ステンドグラス

2017年4月 9日 (日)

鎌倉近代建築の旅

 昨日(4月8日)に鎌倉に行ってきました。あいにく一日中雨の中、歩き回りました。

まずは、浄妙寺の境内の奥にある、石窯ガーデンテラスへ。ここは、浄妙寺の谷戸の奥の山の中腹にある、洋館をレストランにした大正11年(1922)の旧犬塚邸です。

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内部は、改装されていますが、外観はよく残されているようでした。ここには、2ヵ所のステンドグラスがあります。

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このステンドグラスのデザインは、名古屋の撞木館にあるステンドグラスとよく似ています。もう一つは、階段室にあるパネルです。

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この建物の設計は、ドイツ人だそうですが、ステンドグラスは日本製でしょう。

すぐ近くの華頂宮邸が春の公開日なので、また見にいきました。

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ここのステンドグラスは、シンプルなデザインのものばかりで、あまり特徴がありません。

もうひとつこの土日に公開している、大佛次郎茶亭へ。

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大正8年(1919)の建物ですが、ガラス戸は改装されていて、ガラスは見るべきものがありませんでした。

つぎに最近新築した川喜多映画記念館の建物の奥に、旧川喜多邸別邸があります。この建物は、江戸後期の民家を練馬で和辻哲郎が居宅として使っていたのを、鎌倉に移築したものだそうです。土間があって、江戸の農家の雰囲気が残っていました。

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鎌倉駅のすぐ近くに、古我邸がありました。駅からこんな近くの広大な敷地に洋館が建っていました。現在はフランス料理のレストランとして、使われています。大正5年(1916)荘清次郎の別邸として建てられた洋館です。結婚式開催中で、中にはいれませんでした。

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長谷の方を歩いて行くと、 吉屋信子記念館があります。この建物は戦後の昭和37年(1962)に建てられていますが、設計が吉田五十八で、シンプルな作りになっていました。

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そして、このすぐ近くに 鎌倉文学館があります。旧前田利為邸です。昭和11年(1936)竣工の建物です。

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内部からのステンドグラスの撮影ができませんが、2ヵ所の丸窓を除いて、シンプルなデザインのステンドグラスをランマに使用しています。その2ヵ所の丸窓も、なぜか、あまりオパールセントグラスを使っていません。流し模様のある、透明な硝子を使っています。この時代になると、ステンドグラスのデザインの流行も少しづつ変化してきたのでしょうか。

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もうひとつ、旧諸戸邸がこの近くにありました。今は、長谷こども会館として使われていますが、内部は非公開です。あの、桑名の森林王諸戸清六が大正10年(1921)に買った建物です。創建は明治41年(1908)だそうです。

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建築ばかりでは、何か物足りないので、長谷寺へ、リニューアルした旧長谷寺宝物館に入館。現在では、觀音ミュージアムと言うそうです。観音三十三応現神像がガラスケースからよく見えるようになりました。仏像の着衣にちょっと示唆をあたえるような仏像です。

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今回のメインは、石窯ガーデンテラスのステンドグラスでした。その他の戦前の住宅は、窓ガラスにに見るべきものがありませんでした。それにしても、雨なのに、シーズンなので、人はどこもいっぱいでした。

2017年3月20日 (月)

安土・神戸・姫路の旅

 3月18日19日と旅にでました。
まずは、米原から東海道線で、安土駅へ、今回は初めてレンタサイクルで安土城考古博物館へ。「大湖南展ー栗太・野洲郡の風土と遺宝ー」の見学です。このシリーズは、滋賀県の仏像の紹介としては何回も開催してほしい展覧会です。

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その中で、注目したのは、真光寺聖観音菩薩坐像です。この仏像は銘文があって、1036年には完成していた仏像です。今回、膝部分を俯瞰して見てみると、半跏趺坐です。

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この仏像は、『基礎資料集成』にも掲載されている仏像です。それには結跏趺坐と書いてあります。

自転車の機動性を生かして、安土駅の近くにある「旧伊庭邸住宅」へ。

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大正2年(1913)ヴォーリズ設計の住宅です。内部には、結霜ガラス、色型硝子が嵌まっていました。

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東海道線にゆられて、神戸六甲道駅で下車。歩いて、“武庫の郷”の甲南漬資料館へ。

ここは昭和5年(1930)年竣工で、創業者の高嶋平介の自宅を資料館としています。
壁に2箇所ステンドグラスがありました。このステンドグラスはオパールセントグラスを使わない手法で作られています。

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JR住吉駅からバスで、白鶴美術館へ。ここは、初めての訪問です。収蔵品のすばらしさに感動です。関西のコレクターのすごさを実感させられました。

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泊まりは、姫路市内で、翌日、山陽電車で、山陽網干駅で下車。歩いて、ダイセルへ。ダイセルは、明治42年日本セルロイド人造絹糸として創業。明治43年にイギリスから技師長を呼び、その居宅として建てられた洋館が2棟、工場内に残っています。

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こじんまりとした洋館ですが、ガラスも古そうです。

さて、今回のメインは、そこから歩いて10数分の住宅街の中にある「山本家住宅」の見学です。山本家は、メリヤスの製造で財をなし、網干町長、網干銀行頭取を務めた家です。

建物は、明治初期に建てられた主屋と、大正7年(1918)の洋館、和館があります。

まずは、玄関から。

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望楼付きの黒壁の洋館ですが、和様折衷の意匠を採り入れています。

