龍峰寺千手観音
今回の奈良博の展覧会に出品された龍峰寺の千手観音立像です。いわゆる「清水寺式千手観音」の一例ですが、この仏像はいろいろ問題のある仏像です。
まずカタログの解説から見ていくと、構造は頭体を榧の一材で彫刻され、背面から大きく内刳がされている。と説明しています。
しかし、膝部の衣文は平安時代も早い頃の様式を示しているのに、目には玉眼をいれており、顔部は平安時代以降の様式を見せています。玉眼は後で、面部を割矧ぐということも考えられますが、膝の衣文との時代的整合性がとれていません。
もちろん脇手は後補なのですが、どうも、腰下とその上とは時代が違うようにみえるのです。
しかし、鈴木氏の解説では、なんらかの古像の模刻という製作事情が考えられるとして、製作は鎌倉時代初期としています。
模刻という解説にちょっと引っかかる気がします。つまり鈴木氏は、膝下の衣文がどうしても古く見えてしまったために、模刻ということを引っ張り出したように見えるのです。
いくら模刻といっても、彫刻の方法はその時代性が現れるものです。何か胴体と足をとってつけたような気がするのです。
しかし、構造は頭体一材の一木造だというのです。よくわかりません。
それよりも、頭上の脇手がいつ付けられたのかが、わかるといいのですが、それはちょっとむずかしいのかもしれません。
清水寺式千手観音は北は中尊寺から南は九州まで、広範囲にわたって分布しています。しかし、善光寺式阿弥陀のように、持ち運べるほど小さいものではなく、善光寺信仰の普及によって全国に分布したというように、清水寺式千手観音がどういうことで、全国にその分布が見られるのかは、まだまだ解明しなければならないことが多すぎます。清水信仰によって普及したというのは、ありうることであっても、学問的に明確な証明ができなければ意味がありません。
カタログでは、この清水寺式千手観音の白描画像が「別尊雑記」に「唐本」として収められていると書いてありますが、別尊雑記を見ても見つかりません。ここからはじめないといけませんな。
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