ステンドグラス二題
昨日は、ステンドグラスを見に、都内の建物を二棟廻りました。
まず最初は、三鷹にある旧山本有三邸です。大正時代に建てられたマントルピースが2つある洋館です。山本有三は昭和11年から昭和21年まで住んでいました。ステンドグラスが至る所に嵌っていましたが、どれも、黄色の型ガラスと透明の型硝子の構成のごく一般的ななデザインのもので、作家名は特定できません。大体が斜め格子状のデザイインで、色も黄色と透明を基調としています。
その中でちょっとちがうデザインが1階の応接室にある嵌め殺し窓と、階段の踊り場の窓です。この階段の踊り場の窓がこの建物で一番おおきいステンドグラスです。でも、この階段踊り場という場所は、ステンドグラスのデザインを一番目立たせるポイントになる場所のはずなのですが、実におとなしい色彩構成になっています。まあ、建て主の好みがよくあらわれているところなのでしょう。
次に行ったところは、早稲田大学の大隈講堂です。ちょうどホームカミングデーの日で、この日には、いろいろなイベントが大学構内でやっていました。そして、去年改修工事をして、リニューアルされた講堂の中を案内してくれるツアーにまぎれこんで、大隈講堂の建物探険をしてきました。
まず案内されたのは、建物の横にベランダがあり、そこに大隈重信の別の銅像がありました。これは、今のガウンをきた像の前につくられたものだそうです。何か不具合があって、今の大隈像になったのだそうで、一般には公開していない銅像だそうです。
そして、時計台の上にあがりました。時計台の塔の窓には、黄色一色のステンドグラスがところどころに嵌っていました。この建物のステンドグラスは大体が黄色の型板によるもので、デザインも一般的な斜め格子状のものです。
時計台の時計は、今回の改修で新しくしたようです。裏側から見ると単にスリガラスが嵌っているだけの実にシンプルな作りになっています。
まわりはブルーの色の入った型ガラスで、中心は透明のダイヤという型ガラスなのですが、一番手前の中心の硝子4枚の内1枚が、カスミの型ガラスになっています。これは、おそらく改修工事の時、補修しなければならなかったのが、そのダイヤ柄の型ガラスの手に入らなかった為なのでしょう。
このように、昔の型ガラスはもう手に入らなくなってしまっています。ステンドグラスの内でも、オパールセントグラスのような手造りに近いガラス板は少量生産なので、比較的再現しやすいのですが、むしろ、大量生産品は、その当時の設備でつくらないと再現がむずかしく、また膨大な生産量が確保できなければ、1枚でも作れないのです。設備の復元をしたとしても、たった1枚の為に膨大な費用がかかるのです。
これから、明治大正昭和初期の建物の復原工事には、その当時の材料の確保という問題が必ず浮上することになります。今の内に何とかしなければならない問題です。
大講堂の中に入りました。もう何十年ぶりです。天井もきれいになりました。座席にすわると、あの頃が眼の前に現れてくるようです。
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来年か再来年が私の世代のHomeCamingのはずです。
塔に登ってみます。
投稿: 梅澤 | 2008年10月27日 (月) 20時20分
すいません、スペル間違えました。
coming。(酔っ払い梅)
投稿: 梅澤 | 2008年10月30日 (木) 22時38分