書斎とサンルームの間の窓にステンドグラスがありました。

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このデザインは、他のステンドグラスと違うデザインコンセプトを持っています。その横の出窓のステンドグラスは、すばらしいデザインです。

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このデザインは、きっとその作家は明らかになるだろうと思いますが、かなりの上級レベルです。

廊下と洗面室の壁取りつけられたFIX窓は、

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これも、どこかで見たデザインに似ています。

廊下の天井に同じ図柄の六角形のステンドグラスのトップライトがあります。

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これも、丸い半円形のかたまりのガラスを使っているところは、どこかで見たような気がします。

そのほか、窓ガラスには、結霜ガラスを多用していました。

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残念ながら、模様入りケシガラスは、ここでも見当たりませんでした。関西で、模様入りケシガラスの例がこれほど少ないのは、どうしてでしょうか。大阪の硝子問屋、篠原善三郎商店では、「硝子板意匠摺見本」というカタログをだしているのが、判明しているのに、何故普及しなかったのでしょうか。いまだに、その疑問が解決できません。

数十年ぶりに、改修なった姫路城の内部を見学しようと、お城に行ってみると、天守閣は1時間待ちだそうで、そうそうに引き上げました。

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もう1回すべてを見尽くしたいと思ったのですが、しかたなく、バスで太子町へ。

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「斑鳩寺の文化財ー庫裏の仏さまたちー」展へ。庫裏の解体修理に伴って子院の仏像の展示を行っていました、殆どが近世の小像なのですが、その中で、一面六臂の不動明王立像を発見しました。実に珍しい仏像ですが、残念ながら、カタログはなく、資料としての写真が手に入りませんでした。

今回の旅では、やはり、網干の山本家住宅が、一番の成果でしたが、こういった住宅がこれから、長い間維持できるのか、不安がのこりました。

2017年2月19日 (日)

豊橋、浜松の旅

 日帰りで、旅をしてきました。
まずは、新幹線で豊橋駅に下車。路面電車にのって、市役所前で降りると、目の前に豊橋市公会堂がありました。

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昭和6年、中村與資平の設計です。左右の塔の最上階の窓の各2方に、ステンドグラスが嵌まっていました。

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場所は、左右とも階段室です。

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その階段室から、正面の吹き抜け側の窓にも、両方に同じデザインでステンドグラスがあります。

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そこから、公園の中に入ると、すぐに、豊橋市美術博物館があります。

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「普門寺と国境のほとけ」展を見学。仏像が普門寺を中心として、10数体出品されていました。いずれも平安から鎌倉時代の仏像です。
この展覧会は、普門寺の旧境内の発掘調査の調査報告書が去年完成したことにより、開催されたようです。
報告書では、いくつかの新事実が報告されており、それにもとづいて展示されているようです。

同じ公園内にある城跡、吉田城へ。復元された、鉄櫓が、豊川の川岸に建っていました。
この城は、北に豊川というおおきな川があり、それを利用した縄張りになっています。
対岸からみると、城の立地がよくわかります。

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電車にのって、浜松へ。駅から歩いて、10分ほどで、木下恵介記念館がありました。

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旧浜松銀行協会の建物です。昭和5年竣工で、設計は中村與資平です。この建物には、中村與資平資料室が一室にありました。

その玄関のランマです。

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この建物内には、珍しい型硝子を2点発見しました。

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日本では、作っていない柄です。

歩いて、浜松城へ、天守閣と天守門が復元されています。

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吉田城もそうですが、石垣が両方とも、野面積みです。角の打ち込み矧ぎの石垣も、野面積みに近い積み方です。よく、これだけの石垣が残ったと思います。

もうひとつ、これで、静岡市庁舎と合わせて3棟の、中村與資平設計の建物を見たことになります。しかも、この3棟すべてに、ステンドグラスの窓を採用しています。図柄は、旧浜松銀行協会のステンドグラスが、ちょっと、アールデコ調で変わってはいますが、豊橋市公会堂、静岡市役所は、オーソドックスな図柄になっています。

中村與資平は、ステンドグラスの図柄に、どの程度関与したのかはわかりませんが、全体の意匠のなかで、それなりの、感覚を具現化したのでしょうか。

2017年1月29日 (日)

京都・道明寺・南山城の旅

 しばらくのご無沙汰です。
今年はじめての更新です。今回は平日での2泊3日の旅行でした。
まずは旅程から

第1日目

  • 京都駅 →白川・京都大学人文科学研究所東アジア情報学研究センター →
  • 京都大学工学部建築学教室本館 →同志社大学礼拝堂 →
  • 陽燈館 →新町通 →京都芸術センター(旧明倫小学校) →
  • 京都産業大学むすびわざ館 →龍谷ミュージアム →
  • 京都国立博物館 →奈良 →奈良国立博物館

第2日目

  • JR奈良より大和路快速で、王寺へ柏原で近鉄に乗り換え、古市で下車
  • 誉田八幡宮 →東高野街道を歩いて →応神天皇陵 →
  • 道明寺八幡宮 →道明寺 →奈良 →菊水楼 うな菊で夕食

第3日目

  • 近鉄奈良駅前で柿の葉寿司を購入し、レンタカーで、円成寺へ →
  • 笠置寺 → 禅定寺 →海住山寺 →浄瑠璃寺 →京都

何故、平日の旅行かというと、道明寺での食事会が設定されていたためでした。
その前日を自身のスケジュールにあて、後日は、その食事会のメンバーとともに
久しぶりの複数での旅でした。

