展覧会

2012年1月 2日 (月)

新春の東博

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 新年あけましておめでとうございます。

  本年もご贔屓の程よろしくおねがいいたします。

新春の第一弾は、初詣と、運動をかねて、東博へ行ってきました。開館早々に行けば、特別展の『北京故宮博物院200選』展をゆっくりと見られるかと思いきや、すでに長蛇の列。入場には、40~50分待ちとのこと。

 

 

 

 

 

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何も今日見なくても、パスポートのハンコ欄にまだ空きがあることだし、すぐにパスしました。

それで、平常展で彫刻で目新しいのが展示されているのか、彫刻室を覗いてみました。

すると、例によって、腰布とその上に腰巻ストールをしている、不動明王立像がありました。この手の着衣方法は、平安後期には、すでにメジャーになっていたようです。

 

 

 

 

 

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本館では、今年が東博140周年だということと初日だけあって、さまざまなイベントがおこなわれていました。

まずは、1階で、特別展にあわせて紫禁城の映像を上映していました。画面がタテ2.7m×ヨコ12mの大スクリーンに映し出された映像は、すべてCGでした。たしかにVR(バーチャル・リアリティ)映像なのでしょうが、願わくば本物を見たかった。

 

 

 

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また、新春イベントとして、浅草寺の金龍の舞の披露がありました。本館の階段から、平成館の前庭での演技は、たくさんの見物客で、よく見えませんでした。

しかし、こんなめでたい時に、館長との記念写真はないでしょう。だれが客なのかわかっているのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

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東博では、本館2階中央の貴賓室を公開していました。この部屋ははじめて見ました。

 

 

 

 

 

 

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そんなこんなで、人混みを避けて、輪王寺根本中堂で、やっと初詣を済まして、帰宅の途につきました。

 

 

 

 

 

 

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去年大晦日の東京スカイツリーのライトアップ。いまいちですな。

2011年7月21日 (木)

空海と密教美術展

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 初日に、東京国立博物館で開催の『空海と密教美術展』を見てきました。台風なので、ちょうど狙い目かな、と思いましたが、見事に空いていました。

最初の部屋は、空海の書を中心とした展示でした。空海自筆の『聾瞽指帰』上巻がすべて広げられていたのにはビックリです。

そして、空海の請来品がならび、東寺、神護寺、高野山、醍醐寺関係の美術品がならびます。

彫刻では、まず、醍醐寺の五大明王像がそろって展示していました。そして、仁和寺阿弥陀三尊、上醍醐薬師三尊と9世紀末から10世紀にかけての基準作例がつづきます。あと、棲霞寺阿弥陀三尊と、法隆寺上御堂釈迦三尊があればもう言うことなしなのですが、仁和寺と上醍醐がこれだけ近くで比較できたことじたい、まず希有なことなので、これでよしとしましょう。

最後の部屋は、例によって、バルコニー風のちょっと高い位置からの、東寺講堂像群の俯瞰です。四天王立像、梵天帝釈天像という、立体曼荼羅のいはば端の像がそろってはいましたが、五菩薩、五大明王像、五如来像は中心の像がないので、立体曼荼羅を売りにしていても、何だが歯抜けで、芯がぬけた感がいなめません。

個々の像は、すべて、ぐるっと全体が見える心遣いは、よく行き届いていました。

まあ、これだけの名品ばかりを集めたのは、さすが東博と言わしめるのに充分でしょう。

しかし、キャッチフレーズが、“国宝・重要文化財98.9%” というのはあまりにもセンスがありませんな。そういう問題ではないでしょう。

今回、これだけの平安前期から中期の仏像をまとめて見て、いくつか気になることがありました。それは、以前から注目していた、「坐勢」と「腰にまく布(腰巻ストール)」です。過去のブログで、問題点を指摘してきましたが、いままでそれに注目して見てこなかったために、以外と見落としていた新しい発見がありました。ただぼんやりとみていたのでは、気がつかなかったのです。

