山手西洋館
氷川丸を見て、次に港の見える丘公園へ、歩いて行きました。それは、今このあたりは、戦前に建てられたいわゆる西洋館を移築して公開していると聞いたからでした。「山手西洋館マップ」によると、7~8軒の西洋館が無料で公開されていました。そのうちのひとつ、「エリスマン邸」は、大正15年の建築で、平成2年にここに移築されて公開されています。A・レーモンドの初期の設計で、まだ、F・ライトの影響の残っているころの建物です。その後の、いわゆるレーモンドスタイルがほとんど感じられない建物です。すこしは、レーモンドらしさがあるのかなとさがしましたが、展示してある家具にしても、レーモンド様式とはほど遠いものでした。まあ、いわゆる典型的な西洋館としての間取りをもった建物という評価でしょうか。
元町公園から石川町方面へ行くと、おなじ高台に「イタリア山庭園」という場所があります。そこには、2棟の西洋館が建っていますが、そのうちのひとつが、「外交官の家」とよばれる建物です。これは、明治政府の外交官内田定槌邸で、もとは、渋谷の南平台にあった建物で、平成9年にここに移築したものです。明治43年、アメリカ人建築家のM・ガーディナーの設計です。塔屋付きで、いわゆるアメリカン・ヴィクトリア様式をもつ建物です。内部は、しっとりとした落ち着きのある空間を演出しています。
玄関の内扉と、暖炉の左右にある上げ下げ窓には、ステンドグラスが嵌められています。この建物には、ステンドグラスが食堂の横にもあって、都合3個所ステンドグラスがありました。3個所とも抽象的なデザインで、作者はわかりませんが、明治43年という年を考えると日本では、宇野澤組しか作っていないはずです。輸入品ということも考えられます。
それにしても、戦前のいわゆる西洋館は、エリスマン邸や、内田邸にしても、現代から見てみると、それほど豪華な住宅とは思えません。建坪もそれほど大きくはないし、家族で暮らすにはちょうどよいぐらいの広さといったらいいのでしょうか。内装もそれほど凝った作りをしているわけではありません。この程度の広さの住宅ならば、現在では、いわゆるプレファブメーカーの既製品の建て売り住宅とさほどかわりはありません。
それなのに、この西洋館はどうしてゆったりとした空間をつくっているのでしょうか。それは、ひとつには、天井の高さにあるとおもいます。また、柱や梁・建具・手摺といったところに、実にさりげない装飾を施していることにあります。つまり、今の既製品は表面的には見栄えをよくしていますが、時間の経過を考慮しない設計になっているために、その美しさが維持できないのです。結局のところ、建物の寿命が短くなってしまうのです。現代の建物の浅薄さを実感させられました。
帰りにJR石川町駅に着いて、またまたビックリ、駅舎の窓にこんな大きなステンドグラスがあったとは。きっと、50年後に注目されていることでしょう。建物が残っていればの話ですが。
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