まずは、第1日目

今回の目的は、京大人文研の建物の中を見ることでした。幸いにも、中の図書館は使えるとのことでしたので、建物内に入ることができました。

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建物は昭和6年、東畑謙三の設計で、スパニッシュ様式の建物です。設計にあたって、濱田耕作の案が採り入れられたようです。中庭のある建物です。ステンドグラスは1階のロビーと階段室にありました。

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上部の丸い部分を左からひとつづつ拡大していきます。

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つぎに、京大のキャンパス内にある、京都大学工学部建築学教室本館(現総合研究15号館)へ。

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この建物は、現在使われていないようで、入口は施錠されていました。大正11年竣工で、武田五一の設計です。京都では初めてのRC造だそうです。建物の突き当たりの階段室の窓に3箇所ステンドグラスがあります。中にはいれないので、外部からの写真です。

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 同志社大学のキャンパスは、古い煉瓦造の建物が数多くありますが、その中のひとつ礼拝堂にいきましたが、ちょうど公開日なのですが、開館が午後で、時間が合わず、中からみることはかないませんでした。

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今出川通を西に歩いて行くと、古いビルがあります。そこが陽燈館という喫茶とバーの店です。NETでは、10時開店と書いてあったのに、張り紙では午後からの開店とあり、またしても不発。

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今出川通から新町通を下ルと京都芸術センター(旧明倫小学校)があります。ここは、昭和6年建築の廃校になった建物を利用して、芸術活動の支援をしている拠点です。東京の台東区の旧小島小学校も同様の取り組みをしています。

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その校舎の玄関にステンドグラスがありました。じつにシンプルなデザインですが、伝統的な ”氷割れ文様” にも見えます。

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京都産業大学むすびわざ館で開催されている「仏像修理の現場ー美術院国宝修理所・伝統のわざと新しいわざー」展へ。仏像修理のための道具などの展示がありました。

その後、龍谷ミュージアムへ、「追慕抄 九条武子」展へ。九条武子は、大谷光瑞の妹で、九条家に嫁ぎ、関東大震災の時に、救援・慈善活動をした人です。昭和3年、42歳の若さで、亡くなりました。写真をみると、すごい美人です。

その龍谷ミュージアムの2軒ほど隣りに、山本亀太郎商店があります。

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明治23年創業の数珠屋です。その建物のランマには緑の型ガラスが嵌めてあり、ショウウインドウの上部には、数種類のアンティークガラスが鉛線でつなげています。さらにその内側には、スクリーンとして、アンティークガラスがあります。ガラス自体は現代で作られたものですが、これだけ現在作ることができるアンティークガラスを嵌めているのも珍しい建物です。

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京都国立博物館で、久しぶりに泉涌寺の楊貴妃観音を拝観。その後、奈良に行き、奈良国立博物館をざっと、見学。

第2日目

JR奈良から大和路快速で、王寺経由柏原で、道明寺線にのりかえ、さらに南大阪線で古市駅へ、およそ1時間弱で到着。誉田八幡宮へ、

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ちょうど、応神天皇陵の南に位置していますが、正面は北側にあるので、ここからは天皇陵はみられませんでした。東高野街道を通り、陵の北側にある正面にいくと、その陵の大きさがわかります。

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まだ時間があったので、道明寺天満宮をみて、道明寺へ。

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本堂の本尊、十一面観音立像を拝観。試みの観音は、今回は拝観できませんでしたが、来年その機会があるようです。

大玄関から、客殿の中へ。

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実は、道明寺での食事会を設定していただいた同級生は、幼少の頃、この道明寺に住んでいた方で、当時住んでいた離れの建物が残っていました。

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この建物は昭和の初めの建物で、窓ガラスが当時のままかなりの数、残っていました。もちろん、コルバーン法か、フルコール法でつくられたロールの跡が並行についているガラスですが、その初期のガラスらしく、かなりの泡がはいっていました。

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さあ、お精進のはじまりです。右上の蓬麩は酢味噌をつけて食すると絶品でした。その後も何品もでてきました。
道明寺の住職六条照瑞尼も、95歳の高齢でいながら、我々を接待していただきました。私の問いに、すこしも老いた様子もなく、的確にお答えになっているのには、感激しました。

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充分、精進料理を堪能し、奈良へ、宿について、夕食は、予約していた菊水楼 うな菊へ。
最近開館した、関東風のうなぎ専門の食事所で、菊水楼の離れをつかっているようです。残念ながら、建物探訪とはいきませんでしたが、リーズナブルな予算で、菊水楼に行けるのはうれしい限りです。

第3日目

近鉄奈良駅で、平宗の柿の葉寿司を買って、車で出発です。

まずは、柳生の円成寺

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つぎに、笠置寺へ

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この虚空蔵菩薩は、結跏趺坐です。虚空蔵菩薩で、結跏趺坐の図像はあったかな?という疑問がわいています。この線刻石仏はいったいいつつくられたの?

