硝子

2009年12月 2日 (水)

丸二テグス旧本社ビル

Photo 木ノ本駅から浄信寺へ行く道に、古い二階建てのビルがありました。いかにも戦前の建物のようでした。中を覗くと、もう使われなくなった廃墟のような建物でした。

Photo_2 入口のランマを見ると、その会社のマークでしょうか、丸に二を表したステンドグラスが嵌っていました。ガラスはキャセドラルガラスを使った単純なデザインですが、この建物のアクセントになっているようです。

またそのまわりのガラスも戦前のモロッコという型ガラスのようです。

Photo_3 玄関横の窓を見ると、ガラスを何度も補修をしているようですが、その中でも当初とおもわれる結霜ガラスがありました。また、ほかにも古そうな型ガラスを見ました。

Photo_4 玄関の扉には、釣り好きのつるのたけしの写真の載ったこの会社のポスターが貼ってありました。

いろいろ調べてみると、このビルは「丸二テグス」という会社の本社ビルでした。この会社は本社を近くに移転して、この建物は現在使われていないということでした。おそらくは、昭和初期の建物だろうとおもいます。

それにしても、北国街道の町並みを観光の目玉とするには、このビルこそ有効に使えばいいと思うのですが、

その際、是非とも、窓ガラスもしっかりと保存してほしいものです。

ちなみに、「丸三ハシモト」という会社もこの近くにあるそうです。この会社は三味線などの和楽器の糸の製造メーカーだそうです。

それならば、「丸一ナントカ」という会社はないのかな。

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2009年10月28日 (水)

藤田喬平のガラス作品

Photo 前回お話したように、藤田喬平美術館は展示品の写真撮影が全てOKでしたので、その作品のいくつかを紹介しようとおもいます。

この美術館はホテル松島一の坊の社長が館長をつとめています。しかし、藤田の生前に開館していますので、いはば藤田公認の美術館といえるかもしれません。それだけ、いいものを集めているようです。

Photo_2 第一展示室には藤田喬平の定番ともいえる、飾箱がありました。これは、琳派の作品をガラスで表現しようとした。ということですが、むしろ、ガラスの発色の鮮やかさを生かして、さらに日本的なモチーフをとりいれた作品で、非常にユニークな作風をつくりだしています。

最初にこれを見たときは、何で、琳派をガラスで表現しようとしたのか理解できませんでした。今になって見ると、むしろ、ガラスという素材を最大限引き出している作品なのかな、とおもったりします。

Photo_3 昔、藤田作品を所蔵しているある美術館の学芸員に聞いたことがあります。この金箔はガラスに溶着しているはずですが、はがれやすく、取り扱いがむずかったそうです。

Photo_4 このヴェネチアン・グラスの伝統文様といわれるカンナ文様(注:カンネでは?)を使った花瓶は、比較的後で作り始めたようです。

昔、バブル絶頂期に百貨店で藤田の展示即売会を見に行ったことがありました。そのときは、飾箱とレースグラスの椀くらいしかなかったと記憶しています。

Photo_5

Photo_6 レースグラス作品は、藤田作品の中では比較的おとなしい作品です。しかし、これが私には一番藤田らしいとおもったのですが、どうも他を見ると、あまりにもインパクトがないようです。

技法的には非常に高度なテクニックを使っているのですが。

Photo_7そのバブルの時の展示即売会では、こんな碗がその当時、私のポケットマネーでも買える値段で売っていました。

ガラス工芸は、陶磁器とくらべて、一段低く見られていたので、安く買える値段だったのですが、購入はしませんでした。

いまさら後悔してもはじまりませんが、今となってはコレクターにならなくてよかったとおもいます。所有欲というのは誰もが陥る悪魔の誘惑です。クワバラ、クワバラ。

Photo_8 外の庭には、チャペルが建っています。窓にはステンドグラスが色鮮やかに嵌っていますが、藤田の作品とおよそ不釣り合いなステンドグラスです。

まあ、人生色々~♫、ガラスも色々~♪ ということですか。

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2009年9月19日 (土)