仏像を見るとき、仏像の全体像を把握することは、重要なことなのでしょうが、ある部分について注目してみることも、新しい発見があるものだと、最近つくづく思います。

これから、すこしずつ、その点をまとめて書いていこうとおもいます。

初日をねらったのは、ひょっとして、また、仏像のフィギュアを売っているのでは、という期待があったからです。

売店にいくと、何と、7体ものフィギュアを売っていました。

まず、東寺講堂の梵天・帝釈天、不動明王、持国天、神護寺蓮華虚空蔵菩薩、醍醐寺如意輪観音、金剛峯寺西塔大日如来像 です。

1体4200円はちょっと高いかな、阿修羅人気で強気になったのかな、明らかに柳の下のドジョウねらいだな、それにしても7体も作るとは節操がないな、製作が海洋堂でないのもちょっとな、ウーン!!

2011年6月 5日 (日)

山武市の仏像

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 東京駅から特急に乗ると、1時間で成東に着きます。市といっても、合併した普通の地方都市です。駅前のシャッター商店街を抜けると、すぐに田園がひろがります。およそ15分で、山武市歴史民俗資料館に到着です。

 

 

 

 

 

 

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仏像はおよそ20体ほど展示されていました。その中では、善光寺式阿弥陀三尊像が2件ありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 そして、西照寺の十一面観音立像が目にとまりました。この仏像は化仏が欠損していますが、十一面観音像とわかります。ところが、服は如来が着用する衲衣なのです。

このことについて、解説では、宋より伝来した仏画や仏像を手本として十三世紀中頃に鎌倉で生み出された像容と云える。 としていますが、どういう根拠でそう云えるのかの説明がありません。

実例がほしいところですが、今の私の現状では調べる術がありません。宋の仏画や、仏像の例があげられるといいのですが、

この山武市歴史民俗資料館の隣には、伊藤左千夫の生家が保存されています。伊藤左千夫というと、『野菊の墓』がすぐ浮かびます。

この小説のあらすじは覚えているので、読んだことがあったのでしょうが、その記憶がありません。もともと、小説はほとんど読まないので、数少ない読んだ小説のひとつかもしれません。

そんな淡い少年の恋ごころは、少年時代の記憶を甦らせます。

と思いながら、帰りの電車をホームで待っていると、何か見覚えのある風景が目にとまりました。

 

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そうだ、夢さんのジオラマにあった、田舎の駅の跨線橋だ。波形スレートの屋根をつけて、そのスレートの合わせ目にはボルトが飛び出ています。

夢さん、これでしょう!

2011年2月 9日 (水)

『仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護』展から

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 例によって、病院の帰りに、東博の『仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護』展に行ってきました。彫刻に関しては、あまり期待していませんでした。今月で切れるパスポートがあと2回残っているので、その消化のためと、東博も1、2ヶ月ご無沙汰だったというタイミングでした。

たしかに、最初は平山郁夫の絵の小品がズラーッ とならんでいましたが、その後、インドの石仏や、バーミヤンの壁画、中国石窟の石仏など、予想外の彫刻のオンパレードでした。

また最後の薬師寺の大壁画は圧巻でした。薬師寺でみるよりも、ずっと見せる環境をつくっていました。じっくり見られるように、ベンチもおかれていました。さすが東博の展示は洗練されています。

 

 

 

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そこで、気になる仏像が一体ありました。キャプションには「弥勒菩薩遊戯坐像」と書いてあるのです。でも像容は片足垂下像です。その前にある仏像は「弥勒半跏思惟坐像」と書かれており、右足を左太股の上にせ、左足を垂下させる、「半跏像」です。

なんで、これが遊戯坐像なのかとおもいながら、本館の彫刻室に足を運ぶと、「西大寺蔵 如意輪観音坐像」と書いてある仏像がありました。

この仏像は、先の「弥勒菩薩遊戯坐像」と同じ像容の片足垂下像です。まあ、これもいつものことか、と思って地下のミュージアムショップへ足を運びました。

 

 

 

 

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すると、最近発行したばかりで、『もっと知りたい禅の美術』という本が目に止まりました。中をパラパラとめくってみると、多少彫刻のことが書いてあるようでした。

