代(11世紀前半) 延暦寺山内寺院蔵
  • 82 聖観音坐像   鎌倉時代(13世紀前半) 寂光寺蔵

が半跏趺坐と確認しました。

また、74 十一面観音坐像 奈良時代(8世紀後半) 西方寺蔵
は木心乾漆造で、結跏趺坐でした。

初公開の、68 菩薩立像 平安時代(9~10世紀) 所有者非公開
は条帛の部分が花をつなげたレイのような形をしており、また、腰から前にU字状の細布を垂らしています。解説では、これを“腰帛(ようはく)”といっていますが、初めて聞く用語です。

もうひとつ、54 千手観音像 鎌倉時代(13世紀) 延暦寺山内寺院蔵
の清水寺式千手観音像の仏画が出陳されていました。

JRで高槻へ行き、しろあと歴史館を見学してから、阪急で京都市内へ。
京都非公開文化財特別公開のうち、冷泉家住宅を見学しました。

Photo_2

座敷棟のうち、大正時代に新設された客間のガラス障子は、円筒法(機械吹き?)で製作されたガラスのようでした。

京都御所も公開中でしたが、スルーして、新島旧邸へ。

Photo_3

書斎にある本棚の戸は、ゆがみのあるガラスを入れていました。この建物は明治時代に建てられたものですが、1890年代の写真では、ガラス戸が写っていませんので、おそらく大正時代にガラス戸を入れたのだろうとおもいます。

烏丸御池から新町通を下っていくと、赤い壁の民家があります。

Photo_4

この建物は、以前ネットで調べていた時は、旧平井産業(新町商事)という名だったのですが、今は、京都ホテルオークラが所有していて、“新町1888”という名で、オークラ直営の町屋カフェ として、使われているようです。11月1日からは、完全予約制貸し切りスタイルの食事所として開店したようです。

Photo_5

しかし、正面の道路に面している窓には、すべて、ステンドグラスが嵌まっています。とくに1階のショウウインドウには、大きな花束と孔雀の図柄のステンドグラスが嵌まっています。

Photo_6

これだけの数のステンドグラスは滅多にありません。いつか団体で申し込みして、食事とステンドグラスを鑑賞したいものです。

Photo_7

新町通を下るとすぐ、紫織庵があります。ここの洋館部分は、武田五一の設計です。以前訪れたことはあったのですが、ちょっと気になることがあり、再度訪れました。

Photo_8

2階の洋間にステンドグラスが2箇所嵌まっています。そのうちの2連のパネルは、以前撮った写真では、鉛線に金箔を貼ってあるように見えました。その確認をとるためでしたが、照明で、そのように見えるだけでした。鉛線はよくみると、すべてにハンダが施されていました。なかなか丁寧な仕事ぶりです。

Photo_9

木屋町通を上がっていき、高瀬川が途切れたところに、島津創業記念資料館があります。

Photo_10

ここも、以前訪れた建物ですが、以前は、1階のランマに嵌まっていたステンドグラスが外側に透明の硝子がはまり、内側に板で目隠しされていましたが、内部の改装が行われたようで、内側からステンドグラスを見ることができました。

Photo_11

しかし、島津製作所の他の建物にあったステンドグラスパネルが2枚あったはずなのですが、今回は、ありませんでした。

木屋町通りを下がって四条通を越えたところに、フランソア喫茶室があります。

Photo_12
戦前の建物で、正面に2箇所ステンドグラスが嵌まっています。中に入ろうとしましたが、祝日の午後では、満席でもうだめ、改めて挑戦するということで、今回の旅は終了となりました。

続きを読む "九州・関西ー仏像、ステンドグラス旅(京都編)" »

2015年11月 7日 (土)

九州・関西ー仏像、ステンドグラス旅(木津川編)

11月2日(月)
 新大阪から地下鉄で天王寺へ、そしてJR大和路快速で加茂へ。ここまでは順調だったのが、加茂駅には、コインロッカーがない。大荷物を背負って移動もできないので、急拠奈良にもどり、荷物を預け、再び加茂へ、本数の少ない関西本線に乗り、島ヶ原駅へ到着。駅から観菩提寺までは、御開帳の期間のみ送迎バスが出ており、歩くつもりが大助かり。

Photo_2

というわけで、数年前の世田谷美術館で拝見して以来の巡り会いでした。たしかに、その迫力はすごいの一言ですが、折り畳まれた腰巻きストールは、ちょっと稚拙さを感じます。