展示照明手法

 博物館・美術館で、展示用にガラスを使います。一般には、展示物と見学者との隔てに使われています。それは、展示物の埃や落下物の保護、および盗難防止のためとされています。その要求を満たすガラスは、すでに存在しています。強化ガラスおよび合わせガラスです。展示物の歪曲の無い正確な表現はフロート硝子の開発によってガラスの表面が平滑になり、その要求もみたされています。しかし、展示物と見学者の間にガラスがはいったことで、まださまざまな問題が解決されていません。
1 展示物の形状、色、色彩の正確な表現及び観察に支障をきたす。
2 展示物が光の表面反射によって、見学者の観察の妨げになる。
PhotoPhoto_2  いわゆる一般の透明硝子は微量の鉄分がはいっているために、青色を帯びています。新しい硝子の小口をみれば、濃い青色をしています。この問題を解決するために作られたのが『高透過硝子』(旭硝子の商品名は「ミュージアムガラス」から「クラリティア」に変更)です。硝子の製造段階で、鉄分を抜いて作られた製品です。この硝子が博物館で初めて採用されたのが、福島県立博物館でした。早稲田大学會津八一記念博物館の1階の展示室硝子も、このガラスを使っています。当社の施工ですから間違いありません。透過率が普通のガラスより5%いいという程度なので、比べて見ないとその違いは素人には判別できません。これは、ガラスだけではなく、照明器具の色温度にもよります。展示物は太陽光に近い5000K程度が適しているようですが、最近の照明は紫外線、赤外線の問題を重視する傾向のため、色温度を落としているようです。光源の種類によってその特性があるので、最善の方法はいまの時点ではないようです。

Photo_3Photo  硝子の反射を低減させる、『低反射硝子』も博物館・美術館での使用に有効として、開発された商品です。これは、写真用レンズですでに実用化された技術で、大きな板硝子にもできるように開発されたものです。その技術はガラスの表面をCVD(化学式蒸着装置)で、チタン化合物をコーティングするものです。これによって、普通ガラスのおよそ1/8の反射率に低減されたガラスです。しかし、ガラスの映り込みがなくなるかというと、そうでもないようです。メーカーのカタログにはこの低反射ガラスの入射角度別光学特性のデータがないので、斜めから見たときどのくらい反射するのかはわかりません。いずれにしても、全く反射しないわけではないので、照明器具の位置は充分に配慮すべきです。

Photo_7

 さて、光源が展示物やガラスに映り込まないようにするためには、光源設置の位置の検討が必要です。一般的には、上のような説明がされています。しかし、この条件では、見学者はガラスの近くによって見ることができません。また、展示物が掛け軸のように、高い位置からつり下げられた場合、見学者は顔をあげると、反射光が目に入ります。この図面はあくまでも参考であって、個別に照明計画を策定する必要があります。

Photo_6 まず、見学者の見る範囲をどこまで想定するかを、確定しなければなりません。絵画であっても、遠くから全体を見る場合と、近づいて筆の線を見る場合があり、両方とも、映り込みがないのがベターなはずです。
このような、展示物の種類、それを見学者はどのように見るのかの検討が必要です。
と、ここまで書くと、おそらく実際に携わっていた人は、そんなことまでできるはずがない。あちらたてば、こちらたたずで、しかたなく妥協しているのだ、というでしょう。そう、もうできてしまった箱物のなかでは、実際にできることは限られてしまうでしょう。しかし、いままで見てきた展覧会で、これはよく考えたという展示方法がありました。

ひとつは五島美術館で数年前開催された「牧谿展」でした。この美術館はガラススクリーンが対面しており、どうしても反対側のガラスの照明が映り込んでしまいます。それで、展示室の中央に黒いブラインドを設置したのです。これによって、反対側の照明器具の映り込みがなくなりました。

もうひとつ、2~3年前日本民芸館に行ったときでした。特別陳列室にはいると、そこには、3方に低いガラスケースが並んでいましたが、ケースの中の照明以外すべて消され、窓も塞いでいました。おまけに、入口には前室を設けて、動線を90度まげて、入口からの光をシャットアウトしていました。中にはいると、ガラスケースの中の光のみですので、映り込みが全くありませんでした。

この2つの例は、展示物がおなじ種類で大きさも統一されているために可能になったのでしょう。展示物の大きさにばらつきがある場合はむずかしいかもしれません。いはば、汎用の展示スペースを展覧会ごとに改造するには無理があるのは理解できますが、それにしても、見学者がどういう視線をもって見ているかの想定ぐらいして、もうちょっとのきめ細かい工夫をして何とかならないものでしょうか。

