六本指
薬師寺吉祥天画像に関する論文を漁っていると、野間清六「藥師寺吉祥天畫像雜感」『国宝』4-8 昭和16年8月1日 という論文が目にとまりました。最初の1頁から2頁上段までは、普通の解説の文章が綴られていましたが、2頁目下段になると、突然この吉祥天の手の指が五本か六本かという問題を語り始めたのです。
何のことかと読み進んでいくと、大正年間の頃摂政宮(昭和天皇)に瀧精一がご進講している時、この畫像を取り寄せたことがあったそうです。進講の後、その場にいた東郷元帥が「この左の手は指が六本だ」と言ったそうです。すると、その場にいた白鳥庫吉は、「支那の奥地にはそうした異状體形のものが少なくなく、却って尋常でないために尊敬される」と説明したそうです。まさに苦し紛れでしょう。それにもまして、筆者の野間氏は、「佛教では千手観音の如きや十一面観音の如き、多手多面の姿が通行してゐる」また、「畫家として指を一本多く描くことは有り得ることである」と懸命に弁解しています。しかし、以後は冷静になって、図まで描いて詳細に分析しています。それによると、「確かに指は六本に見える。併しそれは、指は五本に描いたのであるが、その描法によって偶然に六本に見えるに過ぎないのであって、東郷元帥の眼も強ち誤りとはいひ切れないのである。」としています。野間氏は、手の部分を拡大して詳細に検討して、どうして六本に見えたかの検証までしています。
こうまでして、ムキになって弁明ともいえる検証をするのは、読んでいてちょっとやりすぎじゃないのという感がします。それは、その問題を指摘した人間が、とりもなおさず“東郷元帥閣下”であったからでしょう。
いつの世にも、権力者のひとことが、下の者を大パニックにさせるものです。権力者の顔を立ててフォローした上で、しかも、説明者が知らなかったではすまされないので、こういった発言をするのでしょう。実に滑稽な話なのですが、よくある言い訳の典型的な例です。今だったら、「あなたがそう見えるだけじゃないの。」と取り合わないか、「気がつきませんでした。」と言って謝るかのどちらかです。権力におもねるとは大変なことですね。
ところが、多指症という先天性異状の病気があるのだそうです。しかも豊臣秀吉の右手がそうだったと、フロイスの記録や、前田利家の回想録に書かれているそうです。こうなると、白鳥庫吉の説明もあながちデマカセで言ったのではないというのがわかります。
それ以降、この薬師寺吉祥天画像に関する論文には、六本指の話題はでてきませんでした。一昨年、奈良国立博物館・東京文化財研究所編『薬師寺所蔵 国宝 麻布著色吉祥天像』 2008年5月15日 という調査報告書が出版されました。そこには詳細な赤外線・X線写真とともに、梶谷亮治「国宝 麻布著色吉祥天像の彩色技法」という論文があります。それには「左手は胸前に挙げ、3・4指を屈し掌を上に向け宝珠を持している。肉線は淡墨線、指先には強い朱隈を施す。指先が細くさらに下描き線と重なり合い、一見すると指数が多く見える。」としています。
その当時、こんなことが言えなかったのでしょう。この問題の対処の仕方で時代がどんな状況だったのか想像することができます。いや、こういうヨイショは、今でも全然変わってはいないのかな?
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