地域

2009年7月 6日 (月)

下町七夕まつり

Photo 一昨日から今週金曜日まで、“下町七夕まつり”というイベントをやっています。場所は昭和通りの北上野から、浅草国際通りまで、東西におよそ1㎞のまっすぐな道です。、いわゆる合羽橋本通りという商店街があるところです。普段は、商店街といっても、アーケードがあるわけでもなく、店が並んでいるわけでもないのですが、こういうイベントがあると、老若男女が集まります。下町の人間は祭り好きですので、地元の人がこれほどいたかというくらいです。

神社でやる祭とはちがって、町内会や商店街の青年会が中心になって動いているようです。ですので、香具師がはいらないで、自前でやっている屋台がでています。下町は、いわゆるサラリーマンがあまりいないので、いってみれば、商売をしている人は時間の自由がききますので、こういうイベントにも充分に手が間に合うことになります。台東区は高齢者が多くなってきたとはいえ、まだまだ働き盛の人はいます。こういう地域で何か共同してやる土壌がまだまだ残っているということですか。

これが、住宅地でのイベントとなると、人の確保がむずかしく、時間の自由につかえる人は老人しかいなくなってしまいます。そういった意味では、商売人の多く住んでいる町は、結構活気があり、地域のコミュニティーも活気があるのです。

これは、戦後の日本の住宅政策が生んだ歪なのでしょう。職場と住居を分離するということが、より文化的と思ったのでしょう。そのために高度成長期には、1時間以上もかけて通勤するといったおよそ、非文化的なことが、当然のごとく行われたのでした。

たしかに、以前の下町は職住近接で、通勤の苦痛がないといったメリットがありましたが、住環境が劣悪だという宣伝に踊らされてどんどん住人が郊外に移っていってしまいました。しかし、そのために、交通の便利さが生かせず、コミュニティーが希薄になり、ますます住環境が劣悪になるといった悪循環におちいりました。

もう、職場と住宅をきりはなすのが、生活のステータスであるという幻想はやめるべきでしょう。そういった意味で、下町はまだまだ活性化するとおもいます。そして、ほんとうの理想的な住環境をもった町になる可能性を秘めているとおもいます。

Photo_2 かっぱ橋通りの角に浅草今半が新しいビルを建てたのを初めて見ました。玄関の横にはステンドグラスが嵌っていました。今半は相当儲けているようです。

かっぱ橋通りをすこしはいると、“どぜう”の飯田屋があります。むかし大学の先生にはじめてつれてきてもらったのが、この飯田屋でした。“どぜう”なんてその時まで、食したことがありませんでした。丸鍋をはじめて食して、あまりうまいとはおもいませんでした。“どぜう”にはあまりいい印象がありません。

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2009年5月19日 (火)

霞ヶ関界隈

Photo 所用で、霞ヶ関ビルの最上階35階に行って、窓から外の景色を見ると、真下に首相官邸の建物が見えました。すぐそばには、ホテルの建物があり、まったく無防備のように建っているように見えます。実に、日本の中枢はこんなところにあるのかと、思うと危機管理の本当の意味を問いたくなります。

Photo_3 ひととおり仕事が終わって、文部科学省の古い建物の前を通ると、新しい建物と以前の建物の間が通路になっていました。すると、ちいさな看板に「文部科学省 情報ひろば」と書いてあります。古い建物の3階に行くと、文部省の旧大臣室が復原されていました。まあ、文部科学省の言う復原ですから、すべて旧に復したわけではありませんでしたが、入口横の硝子戸と窓の硝子に注目しました。

Photo_2 いわゆる亀甲模様の網がはいった硝子ですが、型模様がいままで見たのとはちがう模様でした。この硝子は大変めずらしい硝子です。この当時の型硝子は、いろいろ多様性があり、製造期間も非常に短くて、すべて把握できていないようです。もっとサンプルを集めれば、解明できるのでしょうが、調べている人はいないようです。

Photo_4 この「情報ひろば」とは、文科省のいはば、業務の広報のための展示施設といったらいいのでしょうか。修学旅行の訪問先としての利用を考えているようです。しかし、展示といっても大臣室の復原と、その他はパネル展示で、実物は文科省の購入した絵画・工芸が数点と、旧文部省の看板・ハンコぐらいでしょうか。なぜか東大寺鐘楼の模型がメインの展示のようにありました、それだけで、何をいいたいのでしょうか。 