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2009年9月13日 (日)

横浜開港記念会館ステンドグラス(改修後)承前

 ステンドグラスの両面になぜ透明ガラスを嵌めたのでしょうか。その理由を想像すると、地震や汚染、打撃から守るため、ということだとおもいます。果たして、そのガラスはそういった機能を有しているのでしょうか。ほかに問題が出てこないのでしょうか。この問題を検証してみようとおもいます。
Photo  まず、このガラスは耐震性能があるのでしょうか。前のブログの最後のことろで、JASS17についてお話ししましたが、すくなくともJASS17の規程どおりでなければ、耐震性は確保できません。また、このガラスは強化ガラス10mmだそうですが、強化ガラスというのは面強度は普通ガラスの3~5倍ありますが、地震のような強大な応力には対応できません。むしろガラスは、もし割れたとき最小限の被害ですませることを主眼に置くべきです。とすると、強化ガラスは破損したとき、細かな破片になって落下します。割れた時の安全性には問題があります。つい最近三菱商事ビルで硝子が落下したのも強化硝子です。割れても落下しない合せ硝子が有効なのです。しかしこれだけの大きさですと、板のゆがみは我慢しなければなりません。もっとも、強化ガラスもゆがみがでるので、ゆがみに対しては同じですが。
 また、地震の揺れの方向に対しても、問題があります。ガラス面に直角に横揺れが生じた場合、透明ガラスとステンドグラスの間に隙間があったのでは、ステンドグラスを保護することにはなりません。むしろ、透明ガラスはステンドグラスに密着しなければ、耐震の意味がありません。
Photo_2  外部の打撃から有効なのか、という問題も同様です。強化硝子といえども割れないわけではありません。強化硝子は厚さのうちの外側1/6が圧縮層、内部の2/3が引張層になっていて、そのバランスで強度を増している硝子です、ということは、10mmでいえば、およそ1.7mmの深さの傷が発生するとそのバランスがくずれ、全体が細かく破損して落下します。つまり、たまたまガラスのそばに近寄った時に破損してガラスをかぶる危険があるのです。もっとも細かな破片なので致命傷にはなりませんが。
 汚染から守るという理由はもっともな理由です。しかし、それよりもこの工法はステンドグラスを両方のガラスで密閉しているように見えますが、実際は穴だらけです。透明ガラスは外部からシーリングで施工しています。しかし、木枠と押縁の間にはシーリングが施工されていません。しかも、コーナーの継目にも何もしていません。木は時間の経過とともに、いわゆる“やせ”が生じます。つまり隙間ができるということです。 

Photo_4 むしろ両面にガラスを施工すると、結露対策が一番の問題になるのです。このような密閉した内部は、ピンホールができて外気が入ったとき、湿気も入り、内部結露を生じさせます。それが時間の経過とともに、ガラス面に結露の痕跡としてのシミが残るのです。こうなると、ガラスを外さないと、拭き取れません。こんな事例は、複層ガラスではよくあった事故例です。(上写真は群馬音楽センターのカーテンウォール。白くなっているのが内部結露した複層硝子)それに対する対策は松本ステンドグラスのサイトに詳しく掲載されているので、改めてここでは書きませんが、この施工例では結露対策は考慮していなかったのでしょう。もっとも、内部なので、温度差を考慮しなくていいので結露はおこらないという判断だったのでしょうか。
Photo_3  最後の問題は、透明ガラスを入れたことによる、ガラスの映り込みです。見る位置によってちがいますが、照明器具などが映りこんで、全体が見づらくなってしまうことがあります。(左の鳳凰のステンドグラスの下部に照明器具が映っています。)これは、博物館の展示ケースで以前から問題になっていたのですが、それに対する対策に関心がいまひとつありません。この問題に見学者は実に鈍感です。ガラス越しに見る美術品が映り込みでよく見えないのにおかしいとおもわないのです。展示者もいかに最良の状態で見せることを主眼におかなければいけないのに、実に無頓着です。一時私は博物館に行くとき、黒い紙を持っていったことがあります。ガラスケースの前で、その紙で照明をさえぎって映り込みを防いだのです。でも、他の見学者に迷惑がかかるので、もうやめましたが。
Photo_5  透明ガラスは透明ではありません。多少の色がついています。さらに透明ガラスの可視光透過率は10mmで86.7%、反射率7.5%です。しかしこれは入射角0°の場合です。一般的に入射角度が60°より大きくなると反射率が大きくなります。たとえば、透明フロート硝子10mmの場合、入射角60°では、反射率が35%にもなります。つまり、斜めからみると透過率が落ちて照明器具などが映り込むのです。斜めから見た位置に照明器具を配置しないといった、内部の照明器具の配置計画をしないと、映り込みはなくならないのです。その内部空間の全体的な設計的配慮が必要なのです。