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和束溪の如来石仏はパスして、一路、禅定寺へ、ところが、以外と急峻な山道で、峠を2つ越えて到着。

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海住山寺は、檀像の十一面観音は見られませんでしたが、本尊の十一面観音もまたかなり古そうです。

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久しぶりの浄瑠璃寺です。池の再整備で、庭はかなりきれいになっていました。仏像は、大日如来坐像、薬師如来像、吉祥天立像はみられませんでしたが、大日如来は、開帳のときに是非とも見てみたいとおもいましたが、ひょっとして、「快慶」展にでるかなと思ったりして。

というわけで、2泊3日の旅行は無事終了。すこし疲れが残っています。

2016年11月13日 (日)

九州、滋賀、京都の旅(その1)

ひさしぶりに、3泊4日の長い旅行にいってきました。
例によって、板ガラスと仏像探訪の旅です。
11月3日
羽田より久しぶりの飛行機で、鹿児島へ。飛行機はどうもなじめません。まずセキュリティで必ず引っかかります。そのたびに、ベルトから財布まで外に出し、何回もゲートを通らなければならないからです。さらに、機内では、常にアメをなめないと耳の気圧を抜くことができません。おまけに、新幹線とくらべて、座席は狭いし、ガマンの2時間でした。
鹿児島は、鹿児島歴史資料センター黎明館で開催されている「八幡神の遺宝」展を見学。
目玉はやはり、大分・奈多宮の八幡三神像です。以前にみたことはありましたが、伝神宮皇后像の、“無眼” をもう一度確かめることができました。ほぼ同時期の,伝比賣大神像、僧形八幡神像の眼の彫り方と比べてみても、あきらかに、眼を彫っているとは思えませんでした。まして、眼をつむっているとするには、あまりにも無理があります。

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そして、歩いて、鹿児島第一の百貨店山城屋の7階にあるレストランへ向かいました。ところが、その日は鹿児島市内は“おはら祭り”で、主要道路を封鎖して、各町内の踊り手が行進するという大イベントの最中でしたので、レストランは、中に入るのに、大行列で、レストラン入口は人でごった返していました。
このレストランの入口に最近、松本ステンドグラスが製作したステンドグラスが嵌まっている、というのをNETで見て、行ったのでした。鳳凰の模様のなかなかいいデザインのステンドグラスが入口の両脇のFIXに嵌められていましたが、写真もとることができず、すぐさま退散。この山城屋のオーナーの岩元家には、小川三知の作品がはまっているのですが、非公開。この食堂のステンドグラスも小川三知風にデザインしてつくられたようです。
鹿児島中央駅から、新幹線で久留米へ、さらに鹿児島本線で、原田へ、そこからタクシーで、九州歴史資料館へ。

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「八女の名宝」展を見学。仏像は、谷川寺の仏像が展示されていました。9世紀の薬師如来立像が注目です。
住宅造成地の中を三国ヶ丘駅まで歩き、西鉄で、博多へ。

11月4日
博多より、電車で、新飯塚まで、およそ50分、そこからバスで10分ほどで、“旧伊藤伝右衛門邸”へ。

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玄関に入って右には。書斎、左に応接間があります。両方とも、窓のランマに同じ図柄のステンドグラスがはまっていました。中央に四角の透明ガラスに面取りし、各隅には、四角垂のガラスをはめています。色ガラスは蛍光のはいった黄緑色をしています。イギリス製といわれていますが、確かにオパールセントグラスを使っていません。

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博多にもどって、地下鉄で、箱崎九大前で下車、九州大学箱崎キャンパスへ。このキャンパスはほぼ移転がおわっており、古い建物のみ残して、あとの建物は取り壊している最中でした。その残す建物のうち、旧工学部本館の建物を見に行きました。玄関ポーチの天井にステンドグラスが嵌まっていました。ただ、ほこりをかぶったままで、クリーニングをしていないので、きれいにみえませんでしたが、

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玄関のランマのステンドグラスは、なかなかのものでした。

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地下鉄で、馬出九大病院前で下車すると、すぐに、九大病院にはいります。一般の患者は、病院のほうに向かっていきますが、九大医学研究院基礎研究A棟は、反対の方角にあります。この建物は実際に研究室として使われている建物です。研究生が出入りしていました。その建物の玄関に入ると、2階まで吹き抜けになったホールがあります。そのホールの2階の壁にステンドグラスの嵌まった開口部があります。

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また、多少デザインが違いますが、1階入口の両脇の窓にもステンドグラスがありました。

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しかし、このステンドグラスの嵌まっている部屋は使われていないようで、部屋の照明をしていないので、色がよくでていません。折角のステンドグラスなのに、そのよさを見せないのは、もったいない。ここのステンドグラスは内部ということもあって保存がよく、また、すばらしいデザインをしています。

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博多にもどって、特急ソニック号で、別府へ。駅から歩いて10分ほどのところに、別府市公会堂があります。ここの階段の踊り場にステンドグラスがありました。夜空に雲というデザインです。

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電車で大分に着き、今日はここで、泊まり。

その2に続く

九州・滋賀・京都の旅(その2)

11月5日
朝、レンタカーにのり、高速道路で、臼杵へ。臼杵石仏を拝観。ここは、2度目です。以前も修復後でしたので、あまり新鮮な印象がありません。

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ただ、以前見落としていた、満月寺をみてきました。何かこの谷間の地形がとても気になりました。

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車は、予定を変更して、以前見たことがある犬飼石仏、管尾石仏をスルーして、さらにその先の緒方宮迫石仏へ行くことにしました。
まずは、宮迫東石仏。

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そして、宮迫西石仏。

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車は、大分方面へ向かい、高瀬石仏へ。ここも以前来たことがありましたが、石窟といっても、岩がほんの一部しか残っておらず、平地に残っていた大きな岩を彫っただけのようで、当初の地形の想像がつきません。数年前改修をしたようですが、石仏の彩色も昔のようですし、どこを補修したのか、修理工事報告書をみてみないとわかりません。

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つぎに、大分市歴史資料館へ、「ほとけの王国ー大分の仏像」展を見学。
この展覧会の出品の中で、大山寺の普賢延命菩薩坐像、