すると、薄井和男氏の執筆で「自由な姿態の観音たち」という題で、いわゆる“遊戯坐像”について述べているページがありました。(P64~P66)それによると、

「これらの像の呼び名を従来、半跏像ないし半跏踏下げ像と呼んできたが、近年、こうした形勢は厳密には遊戯坐像と呼ぶべきとの提示がなされている。現存像はもっとも古例とみられる神奈川・禅居院像や、静岡・北条寺像をはじめ、まとまった数の作例が遺る。このなかでもっとも「遊戯坐」形らしいくつろぎの姿勢を表現したのが神奈川・東慶寺水月観音像で、仏像らしからぬ和んだ像容は、この手の観音像の究極表現といえる。」

以前述べたように、浅見龍介氏の提案に沿った論を展開していますが、浅見氏がいう「遊戯坐像」の定義は

「禅宗寺院の観音像には通常の立像、坐像に加えて、中国で流行したくつろいだ姿の像(遊戯坐像)がみられる。」

ということしか書かれていません。

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ということは、浅見氏は前書で、「遊戯坐像」とは、片足を垂下することが前提ではなく、片足を垂下していなくても遊戯坐像としている像も例としてあげています。

しかし、薄井氏は、片足を垂下することが、「遊戯坐像」の前提のような言い方です。

さらに、もう一方の足は、膝をたてても、前に投げ出してもそれはどうでもよくて、要は、他方の足の太股の上にもう片方の足を置かなければいいということのようです。

しかも、片方の手は必ずしも、地面つかなくてもよく、東慶寺像のように、岩に臂をつけてもいいということらしい。

とすると、宝菩提院の菩薩像は「遊戯坐像」なの?ということになります。

いや、これは、禅宗彫刻に限っての話です。

というのなら、上の写真のガンダーラ仏を何故、「遊戯坐像」というの?

平常展の西大寺如意輪観音像は、どうして坐像というの?

もっとちゃんと「遊戯坐像」の定義をしてからでないと、混乱するばかりです。

【白黒写真は慶珊寺十一面観音片足垂下像】

2011年1月22日 (土)

運慶展

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朝早く家を出て、金沢文庫の『運慶』展に行ってきました。土曜日のせいか、普段の金沢文庫とは違って、かなり人が出ていました。最近の仏像ブームもまだすたれてはいないようです。特に、中高年の人が目につきました。

出陳している仏像は、チラシに出ているのが、ほとんどで、円成寺・光得寺の大日如来、滝山寺の帝釈天、浄楽寺の不動明王・毘沙門天立像、光明院の大威徳明王像といったところでしょうか。真如苑像は、2月8日からの展示だそうです。

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展示スペースの都合もあって出陳している仏像は少ないですが、運慶に関する史料(「運慶」の名が書かれている文書類)が豊富に展示しているのは、さすが金沢文庫と思わせませす。

これらの運慶作品は、ここ数年間に、さまざまな所で公開されていましたので、とりたてて感動することはありませんでしたが、狭い展示スペースでは、いささか消化不良の所もありました。

仏像の背部を見られるのは、滝山寺の帝釈天像だけで、あとは、壁面のガラススクリーンごしにしか見られませんでした。ほとんど正面だけということです。

結局、カタログの写真で印象を感じてくださいということですか。

唯一、背面が見られる滝山寺の帝釈天像は、後補の彩色のおかげで、その着衣方法がよくわかりました。いわゆる、腹甲が、チョッキのように身体に密着して、その上に胸甲を被っているようです。腰巻ストールも、実に自然な衣文の翻りを表しているのはさすがです。

光得寺は本体よりも、厨子が注目でした。本体を厨子から取り出して、別に展示しているので、厨子の中にある小仏をよく見ることができました。

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カタログでは、まだ運慶作品の出現の可能性を述べていますが、もう運慶ブームはこの辺でおわりでしょう。

それよりも、「快慶」作品のほうが、ここ数年の間に多数出現しており、ここらで、まとめる展覧会があってもいいかなと思っていますが、どうでしょうか。

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2010年11月 7日 (日)

貨物フェステバル2010

最初に言っておきますが、私は“鉄ッチャン”ではありません。

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先週の土曜日(6日)に、JR貨物隅田川駅で、『貨物フェスティバル2010』を1日だけ開催していました。

