青淵文庫・晩香盧
飛鳥山の一角にある、大正時代の建物の青淵文庫と晩香盧を見てきました。毎週土曜日の12:30~15:45 しか内部公開していない建物です。飛鳥山一帯はもともと、渋沢栄一の別荘だったところです。
青淵文庫はその中で、いはば蔵書を納めるための図書館として建てられました。ところが、建築中に関東大震災に会い、竣工したのは、大正14年のことでした。一階が閲覧室で、2階が書庫になっています。
閲覧室のランマの窓に4枚のステンドグラスが嵌っています。中央の2枚は中心に「壽」の文字を表現し柏の葉4枚を十字におき、両脇には昇り竜と下り竜を配置しています。竜の眼だけアンティークガラスを使い、あとは、オパールセントグラスを使っています。
内部からは撮影禁止でしたので、外部からの撮影ですが、新しく付けられた、真鍮の補強材の取付状況がわかります。この補強は内部からもおこなっており、上下の端の部分で、鉛線に沿って変形した真鍮を使っています。
この建物は、平成14年3月から15年3月の間に保存修理工事が行われ、平成15年3月には施工した清水建設の編集によって『青淵文庫保存修理工事報告書』が刊行されています。
この本はA4版 総ページ423頁、写真等図版44枚にも及ぶ分厚い本ですが、一枚のCDROMになって販売されていました。
この報告書は、以前にも書いた『前川国男邸』の報告書に匹敵するくらい、詳細な報告書です。
まず、この修理工事に携わった、専門工事業者の現場責任者、いはば、専門の職人の名前が載っています。これで誰がどういう仕事をしたのか、その道の人ならば、だいたい推測できます。
とくに開口部の修理は、今回は窓などの建具はすべて取り外し、ガラスまでもすべてはずしています。その当時は当然パテ施工なので、石のように硬化したパテを千枚通しと小玄能で根気よく取り外しています。
しかも、普通の硝子で、破損した硝子の代替え品をどう調達したらよいかの検討までしています。創建当時の硝子は、今の技術で再現するには、膨大な費用がかかりますので、どこかの建物に嵌っていた硝子を、取り壊しのときに入手するとかまで、考慮しています。
しかも網入り硝子の網の形状まで調査して、いつ、どのメーカーの製品かの考察までしています。
これだけの調査、考察をしていると、次回の修理工事のときには、実にスムースに仕事が運ぶとおもいます。また、これによって、いままでの技術の継承が確実なものとなるのでしょう。
しかし、これからの保存修理工事は、明治大正期に製作された建材をいかにして入手して、ストックしておくかが課題となるのでしょう。もう今からでも探しておかなければ、どんどん無くなっていってしまいます。
職人から職人へ、手取り足取り教えるのが技術の継承ではないはずです。しっかりとした文書に残すことのほうが、さまざまな情報の入手に役立ちますし、一方的な偏った技術の伝承を防ぐことができます。
もうひとつの建物、晩香盧 は木造平屋の建物で、大正6年竣工です。渋沢栄一のいはば、接待所として使った建物です。便所、厨房の入口のドアにステンドグラスが嵌っています。出窓もそうですが、これは単一の硝子になっています。
この建物も平成11年に改修工事をしています。そのとき、ステンドグラスの補修をしているようです。出窓のガラスには、型と色が微妙にちがう硝子が嵌っています。
この建物は修理工事報告書がないので、どこを修理したのかわかりません。この建物も内部からの撮影禁止のため、外部からの撮影です。とくに右の便所の扉のステンドグラスは外部の窓硝子を通してなので、反射しています。ステンドグラスは、内部から光を通して見るのが普通です。どうして撮影禁止なのでしょう。
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