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金剛宝戒寺の不動明王坐像

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が“半跏趺坐”でした。大山寺像は10世紀ですが、金剛宝戒寺像は平安後期の半跏趺坐像なので、何か理由が考えられる像ではあります。
市内方面へ向かい、岩屋寺石仏へ。ここは、ほとんど崩落して、尊名もよくわかりませんが、十一面観音立像だけは、かろうじて判別できました。

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すぐ近くの大分元町石仏へ。ここは覆い屋があり、保存も行き届いていました。その石仏の横の石仏は、かなり剥落してほとんど形を残していませんが、一具のものとしていいのでしょう。

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車を返すにはまだ時間があったので、急遽、喜春館へ、ここは、帆足家本家という造り酒屋の建物を、蔵をレストランや、喫茶店にしています。また、本屋には、洋服の展示即売をしており、各部屋に洋服を飾っていました。

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窓ガラスには、手吹き円筒法によるガラスが嵌まっていましたが、一通り室内をみて、庭を歩いていると、色ガラスらしきガラスが嵌まっている建具がありました。また、室内にもどって見ると、便所の廊下に青い色ガラスがはまっていました。

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こんなところに、色ガラスを使うとは、なかなかしゃれています。これは、新しい発見で収穫でした。
車を返して、電車で小倉へ、さらに新幹線で新大阪へ、今日は茨木で一泊。
11月6日
朝、京都で、荷物を預け、湖西線で、大津京へ。時間があるので、近江神宮へ。

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この近くにはよく来ているのに、今回が初めてです。例の崇福寺塔跡発見の舎利容器が見られると思いましたが、宝物館の開館時間には早すぎで断念。大津市歴史博物館「新知恩院と乗念寺」展へ。乗念寺は、10世紀の聖観音立像、新知恩院は、最近注目の釈迦涅槃像が注目でした。
そして、滋賀県立近代美術館「つながる美・引き継ぐ心」展へ。旧琵琶湖文化館に寄託されている仏像が数多く出品されているとおもいましたが、気になったのは、聖衆来迎寺の銅造薬師如来立像、若王寺如来立像、正法寺帝釈天立像、長福寺阿弥陀坐像、伊崎寺不動明王坐像くらいでしょうか。
正法寺帝釈天立像は、条帛に天衣をして、衤蓋襠衣には置口をつけています。この着衣方法だと、衤蓋襠衣は首回りを大きく開けた盤領で、頭からかぶる衣のようにみえます。

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伊崎寺は、以前安土城博物館でも出品されていましたが、あらためて“半跏趺坐”と確認しました。長福寺阿弥陀如来坐像は、いわゆるナタ彫り像ですが、“結跏趺坐”になっています。眼も、眼球のふくらみだけの表現のようです。
京阪電鉄で、京都市役所前で下車。北に向かって歩いて行くと、京都ハリストス正教会があります。今回はじめて、京都非公開文化財特別公開に参加した建物です。東京のニコライ堂と同じくロシア正教会の建物で、教会の祭壇がほかのキリスト教会とは、違った祭壇をはじめてみました。イコンはこのように飾るのかとはじめて経験しました。

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南下して、イノダコーヒー本店へ。中にはいると、休日の昼時で大混雑。入口横の扉のランマのステンドグラスの写真をとって退散。

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寺町通の中に、今回非公開文化財公開寺院である、誓願寺、安養寺があるのですが、スルーして、四条河原町の近くにある“築地”という喫茶店へ。

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2階に通されると、カウンターの横の裏の出入口に色ガラスの嵌まったガラス戸がありました。戸の前に椅子がおいてあり、扉も半開きなので、戸をしめて、椅子をどかしてもらえないかと、ウェートレスの学生アルバイトらしきお姉ちゃんに頼むと、動かせません。そこに入らないでください。とマニュアル対応をされ、しかたなく現状の写真でご勘弁ください。

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まだ時間に余裕があったので、知恩院へ、

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三門も今回の公開なので、急な階段をあがり、三門上の釈迦像と十六羅漢像、壁画を拝観。中は照明がなく、壁画もほとんど見えない状態でした。持参した懐中電灯で、壁画を照らすと、江戸末期から明治にかけての落書が多数ありました。ほんとはこうゆうのもしっかりと見せるのが必要なのでしょう。

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そして、近くの青蓮院門跡へ。そういえば、ここの前はよく通るのに、初めての拝観でした。

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京都駅へもどり、帰路の旅へ。

2016年10月10日 (月)

小笠原伯爵邸

 先月、旧小笠原貞幹邸の見学に行って参りました。新宿区河田町にある洋館です。現在は都の所有ですが、「小笠原伯爵邸」という高級レストランとして営業されています。なので、見学はいつでも出来たのですが、何せ高級レストランで、結婚式もやる施設ですので、なかなか行けませんでした。ところが、たまたま、9月の午後、レストランの営業時間外の1時間ほどの間を無料見学できると知りまして、出かけた次第です。

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建物の竣工は昭和2年、設計は曽根中條設計事務所、スパニッシュ様式のRC2階建てです。
玄関をはいるとホールの天井に鳩のステンドグラスがありました。

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この建物のステンドグラスの制作は小川三知といわれています。パンフレットによると、この鳩のステンドグラスは当時の写真をもとに、イタリアで復元したものだそうです。

現存しているステンドグラスは、客間の窓1箇所だけのようです。

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客間には、3箇所の両開き窓がありますが、そのうち、中央の1箇所のみ残っています。
建物にあった、当初の建築設計図面によると、窓3箇所とも、同じ図柄のステンドグラスが嵌まっていたようです。