Photo_5 文科省は、国立博物館などの独立行政法人を統括する役所です。それが、こんな程度の展示しかできないとは、いったいどういう業務をしている役所なのでしょう。文科省はみずから、歴史的建造物の復原整備を進めてきました。そして、それにともない復原建物の有効活用についての研究や提言を行っています。その本丸である、文科省の建物も、登録有形文化財に指定して、有効活用の手本とすべきなのに、こんな程度の活用しかできないとは、役人の実に想像力のなさを、実感させる建物ではあります。しかも、復原とは名ばかりで、創建当初の材料で残っているのは、躯体と外壁タイルと、大臣室の硝子ぐらいでしょう。

展示室のある3階には、文科省の図書館があります。これは、パンフレントには書かれていなくて、3階の案内板に書かれていました。中に入って見ると、文科省発行の本ばかりではなく、その他の役所の発行本など、かなりの蔵書がありました。しかし、案内板を見ると、どうもこれは、役所の人のための図書館のようです。いはばカッコつきで公開しているように見せているだけのようです。一般人は中に入れますが、役人とちがって貸出はできません。おまけにコピーもできません。これで、公開の図書館?

Photo_6 この建物の使い方は、役人のやることがこんな程度だと、教えてくれる絶好の見本のような建物でしょう。だいたい、こんな展示でリピーターがいるのでしょうか。その時、見学者はもちろん私だけでした。

パンフレットの中に初代文部大臣森有礼の「自警」という書が解説付でありました。その最後には「其職ニ死スルノ精神覚悟セルヲ要ス」と書いてあります。

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2009年4月29日 (水)

根津神社

Photo  先週の土曜日の大雨の日、根津神社のつつじがどうなっているのか、見てきました。結果はまあ満開というのでしょうか。それでも、花の咲く時期をすこしづつずらしているようなので、まだまだ見頃は続きそうです。

Photo_2 神社は本殿と楼門にはシートがかぶっており、修理中でした。それでも、この雨の中、結構人がでていました。根津神社のつつじはずいぶんとメジャーになったようです。

Photo 社殿の横には、根津神社の神輿が展示してありました。これを渡御しているのをまだ見たことはありませんが、かなり迫力があるとおもいます。下谷や鳥越に匹敵する大きな神輿です。と言っておきましょう。

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2009年4月 8日 (水)

桜吹雪

Photo 花見時は上野の山は遠ざけるといったのに、今日、上野の山に行ってきました。というよりも、上野に行かざるを得なかった、というべきでしょう。

というのは、取引先の先代社長の通夜が上野であったからです。それも、何の因果か、前回言っていた、天秤秤のメーカーの社長でした。

というわけで、広小路から、東京国立博物館に向かって歩いて行くと、まあ人はでていましたが、桜はもう先週末が満開で、今まさに桜吹雪となって散っている最中でした。きっと、花見酒のコップには花びらが浮かんでいることでしょう。このままでいくと、今週末には、葉桜になってしまうのではないかと思います。

Photo_2 桜はいかにもはかなく、散っていきます。その後は新緑が目に鮮やかになるのですが、桜が散った儚さは、その後、何ともいいがたい寂寥感に見舞われます。春の浮き浮きした感情がでてくる前に、もうすこし散った桜の余韻を楽しんでいたいとおもう今日でした。

 

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2009年4月 5日 (日)

文京区散策

この週末は、東京では、桜が満開でどこも人でいっぱいとはわかっていながら、これを逃すと一生見られないとおもうと、ついつい出かけたくなります。

先週、新聞を見ていると、枝垂桜のランキングに六義園の枝垂桜が三位にはいっていました。三春の滝桜は二位でした。三春まで行ってみなくても、東京に三位の枝垂桜があったとは、知りませんでした。

Photo それで、まずは、六義園へ。園内にはいると、すぐに枝垂桜はありました。しかし、もう満開はすぎて散り始めていました。この桜は早咲の桜で、夜のライトアップも先月で終わっていました。ちょっとスカスカの桜を堪能してきました。

絵はがきを見ると、実際はもっとピンクがかった色のようです。

Photo_2 そして、小石川植物園へ、この敷地に東京大学にあった、旧東京医学校本館という明治9年に建った洋館が移築されています。木造2階建で、2階は赤、1階は白の塗装をしています。この建物は総合研究博物館小石川分館として使われ、動物標本、測定機械などが展示されていました。

