下谷と神田の神輿
私の幼少時の氏神の下谷神社の祭がありました。小学生までは、よろこんで、神輿をかついでいましたが、その当時、中学生になると、お祭になにか古くさいというイメージを持ってしまって、それ以来、神輿をかつぐことはありません。
町会にある大中小のうちの中神輿は、他の町会にもない、白木造で千鳥破風の神輿です。今は、屋根が銅板葺きになっています。十数年前修理にだしたということですので、私がかついでいたころとは、金具の光具合も全然ちがいます。それにしても、下谷神社の本社御輿は私が、小さいころは、かつぎ手がいなくて、山車にして引っ張っていたのが、今では、地元からではなく、他地域からかつがせてと申し込みが多いそうです。それぞれの地域の事情によって、若い人が集まらなかったりと、いろいろ問題はあるものの、まだ、続いているというのは、まわりの景色が変わっても、考え方が変わっても、気質はかわらないのでは、とおもいます。私も神輿を見ていると、何か沸々とわき出る躍動を覚えます。昔から染みついていたものがでるのでしょうか。
そうこうして、本社神輿を見ていると、「おばけ神輿」と言われただけあって、その大きさには、今更ながら圧倒するものがありますが、美術的に見ても細部にわたって、江戸仕込の業が見受けられます。下谷神社の本社神輿は、行徳の後藤直光が大正15年に作ったものです。そういえば、もうひとつの神輿作りの雄である、浅子周慶が廃業したと聞きました。浅子周慶は以前は、仏像も作っていたという名の知れた彫刻師です。その系統が途絶えるのは残念です。浅子周慶の神輿は都内いたるところで見ることができます。仏像も江戸末期から作品が数多く残っているはずなのですが、調べる人がいません。都内の仏像の悉皆調査が済むとその作品の系統がわかるかもしれません。
下谷神社の本社神輿の行列には、天狗が同行します。そして、神輿の後には、白馬にまたがった神主が続きます。鳥越神社は、手古舞連という、昔は芸者が若衆の姿で神輿の前を練り歩くのですが、下谷は天狗のみ、その天狗はどうも、下ばかり向いていて迫力がないね。バイトの兄ちゃんがやってるのかな。
もうひとつ、はたと気がついたのは、今日は、神田明神もお祭だったのだ。それで、いそいで神田明神へ行くと、宮入が6時で、ちょうど準備中でした。
正面前に陣取って、鳥居に入るところを見て、それから本殿前へ。最期の手打ちまで見届けてきました。神田明神の神輿は、下谷にくらべて新しく、平成12年、種谷吉雄氏作で、鳳凰が極彩色に塗られ、豪華さをだしています。大きさは、下谷と比べてまあまあかな。(これは、私が下谷の氏子なのでエコ贔屓があります。)
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東京はそろそろお祭りの季節ですね。
ところで、下谷神社は、浅草通りを稲荷町方面に向かった右手にありますが、なんであそこが下谷神社なのでしょう。昔はあそこも下谷だったのかな。それと、下谷と入谷の関係がよくわかりません。一応、昭和通りで分けて、浅草方面が入谷で、根岸方面が下谷らしいですが、「おそれ入谷の鬼子母神」は下谷にあって、わけがわかりません。いつか教えてください。
ちょっと前、蕎麦を食べに、稲荷町の地下鉄の出口を区役所側に
降りたら、蕎麦屋が、(今はもうそこにはありませんが)旧い同潤社
タイプのアパートの脇にありました。ああいうアパートがまだ残っているのは、さすが上野だと感心しましたが、まだありますかね。
投稿: 高山奇人 | 2008年5月12日 (月) 22時01分
同潤会『上野下アパート』でしょうか。あります。私は用あって、昨年2回ほどここの住人の方を訪問しております。初めて訪れた時はびっくりしました。調べたら、昭和4年の建築だそうで、戦災にも焼け残った家屋なのだそうです。しかし、水洗でダスターシュートまで完備されて、当時は時代の最先端をゆく住まいだったそうです。
都内では、九段下を旧さくら銀行本店を左手に周ったところにある、これも廃屋のような官舎(たぶん旧大蔵省財務局管理)があったのですが、これはどうなったでしょう。ご存知の方は教えてください。
投稿: 福路小路綾麻呂 | 2008年5月14日 (水) 12時30分