華原磬
阿修羅展には、仏像の他に法隆寺の橘夫人念持仏と厨子も展示されていました。何でとおもったら、八部衆像と十大弟子像は、光明皇后が母、橘三千代の一周忌供養のために造像したものという、理由で出品したようです。
その他に華原磬が展示してありました。それに、最近発見されたと話題づくりになった、波羅門像がありました。この像は頭部を輪切りにして、その継面から天正五年(1577)源三郎の銘が発見されました。
『七大寺巡礼私記』によると、当時、西金堂の正面の壇の下にあって、金皷の傍らに波羅門像が撞木を執って金皷を打つ姿勢をしていた。 と書かれています。
また、この像容は、金光明最勝王経 巻第二 夢見金皷懺悔品第四(大正蔵 第16巻) に妙幢菩薩が夢に大金皷を見て、波羅門が金皷を打つと大音聲がした。 とあるのを再現したのではないか、といわれています。
とすると、今は桃山時代の波羅門像ですが、西金堂創建当初にあった、金皷は当然波羅門像もあったはずです。しかも、金光明最勝王経に忠実に再現するならば、単なる彫刻ではなく、ひょっとしたら、ゼンマイ仕掛の人形で、自動的に波羅門が撞木で金皷を打ったのではないか、とおもったりして。
単なるオブジェとして置いてあったとしたら、この金皷は打つこともしなかっただろうとおもいます。
さて、以前とあるブログに”華原磬クイズ”を投稿してみました。その時の正解率は50%でした。あなたは、どうでしょうか?
華原磬クイズ!!
第1問、華原磬には4匹の竜がありますが、雌雄の区別は何でわかるのでしょう?
第2問、中心上部に台のようなのがありますが、そこには何があったのでしょう?
第3問、一時期、華原磬は鎌倉時代の作という説がありましたが、何の根拠でそういわれたのでしょう?
第4問、竜はなぜ皆、口を開けているのでしょう?
答えはブログ『時のあかしに』「興福寺のこと」に掲載しています。
阿修羅展の解説をみると、第3問は、また、別の解釈がでてきて、ちがった回答になってしまったようですが、とりあえず参照してください。
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