Photo_3 その中で、久しぶりに見たのは、天秤秤でした。これは、いわゆる化学天秤といって、薬品の重さを計るのに使われていたものです。そのために、天秤の台は黒い硝子を使っています。厚さはいろいろあるようですが、20mmから25mmはあるでしょうか。これは、薬品がこぼれても、化学変化しないようにということで、硝子を使っているのです。

というのは、実は、この黒板硝子は私の祖父が商売していた商品だったのです。黒い硝子はその当時、国内では生産しておりませんでした。そのために、ドイツから輸入して、天秤を固定する穴をあけ、小口を磨いて、計量器メーカーに出荷していました。計量器メーカーといっても、家内工業でほとんど一品生産の手作り機械でした。特殊な製品なので、実際にどのように使われていたのかは、ほとんど見たことはありませんでした。というよりも、もう今となっては製造されていないので、記憶から抜けていたのかもしれません。

小石川植物園は東京大学の研究施設だけあって、桜並木もあれば、ツツジの道もあり、モミジロードもありました。季節ごとに訪れると、それなりに楽しめる所だというのが解りました。ちょくちょく足を運ぶにはいい所かもしれません。

Photo_4 さて最後は、小石川後楽園です。後楽園は野球場のイメージが強すぎて、昔行って、すぐそばに野球場が見えて、とても庭園鑑賞にはほど遠い雰囲気だったので、しばらく遠ざかっていました。

それでも、さすが名園です。それなりに見せるものはありました。ここも、季節ごとに楽しめるようです。4月の藤、6月の花菖蒲、11月の紅葉と静かなときに行ってみたいところです。

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2009年3月14日 (土)

世田谷巡り

Photo 午後から雨がやむという予報を信じて、世田谷美術館へ「平泉 みちのくの浄土」展を見にいきました。東京展が最後となるので、もうすでに仙台、福岡で見てこられた方の報告もあるので、あえて、コメントは差し控えて、砧公園を横断して、静嘉堂まで歩いていきました。ここは、以前「タモリ倶楽部」でやっていた国分寺崖線があるところです。

今回の目的は静嘉堂ではなく、そのすぐそばに「瀬田四丁目広場」なる公園のようなところがあり、その中に旧小坂邸があります。ちょうど国分寺崖線の上に建っている住宅です。

この岡本から瀬田にかけては、かつて別荘が立ち並んでいました。高橋是清邸は小金井のたてもの園に移築され、旧第一銀行クラブにあった、誠之堂、清風亭は深谷に移って残っているくらいで、移築されていないのは、この小坂邸ぐらいのようです。

Photo_2 建物は昭和12年に清水組の設計施工で建てられ。まあごく普通のお金持ちの和風住宅とでも言ったらいいのでしょうか。ただ、崖上に建っているので、庭はその崖を利用して斜面に作られています。

 

 

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何故この建物が気になっていたかというと、この小坂邸にはステンドグラスが嵌っていたという情報を得ていたからです。中をざっと見渡してみても、嵌っているような窓がありません。と、中にある土蔵の中を見てみると、木枠に入ったままのステンドグラスが二枚、壁の奥に置かれているではありませんか。職員の方に話をして、廊下まで出してもらいました。あいにくと、まだ外は雨が降っていて、外光がよくはいりませんので、ステンドグラスの鮮やかな色がわかりませんでしたが、それでも、トーチのデザインのステンドグラスが二枚おなじ図柄でありました。トーチ部分など細い鉛線をつかって、確かな技術で作られているようでした。惜しむらくは、ガラスが湾曲していること、ガラスが1枚破損していること、など補修の必要が生じている状態です。これがどこに嵌っていたのかわかりませんが、両側の透明のガラスで挟み込まれているので、よく保存されているほうでしょう。クリーニングして外光を通して見ればそのすばらしさがわかると思うのですが。

 

 

 

Photo_4 『世田谷区文化財調査報告集ー10ー』平成13年刊に「旧小坂家住宅」の調査報告があります。それによると、小坂家の追加工事に関する資料として、「玉川御別荘窓ステンドガラス御入費・請求書・見積書」があると書いてあります。それには、