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建築当初の設計図面が見られるのは、大変貴重なことです。この図面から読み取れることは、設計者とステンドグラス制作者との関係が理解できることです。
とくに、設計図面に、ステンドグラスの絵柄を書き込んでいるということは、施主、設計者、ステンドグラス制作者との、打ち合わせによって室内空間のデザインが決められていたことが、わかるからです。

この建物は、図面によると、他にもステンドグラスが嵌められていたのがわかります。
今の食堂の窓を見てみると、型ガラスを斜格子状の鉛線でつないでいるだけですが、

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図面では、窓の中心にエンブレムのようなステンドグラスがあったようです。

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また、図面では、廊下の窓にステンドグラスがあったようですが、これは、まだ正式に決定した図柄ではなかったようです。田辺氏は「木立の中のエンジェル」という題のステンドグラスだったとしていますが、実際に嵌められたのかはわかりません。

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また、食堂前の中庭から見て左端にある格子のついた窓に、ステンドグラスがあったようです。

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図面には、ステンドグラスだけではなく、ガラスの種類も銘記しているのがあります。

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客間から喫煙室へ入るドアですが、ドアのガラスは「面取硝子」と書いてあります。
また、斜め格子の図柄を入れた窓には、「鉛硝子」とかいてあります。鉛線で斜め格子状に組み込んだ硝子窓を指しているのでしょう。2階へあがる階段室の窓にも同様に書いてありました。

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この建物の中では、一番大きな窓で、普通は、色硝子を使うのが一般的ですが、この建物は階段の上がプライベートな部屋なので、目立たないようにしたのかもしれません。「グラスエッチング仕上 鉛硝子」と書いてあります。

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現在は、透明のガラスが入っていますが、当初は、不透明なガラスが入っていたのでしょう。「エッチングガラス」が今でいう「タペストリー加工」なのか、単なる「スリガラス」なのかは不明です。

丸く出っ張った、喫煙室の外観には、花模様の装飾タイルが貼ってありました。

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内部は、寝室、和室などプライベートな部屋の間仕切りを外し、レストランの大部屋にしたり、厨房に改造されたりしていますが、主要部分は残しつつ、改修されているようです。もともと取り壊す寸前までいった建物ですから、忠実に復元するということにこだわらなくて、これだけ残っているだけでもいいとすべきでしょうか。

2016年9月11日 (日)

岡山・奈良・京都旅

9月9日・10日と旅をしてきました。

まずは、岡山へ直行。10時開館をまって、岡山県立博物館「カミとほとけの姿」展に一番で入場と思いきや、先行してプレスの内覧会があったようで、すでにギャラリートークが始まっていました。
この展覧会で注目したのは、真庭市・明徳寺の聖観音坐像です。カタログでは10ー11世紀となっていますが、“半跏趺坐”です。半跏趺坐の発生する時代では最後のほうになる仏像です。

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金山寺の清水寺式千手観音画像も展示してありました。これは眷属が四天王です。

いそいで、新幹線にのり、新大阪へ、難波から、南海泉北高速鉄道で和泉中央駅へ。
タクシーで“いずみの国歴史館”へ、と告げると、大学のところでっか?と聞き返すのです。
地図をみせて着いたところは、桃山学院大学のキャンパスの中にありました。
「和泉市の至寶」展では、奈良時代の木心乾漆造弥勒菩薩坐像がありました。この仏像は“結跏趺坐”です。

奈良には4時ごろに到着。奈良博「忍性」展を見学。おもに、旧額安寺像、鎌倉・極楽寺像を中心に展示してありました。
リニューアルなった、旧本館の「なら仏像館」は、ケースを一新して、大変見やすくなりました。ケースのガラスは高透過ガラスに、低反射フィルムを貼った、最新グレードの設備を使っていました。

その中で、奈良博蔵・阿弥陀如来坐像(9世紀)、文化庁・銅造薬師如来坐像(鎌倉)が“半跏趺坐”。

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三重・見徳寺薬師如来坐像(飛鳥)は、中国の南北朝様式を踏襲した造法で、膝の箱状の形状は、形からみれば、明らかに“半跏趺坐”なのですが、中国南北朝様式の仏像との兼ね合いから、断定するにはまだ難しい面があるようです。

そして、これまたリニューアルなった、志津香で、釜飯。値段がちょっと上がったかな?

10日
京都駅で買い込んだ本の入ったリュックをコインロッカーにあずけ、バスで堀川今出川へ。
時間つぶしに、「京都市考古資料館」へ。
すぐ近くの「藤田家住宅」へ、西陣の帯製造業の住宅です。建物は昭和10年。

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中に洋間があり、珍しいガラスが嵌まっていましたが、近づくことができず、判定できませんでしたが、隣の家の窓には結霜ガラスがはまっていました。