 

 

 

Photo_6 また、旭硝子は「低反射ガラス」という製品を出しています。これは、映り込みをできるだけ少なくするという製品です。これとても、反射率は1%です。映らないわけではありません。また高透過ガラスというのも製品としてありますが、10mmでは透過率91.3%、反射率8.3%です。普通のガラスにくらべて無色に近くなっているので、もとの色に近い状態で見ることはできますが、それとて、ガラスがない状態で見るのとは見た目に、はっきりとわかる差があります。
 ステンドグラスの製作者はその作品をできるだけ、オリジナルの色で見てもらいたいと願うはずです。ガラスを通して見て、果たしてオリジナルな色が見られるのでしょうか。この問題に対して、製作者は実に簡単に妥協してしまっているように見えます。

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2009年9月12日 (土)

横浜開港記念会館ステンドグラス(改修後)

Photo  以前から気になってしょうがなかったことがありました。去年の9月24日付で『横浜開港記念会館ステンドグラス』と題してブログに掲載したことです。その時はステンドグラスの改修の途中で、改修の工程を見学しました。その後、今年の3月末日に完成し、元の場所に取付られ、完成記念講演会も4月26日には開催されたそうです。残念ながら、講演会も完成したステンドグラスの見学も行く機会に恵まれませんでした。それで、やっと時間がとれた機会をつかんで行ってきました。まずは、完成後のステンドグラスの状況の把握からです。

Photo_2Photo_3  建物の中に入ると、ボランティアの解説員が中学生相手に解説をしていましたが、それをすりぬけて2階にあがって、まず最初の印象は、確かに以前の改修前の黄色っぽいよごれた感じはなくなりました。しかし、どこか白っぽい印象でした。それは、すぐにわかりました。ステンドグラスの前に透明硝子が嵌っていたのです。私の杞憂があたりました。そのことについては後ほどくわしく述べますが、次に気になったのは、補強材がやけに目立つなと思いました。裏にまわって見ると、補強の丸棒が以前より太く、数多く縦横に入っていました。なるほど、去年の講演会でこの修復作業をしている平山健雄氏の言っていることとは、こういうことだったのかと合点がいきました。しかし、この修復方法はさまざまなことで問題があります。以下くわしくその問題点を述べようとおもいます。かなり専門的になりますがご勘弁を。
Photo_4Photo_5  まず、この改修の工程は、くわしくパネル展示されていましたので、そのことについては、問題があるわけではありません。もとにもどした時、改修前と改修後にどのような違いがあるのかは、目視だけではわからないことがありますので、そのことは、しっかりと報告はしてほしいのです。それが報告書という形で出されるにしても、どういう判断をしたのかという事実をしっかりと記述して後世に残してほしいのです。
 完成したステンドグラスパネルの補強方法及び、木枠に嵌める方法について、改修前と相違があります。このことについて、いまのところパネルにも説明がありませんでした。それで、どのような改修計画で、どのような施工方法だったのかは、現時点では想像するしかありません。
Photo_6Photo_7 まず、補強方法について、左右のステンドグラスは、縦3~4本、横3本の12~3mm程度(以前の補強材は9mmの真鍮だったと言っていましたのでそれよりも太い丸棒)の補強材が入っています。しかもその補強材の縦横を溶接して、いはば格子状にして、四方の木枠に固定してあります。つまり、完成したステンドグラスパネルを取り付ける工程としては、まず、木枠に固定した補強材の枠をビスで固定します。つぎに、4分割されたステンドグラスパネルを下から入れていきます。そして、パネルの鉛桟の補強材の位置に予めハンダづけした針金を補強材に結んで固定していきます。そして、4段のパネルをくみ上げてそれぞれ、針金で補強材に固定します。その後、透明硝子(サイトで調べると、強化硝子10mmだそうです)を両面に嵌めています。ステンドグラスを木枠で両面固定しているので、透明硝子はステンドグラスに密着していません。以上のようです。
Photo_8  さて、この施工法は充分に耐震性を考慮した方法なのでしょうか。まず、地震で硝子が破損する条件については、いままでの大地震の度に検討され、建築基準法も改定が行われてきました。このステンドグラスの施工法はその経験が生かされているとはいえません。いままでの地震の経験から、導き出された施工法とは、ガラスは割れ物である。よってガラスに応力を加えてはならない。よってガラスは枠に固定してはいけない。というのが基本です。これは、昭和53年におきた宮城県沖地震が教訓になっています。そのとき、はめ殺し窓のパテ施工のガラスが数多く破損し落下しました。それ以後、建設省告示により、はめ殺し窓には弾性シーリング材を使用するように改められました。つまり、地震における層間変位に対応するには、ガラスを枠の中で固定しないで、エッジクリアランスを充分に取ることが最善の方法であることが明記されたのです。

