金戒光明寺渡海文殊
以前、神奈川仏教文化研究所の訪れ帖に書いたことがある仏像のことですが、もう一度、そのいきさつを話します。
もう30数年前のことですが、私が商売を始めた頃、京都に遊ぶことがありました。一緒に行動したのは、写真評論家だった故H君、某役所調査官のB・B君、某大学教授のN君でした。夕方、京都の夜景を見ようというので、金戒光明寺の三重塔にやってきました。そして、三重塔の中を覗くと、渡海文殊が安置されていました。裏にまわってみると、扉が開いていました。我々はそっと中に入りました。善財童子1体のみが欠けていましたが、獅子に乗った文殊菩薩が目の前にあらわれました。江戸時代の極彩色に覆われていましたが、なかなか古そうな様式をしていました。これは、鎌倉時代までいくのかもという印象でした。しかし、三重塔は江戸時代の建物ですし、極彩色がどうも気になり、その場では判断ができませんでした。
その後、大学院生だった、B・B君とN君はその仏像について調べたようですが、文献的にもよくわからなかったようです。B・B君は修士論文に文殊菩薩をとりあげ、調べたようですが、行き詰まり、とうとう論文を出さずに、中退してしまいました。それが、けしかけた本人にとって、心残りでした。

数年前、京都国立博物館の平常展を見ていると、金戒光明寺藏の最勝老人像が展示されていました。説明板を読むと、この渡海文殊を順次修理しているとのことでした。
この仏像は京都国立博物館で行われた、1995年の社寺調査で、注目をあびたようです。その後2002年に京都市指定文化財となり、5ヶ年計画で1体づつ修理をおこなってきたようです。

そして、去年、金戒光明寺では、4体そろっての公開をしました。その時は、失った善財童子も新しく作られ、優填王の欠失した手も補修されたようです。その時は、江戸時代の極彩色はすっかりとれて、もとの落ち着いた彩色に変わっていました。
ただ、この仏像についての来歴など、疑問がとけていなかったので、ずっと気になっていました。すると、この仏像についての論文を発見することができました。淺湫毅「金戒光明寺の文殊騎獅像および眷属像について」『戒律文化』第6号 2008年3月15日 です。
京都国立博物館『京都社寺報告』17 には簡単な調査報告がありますが、来歴等は記述されていません。『京都市の文化財』第21集 には市文化財指定に際しての解説があります。それぞれは、簡単な記述でしたが、淺湫毅の論文はその来歴の推定から、仏所の推定にまで、その論考が及んでいます。
その要点は、善派仏師の作とみられること。X線で判明した文殊菩薩頭部にある納入品の形状は西大寺像と似ていること。そのこと等から、叡尊教団に関係する造像の可能性が高い。という結論のようです。
今現在は納入品を取り出すことができないため、推論に終わっているようですが、いつか、修理のときに、納入品が取り出せる機会があるかもしれません。そのときまで、結論はおあづけのようです。
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