バスで出町柳へでて、叡山電車で2つめの「茶山」駅下車。駒井家住宅は白川疎水に面したところにありました。建物は昭和2年ヴォーリズの設計です。
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階段の踊り場の窓に、黄色の型ガラス(ダイヤ)が嵌まっていました。
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哲学の道をとおり、地図をたよりに「吉田山荘」へ、この建物は昭和7年、東伏見宮家別邸として建てられ、今は高級料理旅館として運営されていますが、
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この敷地にあった車庫を改造して、カフェ「真古館」をオープンしましたので、食事をしなくても中に入れる、ということで、進入。
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本館棟の玄関横の丸窓は、内行花文の銅鏡をモチーフとした図柄、各部屋のランマのステンドグラスは、その外周の模様をモチーフとした図柄になっていました。
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吉田山の麓を歩き、京都大学楽友会館へ、大正14年建築の京大の教職員用の施設ですが、中のレストランは一般でも食事できますので、これまた進入。
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階段の壁に7箇所の窓を設け、そこに、2、3種類の青系統のオパールセントグラスを嵌めただけですが、ちょっと異様な感じがします。
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まっすぐ西に向かい、鴨川を渡ると、京都府立医科大学があります。正面入口のすぐ右に旧図書館の建物があります。玄関のランマにステンドグラスはありました。
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よく見ると、色のない透明ガラスの型模様が見たことのない模様をしていました。Photo_14

まだ、時間に余裕があるので、三条から東西線で「東山」で下車。並河家住宅・並河靖之七宝記念館へ。
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七宝の展示と、工房を見せるのがメインでしたが、この住宅に嵌まっているガラスは手吹き円筒法によるガラスでした。建物は明治27年ということでしたので、舶来ものでしょう。案内人はベルギー製だと言っていました。

さすがに疲れてきたので、最後にとっておいた「京博」へ、「特集陳列丹後の仏教美術」展へ。特別展ではないので、新館の一部のスペースでの展示でした。それにしても、ネットで、カタログは売り切れです。とアナウンスしていたので、あきらめていたのですが、売店ではそのアナウンスもしないで、平成20年に京都府立丹後郷土資料館で開催した「丹後丹波の薬師如来信仰」展のカタログをいかにも今回の特集陳列のカタログのように売っているのはいかがなものか、とおもいます。みんなだまされて買ってしまいます。

というわけで、初日は仏像を主に、翌日はガラスを中心にと、バランスよく見てまわりました。しかし、またよくばりすぎてツカレタ!

2016年7月 3日 (日)

新潟、志賀高原のガラス探訪旅

7月2日(土)日帰り旅行をしてきました。

まずは、上越新幹線、越後湯沢で下車。レンタカーで、十日町市松之山の大棟山美術博物館へ。
ここは、以前訪れながら、休館で中を見られなかった博物館です。博物館といっても、700年続く庄屋の家に、所蔵品を展示しているだけの博物館ですが、坂口安吾の親戚の家で、坂口安吾の資料が一部屋に展示されていました。

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私が見たいのは、もちろん板ガラスです。2階の窓には、赤・青・緑の色板ガラスが嵌まっているガラス戸があります。また、蜀江文の模様入りケシガラスも存在は確認していました。
中に入ると、1階の二面の廊下の縁側の戸の上のランマにその蜀江文ガラスが連続してはまっていました。これは、予想外でした。せいぜい内部の戸に数枚ある程度とおもっていましたので、ビックリでした。

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文様は、同じ型からつくられているのがほとんどでしたが、2~3枚のみ型の違うものが嵌まっていました。おそらく、補修で入れ替えたものとおもわれます。

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2階に上がると、廊下の一箇所の開口部の引き違い戸に色板ガラスがありました。

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四連の引き戸が2箇所で、両脇の戸には縦に4枚の大きな色板ガラス、その他は、上部に3枚の緑・赤・青の色板ガラスがはまっていました。

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板ガラスは、ところどころに泡がはいったもので、入れ替えたものはなさそうでした。また、透明ガラスの中も、手吹き円筒法とおもわれる板も数枚ありました。全体的には、並行したロール痕のあるガラスが主流のようでした。

さて、つぎは、車で2時間ほどかけて、須坂市へ。臥竜公園の中の須坂市立博物館にはいると、2階にあがる階段の踊り場に、ステンドグラスがはまっていました。これは、旧大倉製糸須坂工場にあったステンドグラスのレプリカだそうです。
旧大倉製糸は大正8~13年稼働していた建物で、その内部に嵌まっていたものだそうです。

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(写真は、掲載許可済、複写不可)
図柄は、中央に大倉喜八郎が受賞した勲四等旭日小授賞のかたち、その回りに、大倉家の家紋の五階菱と糸車、その外側には、桑の木と実という図柄だそうです。レプリカの製作者は、地元の石合敬という人物が平成18年に制作したということです。
現物も残されていて、市指定文化財、近代化遺産に認定されているとのことです。
現物の製作は、フランス製かともいわれていますが、確かに、葉の葉脈に絵付けをしていたり、オパールセントグラスを使っていないなど、ヨーロッパの様式をしめしています。
国産ではないことは確かでしょう。
しかし、指定された現物の写真をみてみると、本物には、縦に2本の骨が施されており、勲章部分のガラスは、レプリカでは、オパールセントグラスを使っていますが、現物はどうも違うようです。
以前は、同じ場所に現物が嵌まっていて、レプリカの作成の後に入れ替えたとのことですが、それならば、現物も同時に展示してもらいたいものです。レプリカと聞くと、あたかもまったく同じ材料で、同じ技法で作られていると錯覚してしまいがちですが、詳細にみるとその違いがわかるものです。レプリカはその制作者の一解釈に過ぎないということも考えておく必要があるとおもいます。

そして、志賀高原へ、志賀高原は、中学の3年間毎年スキー学校で行って以来です。しかも、雪の無い時期は初めてです。木戸池をすぎると、道の横の高台にある建物がそれだとすぐわかりました。
旧志賀高原ホテル(現志賀高原歴史記念館)です。昭和12年国策で建てられたリゾートホテルです。現在は中央のロビーのあるホール棟のみで、客室棟は残っていません。