いつも外から眺めていますが、その中のようすがどうなっているのか興味がありました。

むかし、国鉄だった頃、車庫の建物の新築工事で硝子をいれましたが、その建物はずっと駅よりで、まだその建物はありますが、その当時は全然鉄道なんて興味がありませんでした。

もっとも仕事で中にはいったので、すべて見られるわけでもありませんが。

フェスティバルというからには、きっと機関車が動いていたり、と、昔の万世橋にあった子供の頃の遊び場だった鉄道博物館を想像していました。

中にはいると、コンテナの間をすり抜けると、これまたコンテナを並べて、それを一面解放して、展示スペースや、販売所にしていました。

 

 

 

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このフェスティバルの目玉は電気機関車の展示でしょう。

1台は、EF65 535 でブルートレインを引っ張った車両で、もう1台はJR貨物の専用電気機関車 EF210ー161 だそうです。

わざわざ架線のない引き込み線にもってきて展示しています。

 

 

 

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EF65 はもう一方の正面には、最後に走ったときの“惜別”のプレートがついていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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もう1方のEF210は最新の機関車のようで、通称“桃太郎”というのでしょうか、なかなか精悍なデザインです。

 

 

 

 

その他というと、“鉄ッチャン”むけに、鉄道の部品(といってもガラクタにしか見えませんでしたが)を売っていたり、高いものはオークションをしていました。

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ナンバープレート EF15 105 では、最低価格30万円からということで、入札をしていました。いくらで落札したのか見ていると、31万円でした。

かなり重そうな感じでしたので、鋳物でできているのでしょうか。

それにしても、“鉄ッチャン”は金持が多いようで、JR貨物もウハウハではないでしょうか。

 

 

 

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むしろ、私が興味をもったのは、コンテナを運ぶ専用のフォークリフトです。むかしアルバイトで、フォークリフトを動かしたことがありましたが、こんなデカイフォークリフトを動かすのは、きっと気持ちがいいのではと思いました。子供が順番に並んで、運転席に坐らせてもらっていましたが、まさか、こんなオジサンが並べないのでやめましたが。

 

 

 

 

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返り道は“モミジバフウ”という街路樹がもう紅葉していました。まだ完全には紅くなってはいませんが、確実に紅葉狩りの季節となりました。

来週の京都・奈良がたのしみです。

2010年10月17日 (日)

『写真展 小川晴暘と奈良飛鳥園のあゆみ』

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 奈良県立万葉文化館で行われている展覧会です。10月26日まで開催されていますが、残念ながら見に行くことができません。場所が飛鳥だけに、ちょっと日帰りでというわけにはいかないのです。

そんな訳で、カタログでもと思って、送っていただきました。すると届いた本は、普通よりひとまわり大きいB4版の本で、写真の印刷もさすが飛鳥園の監修とうならせる体裁でした。

内容は、飛鳥園の創設者の小川晴暘の有名な黒バックの写真から、雲岡のスケッチが掲載されていました。もともと画家を志していた晴暘は、調査ノートというべき詳細なスケッチを残しています。

そして、二代目の光三氏、そして、飛鳥園出身で、のちに京都国立博物館で写真を担当していた、金井杜道氏のおもに興福寺阿修羅像をはじめとした八部衆像、十大弟子像の写真。

いまも飛鳥園で写真を撮っている若松保広氏は、おもに、大和地方の風景写真を掲載しています。

こうして見ると、飛鳥園もまだまだ健在だなということが実感できます。

カタログの表紙を飾っていた東大寺月光菩薩像の顔の写真が見慣れていたためでしょうか、先日東京国立博物館で購入したフィギュアの顔と目の表情が違うのが気になります。

また、金井杜道氏の阿修羅像を見ていると、どうも気になることがありました。

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以前、修理前の阿修羅像の写真を掲載しましたが、新納忠之介が修補したのは、右第一手の合掌手の二の腕から先の部分と、左第三手の上にあげた手の臂から先の部分のはずです。

 

 

 

 

 

 

 