  • 寝室窓欄間ステンドガラス2尺6寸/1尺(4枚)
  • 同            2尺6寸/8寸5分(2枚)

とありますが、現在ある2枚は高さがざっと見ても4尺以上はありますし、巾も1尺もありません。どうも資料と現物は違うようです。しかし、見積書にはひょっとしてステンドグラスの製作所の名があったかもしれません。とすると誰が作ったかがわかるのですが。

それにしても、この2枚のステンドグラスはどこに嵌っていたのでしょう。

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2009年2月18日 (水)

築地界隈

得意先との縁がもうすぐ切れるので、築地通いももう終わりかな、とおもって、例によってちょっと早めに出かけ、築地散策としゃれこみました。これでも、得意先までの道のりは仕事に集中していますので、いつも通っている道に気になるところがあっても、今まではなかなか寄り道ができませんでした。

Photo 築地といえば、まずは本願寺です。はじめて中に入りました。伊東忠太設計の建物です。さまざまなところに装飾がほどこされています。しかも、伊東忠太が世界を見聞してきたものを凝縮している印象をもちました。

Photo_2 入口の三箇所の欄間にステンドグラスがはまっていました。仏教建築らしく蓮をモチーフにしています。

Photo_5Photo_6 勝鬨橋の袂に「かちどき 橋の資料館」があります。模型で橋桁があがるところをみせてくれます。

勝鬨橋は幼少のころ、父と車でこの橋を渡った直後に橋桁があがったことがありました。すぐに車を止めて、船が通りすぎるのを道路の真ん中から見た記憶があります。その当時は都電の線路があり、車の通行量もそれほどではなかったのかもしれません。

Photo_7 もうひとつ気になっていたのが、聖路加病院です。塔のある部分と礼拝堂はアントニン・レーモンドが設計にかかわっていた建物です。今は増築部分といっしょに外壁を統一しているので、どの部分かがよく見ないとわかりません。建物の背面にまわってみると、礼拝堂があります。窓にはすべてステンドグラスが嵌っています。外部から見ると、ステンドグラスの外側に硝子をいれていないので、建築当初のままのようです。これだけステンドグラスが嵌っていると、きっと内部から見るとすばらしいとおもいます。

Photo_8 築地本願寺と聖路加病院の礼拝堂は宗教建築のステンドグラスです。やはり宗教の教義にのっとったモチーフですので、見方もそのように見なければいけないのかなとおもいます。個人的には宗教色のないステンドグラスのほうが、建築的、絵画的、装飾的な関連を考察でき、さまざまな見方ができるのでおもしろさが倍増すると思うのですが。

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2009年2月12日 (木)

人形町界隈

Photo 毎月1回浜町へ行く用事があります。今日は、その日で、少し時間に余裕を持って出かけました。いつもどおり、地下鉄人形町駅を降りて、まずは、大観音寺へ、毎月の御開帳は17日なので、鉄造の菩薩頭は拝観できませんでしたが、その日でも、建物の中は法要をしているので、遠くからしか拝せません。

Photo_2 そこから、水天宮方面へ歩いていくと、右側に快生軒という喫茶店があります。創業は大正8年というから、もう90年にもなります。一度入ったことがあります。

Photo_3甘酒横町から、明治座方面へ左に曲がります。甘酒横町に入ってすぐ左の道に目を向けると、外壁を赤く塗った木造の建物があります。ここが、人形町今半です。浅草今半から独立した店です。浅草の今半は昔一度行ったことがありますが、この人形町へは入ったことがありません。

写真を撮って、道を距てた建物の住所表示を見ると、なんと、私の本籍の住所でした。私の祖父の住所が本籍地になっていますので、昔祖父はここに住んでいたようです。今では、知り合いもいませんので、もうそのころの様子は知るよしもありません。この地はもう縁もゆかりもなくなってしまっているのですが、日本橋人形町の名を本籍に残したいので、そのままにしています。

甘酒横町を歩いていくと明治座の大きなビルにたどり着きます。さらに進むと、浜町公園に着きます。その先は隅田川です。

隅田川の川縁に着いて下流の方を見ると、見慣れない橋がありました。近づいてみると、新しく架け替えた新大橋でした。いまでは斜張橋になっていますが、その前は隅田川に架かる橋では一番古い鉄橋でした。

