北京の55日
義和団の乱を扱った映画に「北京の55日」があります。1963年上映ですから、小生が中学3年生のときです。主演は、先日亡くなったチャールトン・ヘストン。もちろん歴史スペクタル映画でした。義和団は、キリスト教徒と、外国人を追放しようとして蜂起した乱で、西太后は、それを利用しようとしたのでした。そして、外国人居留地を義和団が攻撃し、55日に渡る籠城の戦いが始まりました。日本を含む11ヶ国の外交官は一致団結して耐え、ついには日本を含む8ヶ国の軍隊の援軍が到着し、乱は平定され、西太后は西安へと落ちのびていった、というストーリーです。
もちろん、歴史スペクタルですから、一応歴史に則ってはいますが、かなりの脚色がはいっています。まず、籠城中で、11ヶ国の外交官を束ねて、中国に対抗したのは、アメリカ人のチャールトン・ヘストンでも、ディヴィット・ニーヴンでもありませんでした。日本の柴中佐(伊丹一三)(その当時はたしか十三ではなく、一三でした。)だったのです。映画では、単なる脇役でした。軍隊を数多く出したのは日本軍でした。その後、柴中佐は、欧米から勲章をもらっています。また、映画の端々に中国人蔑視の光景が見受けられました。いってみれば、文明と野蛮の対決といった単純化した映画でしたので、あまり評判の割には、評価は高くありませんでした。主役があのヘストンですから。
もっとも、1963年といえば、中国は毛沢東万歳の頃で、国交のないアメリカが、現地でロケをすることもできようはずはありません。その点「ラストエンペラー」は実際、紫禁城でロケをしていますから、全然、迫力が違うのはいたしかたありません。でも西太后は、実際の写真とそっくりな人をキャストとしていました。
実際の歴史では、義和団の乱で、日本を含む西欧列国は、賠償金をとり、ますます、清国は疲弊していきました。現に、義和団の乱鎮圧後、連合軍による美術品の略奪がはじまり、中国の美術品が海外に流れ、とくに、日本の山中商会、龍泉堂などが暗躍して、戦前の大倉集古館はそのころ蒐集した美術品であふれていました。
坊主頭で、詰め襟をきて、銀座のロードショー専門の映画館で、見たこの映画は、私にとって衝撃的でした。ロシア公爵未亡人の役ででていた、エヴァ・ガードナーです。白い胸の開いたドレスを着て画面にでて来たときは、唯々唖然としました。こんな美人がいるなんて。しかも、胸の谷間に香水をさらりと塗っている仕草は、もうたまりませんでした。おもわず、その胸の谷間に引き込まれそうでした。下町のハナタレ小僧が見るもんじゃないものを見たという衝撃です。これが、この後の小生の人生に少なからず影響を与えたのかもしれません。
映画のパンフレットを買ったはずなのですが、それをお見せしようとおもいましたが、見つかりません。もっとも、45年前の話だもの。リンクで勘弁してください。
そんなわけで、今回は、挿図ナシになりました。
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イヤー、先輩からこのような艶めいた話を伺うとは思ってもみませんでした。“北京の55日”は、私も見たはずですが、記憶にありません。“阿片戦争”とかの映画の記憶はあります。故宮や円明園など徹底的に略奪されていますが、中国の激動の歴史は興味深いものがあります。朝鮮の近代史もですが。やっぱり歴史は面白い。
投稿: 絵婆画図名 | 2008年4月 9日 (水) 11時04分