玉虫厨子
法隆寺の百済観音堂に今回、はじめて入ると、百済観音だけではなく、東西に宝殿があり、そこに、仏像等の展示がありました。いままでの、大宝蔵殿だけではなく、それ以上の展示スペースが増えたことになり、よろこばしいことです。いままでと、展示の場所が異なってしまったので、ちょっととまどいましたが。さて、大宝蔵殿の出口にちかい部屋で、二つの模造の玉虫厨子が展示されていました。マスコミ等で発表していた、あの模造の玉虫厨子でした。
これは、高山の造園土木業(他にも、美術館などを経営している)「(株)飛騨庭石」の社長だった故中田金太氏の寄贈によるものです。その制作過程は映画にもなっているそうで、かなりマスコミ受けのようにも見えますが、その実物を見ると、全体的に黒を基調としているので、仏像の極彩色の模造のように、派手さ加減はなく、しっとりとおちついた色調になっている印象でした。確かに、漆工技術の継承のためとはいえ、この二つの玉虫厨子は、復原品といったらいいのか、模造品といったらいいのか、単なる創作品なのか、そのコンセプトがよくわかりません。一基は実物の復原模造のようにも見えますが、いわゆる密陀絵の部分はいまだに、その技法が不明のはずです。その部分はどうして漆絵にしたのかの説明がありません。もう一基は、かなり創作に近い作品のようです。
いずれにしても、前から言っていることですが、復原模造ならば、どこをどのように復原したのかの説明がなければ、模造品とは言えません。もっとはっきり言えば、単なる、玉虫厨子に似せた創作品としか見ることはできません。本物が制作された当初がこうだったという保証も検証された論拠もないのですから。
それでも、現代の工芸品としては、一級品としての価値はあるとおもいます。
左写真は『日本精華』第1輯に掲載されている写真です。発行は明治41年4月25日。撮影は工藤利三郎です。今回急遽、奈良市写真美術館へ行ったのは、「写真師 工藤利三郎展」をやっているのを奈良博で知ったからです。展覧会にあった写真はもちろんこの玉虫厨子もありましたが、目新しいものがなく、図録もないとのことで、ちょっとがっかりしました。
この写真は、外で撮られているのですね。昔のことだから明るいところでないとダメだったのでしょうけど、地面の石の基壇の上にそのまま置いたというかんじですね。炎天下とはいいませんが、ブッタマゲてしまいます。あの模造品を寄贈した高山の中田氏は、高山でも無視されているようですが、玉虫自体見たことのない人にとっては、だから玉虫厨子というのか、と納得してもらえます。模造?復元?と厳密に言えばこの文面どおりですが、参考資料としてみれば大いに参考になります。この大宝蔵殿は工芸品の宝庫ですが、橘夫人念持佛の厨子も、もう少し良く見えるようにしてくれないものでしょうか。せっかくの蓮の葉や水紋、なにより仏様が蓮のうてなに載って現出するという金属工芸の意匠が見えないのです。いつも残念に思うところです。
投稿: 玉虫無視 | 2008年4月16日 (水) 11時15分
やっと、書き込みができそうです。
レイモンド、ノミエ夫妻の展覧会を見てきました。ブルーノタウトもそうですが、ヨーロッパ出身の建築家は、絵が上手です。奥さんの方が上ですがね。
安い費用で、使い勝手の良いものが多いのには感心しました。
又、開口部というのか、ガラスを多用していますね。
奈良は、確か6月から、奈良博で法隆寺展ですので、その辺に行けたらと思っています。
投稿: 高山奇人 | 2008年4月16日 (水) 21時58分
書き込みありがとうございます。今後もどんどん書き込みをお願いいたします。
さて、高崎来訪の件ですが、4月26日になりそうです。もしお時間がなければ、お店に伺わせでいただきます。
投稿: 安堵人麗主水 | 2008年4月16日 (水) 22時50分