Photo_3

三十三年ぶりということで、参拝者が多く境内はにぎわっていました。

加茂にもどり、木津川市がやっている「秋の社寺秘宝・秘仏特別開扉」のうち、高田寺、西明寺、旧燈明寺へ行きました。

Photo_5

まずは、高田寺。保安年間(1120~1123)の銘のある薬師如来坐像です。

Photo_4

小さな集落の中にあるお寺で、民家と見逃してしまうほどです。

そこから、歩いて2~30分ほどで、西明寺に着きました。

Photo_6

このお寺も秘仏特別開扉の旗がなければ見つからない場所にありました。
承和元年(1047)銘のある薬師如来坐像が本尊です。そのほか平安後期とおもわれる十一面観音立像がありましたが、木造の善光寺阿弥陀三尊像がありました。中尊の像高がおよそ30㎝位で、中尊の右手臂先が欠失している以外はよく残っていました。

加茂駅にもどり、駅の反対側へ10分ほど歩くと、旧燈明寺があります。この仏像は数年前の年1回の公開日に行って見たことがありました。

Photo_7

五躯の鎌倉後期の仏像があります。そのうちの不空羂索観音立像には徳治3年(1308)の納入品があります。今回は写真を撮ることが出来ませんでしたが。以前のブログを参照してください。所有者が正法護持財団から川合京都仏教美術財団に変わったからでしょうか。いづれにしても、廃寺になった寺院が一般財団法人に所有権が移ってしまうことのなにか割り切れなさを感じます。

Photo_8

今、横浜の三渓園にある三重塔はこの位置にありました。礎石もなにもその痕跡がありません。

今日は順調で、時間もあるし、木津川の他の開扉寺院へとおもいましたが、急拠変更して、加茂から大和路快速で、法隆寺へ。あの上御堂の開扉の日でもありましたので。久しぶりに拝観ということになりました。

Photo_9

半跏趺坐を調べ始めてから、上御堂の釈迦三尊像の脇侍の坐法が気になってしょうがありません。須弥壇にのれば、中尊は台座がちょっと高くて無理かもしれませんが、脇侍は台座が低いので、俯瞰で坐法を確認できるのですが。なんとかならないのかな。

大宝蔵殿では、木心乾漆造弥勒菩薩坐像(奈良時代)が半跏趺坐。銅造薬師如来坐像(伝峰薬師胎内仏)(奈良時代)が結跏趺坐。銅造釈迦如来及脇侍像(戊子年銘)(飛鳥時代)が中尊が半跏趺坐。 と確認してきました。

Photo_10

この日見たのは、仏像のみ。明日はステンドグラスもみるぞ。

続きを読む "九州・関西ー仏像、ステンドグラス旅(木津川編)" »

2015年11月 6日 (金)

九州・関西ー仏像、ステンドグラス旅(大阪編)

 午後2時には、新大阪に予定よりはやく到着、豊中の大阪大学へ。
大阪大学総合学術博物館(待兼山修学館)でおこなわれている「金銅仏きらきらし」展へ。
Photo

大学博物館で行われる展覧会ということで、展示品がほとんど大学所蔵品ですまされているのではないかと、あまり期待をしなかったのですが、これが、おおハズレでした。

43点の金銅仏は、おもに東京芸術大学蔵、そして、地元の大阪市立美術館蔵、逸翁美術館蔵、白鶴美術館蔵が出品されていました。

そして、この展覧会は科研費成果報告「5~9世紀東アジアの金銅仏に関する日韓共同研究」の発表の場として開催されたものでした。

この研究は、金銅仏を蛍光X線分析装置で、金銅仏の成分分析をしたものでした。
無料のカタログには、展示品の金銅仏それぞれに、成分分析の結果データが掲載されています。

こういった科学的調査の資料が提供されるのは、彫刻史の研究にとって、新しい角度からの情報の蓄積が得られるということで、こういう公開は大変有り難いものです。

しかし、藤岡氏の解説にあるように、この組成比率のデータだけでは、製作地、年代あるいは真贋の判断をすることはできない。あくまでおおよその傾向、蓋然性をしめすものとみるべきであるといっています。

大阪大学のキャンパスは、ちょうど学園祭(まちかね祭)の真っ最中でした。
とりあえず、見落としていた、大阪大学会館の玄関ランマのステンドグラスを見学。
Photo_2

延々と続くテントは、殆どが食べ物の屋台。ちょっとした広場は、ステージでオリジナル?の曲でバンドが演奏をしていました。

Photo

昔も今も?学園祭の傾向なのかな!

モノレールで南茨木へ。茨木市文化財資料館「龍王山をめぐる信仰と人々」展へ。
Photo_3

展示している仏像は、ポスターにある大門寺の熊野十二所権現像と蔵王権現立像でしたが、カタログには、忍頂寺の仏像も掲載されていました。

この日ではなく、3日には、高槻市しろあと歴史館で『大阪の修験と西方浄土』展を見にいきました。

Photo_4

仏像では、神峯山寺所蔵のものが展示されていました。

1日の宿泊は、新大阪。

つづく

より以前の記事一覧

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