求道会館
大雨の中、根津神社から、本郷へ散策をしてきました。根津神社のツツジは半分くらい見頃です。というよりも桜と違って長期間楽しめるので、神社もそのような育て方をしているようです。
今回の目的は求道会館の見学でした。月の第4土曜日の午後からしか見学ができないので、大雨でも出かけた次第です。求道会館とはどんな建物かをまず説明しなければなりませんが、簡単にいうと、真宗大谷派の教会です。建物はいはば、仏教の教会といえばいいのでしょう。外観、内部はまるでキリスト教の教会です。ひとつ違うのは、祭壇ではなく六角堂がありその中に阿弥陀如来立像をまつっていることです。内部に入ると、非常に不思議な空間を体験しました。
宗教家近角常観が、大正4年に完成させた建物です。設計は当時この近所に住んでいた東大の助教授の武田五一です。2階の窓のランマ5枚を使って、一本の菩提樹をデザインしたステンドグラスが嵌っています。まわりは円形のオレンジの硝子で縁取りしていますが、菩提樹以外は透明硝子をつかっているので、外の景色が見えるデザインになっています。いわゆる、外の景色も窓のデザインの一部となる、といったコンセプトを持っています。こういったデザインは小川三知の宮越邸で見られるように、西洋にはない発想のデザインだとおもいます。一種の借景でしょうか。
近角常観は、明治3年(1870)滋賀県湖北町の真宗大谷派の寺院で生まれ、明治22年(1889)上京し、第一高等学校、東京帝国大学に進んだ人です。大学在学中に本願寺の改革運動に加わり、また帝大卒業後に、山県内閣の宗教法案の反対運動をするなど、行動的な宗教家だったようです。
その功績もあってか、明治33年(1899)から明治35年(1902)まで東本願寺から派遣されて外遊をし、その後、本郷のこの地に土地と建物をもらいうけ、学生寮を経営しながら布教活動を始めています。そして、武田五一に設計を依頼し、設計から12年の歳月をかけて大正4年(1915)に、この求道会館を建設し、さらに、大正15年には、やはり武田五一の設計で、いままでの古い学生寮の求道学舎を建て替えています。昭和16年(1941)72才で、常観は死去しますが、その後、求道会館は荒れるにまかせていたところ、東京都の文化財に指定され、平成8年から平成14年にかけて復原工事が行われ、今のような状態になったということです。
あとで調べてわかったことですが、本日、この経過を話していただいたのが、近角常観の孫の真一氏でした。この方は建築家で、この復原工事にたずさわった人で、この求道会館と求道学舎の建物を維持するため、さまざまな工夫をしている方だと知りました。いわゆる文化財指定の建物でも、それをいかに維持管理するかは、財政的な問題も含めてさまざまなハードルがあります。それを求道学舎リノベーションという方法で乗り越えたひとつの例としては、注目に値するとおもいます。
近代にはいってからの、仏教の改革はどのように行ってきたのか、という経過は実に興味ある問題です。その渦中にあった近角常観の思想も興味ありますし、この建物の設計者武田五一もまだ残っている建物があり、特徴ある建物を造っています。興味が尽きないですな。
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