復原、復元、修理
今、奈良の平城宮跡で、大極殿の復元工事が進行中です。平城京遷都1300年に向けて進んでいるようです。覆い屋に囲まれているので、どの位できているのかがわかりませんが。大極殿が完成すると、近鉄奈良線で、平城宮を走っている車窓から朱雀門と大極殿が左右に見られ、何か不思議な世界に電車が突っ込んでいるような感じにさせてくれるのではないかとおもいます。
さて、朱雀門も大極殿も「復元」工事といわれています。鈴木博之氏によると、「復元」とは、失われて消えてしまったものを旧に復することをいい、「復原」とははじめの姿が改造されたり、変化してしまった現状をもとのすがたに戻すことをいう、というのが一般的な定義だそうです。しかし、山岸常人氏が『建築史学』23で「文化財「復原」無用論」という論文で展開している論では、「復原」には根拠がない場合があり、周辺の類例をもとに<整備>するのは、当初形態を正しく示すものではない。学問的に判明しないものは判らないとすべきである。といっています。これは、最近の復元の事例を念頭にいれての発言だろうとおもいます。最近の復元は、三内丸山遺跡、吉野ヶ里のように、発掘調査から、建物が作られてしまうことに、危機感をいだいたのだろうとおもいます。この問題は後ほど、具体例として、朱雀門の復元過程の検証をしようとおもいます。
この問題は建築史では、活発に議論が行われていますが、彫刻、絵画、工芸においても、同様な問題があるのですが、どうも、議論として遡上にあがらないようです。そのために、例えば、彫刻でも、修理と称して、現状では、失われていた手が復元されたり、根拠もないのに、板光背が作られたり、といった復原修理が堂々とおこなわれています。それが合理的(学問的といったらいいのか、その時代の様式に沿ったというのか)な根拠にもとづいてという論拠をもちだしたとしても、それが、確実に検証できるものでない限り、それは、その部分の「創作」というべきあり、復原ではないのです。そこのところを、修理者は明確に語っていないのが、非常に残念です。修理者はこの部分は、創作です。あるは、或る根拠によって推定しました。と説明しなければなりません。そのことがいままで、非常にあいまいにされてきました。これは、修理者が創作者でもあることが多いことによるとおもいます。創作者ならば、その作品がすべてを語るのだから、極端にいえば、コトバはいりません。しかし、修理者は創作者ではありませんので、どこをどのように現状から変えたのかを説明しなければなりません。つまり情報の公開が必要なのです。この問題も、大きな問題でひとことでは語れませんので、またの機会にじっくりとお話しようとおもいます。
さて、もうひとつ気になること、大極殿ができると、復元した朱雀門をくぐって大極殿に向かって歩いていきたいのが普通の感覚です。でもその途中に、近鉄の線路を渡らなければならないのです。突然に現代の風景に逆戻りするのです。許せますか? 近鉄の役員をしている先輩に何とかしてと訴えたいのですが、今度のOB会に来てくれないかなあ。
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