Photo_9 それで、Bouwkamp(ブーカム)理論とよばれる計算式によって、安全なエッジクリアランスを算出できる方法を確立させたのです。
 このステンドグラスの施工法はこういった経験がいかされているのでしょうか。ステンドグラス自体はある程度枠の中で動くようになってはいますが、ステンドグラスを固定する補強枠が問題です。この補強枠は開口部の変形に対応できません。つまり、地震がおきて枠に層間変位がおきたとき、補強材がまず変形します。すると、補強材に止めていた針金が引きちぎられるか、またはパネルに応力がかかり、パネルがそれによって変形しガラスが破損するということになります。つまり、パネルは枠の中で固定しないという基本的なことがなされていないのです。
Photo_10  それでは、どういう施工法がベターだったのでしょうか。まず、格子状の補強がこの大きさのステンドグラスで必要なのでしょうか。おなじ建物の階段室のボーハタン号のステンドグラスは縦に1本のフラット棒を使っていますが、それは枠には固定されていません。もっとも横幅が違うので、一概にいえませんが、こんなに太い補強材が必要だったのかはもっと検討するべきだったと思います。見た目も改修前とは違ってくるのですから。さらにその格子状の補強材を木枠で固定したことが問題です。これには、実にいい教訓があるのです。

 

Photo_11 ガラスブロックの施工法です。昭和50年代までは、ガラスブロックの補強筋は躯体に固定していました。ところが、それでは地震による変形に対応できなくて、破損の事故が多発したために、施工法を改良したのです。今行われている施工法は枠のなかにガラスブロックを積むことを原則とし、鉄筋は枠のなかで固定しないですべるようにしたことです。これによって、地震によるガラスブロックの破損事故が激減しました。
もうひとつ、硝子の施工法は『JASS17 ガラス工事』(建築工事標準仕様書)によって、詳細に規程されています。それによると、ガラスの破壊防止のためには想定する地震の層間変位に対応するために、エッジクリアランスの寸法が規程されています。ステンドグラスについては書かれていませんが、外側に嵌めたガラスが10mmとすると、エッジクリアランスは10mm、ガラスのかかりしろは12mmと規定しています。ということは、四方押縁で固定してあるので、押縁の高さは少なくとも22mm以上なければいけません。実際は20mmの木の押縁でした。
 あまり長くなってしまったので、ステンドグラス両面に嵌めた透明ガラスについては、次の機会に詳細にお話することにします。

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2009年8月16日 (日)

神戸と京都のステンドグラス

今回の旅行で見たステンドグラスをご紹介します。

PhotoPhoto_2Photo_3 まずは、異人館の内で一番上にあるうろこの家。この建物には、入口のランマ、食堂のFIX窓に2面、内部の階段室のFIXの1面の合計4面、また、応接室にある売店の仕切に5面あります。その中でも、入口のランマにあるステンドグラスは、一番デザインもいいような気がします。いつの頃かはわかりません。どうも、かなりの補修がはいっているようで、鉛線をメッキしていないのが気になります。食堂のはちょっと、キャセドラルの色硝子を多用しすぎているようにも思えます。