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修理後の写真をよく見ると、右第一手の二の腕のところに、継ぎ目がみえており、ここから修補したというのがわかります。

左第三手は写真からは継ぎ目がよくわかりませんが、この腕は補作したはずなのに、なぜか指は破損したように、針金がでています。

なぜこんなことを新納はしたのでしょう。腕を新しく創作したのに、わざわざ破損したように見せているのです。

こんな修理でアリなのですか。新納に聞いてみたいところです。

2010年10月11日 (月)

清水寺式千手観音(その2)

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町田市立国際版画美術館で行われている『救いのほとけー観音と地蔵の美術ー』を見に行ってきました。初日だからなのか、入場料1000円がなんと、本日に限ってタダでした。

これはラッキー! わざわざ雨の日に出かけた甲斐がありました。

今回は、めづらしく日本の仏像に関する展覧会でした。仏像とその納入品の印仏・摺仏などを展示していました。

 

 

 

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その中で、カタログの表紙を飾っていた個人蔵の清水寺式千手観音像の画像に注目しました。

この画像は、単独像ではなく、最上部に三十三応身像を配し、その下に風神雷神を配置し、下部には二十八部衆像を描いています。

そして、本面の左右に脇面を配置し、いわゆる三面像となっています。

カタログの解説では、清水寺奧院の千手観音坐像との関係を指摘していますが、清水寺式千手観音像の画像を調べてみると、必ずしもそうとは言い切れないような気がします。

 

 

 

 

 

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というのは、福井県小浜市の万徳寺の画像では、三面であらわしており、また、滋賀県木之本町の浄信寺の画像も三面です。

 

 

【万徳寺千手観音像】

 

 

 

 

 

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ということから考えると、むしろ、参照すべき違った図像があったのではないかと想像した方がいいのかもしれません。

しかし、個人蔵は、頭上面が17面、しかも如来形、万徳寺蔵は頭上面は21面、浄信寺蔵は頭上面が13面、とバラバラです。

となると、参照する図像の系統も違うと見た方がいいのでしょうか。

 

【浄信寺千手観音像】 

 

 

ちなみに、清水寺式千手観音像の画像は、今のところ、13件が確認されています。ただし、三十三所観音図などに描かれている、観音霊場の清水寺の画像と、印仏・摺仏は除きます。

  • 東京国立博物館 東京都台東区 鎌倉(14世紀)
  • 個人蔵 東京都 鎌倉(14世紀)
  • 万徳寺 福井県小浜市 鎌倉
  • 天永寺護国院 愛知県名古屋市 鎌倉(14世紀)
  • 実相寺 愛知県西尾市 南北朝
  • 求法寺 滋賀県大津市 鎌倉
  • 延暦寺山内寺院 滋賀県大津市 鎌倉
  • 油日神社 滋賀県甲賀市 室町
  • 浄信寺 滋賀県伊香郡木之本町 鎌倉後期
  • 智積院 京都市東山区 室町~桃山(16世紀)
  • 観音寺 京都府福知山市 南北朝
  • 金山寺 岡山県岡山市 鎌倉
  • ボストン美術館 米国 平安(12世紀)

彫刻の方はまだ調査中ですが、いまのところ45体の確認をしています。まだまだ発見はされそうです。いずれ、まとまればリストアップしようとおもいます。

参照ブログ

更新履歴

  • 延暦寺山内寺院蔵を追加(H22.11.15)

2010年10月 8日 (金)

特別展『東大寺大仏』

Photo 本日から開催の『東大寺大仏』展に行ってきました。ちょうど、開館時間延長の金曜日なので、夕方5時頃入場しました。

初日なのに、館内はガラガラでした。今回の目玉は、八角燈籠です。例によって、一段高いベランダ状の展望台を設置して、同じ目線になるようにしてあります。

そして、その後ろの壁には大仏殿の正面がおおきく描かれており、現状の様子を壊さないような配置になっています。

また、良弁僧正、僧形八幡像は背面も見られるようになっていました。

もうひとつの目玉の、不空羂索観音像光背は、こうして、よく見えるところに出ると、何か期待はずれの感がします。宝冠のようにもっと荘厳な造りであるという先入観があったからでしょうか。

