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2008年8月24日 (日)

早稲田文庫の版木

Photo 茶房早稲田文庫の所有で、額に入った版木が3枚ありました。その当時は、すぐ目の前で見てはいても、それがどんな版画になるのか見当がつきませんでした。しかし、いつかこれを使って刷ってみたいもんだ、と思っていました。これは拓本のいい練習になるかなと思い、日下さんには、拓本をとらせてよと、何度か冗談交じりで言ったことがありました。

そうこうしているうちに、茶房早稲田文庫は閉店になり、早稲田文庫にあったこの版木は、日下さんが新たに開いた茶房武蔵野文庫に受けつがれました。今、洗面所の壁にかかっています。

Photo_2

すると、ひょんなことから、竹久夢二の研究者の目にとまり、これは、竹久夢二の書いた挿絵の版木ではないか、ということになり、プロの版元がこの版木で、刷ったところ、木と寺の門が描かれた絵は、博文館発行の文学雑誌『中学世界』の明治40年3月20日号、少年がお手伝いさんに牛乳を渡している絵は、明治41年3月20日号にそれぞれ掲載されたものと判明しました。明治38年に竹久夢二は『中学世界』でこのようなコマ絵「筒井筒」が一等に入選してはじめて世にでてから、すぐの作品ということになります。まだ、24、5歳の頃です。

この版木をおじさんがどのようにして手にいれたかは、定かではありません。しかし、版木は使い回したり、すぐに廃棄することが多いので、現在でも残ることが少ないのが現状です。これが、どうして残ったのかは不明です。どこかの骨董屋で見つけたものなのでしょうか。茶房のおじさんは、ちょっといたづらっぽい人で、たとえば、額入ではいっていた棟方志功の版画は、実は印刷物だったりと、誰もが本物とおもっていたものなのですが、見事にだまされていました。

ちなみに右の版木は竹久夢二ではなく宮崎(渡辺)与平の作だそうです。宮崎与平も明治45年には亡くなっているので、同じ時代のものなのでしょう。

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コメント

宮崎与平さんというのは、会津八一さんとお付き合いのあった、
(あるいは、会津先生が一方的に思慕していた)渡辺文子さんの
旦那さんだった人ではないでしょうか。

わぎもこが きぬかけやなぎ みまくほり いけをめぐりぬ
かささしながら

気がつきませんでしたが、どうもそのようです。宮崎与平は渡辺文子と結婚して、渡辺に改姓しています。まだ詳しくは調べていないのですが、茶房の版木が渡辺与平の挿絵と書いていたのは、新宿歴史博物館『琥珀色の記憶~新宿の喫茶店』のカタログです。版画に刷るとき何故渡辺与平のものまで刷らなかったのかは、今ちょっとわかりません。そのあたりの経緯は日下さんに聞いてみます。竹久夢二のほうがずっと著名なので、その影にかくれた感があったのかもしれません。
わぎもこが・・・の歌は、猿沢池のほとりに歌碑があります。1998年の建碑だそうです。

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