旧十河信二邸ステンドグラス
十河信二といって、すぐ頭に浮かぶのは鉄っちゃんでも相当の人です。昭和30年から38年まで、第4代国鉄総裁を勤めた人です。“新幹線の父”とも呼ばれた人物で、国鉄全盛期に8年にわたって国鉄のトップに君臨していました。
その十河信二の自宅が本郷にありました。昭和12年に建てられた木造2階の建物です。戦後GHQに接収され、その後、国鉄の保養所「本郷閣」としてつかわれ、最後には、国鉄精算事業団によって取り壊されました。
その建物を取り壊す時、近辺で活動していた「たてもの応援団」というボランティア団体がマントルピースやステンドグラスを取り外し、近くの老人ホームのラウンジに移設したのだそうです。
そのことを知ったのは、旧安田楠雄邸を見にいったときのこと、ステンドグラスの話をしていると、そのボランティア団体の案内をする人が、そのことを教えてくれました。
さっそく、その老人ホームのロビーで、ステンドグラスを見させていただきました。デザインとして、なかなかモダンなデザインです。十河邸では、玄関の木製建具に嵌っていたようです。他の2枚の嵌め殺しはどこに嵌っていたのかはわかりませんが、こちらの方が出来はよさそうです。いわゆる点付のハンダをつかっているところは、あまり技術がいいとはおもえませんが、色使いから、そのデザインまで、しっかりとしたものになっています。
大正から昭和初期頃の住宅がだんだんと消えていきます。最近、そんな建物探訪をしていると、ボランティア団体などが、その保存に活動しているのが目につきます。それ自体は大変すばらしいことだと思いますが、基本的には、自治体の文化財保護課が動かなければならないことです。しかし、自治体はお役所仕事です。自治体の動けないことを、やるのがボランティアだとしたら、ちょっと違うかな、と思います。
また、その建物を有効に利用するという名目で、内部を改造して、喫茶店にしたり、土産物の売場にしたり、果ては、美術館にまでしてしまうという建物を見かけます。建物の維持の為の資金をいくらかでもそのようにして調達するということ自体わからないでもありません。でも、その建物は、どこまで保存をしようとしているのかは、常に考えなければいけない問題です。たとえば、外観が残ればいいのか、竣工当時の状態に復原したらいいのか、改造をしていたとしたら、いつの時点の状態にまでもどしたらいいのか、消耗品はどこまで、新しくしたらいいのか、などなど、さまざまな問題をかかえることになります。
おそらく、建物を維持していると、常にこのような決断にせまられることになるとおもいます。そのとき、一体どういうコンセプトをもち続けられるかを問われることになります。
私はその決断をすること自体は重要なことだとおもいません。むしろ、それをちゃんと公開して、後世に伝えられるかが重要な問題だとおもいます。極端なことをいえば、まちがった選択をしたとしても、その経緯がちゃんと文書に残っていれば、後世の人は修正がきくのです。一番いけないのは、最新の材料をつかって、いかにも古そうに補うことです。しかも黙って何の記録もせずに。
以前書いた、復原の問題にまたもどってしまいました。結論がくりかえしになってしまいました。どうもやばいな!
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