仏像では、その他に、試みの大仏や、五劫思惟阿弥陀如来、また快慶の阿弥陀如来、地蔵菩薩像が並んで展示されていました。

今回の展覧会は、仏像もそれほど数が多くないけれど、一体一体は、すばらしい作品ばかりで、そういった意味では、大変見応えのあるものでした。

その中で、はたと気がついたことがあります。伝弥勒仏坐像(試みの大仏)を見ると、左足はその裏を上にしていますが、右足が表現されていません。左足の下に隠れているとすると、これは結跏趺坐ではなく半跏趺坐ということになります。どういうことなのでしょうか。

一通り見終わって、売店を覗くと、阿修羅展のときの二匹目のドジョウをねらったのでしょうか、今度は誕生仏と月光菩薩のフィギュアを売っていました。阿修羅のときの品切れを警戒して、一人1個までと制限をつけ、おまけに買う時に、チケットの提示まで求められました。ちょっとやりすぎじゃないの。今回はそれほど売れるとはおもいませんが。

といいながら、月光菩薩像を買ってしまいました。しかし、今回も海洋堂で、作者の名前まで箱に表記して自信満々のようですが、顔の表現がイマイチですな。

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 そんなこんなで、館を出るときは、秋のつるべおとしで、もう真っ暗。東京国立博物館本館のライトアップをふりむきながら、帰路につきました。

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2010年1月 2日 (土)

新春の上野浅草

Photo “博物館で初詣”のキャッチコピーにのせられて、東京国立博物館に行ってきました。まずは本館正面で、獅子舞。入口正面では、和太鼓の演奏と、正月気分を盛り上げてくれます。

 

 

 

 

 

Photo_2 地下のミュージアムショップにいると、そこまで、獅子舞が侵入してきました。客は一瞬おどろいているようでしたが、そういえば、幼少のころは、正月になると獅子舞が各家の玄関に入り込んでちょこっと舞を舞って、お金を獅子の口にいれるというのが、普通の正月風景でした。子供は獅子の口の中に入ると、ご利益があるといったようなのがあったっけ。小さい頃の私は、獅子舞のおじさんがこわかった印象があります。人の家に勝手にはいって、たいした芸でもないのをちょこっと見せてお金を無理矢理取っていくという感じだったのでしょう。それにくらべて、三河漫才は七福神みたいでユーモラスでした。

 

 

Photo_3 さて、やはり気になる仏像のことをひとつ。常設展に展示してあった、東博蔵の不動明王立像です。平安時代11世紀頃の作品といわれています。この仏像の裳の着衣の仕方がどうも気になりました。

正面右側に寄せて、布をむすんでいるようですが、これは、腰布(腰巻ストール)を結んでいる表現ではないのです。

しかも裳の折り返しが3段になっています。普通は1段か2段です。というのも、2段とは、下裳と上裳の折り返しで2段になるので、3段というと裳を3枚も付けているということになります。

折り返しの布を正面右で結んでいるために、裳の衣文が垂れ下がっている表現になっているのでしょうか。

 

 

 

 

Photo_4Photo_5 左右面を見ると、どうも左右の整合性がとれていないようです。左側面を見ると、腰布(腰巻ストール)のようにみえますが、右側面では、3段の裳の折り返しの表現です。

普通にこのように着衣して、こういう形にはならないと思うのですが、ただ図像か何かの見本を何となく写したような気がします。

もともとか、ずっとか、日本人はこういう布を腰に巻くという習慣がなかったのではと思わせます。

次に、浅草へ。地下鉄を降りると、もうすごい人だかりです。しかも改札口に沢山の人が待っているのです。携帯で待ち合わせすると、こういうことになるようです。

それで、観音様はあきらめて、松屋の古本市に行ってきました。かなりの量がありましたが、手が延びそうなのはありませんでした。

Photo_6 松屋のサイトにある、屋上に上がれば、東京スカイツリーがよく見えます。という記事に踊らされて、遊園地になっている屋上に上がると、まわりには松屋と同じ高さの建物が建っているし、おまけに、まわりは金網でかこっていて、やっと撮影スポットを探して、写してきました。

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