 

 

Photo_4 風見鶏の館は食堂の暖炉の両脇にステンドグラスがあります。このデザインはなかなかできがよさそうです。

Photo_5 2階の子供部屋の両開きのドアのガラスは模様を絵付けしたステンドグラスです。ちょっとめずらしいと思いました。

まだ、異人館にはステンドグラスがあるようですが、全部網羅して見る時間がなかったので、今回はこの程度にしておきました。

 

 

 

 

 

Photo_17 Photo_16島津創業記念資料館は、創業者島津源藏の自宅を資料館にしたものです。外部のランマにステンドグラスが嵌っていますが、内部は塞いでいるため、内部からみることができません。外部には養生のために透明ガラスが嵌っているため光ってよく見えません。

Photo_14 中に入ると、おなじデザインの3面のステンドグラスが展示してありました。これは、別の建物に嵌っていたものだそうです。製作時期は昭和初期のようです。

 

 

 

 

 

Photo_10Photo_11Photo_12 紫織庵は2階の洋間にステンドグラスはありました。廊下にでる扉の上部に2枚、その横のFIXに1枚ありました。袖FIXのステンドグラスはいまいちですが、ランマの2枚のステンドグラスはなかなかいいデザインです。これが、武田五一によるものかはわかりませんが、洋間の意匠は吹田の西尾邸と共通点があるようでした。

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2009年6月13日 (土)

旧土岐邸洋館

Photo 旧土岐邸洋館は群馬県沼田市の沼田城跡の沼田公園にあります。建物は大正13年東京都渋谷区に建てられ、平成2年に沼田市に寄贈して、移築しました。木造2階建のドイツ風といわれる洋館ですが、もとは和館が付属していましたが、それは移築されませんでした。

Photo_2

Photo_3Photo_4  玄関を入った左側の窓に3枚のステンドグラスがはまっています。建具は木製で、一枚のパネルではなく、鉛線でつないでいるのは、菱形の部分のみで、硝子はそれぞれ木製の枠に嵌めてあります。鉛線のハンダは全面にかけられ、丁寧な仕事をしています。この建物は洋館ではありますが、1階に和室があり、2階には上段の間つきの和室もあって、洋風な生活スタイルとは、ちがう生活をしていたようです。

Photo_5 2階のベランダに出る扉に結霜ガラスがはまっていました。今回はその模様がうまく撮れました。結霜ガラスは、明治時代からあった加工法で、どうも日本で作られていたらしいのですが、どこで加工していたのかがわかりません。大正から昭和初期の建物にはよく使われていたようです。日本ではもう作っていないようですが、外国では、ステンドグラス用にグルーチップグラスとして、今でも作っているようです。

 

 

Photo_6 外部の玄関や窓にはモルタルで彫刻がほどこされ、装飾を施していますが、内部ではそういった彫刻がなく、すっきりとしたインテリアでした。唯一、階段の手摺の柱に彫刻があるのを見つけました。

今回は最近買った一眼レフカメラを使いこなすために、急遽出かけたのです。というのは、前回の旅行で撮った写真がブレていたのを見て、しょうがなく大枚叩いてカメラを買ったのです。ステンドグラスを撮るのは、やはりコンパクトカメラでは、限界がありました。ステンドグラスを撮るのには、フラッシュが使えないので、どうしても、ISOが高くなる機種でないとうまく撮れないとわかったからでした。

しかし、最近の一眼レフは携帯電話と同じで、機能がいっぱいありすぎて頭の回転がにぶったオジサンには使いこなせません。もっと、経験を積んで、体でおぼえなければなあ。

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2009年6月10日 (水)

富士ラビット

Photo 京都駅から歩いて5分ほどの七条通沿いに、富士ラビットという建物があります。竣工は大正12年といっていますが、正面にはAD1922-2002.2の数字があり、おそらくその近辺の完成でしょう。もとは、日光社という自動車販売とタクシー業をしていた会社の社屋として建てられました。その当時ですから、T型フォードの輸入販売をしていたそうです。戦後は富士重工業のスクーター、いわゆるラビットスクーターの販売をしていたようです。