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中に入ると正面に巨大な暖炉が鎮座し、2階は吹き抜けになっています。設計はドイツ人のようですが、壁に獅子頭を付けたり、日本画を壁に描くなど、日本を意識した山小屋風な意匠をしています。

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このホール棟の建物の正面も窓以外は、ほぼ、ステンドグラスが嵌まっています。そのステンドグラスは、西洋の紋章や、騎士の像など、絵付けを多用したデザインで、明らかにヨーロッパからの輸入品で間違いないと思います。この昭和12年竣工の建物には、当時の日本画家の大作が飾られています。ですから、ステンドグラスも日本の作家でもよかったのではとおもいますが、これは、あくまでも設計上の意図だったとはおもいますが、ちょっと建物の意匠とそぐわない気がします。

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玄関の天井にある照明器具。バルアイガラスが嵌まっていました。

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帰りは、ロングドライブでしたので、カーナビをセットして、ひたすらその通り走りました。
すると、車は白根山にのぼり、草津温泉におりて、長野原から中之条までは、予定どおりでしたが、そこから沼田へ抜けて、高速道路にはいるのが一番近道とおもいきや、わけの分からない山道にはいり、なんと17号線をはしるハメとなってしまいました。猿ヶ京温泉から、苗場をとおり、とうとう、高速料金を払わない道路をはしって、湯沢に無事到着。
安上がりはよかったにしろ、山岳道路を長時間走らされるのには、この年ではシンドイです。そこのところカーナビは考慮してくれないかな。

2016年4月 9日 (土)

旧山崎家別邸

 先日、川越に行ってきました。旧山崎家別邸が4月1日より公開されるという情報を、埼玉県の博物館学芸員の人から教えていただいたので、あまり人に知られる前に出かけてきた次第です。

場所は、有名な川越の蔵が並ぶ通りにある、山崎美術館の裏手にありました。山崎美術館は、天明3年(1783)創業の菓子舗、龜屋の所有の美術品を展示していました。しかも、橋本雅邦の作品を多く所有しているようでした。

旧山崎家別邸は、この龜屋の5代当主山崎嘉七の隠居所として大正14年に建てられました。設計は保岡勝也です。

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この建物は、以前から、川越市の所有になっていましたが、建物の外観のみ、年に1回程度公開するだけでした。今回は、建物の全面改修をして、やっと内部も公開するはこびとなりました。この内部公開を首をながくして待っていました。やっとのことで見ることができました。

それほど、この家に嵌まっているステンドグラスは、待った甲斐があるほどすばらしいものでした。

まずは、玄関の内部にある袖のFIXに嵌まっていました。

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中の青いガラスは、多角形に面取りした、半球形のガラスです。

玄関のすぐ横の階段の踊り場にまずは、注目です。

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田辺千代氏によると、小川三知のスケッチから、同じ図柄の絵を発見した、としています。しかし、藤森照信氏は、小川三知の日記からピックアップした作品のリストには山崎家別邸はありません。
田辺は、この作品を『泰山木とブルージェ』という作品名があることを書いています。また、

”ブルージェ”とは、鳥の名前で、オランダの軍人で鳥の収集家のブルジェという人が発見した鳥ということで名付けられたといわれています。

と書いていますが、”ブルージェ”という鳥の名前をさがしてもみつかりません。図柄を見てみると、鳥の色が違いますが、アオカケス(ブルージェイ)ではないかと思われます。
アオカケスは頭部に短い冠羽があり、翼部に帯状の模様があります。
ステンドグラスの鳥は、頭部の冠羽や、胸部の色が、アオカケスと違いますが、作者は、その部分の色を実際の鳥と違う色に変えたのでしょうか。

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階段の下に、両開きの窓があります。

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ちょっと、この木と、花の名前は、未調査ですが、青い川を表す色があざやかで、印象的でした。
とくに、葉の色使いがすばらしく、オパールセントグラスを実にうまく使って、葉の様々な色のバリエーションを表現しています。また、とくに下部の細かい葉や花の表現には、細い鉛線を使った、高度な技術を駆使しています。

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玄関横の客室には、ステンドグラスが2箇所あります。ひとつは、窓の中心に花をあしらった3連の上げ下げ窓。

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その反対側の食堂との間にある引き違い窓。

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この客室の2箇所のステンドグラスは、階段室にある2箇所のステンドグラスと、明らかに作風が違います。
田辺は、平山健雄氏から別府ステンドグラス製作所の資料の一部を提供され、その中に同じデザインのデッサンがあったといっています。

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この建物には、小川三知と別府七郎の2人の作者のステンドグラスが嵌まっていたということになります。比べてみると作風も、技法も違いがあるのがわかります。

どうして、2人の作家にステンドグラスを作らせたのかは、よくわかりません。しかし、ひとつの建物で、複数の作家の作品が同居することは、よくあったことのようです。

それよりも、ちょっと気になることは、山崎家は、先ほど書きましたように、川越藩の御用絵師だった橋本雅邦との関係があったということです。小川三知が美術学校で教えを受けた先生は、橋本雅邦でした。
もちろん、設計の保岡勝也がステンドグラス作家に依頼をすることが多いのでしょうが、同じ川越で設計した山吉デパートに嵌まっているステンドグラスは、別府七郎の作品といわれています。
山崎家と小川三知は、どこかで接点があったのでしょうか。

それにしても、ひさしぶりに、日本のステンドグラスにめぐりあえました。

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