Photo_4Photo_5 もう隅田川に架かる橋の中で古い橋は永代橋と勝鬨橋ぐらいしかないようです。

昔の新大橋は重厚な造りでいかにも鉄橋という感じでした。

隅田川にかかる橋を昔は上流から憶えていたこと思い出します。それぞれに特徴にある橋で、とくに、言問橋から水上バスにのると、子供ごころに橋の名前と形を憶えるのが楽しみだったのに、今では、ちょっと味気なくなりました。

新大橋を渡って、隅田川の下流を行くと芭蕉記念館があります。このあたりも散策すると、いろいろ見るところがありそうです。これはまたの機会にということで。

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2009年2月 9日 (月)

東京スタジアム

Photo 東京スタジアムといって、すぐ思いつく人は、相当な野球ファンか、下町生まれの団塊の世代以前の人です。荒川区南千住にあった、もと大毎オリオンズの本拠地の野球場でした。

Photo_2 荒川区にあった官営工場の千住製絨所の跡地に建てられた野球場でした。まわりには、民家が密集していて、そこに、突如、巨大な建造物が出現しました。下町にできた、大規模なイベント会場ということで、最初は下町で注目されていましたが、その当時野球はセントラルリーグが全盛で、野球といえば巨人だったので、パシフィックリーグの大毎では、いまひとつ盛りあがりにかけていました。そして、大毎のオーナー会社の大映の経営が悪化し、昭和47年荒川区に売却され、その10年の短い寿命が終わりました。

Photo_3 いまは、荒川区スポーツセンターとグラウンドになっていて、その面影もありません。明治の官営工場だった千住製絨所の赤煉瓦の塀が100mほど残っています。そこは、野球場の隣のラシャ工場の塀になっていましたが、今、野球場の周辺の広い敷地に超高層マンションの建設が始まっています。3棟ほど建つようです。それが完成すると、さらに野球場の痕跡も残らなくなってしまうでしょう。

Photo_4 そういえば、先日友人を自宅に泊めて、朝、出勤の途中に近所を案内していると、路地を見て、めづらしそうにしているのです。下町では、ごく普通の風景なのに、他所からきた人にはなつかしくめづらしく思うのでしょうか。でも、こんな自動車のはいれないような路地で、家の前に植木をおいている風景はこの近所ではごくありふれているのです。住人にはこれが以外といつも見慣れた風景なので気がつかないもののようです。これを“燈台元暗し”というのかな。

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2009年1月30日 (金)

雨の川越

Photo 仕事で急遽川越に行くことになりました。ひととおり仕事がおわって、さてどうしようかと思ったら、川越といえば蔵造りの町並があったっけ、ということで、そこまで、歩いていきました。その町のはずれに、いかにも復元したようなイオニア式の列柱のある建物が目にとまりました。1階は歯科医院になっていましたが、この建物は保岡勝也の設計で昭和11年に山吉デパートとして建てられたものを復原修理してよみがえらせたようです。

Photo_2 その入口の欄間にステンドグラスが嵌っていました。そして、左右の窓の欄間も同じ図柄のステンドグラスがありました。左右の図柄はよく見ると、二匹の孔雀にヤシの木という南洋っぽい図柄で、正面も花に海の図柄でした。雨で外が暗いのが幸いして、内部からの明かりで、その色づかいがよくわかりました。

Photo_3 制作は、現代のものだろうとおもいますが、こういう風景や、花鳥の図柄は、デザインの妙をあじわえる意味でステンドグラスの中でもその力量がよくわかる作品です。

そういえば、川越には旧山崎家別邸にステンドグラスが嵌っているのですが、それは今、川越市の所有になっているそうですが、めったに公開していません。おまけにサイトを見てみると、どうも内部撮影が禁止のようで、内部からの写真がありません。これは、小川三知の作品とわかっているものなのですが、どんなものかがわかりません。

ステンドグラスは内部から見ることを前提に造られているので、外からみても何の価値もありません。何か差し障りでもあるのでしょうか。所有者が市なら、それは、一個人のものではなく、ひろく公共のものなはずですが、市は何故所有者の権限を行使するのでしょう。

Photo_4 川越の蔵造りの町並には、電柱が一本もなく、実にスッキリとした風景を見せています。でも、普段の日のせいか、車がひっきりなしに走っています。昔の風景を再現したというのなら、車はその風景にあいません。せっかく、銀行もその風景に協力しているのですから。

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