その後取り壊しを検討していたところ、国登録文化財に指定されたのを期として、改装して、1階を「なか卯」に2階をホールに3階を住居にしたそうです。

Photo_2Photo_3  1階の窓のランマに嵌っているステンドグラスは建築当初のものだそうです。T型フォードとおもわれる自動車がデザインされています。車で郊外にドライブしている様子でしょうか。

Photo_4 中央はタイヤのデザインです。タイヤの溝もちゃんと鉛線であらわしています。

図柄そのものは、単純化しており、ステンドガラスの職人のデザインのようです。しかし、大正時代のステンドグラスがこういう形で残っているのは、京都ならではでしょうか。

ちなみに、ラビットスクーターをご存知の方は団塊の世代以前の方か、自動車マニアの方でしょう。ホンダのカブがでる前は、ラビットスクーターの全盛でした。

Photo_5 私の父は、車キチガイで、サイドカー付のオートバイにのっていました。もう知っている人はごく小数になったでしょうが、ハーレー・ダビットソンの日本でのライセンス生産で、「陸王」というメーカー品でした。排気量は1248cc で、タイヤは小形乗用車並でした。独特のエンジン音がして、父がさっそうと乗っているのを見てカッコイイなとおもったものでした。いつか、ほんもののハーレーに乗ってみたいとおもっていましたが、それもかなわなくなりました。もうこんな重い車を動かす力がありません。残念です。

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2009年6月 4日 (木)

南海線駅舎

Photo_15 南海本線の駅舎には古い建物が残っています。浜寺公園駅は辰野金吾設計の明治時代の駅舎です。岸和田市の蛸地蔵駅も大正末年の建物です。その窓に5枚のステンドグラスが嵌っています。

 

 

 

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Photo_26Photo_27  蛸地蔵伝説と言うのは、昔、岸和田に大津波があったとき、その被害がなかったのは、海岸にいた地蔵菩薩と蛸によるものとして、地蔵菩薩をまつっていたが、戦乱のとき、地蔵菩薩を掘の中にいれて隠した。紀州勢が攻めてきたとき、白法師と蛸が敵を死者も出さずに撃退した。あとで、夢告に白法師が地蔵菩薩の化身であると知らされる。という話だそうです。その話を絵にしたものだそうです。

写真でみると、人物の顔は絵付けしているようです。それにしても、かなり複雑な図柄で、おそらく原画を書いた作家がいただろうとおもいます。

Photo_21 堺市西区にある諏訪ノ森駅も駅舎は、大正8年の建物です。5枚のステンドグラスがあります。このデザインは、海岸と松の図柄です。松の葉はキャセドラルガラスを使っているようです。 

 

 

Photo_22Photo_23Photo_24   

Photo_25 かえりの電車を待っていると、南海電鉄の特急電車が通りすぎていきました。何だ!最初にイメージしたのは鉄人28号か!という感想でした。あとでサイトで調べてみると、別名は鉄人28号なのだそうです。たしかにイメージ通りでした。

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2009年5月31日 (日)

田尻歴史館

田尻歴史館はもと谷口房蔵が大正11年別邸として建てた建物で、洋館と和館、茶室があります。洋館のほうは、とにかく窓という窓にはステンドグラスが嵌っています。それぞれにデザインを変えており、すべて写真でお見せいたします。

Photo_21玄関のランマです。いわゆるベベリング(面取加工)のステンドグラスです。

Photo 玄関をはいってすぐ横の応接室です。出窓になっています。

 

 

 

 

 

 

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Photo_18Photo_19Photo_20 客室とテラスの入口のランマにあるステンドグラスです。食堂との間のランマはブドウのデザインです。

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テラスのランマです。模様は同じで色違いの模様のステンドグラスが交互にはまっています。

Photo_8 階段室の窓です。この建物で一番大きなステンドグラスです。上部に三菱のマークがありますが、よくわかりません。

 

 

Photo_10Photo_162階洗面脱衣室の窓です。

Photo_11浴室の窓です。この窓のデザインが一番印象に残りました。

 

 

 

 

 

 

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Photo_22 2階洋室の窓です。各部屋ごとにデザインを変えています。

Photo_15 1階食堂のサイドボードにもステンドグラスが嵌っていました。これは中からの照明はないとのことでした。

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